野辺送り 其之弐
一方、その少し奥の廊下で弔問客を案内していた祐は、沖田が見知らぬ女性と親しげに話す様子を見て、八木家の長男秀二郎に肩をよせた。
「あのひとは?」
「ああ、お秩さん?近くのお医者さんの助手をしたはるご婦人や」
秀二郎がそう耳打ちしたとき、導師をつとめる壬生寺の住職が、祭壇を設えた座敷にゆっくりと姿を現した。
祐は二人の関係の方が気になって仕方がない。
「えらい仲良さそうやん」
しかし読経がはじまると、秀二郎は話を打ち切って、
「あ、わたしもそろそろ行かな」
とあわてて座敷に入ってしまった。
それでも、なんとか式は無事進行して、遺族らの焼香までこぎつけた。
問題の芹沢鴨はというと、受付の帳場に座ったまではよかったが、よほどショックを受けているようで、ぼんやりと放心したまま客の相手もろくにこなせない。
同じ水戸派の平間重助は、打ちひしがれる芹沢を尻目に、客用の座布団をかかえて、帳場の前を黙々と行き来している。
曰く、
「大人しくしてくれるに越したことはない。こうした席では、手が掛からないだけよほど始末がいい」
ということらしい。
そのおかげで、並んで受付に座った近藤勇は、弔問客が途絶えるまで大わらわだった。
「…やれやれ、なんとか乗り切れたようですね」
ようやく一息ついた近藤が、ふと隣に目をやると、芹沢はボンヤリと頬杖をついて、芳名録の裏に筆を走らせている。
気になって手元をのぞくと、なにか絵を描いているようだ。
ほとんど無意識に落書きをしているらしい。
やがて、芹沢に懐いている近所の子どもたちが、その落書きを面白がって群がりはじめた。
「なあなあ、河童描ける?河童描いて」
「牛若丸と弁慶は?」
リクエストが出るようになると、芹沢も急にはしゃぎだして、
「よーし、順番だ。並べ並べ!」
と、いつもの調子を取り戻した。
なかなか絵心があって、子どもからせがまれるまま、武者絵やら物の怪やら、動物の姿絵など、器用に描いてみせる。
「…おかしな人だな」
近藤はそうつぶやいて、微笑ましげにその様子を眺めていた。
「どうやら式もつつがなく進行しているようですよ」
近藤が家の中をのぞいて、何気なく芹沢に声をかけたとき、
経を唱える住職の声をかき消すように、陶器の割れる音が響いた。
「あ、ごめんなさい!」
手を合せていた人々がいっせいに声のした方を振り返った。
座敷中の視線を一身に浴びながら、頭を下げていたのは祐だった。
焼香をすませた秀二郎が、
「大丈夫?」
と歩み寄ると、祐はわれに返って廊下に散らばった湯飲みの破片を拾いはじめた。
「ホンマにごめんなさい!うち、近藤せんせ等に、お茶持っていこ思て…」
取り乱した様子の祐を、秀二郎は優しく気づかった。
「ええよ、ええよ。お茶はわたしが持っていくさかい、お祐ちゃんも妹に焼香してやってください」
「いえ、うちは最後で…」
祐は逃げるように台所へ駆け込んでいった。
ゆっくりと後を追ってきた永倉新八が、気楽な調子で祐の肩をたたいた。
「気にすんなよ」
「そやけど…」
口ごもって顔をあげた祐の目に、たすき掛けをした秩が洗い物を片付ける姿が映った。
そのキビキビした働きぶりが、さらに祐を落ち込ませた。
そもそも、お茶を載せた盆を取り落としたのは、沖田と秩の様子に気をとられていたせいなのだ。
「しっかし秀二郎のやつ、ちょっと見直したよな?自分だって気落ちしてるだろうに、嫡男としてよくやってるよ」
永倉は指の先で数珠をクルクル回しながら、しきりに感心している。
同意をもとめられた祐は、先ほどの失敗がことの外堪えたようで、
「ごめんなさい。うち、足引っ張ってもうて」
と、柄にもなく、また俯いた。
「あ~イヤイヤ!そんなつもりで言ったんじゃないぜ?お祐ちゃんは、芹沢の旦那よか、よ~っぽど役に立ってるよ」
永倉があわてて取り繕うと、
そこへ沖田も加わって、ひとの気も知らずに励ました。
「そうさ。それに、お祐ちゃんがいてくれるだけで、お雅さんも心強いはずさ」
祐は黙りこくったまま、しょ気ている。
「…あ、べつに、その、いるだけって意味じゃなくね?」
沖田は言葉が足りなかったと後悔して、とってつけたように弁明した。
「…ありがと」
祐はなにやら複雑な笑みを浮かべて礼を言うと、勝手口から出ていってしまった。
さて、そろそろ読経も終わりに近づいたころ。
秀二郎が湯呑をのせた盆を持って、近藤たちのいる帳場へ顔をだした。
「ごくろうさまです。お茶でもどうぞ」
芹沢はあいかわらず子どもたちに乞われるまま、絵を描いている。
秀二郎はその様子におどろいて、
「子どもには人気あるんやなあ。ちょっと、見方が変わりましたわ」
と小声で近藤に打ち明けた。
「たしかに。子どもたちには、あの人の本質が見えているのかも」
近藤も芹沢の無邪気な笑顔につられて頬がゆるむ。
しかし、やがて出棺の時間が近づいて、子供たちが行ってしまうと、芹沢はまた思いつめた顔で黙り込んでしまった。
ずっとシオれていたはずの芹沢が、またひと騒動起こしたのは、よりによって、その出棺の段になってからだった。
「おいおい待てよ、おまえら!左手で槍を持つなんて法があるか!」
野辺送りの行列が通りかかると、棺を囲むように槍をもつ男たちを見て、声を荒げたのである。
とうとう、平間重助の危惧が現実になったわけだ。
怒声を聞きつけた喪主の源之丞が引き返してきて、困り顔で説明をはじめた。
「ここいらでは、昔っから葬列のときは左手で槍を持つゆうしきたりがありますのや」
「馬鹿げてる!もしだ。いいか、これは仮定の話だが、もしそんな伝統があるんだとたら、あんたたちはそのおかしな伝統をあらためるべきだ」
芹沢は急にいつものわがままを発揮して、無理難題を吹っかけた。
八木源之丞も村の長老として、衆目の面前でずっと守られてきた慣習を曲げるわけにいかない。
「いいえ!水戸ではどうか知りまへんけど、うちとこではこれが正しい作法なんどす!」
「分からず屋だな、あんたも」
「芹沢❘先生こそ!」
近藤が割って入り、
「まあまあ、芹沢さん。不幸があったときに槍を反対の手に持って死者を送るというのも、ありそうな風習じゃないですか」
そう取りなしたが、芹沢は聞く耳など持たない。
「うるせえな!てめえは引っ込んでろ!八木さん、槍を持つのは右手だ!」
ところが源之丞も意固地になって、返事もしないまま葬列とともに行ってしまった。
芹沢は信じられないといった顔で近藤を振り返り、源之丞の後ろ姿を指した。
「おい今の見たか?無視だよ!無視しやがった」
近藤はやれやれと首を横に振り、自らも葬列に続いた。
そして長男の八木秀二郎に追いつくと、
「ちょっと見直した傍からこれだ」
と苦笑いして、また小さく頭を振った。
「そやけど、妹のこと想て言うてくれはったんやろし。父も少し元気が出たみたいやさかい、今日のとこは大目に見ときますわ」
秀二郎は意外にも寛大なところをみせて、さびしげに微笑み返した。
だが、こうした芹沢の横暴な振る舞いこそ、浪士組にとって最も重大な懸念事項だった。
土方歳三が、わざわざ葬儀を欠席してまで御幸町に出かけた理由も、井上松五郎を頼って、芹沢鴨の専横を封じる策を練るためである。
すなわちそれは、浪士組の主導権をひとり近藤勇が掌握することをも意味していた。




