魑魅魍魎、跋扈 其之参
藤堂は胸をそらし、見栄を切るように両手を水平につきだした。
「お騒がせしてすみませんねえ、皆さん。いやご安心を。我々は浪士組です!」
永倉はツカツカと藤堂に歩み寄って、その後頭部を平手で打った。
「あイテ!」
「どんだけケンカっ早えんだテメエは!」
そのとき、最後に残った浪士が永倉の背後で上段に振りかぶった。
永倉はそれを予見していたように頭を下げると、
藤堂が真正面にある男の顔面にこぶしを叩き込んだ。
「くらいな!試衛館仕込みのケンカ殺法だ」
前歯の折れる嫌な音がして、
浪士は刀を構えたままその場にくず折れた。
「そのナントカ殺法って、おまえ、近藤さんに断りもなく、あっちこっちで妙な煽り文句を触れまわってんじゃねえだろうな?」
永倉は首をすくめたまま、上目遣いに藤堂をにらみつけた。
浪士四人をあっという間に倒した藤堂は、肩で息をしながら着物の裾を叩いた。
「ハ!何だおまえら、口ほどにもねえな。不逞浪士てな、みんなこの程度か?もっとこう、なんてか、さらに不逞な感じの奴はいねえのか!ああ?!」
永倉はとうとう藤堂の口をツネリあげて、耳元で怒鳴った。
「もう誰も聞いちゃいねえよ!てめえのせいで天然理心流の品位もガタ落ちだろうぜ!やり合ってるときくらい、口をつぐんでやがれ!このおしゃべり野郎!」
「ひててて、ふひはへん!」
ようやく落ち着きを取り戻した藤堂は、折り重なって倒れる浪士たちをまたいで、入り口でだらしなく伸びている男を助け起こそうと歩み寄った。
「ほら、おじさん、大丈夫かい?」
「う~ん」
唸る中年男に手を貸しながら、藤堂は手近な不逞浪士を踏みつけた。
「オラ、おまえらも立てよ!立ってこの人に謝れ!」
「バアカ!この酔いつぶれてんのが不逞浪士の親玉だよ!」
「え?」
「ちっ、芹沢さんから聞いちゃあいたが、ホ~ントにいやがったよ」
中年男の赤ら顔をのぞき込むと、永倉は忌々しげに毒づいた。
彼にとっては、神道無念流の大先輩にあたる男。
これは紛れもなく、仏生寺弥助だ。
藤堂は、冴えない撫で肩の中年男と永倉の顔をいぶかしげに見比べた。
「マジかよ?このおじさん、ずいぶん腹が座ってんなあ。かなりへばっちゃってるけど、んじゃ失礼して、やっちゃっていいスか?」
永倉は柄にもなく慌てて藤堂の胸板を押し戻す。
「よ、よせ!」
藤堂は驚いて永倉を振り返った。
「なに?」
「おめえなあ、あとさき考えず突っ込んでくその性格をなんとかしねえと長生きできねえぞ?」
藤堂平助は、この無鉄砲な性格から、のちに「魁先生」というあまりありがたくない渾名で呼ばれることになるが、この時も、永倉の忠告を一笑に付した。
「大丈夫、まちがっても、永倉さんにケンカ売ったりしねえよ。こう見えて相手を見る目には自信あるんだ」
「は!どーだか」
永倉が吐き捨てるのを聞いて、中沢琴は思わず苦笑を漏らした。
敵を侮るなかれと諭す当の本人が、今まさにその力量を値踏みされていることに気づいていない。
琴は、知る限り最強の剣士、仏生寺弥助に対して、永倉新八という底の知れない男がどう出るのか、部屋の片隅から興味深くなりゆきを見守っていたのである。
ところが。
「久しぶりだな。仏生寺さん」
琴の期待に反して、永倉は親しげに話し始めた。
拍子抜けすることに、二人には面識があるらしい。
「やあ、永倉先生」
仏生寺は呂律の回らない口調で応じると、なんとか片手をあげてみせた。
永倉は両手を腰にやって、あきれ果てたように小首をかしげた。
「先生はよせよ。まあったく、相変わらずだな」
藤堂もさすがに驚いて、壁に寄りかかって立つ男の顔をまじまじと見つめた。
「まさか、このおじさんも知り合いなんスか!?」
「練兵館の同門でな。仏生寺弥助といって、ただの酔っ払いにみえるかもしれんが、その実、かなりおっかない男だぜ」
「そりゃあ、是非ともお手合わせ願いたいね。なにせ、お仲間はあまりに歯ごたえがなくて」
向こう気の強い藤堂は、ひるむ様子も見せない。
仏生寺は勘弁してくれと手をヒラヒラ振ってから、あらためて辺りを見回し、荒れた店内とそこかしこに倒れる仲間たちに顔をしかめた。
「…あ~あ、ひどいなこりゃ。ぜんぶ君がやったの?」
藤堂は、その問いを無視して、なおも挑発を繰り返す。
「つーか、ぶっしょーじって、それ本名?」
仏生寺の恐ろしさを知る永倉は、藤堂をかばうように前に立つと念をおした。
「分かってると思うが、悪いのはあんたらの方だぜ?」
「ん~、経緯は覚えてないが、多分そうなんだろうな。何故って、つまりその、こういう場合、大体において悪いのはいつもわたしなんだ…」
そこで仏生寺は眠そうな目をしたまま頭をかきむしり、
「まあ、いいさ。死んでなきゃ、そのうち目を覚ますだろ」
と投げやりに言って、また床にへたり込んだ。
「島田さんといい、永倉さんってムサ苦しい男にやたら受けがいいっスね」
口の減らない藤堂を、永倉は部屋の隅まで引っ張って行った。
「いいか?死にたくなきゃ口をつぐんでな。あいつは、島田とちがって若輩者にだって優しくねえからな」
不服げに口を尖らせる藤堂を尻目に、永倉は仏生寺のところに戻って道理を説いた。
「お仲間をゆっくりおネンネさせてやりたいなら、店にちゃんと金を払うんだな」
仏生寺はしばらく永倉の顔をジッと見つめていたが、しぶしぶ懐から一両を取り出し、板の間の床に置いた。
怯え切っている店の主人は金に近づこうとすらしない。
「手痛い出費だな。実はちょいと前に清河八郎を殺り損ねちまってね。今は仕事を干されてる」
酔った勢いか、仏生寺は人目もはばからず暗殺未遂を公言した。
永倉と藤堂は、奇妙な偶然に顔を見合わせた。
つい最近、自分たちも全くおなじ失態を経験している。
「清河というのは、あれは悪運の強いやつだよ」
「まったくだな」
永倉は口の端を無理矢理持ち上げて笑顔を作った。
「ま、そんなわけでさ。お恥ずかしい話、今は昼間っから酒を飲むくらいしかやることがない。あんたたちは忙しそうでうらやましい」
仏生寺は相変わらずトロンとした目つきでそう嘆くと、徳利の口を逆さにして舐めた。
「え?あ、ま、まあな。おかげさんで、こっちはなんとか順調にやってるよ。なあ?」
永倉は虚勢を張って、藤堂に同意を求めた。
気の利かない藤堂は、とてもそうは思えないと肩をすくめる。
永倉は決まりの悪さをごまかそうと話題を変えた。
「芹沢さんも一緒だぜ?あ、そうか。あんたは知ってたんだっけか」
「ああ。近いうち、顔をだすと芹沢にも伝えておいてくれよ」
仏生寺は徳利を床にトンと置いて、よろめきながら立ち上がると、仲間を置き去りにフラフラと出口へ向かった。
永倉は複雑な表情で、その背中に告げた。
「…ああ。きっと喜ぶよ」




