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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
葬送之章
125/404

雨上がりの午後 其之参

その頃、山南はすでに近藤の部屋の前にいた。

「近藤さん、入りますよ」

声をかけると、中から「どうぞ」という返事。


障子を開けると、近藤が机に向かって書き物をしている。

「何か変わったことでも?」

近藤は山南に背を向けたままたずねた。


「ええ。未確認の情報ですが、今朝早く、あの武市半平太たけちはんぺいたが京を離れたという話を耳に挟みました」

「そりゃあ、久しぶりの朗報ろうほうだ」

近藤は手を止めて振り返った。

「ええまあ、ひとまずはね。だが、今日はその話で来たのではないんです」

山南は敷居しきいの手前で神妙しんみょうな顔をしたまま立っている。

気の進まない役目ではあるし、中沢琴の件も気がかりだが、土方にばかり心配事を押し付けるわけにもいかない。


近藤はその目をじっと見据みすえて、口を開いた。

「…そろそろ歳かあなたが、何か言ってくるころだと思ってましたよ。まあ、座ったらどうです?ずっとそこに立っていられたら、風が入る」

近藤はそう言って、床几しょうぎの上ではためく何かの手紙を武骨ぶこつな手で押さえた。

その笑顔は、昔と変わらなかった。

「では、失礼して」

山南が後ろ手で障子しょうじを閉めると、近藤は座布団ざぶとんを差し出した。

「先日の平野屋の件をたしなめに来た。そんなところでしょう?」

「それだけじゃないが…まあそうです」

山南はニコリともせずに着座した。


近藤は床几しょうぎ片肘かたひじをついて、半身はんみのまま山南と向き合った。

「言い訳をするつもりはありません」

「私も別に釈明しゃくめいを求めにきたわけじゃない」

「では、いきなり説教が始まるのかな」

近藤はうつむいて、苦笑にがわらいした。

山南は、その軽口かるくちを無視して話を進める。

「もう少し、私を信用してくれてもいいんじゃありませんか?」

「もちろん、信用していますとも。だからこそ、耳の痛い話もこうして素直に聴くつもりでいる」

「はぐらかさないで下さい…分かっているんだ。あなたは決意したんでしょう?えて手を汚すこともいとわないと」

近藤の顔から笑みが消えた。

「…それは、山南さんが気に病むことじゃない。隊には清廉せいれんな人間も必要だ」

「それはつまりこう言うことですか?私だけは、あなたが血で手を汚してまでまもった局長の地位にぶら下がり、あなたが押し借りまがいの方法でかせいできた金で日々を食いつないで、なおも聖人君子面せいじんくんしづらをしていろと?」

山南は、それを口に出すことで、さらに感情が高ぶってきた。

「馬鹿にしないでもらいたい!見て見ぬふりをしたところで、私も同罪だ!あなたも同じように思ったからこそ、芹沢さんについて行ったんでしょう?」


近藤はまた、うつむき加減に笑った。

「そうだとして、では今さらなにを言いに来たんです?」

「あなたにあんな汚れ仕事をやらせるくらいなら、私も土方さんも喜んで代わりを引き受けよう。ですが、いずれにせよ、それは危険な綱渡つなわたりだということです」


その切実な諫言かんげんに、近藤は頼るべき参謀さんぼうたちにまで本心を隠していたことを恥じた。

「いずれ、めは負うつもりです」

「あなたはそうでしょう。ですが、隊士たちは分別ぶんべつのある者ばかりじゃない」

「どういう意味です?」

「彼らに我々のやっていることが知れれば…いや、人のくちは立てられないというから、遠からずそうなるでしょうが…自分たちも同じことが許されるなどと都合よく解釈かいしゃくする者も出るはずだ」

山南の言うことは一々(いちいち)もっともで、近藤にはその光景が目に見えるような気がした。

「山南さんは、どうすればいいと思いますか?」

こうして素直に教えをえるところが、山南たちをきつけて止まない近藤の魅力だった。

やはり、近藤は心根こころねまで変節へんせつしたわけでない。

そう知って、山南は少し安堵あんどした。

「我々自身のことはさて置きましょう。私が言いたいのは、人をかき集めるのもいいが、それが烏合うごうの衆では困るということです。このままでは収集がつかなくなる。以後、沖田くんら幹部の者たちには、隊士たちをきびしく監督かんとくしてもらうつもりです。同時に、私や土方さんの言葉には、従ってもらう。そして、その命令系統の頂点にいるのは、近藤さん、あなただ」

近藤は表情をくもらせた。

「組織を引き締めねばならんのは分かる。しかし、急に堅苦かたくるしいことになって、幹部たちの反発をまねかないかね?」

山南は近藤の懸念けねんをバッサリと切り捨てた。

「だからなんです?彼らにも自覚を持ってもらわねば困る。最初のうちは多少ギクシャクするかも知れませんが、土方さんなら言わずとも察してくれるでしょうし、抜かりなくやってくれるはずです」



もちろん、ふくれ上がった隊士たちの統制に関して、土方歳三に抜かりがあるはずがない。

その点は、近藤たちが考える以上に気を使っていた。


この日の朝、彼は入隊の試験に先立ち、試衛館しえいかん以来の仲間である幹部たちに召集しょうしゅうをかけた。

そして、今後は規律きりつを重んじるため、隊士にはきびしく接しろと言い渡したばかりなのだ。

殿内の一件以来、土方は土方で、これ以上近藤に負担をかけることは何としてもけねばと心をくだいていた。


ただ、藤堂平助や斎藤一には少々薬が効きすぎたらしく、

二人は土方の言葉を額面通がくめんどおりに受けとって、さっそく候補者たちを容赦ようしゃなく打ちのめし、失格者の山を築いていた。


そして、境内けいだいの真ん中では、なおも斎藤一が候補者たちを手玉てだまに取っている。


雄叫おたけびをあげて突進してくる浪士をヒョイと交わした斎藤は、

相手が苦し紛れにいだ竹刀しないをいとも簡単にたたき落した。

それから、呆然とする浪士のひたいにチョンと竹刀しないを触れて、

「あんたは、いま頭を割られた」

と、面白くもなさそうに死を宣告した。


斎藤は土方の顔をチラリと振り返り、

手加減てかげんはしたと」でも言いたに肩をすくめてみせる。


「つぎ」



こうしたとき、多少なりとも心情を察してくれる沖田総司を欠いて、土方は苦り切っていた。

「…全っ然、分かってねえじゃねえかよ!」

淡々と浪士たちをさばいていく斎藤に小さく毒づく。


肩を落とす土方をはげますように、島田魁が東の空を指差した。

「あ、ホラホラ、土方さん。見てくださいよ、にじが出てる。雨も悪くない」

「島田さん、それ…なぐさめてるつもりか?」

仏頂面ぶっちょうづらで見上げた空には、島田の言うとおり鮮やかなにじを描いていた。

「でも、ま、気持ちだけはありがたく受け取っとくよ…」


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