借金取りを追い払う方法 其之弐
沖田は山南の背中を押した。
「今のうちに行きましょう」
「そ、そうだな」
山南は気不味そうに頭を掻きながら井上の前に出ていった。
「井上さん、ご苦労をお掛けします。あの…今のは?」
「酒屋ですよ。芹沢さんがツケでどんどん樽を届けさせるので、えらいことになってまして」
井上は途方にくれた様子で頭を振った。
「あの人、外で飲んで帰ってきて、ここでまた飲んでるんだもん。そりゃツケもたまるよ」
沖田が溜息をついたところへ、まるでタイミングを見計らったように、昼間から酒の匂いを漂わせた芹沢鴨が帰ってきた。
「きたよ、元凶が」
沖田は小声で、井上に耳打ちした。
芹沢は彼らの気も知らず、すっかり上機嫌だ。
「いよう、山南先生!お出かけかい?」
話し掛けられた山南は呆れ顔を隠そうともしない。
「ええ。ちょっと見回りに行ってきます」
沖田の方は、山南のように態度だけで不服を申し立てる謙虚さは持ち合わせていない。
「芹沢さんは(京都守護職の)本陣からお帰りですか。またずいぶん小洒落た格好をしてるじゃないですか」
チクリと、嫌味を言った。
ところが、芹沢はその言葉でさらに気分をよくしたらしい。
真新しい紋付の襟元をつまんでニコリと笑った。
「ああ、これ?こないだ見回りで山名町に行ったときにな、菱屋であつらえた。いいだろ?」
沖田はゲンナリして、また井上の耳元にささやいた。
「だめだ。皮肉も通じない」
しかし、井上の不幸はここで終わらなかった。
借金取りはつるべ打ちでやって来る。
「ごめんやす」
玄関先には、また商家の手代らしき男が立っていた。
「ほら、山南さんがまたモタモタしてるから、次のが来ちゃった」
沖田が横目で山南をにらむ。
怒りたいのは山南の方だったが、井上の手前、もちろん口には出せない。
「菱屋の使いの者どす。芹沢先生は居たはりますか」
たった今しがた話題にのぼった呉服屋である。
芹沢はとたんに不機嫌な顔になって、
「芹沢は俺だが?」
と目で威嚇した。
「こ、これはどうも。毎度ご贔屓頂きましておおきに、ありがとうございます」
手代は、柔らかい物腰で頭を下げた。
芹沢は鷹揚に「ああ」と頷いてみせる。
「早速なんどすけど、こないだお買い上げ頂いた皆さんのお召し物のお代を頂戴にあがりました」
「あれは付けとけと言ったはずだが?」
「はあ、確かに主人からも、そのように伺うとります。ただ、芹沢先生を信用せん訳やおへんけど、かなりお高いお買い物どしたやろ?一見さんの場合、うちもあんまり長うツケとく言う訳にもいかへんさかい、あんじょうお願いしてきなはれと主人が申しまして」
手代はどうやらヤリ手の集金人らしく、抜かりない目つきで芹沢の顔色を伺っている。
しかしこうした取り立てに場慣れしているのは芹沢も同じだった。
「一見とはなんだ、何着も買ってやったろうが?たった今、お前さんも毎度おおきにとか言ったよな?」
と、相手の出鼻をくじくように脅しを入れた。
「あ、あれは挨拶みたいなもんどすがな…」
揚げ足を取られてオタオタする手代を見て、芹沢は自らの鮮やかな手並みを誇るように仲間を振り返った。
ところが、期待したような反応は得られず、一同からは冷ややかな視線が注がれている
「…な、なあんだよ、その眼は?だって、俺だけって訳にはいかねえだろ?新見とか平間も一緒に買ったんだよ」
芹沢もさすがに責められているのを察したようで、心外そうに目をそらした。
「ふうん…」
沖田は胡散臭げにその横顔を眺めた。
「まあまあ、あの~、うちはお代さえ頂ければよろしおすさかい…」
手代は場の雰囲気を読んで、少し望みが出てきたと思ったらしい。
だが、それとこれとは別というか、とにかく芹沢はそれほど甘くはなかった。
「悪いが今は払えねえ。てえか、ない袖は振れん。ま、月末には金が入るから心配すんな」
さすがにこうストレートに切り返されては手代にも機転の利かせようがない。
「けど、わたしも主人からよう言われてますのや」
仕方なく泣き落としにかかると、芹沢はなおも開き直った。
「だから払わんとは言ってねえだろ!それとも何か?あんたらには京都守護職を預かる会津藩の看板じゃ、まだ信用が足りねえってのか?」
「そ、そないな、滅相もない」
手代は見ているのも気の毒なほど狼狽して、激しく手を振った。
「もしそうなら、主人が直接ここまで金を取りに来いと言っておけ!」
芹沢は大声で怒鳴ると、大鉄扇を投げつけた。
足元にその鉄の塊が突き刺さるのを見て手代は震えあがり、転がるように逃げ出した。
「分ってくれてよかったぜ~!主人によろしくなあ!」
芹沢は走り去る手代の背中に追い討ちをかけると、愉快そうに井上の背中を叩いた。
「フフン、井上さんよ?ハエはこうやって追っ払うんだ」
手こずっていた前川邸借り上げの問題を芹沢に片づけてもらった井上源三郎には負い目がある。
またしても借りをつくるような形になったが、そもそもの原因は芹沢にあるのだから、恩を着せられるような謂れはなかった。
「いやどうも。何と言ってもあたしゃ多摩の田舎者でしてね。いろいろ勉強になりますよ」
井上は口をへの字に曲げてみせる。
沖田は気の毒そうに井上の肩に手をおいて、
「まあまあ、そのうち台所事情も楽になりますよ」
と根拠のない慰めを言ってから、山南に向き直った。
「んじゃ、我々もそろそろ出かけましょうか」
山南は険しい表情で土間に突き刺さった大鉄扇を引き抜いて芹沢に手渡した。
無言で踵を返す山南を、芹沢がニヤニヤと眺める。
「ああ、そうだ。山南さん」
山南が振り返ると、芹沢は鉄扇で自分の袖のあたりを指して、
「あんたのここ、穴が開いてるよ」
とほくそ笑んだ。
「え?」
山南は慌てて片腕を上げ、自分の袖を覗き込む。
「そっちじゃない、反対の方。アハハ、晴れて会津お預かりが叶ったんだ。俺のやり方に倣って井上さんの兄貴に負けない服をあつらえな。あんたらも身なりくらい気を使わねえとな」
山南は、あわせの袖を弄りながらノロノロ八木家の門を出た。
空模様はまだ怪しいが、いつの間にか雨は上がっている。
いらなくなった傘を門の脇に立てかけた拍子に、山南は袖口に空いた穴をようやく見つけた。
「あ」
思わず声を漏らして立ち止まる。
「…それにしても暑くなる前に単衣をもう一着くらい都合したいもんだな」
雨が止んだとたん外へ遊びに出てきた八木家の次男坊が、その様子を見てクスリと笑って駆けていった。
先を行く沖田は、袖の穴に指を突っ込んでブツブツ言っている山南を急き立てた。
「山南さん!そんなとこで突っ立ってたら、また借金取りに捕まりますよ!」
「やれやれ、これじゃあ町で金払いのいい長州の株が上がるわけだ」




