高慢と偏見 其之弐
近藤が門を叩き、くぐり戸を開けた下男に取次ぎを申し入れると、もとより小さな武家屋敷だったこともあって、すぐに留守居役が顔を出した。
「留守居役を預かる塩谷と申す。用件を伺う前に、そちらもまず名乗られるのが礼儀と存ずるが?」
小藩とはいえ、さすがに京屋敷を構える諸侯の代理である。
近藤の身なりを見て、塩谷と名乗る男はいきなり高圧的な態度に出た。
「これは失礼を。拙者、浪士組局長近藤勇と申します。実はこの辺りに家里次郎という不逞浪士が潜伏しているという知らせがございまして、近隣を一軒ずつ見廻っております」
「貴殿らは此処がどなたのお屋敷かご存知か。まさか、これは御用改めではありますまいな」
「とんでもない。無頼の輩の捕縛にご協力をお願い申し上げておるだけです。吉川様のお屋敷であることは重々承知しておりますが、万一、賊が忍び込んで居るようなことがあればご家中の方々にも危険が及びますゆえ」
玄関に仁王立ちした塩谷は、ドンと足を踏み鳴らした。
「無礼な!いやしくも当主吉川経幹公は三万石の大名にあらせられる!
そんな者がおれば、われら自らひっ捕らえて番所に突き出してやるわ!
ここは貴様らのような浪人が上がり込んで良い場所じゃない!」
反発した永倉新八が、近藤を押し退けズイと前に出た
「なぁんだとぉ?このお留守番やろー。お高く留まりやがって、失礼しちゃうな~」
近藤はあくまで低姿勢を崩さなかったものの、その眼が凄みを帯びた。
「私の言葉がお気に触られたのであれば、お詫び申し上げる。しかし、我らは大樹公より京の守護を任された会津お預かりの身です。その様に主家の権威を笠に着て謂れのない侮辱を受ける筋合いはござらん」
留守居は返すべき言葉を失い。押し黙った。
「申し訳ないが、部屋を改めさせてもらいますよ。おい」
近藤の一声で、隊士たちは屋敷に上がり込み、それぞれ散っていこうとした。
「まて!まだ許すとは言っておらぬぞ!誰ぞいる!」
塩谷が呼ばわると、奥から京詰めの武士たちがバラバラと現れた。
取り囲まれた近藤は、恐れ入るどころか、生き生きとして不敵に笑った。
「ほう…これはとんだ歓迎ぶりですな。私としては穏便にことを済ませたかったが…貴殿のいう通り、根は荒っぽい浪人者でね。ほんとはこういう”話し合い”の方が性に合ってる」
山南は危惧していた事態に焦燥した。
「近藤さん!」
今にも刀の柄に手を掛けそうな近藤を、必死に諫める。
塩谷はと言うと、先ほどまでの居丈高な態度は何処へやらで、近藤の眼力に腰を抜かさんばかりに怯えている。
今にもその場へヘタリ込みそうなところを、残されたわずかな自尊心が、彼の足を支えていた。
そこへ、縮緬の小袖を着た若い女が立ちふさがった。
「しばらく、近藤様。手前は権妻(妾)の深雪にございます」
美しい女だった。
その優雅な物腰は、おそらく、祇園か島原から落籍された名のある太夫といったところか。
だからと言うわけではないが、近藤も女性に目を怒らせるわけにもいかず、ふと殺気を解いた。
「当方の非礼な振る舞いはお詫び申し上げます。ただ、本当にその様な御浪人は当家にて匿っては御座いませぬ。どうか矛をお納めくださいませ」
これは、言い換えれば会津と岩国の面子を掛けた意地の張り合いである。
そこへ、留守居役の妾が割って入るなど、到底あり得ることではなかった。
「…何の根拠もない、それも女の言葉を信じろと?もはや無理な相談ですな」
近藤は鼻であしらった。
「貴様!」
近藤らを取り囲んでいた家臣たちが、いきり立って更に間合いを詰める。山南、井上、永倉、原田も呼応するように身構えた。
「どうか!どうか皆様、しばらく!」
深雪は中央で両手を拡げて、皆を押しとどめた。
天晴な女だ。
近藤は女の眼をじっと見つめた。
深雪は、その視線をまっすぐに受け止める。
近藤は、つと前に進み出て、塩谷にだけ聞こえるように耳元へ口を寄せた。
「あんたの女か?こんないい女を日蔭に置いとくのは罪だぜ?」
そして、踵を返し、山南らを振り返った。
「いくぞ」
「ええ」
山南は心底胸を撫で下ろした。
しかし。
まだこの結末に納得していない者がいた。
「おい!まだ話は終わっちゃいねえ」
永倉新八は、深雪の肩を乱暴に掴み、
その握力に、彼女は思わず表情を歪ませた。
「永倉!もうよせ」「惚れたのかよ…?」
永倉は制止する近藤に胸板を突き合わせるほど詰め寄った。
近藤は思わず目を逸らす。
「…ち、何をバカな」
「他人の女だぜ?」
近藤は再び永倉の目をキッと見据えた。
永倉は場もわきまえず、更に問い詰める。
「どうなんだ、言えよ?」
まるで時間が止まったように2人の睨み合いが続き、
見かねた原田左之助が珍しく仲裁に入った。
「なあ、もういいだろ?みっともねえ。お前、今日はちょっと変だぞ」
永倉はようやく周囲の目に気が付いて、やや気不味そうに捨て台詞を吐いた。
「いいか?おれはまだ納得しちゃいねえ。特にこの件については、手心を加える気はねえぞ」
そのまま、大股に玄関を出てゆく。
後を追うように外へ出た近藤たちを、永倉は待ち構えてた。
「よう、近藤の旦那。さっきはちょっと頭に血が昇っちまったがよ。なんだ、あの体たらくは?」
温厚な近藤も、これには怒りを顕わにした。
「おまえこそ、どういうつもりだ!引き時ってもんを弁えねえか!もし、あれ以上やって、仮にあそこで家里次郎を見つけたとしても、吉川(岩国)藩が京都守護職に不服を申し立てたら、俺たちが腹を切ったぐらいで済む問題じゃなくなるんだぞ!」
「じゃあどーゆー問題なんだよ!奴らあ、そこいらで浪士を斬り捨てて、お国の京屋敷へ逃げ込めば、お咎めなしか!?あ?そんな道理が通んのかよ!言ってみろよ!」
「殿内や家里の件は、長州とは関係ねえ!」
「あ?…どーゆー意味だよ?話が違うぞ」
近藤は自ら語るに落ちて、刺すような永倉の視線に耐え切れなくなった。
「うるせえ!これはな、高度に政治的な判断という奴なんだ。お前らが理由を知る必要はねえ!」
珍しく声を荒げる近藤に、その場にいた隊士たちが静まり返るなか、永倉は刀の小尻を軽くたたき、近藤を睨み返した。
「そうかい。会津に飼われて、ずいぶんエラくなったもんだな、先生よお?他の奴らはどうだか知んねえが、少なくともおれぁ訳も分からず言われたとおりに刀を抜くなんてことはしねえ。覚えとくんだな」
「なあ、そうヘソ曲げんなよ」
原田が取り成したが、永倉は、そのまま夕日に染まる三条大橋の方へプイと行ってしまった。
近藤の顔には、後悔が滲んでいる。
山南にも、掛ける言葉が見つからなかった。
土方歳三がわざわざ買って出た嫌われ役も、これで水の泡だ。
原田左之助は永倉の背中を見送りながら、近藤の肩をたたいた。
「チェ、あいつ、ガラにもなくカッカしやがって。気にすんなよ近藤さん、俺があとでなだめとくからさ。まあ…アレだ。俺たちのケンカにも大義名分ってやつが必要ってこった」
近藤は自己嫌悪に陥ったように唇を噛んで、原田に軽く頭を下げた。
「すまん…今のは俺が悪い。言い過ぎた」




