行き止まりの道 其之肆
八木家の勝手場では、中村小藤太が殿内義雄の遺品を渡したいと申し出ていた。
「こちらにお届けしたら、殿内せんせのご親族の方に届けてもらえるんやないか思いまして」
原田左之助が、中村の手にしている風呂敷包みを指さした。
「ひょっとして、それかい?」
「昨日の朝方に一切合財、荷物もっていかはったみたいやさかい、こんなもんしか残ってへんのどすけど」
中村小藤太は申し訳なさそうに言って、包みを解いた。
紋付の羽織が一着、その上にべっ甲の簪がのせてある。
土方歳三は羽織の端をつまみ上げて口元をゆがめた。
「そろいで作った紋付か。そういや狂言のときも殿内と家里は着てなかった」
永倉新八はそちらを見ようともせず、飯をかき込んでいる。
「あいつ、それに袖を通したら俺たちを認めることになると思って意地を張ってたんだろうぜ」
「これは?」
原田がべっ甲のかんざしを手にとった。
「かんざし?殿内が?」
永倉は原田の手からそれを奪い取ると、しげしげ眺めた後、中村の顔に視線を移した。
「へえ。根岸先生らも居らへんようになってもうて、一人部屋どしたさかい、殿内さんの忘れもんや思います」
「誰かにやるつもりだったんかね」
原田がニヤリと笑う。
「大きな娘さんがいはるような歳でもおへんし、ええ人か、奥方にでもあげはるつもりやったんとちゃいますかいなあ」
中村小藤太は腕組みをして、八木雅と顔を見合わせた。
「ちぇ、やることはやってやがったんだな」
土方は憎まれ口をきいたが、その表情は複雑だった。
中村小藤太が帰っていくと、八木雅は台所の作業台に残されたかんざしを見てため息をついた。
「なんや、切ない話やねえ」
「…ただのスケベ野郎の忘れものですよ」
土間に立つ土方は、かまどに腰をあずけたまま舌打ちした。
その辛辣な物言いに永倉新八が噛みついた。
「あんたが言うな!」
「おまえもな!」
二人が額をつき合わすようにしてにらみ合っていると、原田が調子っぱずれの声で歌いはじめた。
「♪土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た…か」
「なあんだよう。そのすっとぼけた唄は」
永倉が原田をにらんだ。
「急に思い出したんだ。ガキのころ流行っててな、意味も分からず口ずさんでいたが、坊主でも恋に落ちるって歌さ。殿内だって女くらい好きになんだろ」
「け!くっだらねえ。下世話な戯れ歌のたぐいだろ。マユツバもんだ」
ニヒリストの土方は鼻にもかけない。
「あ?なんだなんだ?疑ってんのか?!この唄に出てくる坊主ってのが土佐を追放になって、うちの近所の寺子屋で教えてたんだからな!つまりおれぁ本人から直接経緯を聞いたんだからまちがいねえ!本当だぜ!」
「ああ、はいはい、おまえが言うなら本当だろうとも」
そう言って原田をなだめたのは、外から帰ってきた井上源三郎だった。
井上に続き、山南敬介が勝手口から姿をあらわす。
「ただいま帰りました。お雅さん水を一杯ちょうだいできますか」
とたんに原田が身を乗り出した。
「あ!山南さんいいところに!聞いて聞いて!俺がガキのころにさ…」
が、そこで気を効かせた井上が、しつこく食い下がる原田の後ろ襟をつかんだ。
「おもてに入隊希望者がきてたぞ。たまにはおまえが相手してやれ」
「ムキー!あ、おい!おいってば!…ぉ~ぃ!」
原田が引きずられていって台所が静かになると、土方が山南に向きなおった。
「近藤さんと奉行所に行ったんじゃなかったのか」
「ひとりでいいと入り口で追い返された」
山南は自嘲的に言って柄杓の水を飲み干した。
永倉は壬生菜の漬物をつまんで神妙な面持ちで眺めていたが、ふと思いついたようにつぶやいた。
「…近藤さんは、山南さんの時間を無駄にしちゃ悪いと思ったんじゃないかねえ」
なにやら含みのある言い方に、土方がうんざりした顔で振り返る。
「…なんだと?」
「なにね、人生は短いって話さ。虎は死して皮を残すとか言うが、殿内がこの世に残せたのはたったこれっぽっちだ」
永倉は羽織と簪をあごでしゃくった。
土方は山南と目を見合わたあと、理解できないという風に首をふった。
「そうかよ。今朝はとてもそういう感傷的な気分にはなれなかったんで、そんなこと考えもしなかったな」
二人は奇妙な沈黙のなか、視線を交錯させた。
「あ、あ、おばさん、それまだ片付けないで。おれ食うから。」
突然、永倉が腰を浮かして声をあげた。
「もう!いつまで経っても台所が片付かんわ。そろそろお昼の用意せなあかんのに」
雅が御浸しを入れた小鉢を荒っぽく置き、洗い物を中断して勝手口から出て行くと、永倉はかんざしの端をもって土方に振って見せた。
「…しかし、あんたはこいつも感傷と切り捨てるのかい?確かに一人、昨日までいた人間が減って、そいつにはこれを渡すはずだった相手がいたって証拠だ」
土方は、永倉が腰掛けている框に片手をつき、耳元に顔を寄せた。
「だからなんだ?不満があるならはっきり言え。それとも、黙って俺を斬り捨てるか?」
しかし永倉もそれしきの脅しに動じる男ではない。
「ここで俺が騒いだところで死んだ仲間は生き返りゃせんさ。ただ、あんたを斬るかどうかは、これからのあんた次第だ」
土方にそう囁き返すと小鉢のほうれん草を平らげ、台所から出て行った。
山南敬介は腕組みをしたまま黙ってなりゆきを見守っていたが、永倉がいなくなると土方にたずねた。
「今回の件は近藤さんや芹沢さんも了承のうえだ。なぜそう釈明しなかったんです。永倉さんは身内なんだから、別に隠しだてすることもないでしょう」
土方は不機嫌な顔で振り返った。
「俺と近藤さん、どっちがやったにせよ、なんの違いがある?このまま、近藤さんにばかり汚れ仕事や嫌われ役を押し付けてろってのか」
そのこたえを聞いて山南はかすかに微笑んだ。
「どう転んでも結果は同じだった。たぶん、永倉さんもそれは分かっている」
たしかに、先ほどのやり取りは、馴れ合いを嫌う永倉の精一杯の歩み寄りだったのかもしれない。
だからといって、土方はこのさき、手を緩めるつもりなどなかった。
山南が離れに帰っていくと、土方は勝手口に向かって誰にともなくつぶやいた。
「ま、ご期待に添えるよう、せいぜいがんばりまっさ」
戸口に水桶を持った祐がひょっこり顔を出し、土方をにらんだ。
「そのテキトーな関西弁、なんやイライラするわ!」
殿内が死に、粕谷が去り、その日、壬生浪士組からまた一人、家里次郎が姿を消した。
芹沢鴨は、粕谷新五郎の失踪を驚くほどあっさりと受け入れた。
同じ水戸出身で、真のリーダーとしての資質と実績を併せもつ粕谷は、芹沢にとっても目障りな存在だったのかもしれない。
一方の近藤勇はついに修羅の道へ足を踏み入れ、
そして土方歳三もまた“鬼の副長”と呼ばれた冷酷な指揮官へと変容しつつある。
ここに、新選組第一期体制とも呼ぶべきものが確立した。




