137 進路
楽しい楽しい図書館デートを終え、自室で改めて高名瀬テキストを見てみる。
……これ、教科書より分かりやすく書かれてるな。
っていうか、この難しさって、進度が進んでるんじゃなくて、深度がすごいんだ。
この次習う場所まで勉強させられているのかと思ったけれど、試験範囲の中で、より理解を深めるための問題がびっしりと並んでいる。
……そういうのって大学で専門的にやるもんなんじゃないのだろうか?
高校の授業なんて、上っ面だけさらっと撫でる程度の理解度でいいような気が……大学受験、視野に入れてない、高名瀬さん?
「姉。もしかしたら僕は、3ランクくらい上の難関大学に入学させられるかもしれない」
「ポーちゃんと同じ大学に入ろうと思ったら、5ランクくらい上を目指さないと危ないかもね」
この姉は、こんな姉のくせに、勉強だけは誰よりも出来た。
おそらく、大学の教師陣よりも頭がいいに違いない。
「くそっ、今だけは、頭脳にすべての良因子を注ぎ込んだ姉が羨ましい。その反動で他全部が悪因子まみれであったとしても」
「まてこら、愚弟。こんな美人を捕まえて悪因子とはなんだ。モテるんだぞ、これでも」
「なるほど、擬態もうまいわけだ」
勉強以外の姉の特技を見つけてしまった。
特技二つ持ちか、小賢しい。
「それでどうだった?」
「差し入れのチョリッツ? オタケ君が喜んで食べてた」
「そりゃよかった。で、それじゃなくて、図書館デート」
「玉子焼きがべらぼぅに美味しかった」
「図書館デートの感想が玉子焼きとは、ウチの弟の感性は学者でも解明できないだろうね」
かっかっかっと、ご隠居のような声で豪快に笑う姉。
「とりあえず、姉のぶら下げたエサと、高名瀬さんの巧妙なカリキュラムのお陰で、全員平均点は余裕で上回りそうだよ」
「そうなの? どれ、ポーちゃんテキスト見せて」
手を出す姉に、高名瀬テキストを渡す。
パラパラと内容を確認し「はぁ~、これはすごいねぇ」と姉が感嘆の息を漏らす。
「めちゃくちゃ分かりやすくまとめられてるけど、これ、そこらの大学生でも理解してない子が多いんじゃないかな?」
「お陰で、高校生レベルの試験が『ザコボステスト』扱いだったよ」
「なにそれ? 聞かせて」
わくわくした顔を見せる姉に、今日の出来事を、僕だけが気付いた高名瀬さんの巧妙な手口と併せて説明して聞かせる。
「あっはは、ポーちゃん最高! いい教師になれるよ」
「いやぁ、あの人は生徒に小テストばっかりやらせて、その隙にこっそりゲーム始めちゃうだろうから、教師は向いてないと思うよ」
「でも、学力は絶対上がるよ」
「それなら、塾の講師か家庭教師の方が向いてるんじゃない?」
高名瀬さんの家庭教師は、効果が高そうだ。
「美人巨乳家庭教師か……シュウのコレクションにありそうなタイトルだね」
「タイトル言うな」
高名瀬さんにチクるぞ、この駄姉。
……いや、チクったらなぜか僕が非難されそうだ。
「そのようなものを鑑賞されているんですか?」って。
してないのに。
……はて、なかったはずだけども。……なかった、かな?
「ポーちゃん、将来何になるんだろうね」
「魔王じゃない?」
「それは、現在の肩書きじゃん」
現在の肩書きでもないけどな。
「シュウは? 決めてるの、進路とか将来の夢とか」
「姉のようにはならない、とだけは」
「そっかそっか、お姉ちゃんみたいになりたいのか」
「ここ、電波乱れてるな。この距離で音声が届いてないっぽい」
Wi-Fiの具合が悪いのかなぁ~っと。
「姉は迷いなく研究者になったよね」
「そりゃ、子供のころから決めてたからね」
ぬるくなったコーヒーの入ったカップを握り、姉は底抜けに明るい笑顔で恥ずかしげもなく言う。
「可愛い弟の病気は、絶対あたしが治してやるんだ、ってね」
姉が進路を決めたのは、お尻にコードを生やした弟が生まれた瞬間だったようだ。
……まったく、姉は。
「もうぬるいでしょ? 新しいの淹れてくる」
「お? 感動したか? 泣いてきちゃうか?」
「駄姉」
「そんな冷たい視線も、可愛いぞ、弟☆」
姉のウィンクが飛んでくる。
胃に持たれる。
過剰に摂取すると、きっと皮下脂肪が爆発的に増えるだろう。
まったく……
姉からカップを取り上げ、キッチンへ向かう。
零れそうになっていた涙も引っ込んだわ。
「でもさぁ~」
キッチンへ入る時、後ろから姉の明るい声が聞こえてきた。
「命にかかわる病気じゃなくてよかったよね~。あたしに研究する時間をくれてありがとね、シュウ」
「…………」
それは、別に僕の功績でもなんでもない。
お礼を言われるような理由は何もない。
でも、そうだな。
姉がそれで少しでも喜んでいてくれるなら、そんな偶然すら、僕は誇ろうじゃないか。
コードはあっても健康そのもの。
健康優良児に生まれた我が身よ、あっぱれだ。
「ちょっと、高い豆を使ってやるか」
コーヒーミルがけたたましい音を立てながらコーヒー豆を粉にしていく。
その音に紛れて、引っ込んだはずの涙を、少しだけ零しておいた。




