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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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517/529

515.ごめんなさい、それでも。




 暗くなった空に月が浮かび、星が瞬く頃。


 仕事を終えたカレンは、ついでに夕食を済ませようと制服に着替えて二階へ上がってきた。

 更衣室そばの、普段は職員だけが使っている階段を上ったせいか、廊下は遠くで二、三人が遠ざかっていくだけだ。

 制服姿なので、同じように働いていた学生だろう。


 ――上手くいくかわからないけど、デューク君にとって良い方になるといいなぁ。


 ただの子供の思いつきで、結局意味がなかったり、合わなかったりするかもしれないけれど。

 少しだけ、人のために動けたかもしれない。そんな気持ちで小さく微笑む。


 聞こえる音はまだ遠く、辺りは静かだった。

 先を歩く彼らが消えた角を曲がれば、食堂二階に入る扉があるはずだ。


 そちらへ歩きながらふと、開いていた窓の外を見下ろして。

 カレンのいる南西校舎の外通路から、男性だろう四人組が正門の方へ向かっていた。誰かもわからないその後ろ姿を見て、足が勝手に止まる。


「――あれ……?」


 先頭にいるのは長い茶髪の男性だった。カレンが目を留めたのはその人()()だ。

 外通路の明かりに照らされて、彼は芝生の上を歩いている。


 追従する他の三人は部下や護衛かもしれなかった。

 なぜなら間のとり方が、ウィルフレッドやアベルに対するサディアス達の位置に似ている。

 きっと貴族か豪商なのだろう。一人は近くに、もう一人は少し後から、最後の一人は一行の中でも背が高いように見える。


 そんな事より、()だ。


 カレンは吸い寄せられるように窓の縁に手を置いて、知らない誰かの背を見つめる。

 彼の長い髪がさらりと宙を泳いでいた。決して振り返らない後ろ姿。


 ――()()


 カレンは直感的にそう思った。

 けれど理由がわからずに、背中がぞくりとする。


 わからなかった。

 何の事かもわからずにカレンは、「違う」事だけはわかっている。確信している。あれは別人だと。

 無意識に唇が薄く開かれ、けれど声は出なかった。胸の奥で何かが燻っている。


 ――違うのに。


 背中が遠ざかっていく。

 外通路から距離が空いて、その姿は暗くなる。南校舎から正門へと続く道なら照らされているけれど、彼らは――彼は「道を辿らずとも着けばいい」とばかり、暗い芝生の中を真っ直ぐに進んでいた。


 芝生は立入禁止ではないし、おまけに誰かわからないのだから、カレンには何も関係がない。

 なのに、堂々と進むその背中から目が離せなかった。

 知らないはずの相手に対し、恐ろしいほど感情が動く。


「――…ごめんなさい」


 ほんの微かな囁きが漏れて、自分の中に燻る何かを知った気がした。

 幾度か瞬きをして目を離し、カレンは窓から一歩、二歩と距離をとる。意味もなく辺りを見回したが、話したくても聞きたくても、廊下に人気は無い。

 動揺した己の脈動がずくり、ずくりと耳に響く。


 ――私いま、謝ったの?なんで?……そもそも、あの人は誰?顔すら見えなかったのに。


 困惑して眉尻を下げ、自分は過去、背格好の似た誰かに何かしただろうかと考える。思い当たる節はなかった。

 もう一度窓に近付いてみたものの、随分と遠ざかった彼の姿はよく見えなくなっていて。


「でもこの感じ……前にも、どこかで。」


 似たような、妙な感覚に襲われた事があった。

 カレンの脳裏には令嬢を抱えたユージーン・レイクスの姿が浮かぶ。


 あの時はまだ、()()がほんの少しだけ、燻るような感覚を覚えただけだった。

 けれど今、レイクスとは似ても似つかぬ男性の後ろ姿を見て覚えた感覚とそれは、同じもので。


 ――私…あの人にも、先生にも……()()()()()()んだ。


 答えは腑に落ち、それでも理由はわからない。

 記憶にない理由から勝手に湧き上がる感情は気味が悪く、怖気がはしったカレンは顔を強張らせて両腕を擦った。

 少しでも逃れたくて窓を閉めようとして、ガラスに映った自分が目に入る。


 老いてもいないのに真っ白な髪。

 血の色が浮き出たような赤い瞳。


 びくりと震えて手を引っ込め、カレンは後ずさった。

 気にならなくなったはずの容姿が、「お前は異常だ」と伝えてくるようで。


 ――そんな事ない、私は大丈夫。…大丈夫って、思えたはずなのに。


 もし「普通」だと言うなら、今の現象は何なのか?

 レイクスに対して感じた時は微かなもので、あれ以来思い出す事もなくカレンはすっかり忘れていた。

 しかし今自覚した、記憶のない感情は。


 勘違いや気のせいと思うにはあまりに確かで、胸が苦しくなる。悲しいのか、辛いのか、悔しいのか、それすらわからずとも。

 困惑のままに暗闇へ引きずり下ろされた心では、ただ息をする事さえ難しい。


 ――ああ、謝りたかった。「ごめんなさい」って言って、それで――……だめ、わからない。何でこんな気持ちになるの。わからない、わかんないよ……!


 浅くなった呼吸を繰り返し、よろよろと後退して壁に背がつく。

 誰だって得体の知れないものは怖い。それが他でもない自分自身である事が、恐ろしかった。


「…わ、私……」


 怖くて胸が苦しくて、知らない誰かに手を伸ばしたくて。

 それは救いたいのか、救ってほしいのか。

 何もわからなくて、唇が歪な笑みを浮かべる。

 こんなのはおかしいと。


「やっぱり、ふ、普通じゃない、のかな……?」


 赤い瞳が揺らいで光る。

 滲んだ涙が雫となって頬を伝った。先程見た男性の背中が、レイクスの横顔が思い返される。


 ――ごめんなさい、それでも。


 それでも、何だというのか。

 勝手に浮かぶ謝罪も決意も悔恨も悲哀も何もかも、カレンの中に答えはない。

 心に穴が空いていたような、記憶というノートが破り取られていたような、そこにはただ空白があるばかりだ。

 今まで気付きもしなかった、空白が。


 カレン・フルードの人生に、その記憶に、そんなものは無いはずなのに。


「……変だよ、こんなの…」

 記憶がないのに知っている。

 知らないのにわかっていて、どうしてなのかわからない。

 自分の事なのに。


 いつの間にか、カレンは床に座り込んでいた。

 背を丸めて制服の胸元を握り締め、壁に肩をつける。得体の知れない恐怖で額には汗が滲んでいた。


「はぁっ、はぁっ……」

「カレン?」

「っ!」

 レオの声だ。

 心臓が止まりそうなほど驚いて、カレンが咄嗟にしたのはローブのフードで自分の髪を隠す事だった。

 俯いて身を縮める。今どんな顔をしていればいいかわからない。


「大丈夫か!?具合悪いのか?」

 慌てて駆けてくる足音が床に響く。

 躊躇いなくカレンの前で膝をついたレオの脚が見えて、肩に手が置かれた。ふわりと風が舞う。


 ――なんでレオがいるの。見ないで、今一番会いたくなかったし、


 俯いたまま、カレンはぐしゃりと顔を歪めた。

 堪えきれなかった涙がぼろぼろと溢れて膝に落ちる。


 ――…今一番、会いたかった。


「ぐすっ…」

「……え!?な、泣いてんのか!?」

 カレンは「そんなに大声で言わないでほしい」と思ったが、喉が締まって声が出なかった。

 普段ならすぐ言えるのに、フードの端をぎゅっと握り締めたまま。


「医務室行くか?食い過ぎて泣くぐらい腹が痛ぐはっ!」

 それはさすがに違う。

 唇を引き結んでレオの胸に左ストレートを打ち込み、カレンは袖で涙を拭った。


「げほっ、だ、誰かに何かされたか?怪我は?」

 首を横に振るばかりのカレンを前に、レオはちらりと辺りを見回す。シャロンやレベッカどころか、誰もいない。

 レオだって、食堂に入ろうとしたら奥から誰か倒れるような音がしたから覗いただけだ。人がよく通る場所ではない。

 カレンの前に腰を下ろし、弟や妹にするように背中をそっと叩く。


「何かあったのか?」

「…わ、わからないの。っく……何でかわかんないのに、あ、あの人達に、謝らなきゃって…」

「あの人達?」

「レイクス先生と…っあと、知らない人。でも、でもね、何を謝りたいかわからないの……どうして…わかんない、わかんないよ」

「えぇ……?」

 カレンにわからないなら、レオにだってわかるわけがない。

 空いた手で自分の頭を掻き、レオは困惑しきりの顔でカレンを見つめた。


「ごめん、レオ……」

「何で俺に謝るんだよ。」

「だ、だって困らせてる。……変だよね、こんなの」

 理由もなく謝りたい相手が二人もいて、片方は誰なのかも知らない。

 それを、不思議な話だよねと首を傾げるわけでもなく、カレンは泣いてしまうほど追い詰められている。


「ぐすっ…何も知らないのに、謝らなきゃって焦って。けど、どうしていいかわかんないよ……自分の事なのにわからないのが、すごく怖い。」

 ローブの袖を目元に押し付け、カレンの声は震えている。

 自分の事なのにわからない、それが怖いという言葉でようやく、レオは彼女の恐怖を理解した。


「そっか……それは確かに、怖いよな。」

「この髪も、目もさ、っ……気持ち悪いって言われた事、いっぱいあるよ。でも今、自分で自分が気持ち悪い。」

「気持ち悪くなんか、」

「だって、こんなに苦しく思うのに理由がわからないんだよ?先生に会ったのだって学園が初めてで、もう一人は知りもしない。謝りたいとか、それでもって何?なんなの。どうしようレオ、私きっと何かおかしいんだ。なんでこんな――っ!?」

 不意に頬へ手が触れ、驚いて力が抜けた拍子に顔を上げさせられる。

 レオの琥珀色の瞳と目が合って、俯いていたせいでわからなかった距離の近さに驚いて、カレンは目を見開いた。


「あのさ、カレン」

「…ふぁい」

 レオの大きくて温かい手は無遠慮で、親指の付け根はカレンの頬をぐにっと押していて、変な顔にされてないか心配だし、指先が首筋に触れていて落ち着かない。顔が近い。

 ぱさり、かぶっていたフードが肩に落ちる感触がした。

 今自分の髪はぼさぼさなのではないか、それ以前に泣き顔なんてとんでもない不細工になっているのではと、カレンは回らない頭で考える。


「お前にわからねーなら、俺が今どうしてやるとかできないけど。今まだ、何で謝るかわからないんだろ?だったら、いつかわかった時に考えようぜ。そん時は俺も一緒に謝る!」

「…っな、何でレオまで、」

「そんなつらそうなのに一人で行けとか言えねぇし、もし相手が怒って何かしてきたら危ないだろ。」

 いつの間にか、背中をさすってくれていた手はカレンの肩にあった。

 真剣な顔をしたレオは、カレンが羞恥から僅かに身を引いている事に気付かない。彼女の頬にあてた手もそのままに、赤い瞳を真っ直ぐ見つめている。


「自分の事わかんなくてやだってのはわかるけど…俺はお前が好きだから、気持ち悪いとかおかしいとか言われると、今度は俺が嫌だ。」

「……れ、レオ?」

 逃げ出したいくらい恥ずかしいのに手を振り払えず、カレンは混乱していた。

 少なくとも後退するのは失敗だっただろう。カレンが身を引けば引くほど、レオは無意識にか前のめりになっている。


 ぐちゃぐちゃになった頭も悲鳴を上げそうだった心も全部、手のひらから伝わる体温に溶かされて。あれだけ苦しくて悩んでいたのが嘘のように、目の前のレオしか見えていない。

 滲む汗に、早くなった鼓動に気付かれやしないかと焦っているのにまったく目を離してくれないし、カレンもまた、目が離せなかった。


 ――心臓がどきどきする。えっと、私今何が、どうして、好きって何、どうしたら。


「ちょっとぐらい自分でわかんねぇ事があったって、髪だの目だのが何色だって、俺はお前がすげーいい奴だって知ってるし」

「え?」

「大事な友達だってのは何も変わらねぇ!だから、なっ!大丈夫だって!」

「…あ、うん……ありがとう…」

 ニカッと眩しい笑顔を向けられ、カレンは頬に集まっていた熱が一気に冷めていく心地がした。

 忘れてはいけない、相手はレオだ。レオなのだ。

 何事もなかったかのようにあっさり手を離され、妙に納得がいかない気持ちで見上げると。


「お前が泣き止んでよかった!」


 心から嬉しそうに笑ってくれる。

 不安も怖いのもどこかへ行ったはずなのに、カレンはぐっと胸が苦しくなった。

 レオはカレンがつい意地を張ってしまっても、可愛くない事を言っても、傍から見たら訳が分からないだろう事を言っても、受け入れてくれる。


 ――私の「わからない」に何があったとしても……きっと、レオは傍にいてくれる。


 それは彼が優しく温かい人だからだとわかっていた。

 特別な意味で、女の子として、カレンを好きだからそうしているわけじゃない。

 わかっているから、カレンは立ち上がりかけたレオを引き止めるように、袖を握る。


「あ、もしかして立てねぇか?おぶってこうか。」

「そうじゃなくて、あの……わ、私」

「おう」

「――私って、レオにとって……とっ…友達どまり、かな。」

 きっと顔は赤くなっているし、緊張でどもったし、泣いた後だし、ずいぶん格好悪いと頭の片隅で考えた。

 こくりと唾を飲み、勇気を出して顔を上げれば、意外そうに目を丸くしていたレオが照れくさそうに笑う。

 カレンの心臓がどきりと鳴った。


「親友……って事か?へへ、なんか改まると恥ずか」

「今のなしね。忘れて」

「え!?」

 掴んだ袖を支えに立ち上がり、カレンはさっさと歩き出す。

 どういう事かと混乱しながら聞いてくるレオに、懇切丁寧に説明してやる必要もないだろう。

 もう窓を見ないようにして、少しだけ頬を膨らませながら、指先に力を込めた。


 積極的な女の子はこういう時、手を握るものだろうかと思いながら。

 カレンにはまだ、袖をつまむくらいが精一杯だった。




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エッ!!!????!!?マジで!!!!!??????!!!!!???? ありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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