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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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513.確かに見合わない




 南西校舎三階――食堂。


 ここは貴族向けの料理のみを扱うフロアだ。

 個室の調度品もそれに合わせた質になっており、変装を解いたジークハルトは、座り心地の良い椅子でゆったりと長い脚を組んでいる。

 向かいの席にはウィルフレッド。アベルと食事を共にした時のように防音の魔法が施され、従者や護衛は魔法の外側にいた。


「ジーク。二日間どうだった?君の目にこの学園はどう映ったかな。」

「中々よくできたお遊戯場だ。子供にはちょうどよかろう」

「ふふ、退屈しなかったなら何よりだ。」

 くすりと微笑み合う二人の姿を、ジャック・ライルは内心はらはらしながら視界の隅に映していた。話の内容はわからないが、もし二人ともから笑顔が消えたその時は警戒しなければならない。


 仲間の緊張も意に介さず、ロイ・ダルトンは背丈に見合った大きな口で食事を進めている。

 ジークハルトが連れてきた唯一の部下ルトガーも、おおむねジャック達との会話に意識を裂いており、主君の事は時たまちらりと見やる程度だ。

 ウィルフレッドの青い瞳がジークハルトへ向く。


「やはり、貴国の学び舎とは違うだろうか。」

「当然だ。入れる者の基準から授業内容、教師と生徒の関係性に至るまで……ま、学園にせよ内政にせよ、帝国(うち)がツイーディアのようになる事はない。お国柄が違い過ぎるのでな」

「貴方が上になっても?」

「ハ。俺のような者にこそ、こんなぬるま湯は作れんさ。元より、帝国人の肌には合わん」

「手本にすべきと言う気はまったくないが、《魔法学》についてはどうだろう。そちらでは、魔力の暴走で死ぬ者が毎年いると聞くけれど。」

 対処が必要なのではないか、そんな問いが滲むウィルフレッドを見て、ジークハルトはからりと笑った。

 潜り込んだネズミがいくらか居たとて、ツイーディアに正確な詳細情報が届いているとは思えない。帝国側ですら、まともに調べた輩が少ないためだ。


「その死者の内訳を知っているか?血の気の多い軍人が八割、自己責任だ。こちらでは魔力を多く有するほど、市井で放っておかれる事はまずない。軍人を目指すか、能力によっては見世物をするか、あるいは売られるかだ。」

「……人身売買も、そちらでは合法だからな。」

「魔力のある奴隷なら、魔法を使わせるためにある程度待遇が良いか、黒水晶(モリオン)を外される瞬間がある。売人の不審死も奴隷の逃走も、日々起こりはせんが特別珍しい事でもない。」

 黒水晶を外されてなお逆らわない奴隷は、今の待遇で満足しているか、あるいは逃走を成功させる程の力を持っていないか。

 もしくは、逆らえない理由がある。


「我が国は強さこそ正義。奴隷が飼い主を殺し逃げたとして、多少調べはするがな。善悪で言えば殺されるほどの隙を見せた、それほど弱かった飼い主が悪い。逆らえないのなら、逆らえない程に弱い奴隷が悪い。そういうものだ」

「…前から不思議だったんだが、貴国のその考えはどこからきたものなんだろう。誰がいつ言い出した事なのか、それは既に、歴史の闇に消えているのだろうか。」

「さてな。お前がそこまで知る意味もないと思うが」

 どうでもいいとばかり首を傾げ、ジークハルトは口角を片方上げてウィルフレッドを見やる。


「踏み込んで聞くほど、帝国(うち)の指針が気に食わないか?」

「気に食わない…というより、不思議でならないんだろうな。強さを振りかざすだけでは、ただの子供じみた暴君だから。」

「ふっ、ハハハハ!親父殿の前に連れていって聞かせてやりたいものだ。図星を突かれて(いか)る様が目に浮かぶ――くくっ。よくそんな台詞を、アクレイギアの皇子たる俺に言えたな。」

「貴方はこれで怒るほど短気ではないし、だからこそどう捉えているかも聞いてみたかった。」


 周囲を振り回す気分屋のようでいて、その実、ジークハルトという男はよく考えている。

 単に頭の回転が速すぎて、熟慮しているように見えないだけなのだ。似た性質の男を知っているから、ウィルフレッドはジークハルトのそれに気付くのも早かった。


 どんな言動をすれば周囲が恐怖を抱くか。どう動けば今から最善を目指せるか。

 雑でいいこと、丁寧にすべきこと。遊んでいい相手、勝手に振舞って許されるライン。

 それらを瞬時に判断し、即座に実行している。それだけのこと。


「どう捉えているか……ふむ。それを聞ける時点で、お前は答えを理解していそうだがな。」

「…やはり《強さ》というのは、元は《武力》に限らな」

「所詮は死人(しびと)の言葉だ。」

 ウィルフレッドの声を遮り、ジークハルトは優雅な手つきでフォークを刺し込んだ。

 ステーキは最初から一口サイズにスライスされており、柔らかな肉に甘辛いソースがちょうどいい。もっと辛さが強くてもジークハルトの好みだが、これも決して劣りはしない。


「元はどういう意味だったのか。なるほど、祖先を重んじるお前達には大事なんだろう。だがアクレイギアにおいては些事だ。その認識が同じであろうと違っていようと、これだけ長く国が続いているのだからな。現に、親父殿は誰の言葉かすら知らんぞ。くく」

「誰がどんなつもりで言った言葉なのか……もしわかっているのなら、皆に伝えるべきだと俺は思うけど…そういうものでもないのか。」

「あァ、帝国(うち)ではな。労力と結果がまったく見合わん」

 ジークハルトの顔に、残念そうな色はまったく見えない。

 彼自身の捉え方がどうであれ、それこそが正しいと広める気も押し付ける気も――教えてやる気も、ないようだ。


「俺と貴方がそうであるように、ツイーディアとアクレイギアは、生まれも育ちも違う国。民の暮らしも考え方も、同じことか。」

 温かいポタージュをスプーンでくるりと混ぜ、ウィルフレッドは僅かに眉を顰めた。

 ジークハルトはステーキに添えられた野菜を口へ運び、黙って咀嚼しながら軽く頷く。肯定したのか、はたまた、味に満足しただけなのか。


 ツイーディアでは各所に王命の看板が立てば誰もが読みに行き、大抵の者は星の言葉に従う。

 では、識字率の低いアクレイギアで、地方の平民がどうやって皇帝の言葉を知るというのか。


 力によって国の頂点に立ち、力によって他を潰し強国であると示す。だから皇帝は恐れ崇められているのだ。

 その皇帝から「我が国の言う『強さ』とは、武力に限らず…」などという言葉が出る事を、帝国の民は望むだろうか。

 軍人は、貴族は、そんな皇帝をどう思うか。

 治世に支障をきたすくらいなら、初めがどうだったか、正しくはどうかなど。


「――確かに、見合わないな。」

「あァ、さして変える必要もない。」

 ジークハルトは上品に、けれどあっという間に食事を進めている。

 ウィルフレッドはちらりとジャックに視線をやり、料理の追加が必要かどうかルトガーに確認するよう指示した。必要そうなら彼らが持ってきてくれるだろう。

 その手配は任せ、自分も食べ進めるべく柔らかなパンをちぎった。


 アクレイギアはツイーディアより歴史の浅い国だが、それはたった数十年の話だ。

 それぞれの初代が生きた時期は重なっていただろう。


 ――かつてアーチャー公爵領で幼い俺とシャロンが見かけ、今年の春、正式に発見された石像。それは普通の女神像…月の女神と太陽の女神の二人ではなく、月の女神と二人の男性だった。


 ウィルフレッドに報告した際、アベルが言っていた。

 一人はどこかアーチャー公爵に似ていて、もう一人は不思議と、ジークハルトに似ていたのだと。


 もしエリオット・アーチャーが遠い祖先に似たのなら、その石像は初代アーチャー公爵、レイモンド・アーチャーだったのかもしれない。

 そして、月の女神とレイモンド・アーチャーに並んで石像が作られる存在など、初代国王エルヴィス・レヴァインしかありえない。


 ――とはいえ。長い時の中で、アーチャー家を含め、五公爵家の血筋は既に俺達レヴァインの血と混ざっている。公爵の事は、祖先をエルヴィス様と捉えても問題はない。……他人の空似かもしれないし、何とでも言える話ではあるんだが。


「そういえば、ヘデラの宝について客の噂を聞いたぞ。随分良い音がする()()らしいな。」

「ジーク、言葉を慎んでくれ。俺の学友だ」

「これは失礼した、ウィルフレッド殿下?ま、観る気もなければ壊しに行く気もないが……此処へ来たのは、ヘデラの王族にしては悪くない判断だ。」

「ああ…彼女は、今のうちに国を出て良かっただろうな。」

 かつての有様を思い出し、ウィルフレッドが苦笑する。

 ヘデラの第二王子であるナルシスは妹を褒め称えていたが、溺愛にも程がある。甘やかされるばかりの自国では本人のためにならないし、そう思うと、多少辛口な言葉も言えるようになっていた従者の存在も、ロズリーヌには良い変化だっただろう。


 白い瞳と目が合って、ウィルフレッドは僅かに笑みを深めた。

 ジークハルトが言いたいのはそれではないらしい。彼らしいなと思って口を開く。


「ヘデラの宝、まさしくそうだ。去年、ナルシス殿下の話は彼女の事ばかりだった。少し危ういほどに」


 ジークハルトがにやりと笑い、鋭い歯が見える。

 ナルシスの話しぶりは、こちらが少し興味を示せば、ロズリーヌの生活習慣や警備状況さえ明かしてしまいそうなものだった。無自覚に。

 彼ら王族がどれだけ彼女を愛し、守り、慈しみ、代えがたい存在だと思っているかさえ、語り尽くして。


「俺が親父殿のような男なら、まず間違いなく王女を攫うぞ。ツイーディアに助力を乞えば即座に首を刎ねるとでも言って。ヘデラは膝をつき(こうべ)を垂れ、大人しく命令を聞くだろうよ。」

「……うん、貴方はしないやり方だな。」

()()な。」

 ヘデラ王国は豊かな国だが、国防についてはツイーディア王国との同盟に頼ってきた部分が大きい。

 他国から見てずさんな警備体制でも気付けないし、貴人が攫われた時どうしたらいいかもわかっていない。国全体のためだと王女一人を切り捨てられるほど、非情にもなれない。


『国の弱点をベラベラ話すのはやめておけ。』


 ジークハルトは去年、ナルシスにそう言ってやった。

 彼がベラベラ話していたのはロズリーヌの事だけであるし、彼女について「国の弱点」と言われている事も、なぜそう言われるのかも、少し考えればわかる事のはずだった。

 考える頭がないのか、それほどお気楽なのか知らないが、ナルシスは最後までピンとこない顔をしていた。

 親切に解説してやる義理もないので、それ以上言葉を重ねなかったけれど。


 自身の立場を理解し、自衛の術も学ぶシャロンとは違う。

 ロズリーヌがヘデラを離れてこの学園へやってきたのは、自身を守るには良い選択だったと言えるだろう。


「お前達もせいぜい気を付けるのだな、ウィルフレッド。シャロンは別の意味で攫われかねんぞ」

「そんな事は絶対にさせないし許すつもりはないけれど、そうだね。気を付けるよ」

「くはっ」

 ウィルフレッドの笑顔につい笑い出し、ジークハルトは愉快そうにしながらシャロンの姿を思い浮かべる。

 お前も大変だなと心の中で呟いて、水の入ったグラスを手に取った。




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