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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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511/529

509.かつて出会った少年達



 馬術場は校舎の北東、温室の横を通り過ぎた奥に位置している。


 女神祭の三日間は乗馬体験ができ、決まった時間には障害競走も披露していた。管理を任されているのは《馬術》および《語学》担当の教師、オルニー。

 馬を愛し馬と共に生きる女性である。


「乗りたい人は向こう、近くで見たい人はこっちだよ!この子達のご飯は決まってるから、持ってる食べ物とかあげちゃダメだからねーっ!」


 健康的に日焼けした肌、大きな緑色の瞳。

 ウェーブした黄緑の髪は肩につかない長さで、天真爛漫で活発な彼女に合っていた。他にも数人の職員と手伝いを希望した生徒とで、馬術場へやってくる客の対応をこなしている。


「……どう見てもアレだな。」

「アレでしょうね。」

 ウィッグやサングラスで正体を隠したジークハルトとルトガーは、馬術場に着くなり彼女の姿を認めた。大人の女性らしからぬ豪快な駆け回りっぷりと仕草で、どうあっても目に留まるのだ。

 探すまでもなかったという顔で視線を交わす間に、歩み出たロイが軽く手を上げてオルニーの注意を引く。

 瞬いた彼女は、ロイとその横にいるアベルに気付いて笑顔で駆けてきた。


「そのでっかい背とほっそい目は、ダルトン!久し振り~!来るとは聞いてたけど!」

「ンッフフ…こんにちは、オルニー。卒業以来ですか。」

「だね~、君って学園寄っても顔出さないし。あたしも《語学》以外は大体こっちにいるし。」

 さして気にした風もなくそう言う彼女は二十六歳、ロイとは同い年である。

 人より馬に興味があると言って憚らない性質ではあるが、《馬術》で好成績を修めた同級生の事くらいは覚えていた。

 さっぱりとした挨拶を終え、オルニーはロイの隣へ視線を移す。声は少し落として。


「アベル殿下も、こんにちは!」

「ああ。早速だけど、事前に伝えた通り君に客人だ。大声は出さないようにね」

「はいはいっと。」

 オルニーは内心、「何だっけ?」と思いながらアベルが促した先を見る。

 フードをかぶったチェスター・オークスと、恐らくどこぞの貴族だろう男性とが控えるようにして立っている。二人の間にいるのはコートを着た知らない青年達だった。


 長い茶髪をさらりと揺らし、にやりと笑う彼の歯は鋭い。

 サングラスの奥はまだ見えず、横にいる濃紺の髪の青年は右目に片眼鏡(モノクル)をかけている。オルニーは眉を顰め、じっと顔を見つめながら足を前へ進めた。


「んん~~?その顔、なんか見覚えがあるような…」

「ハッ。」

 目の前に立ってなおピンとこない様子のオルニーに、ジークハルトは指先でサングラスを少しだけずらして見せた。

 特徴的な白い瞳が露わになり、オルニーが目を見開く。


「息災だったか?じゃじゃ馬。」

「あーっ!!」

「オルニー先生。静かに願います」

 不敬にもジークハルトを指差した彼女を、ジャックが即座に牽制する。その声量で名前を呼ばれでもしたら「うっかり」では済まない。

 オルニーはきらきらと目を輝かせ、ジークハルトとルトガーを交互に見やった。


「わ、わ、久し振り!そう言えば来るって聞いたよー、港に行くのは止められちゃってさ。なんかもう会えなさそうな気になって、頭から抜けちゃってた。」

「ここへ来るのは、伝えたはずだけどね。」

 アベルがぼそりと口を挟むが、オルニーにはさっぱり聞こえていない。

 ()()()()()()()()()に出会った少年達を前に、懐かしい気持ちでいっぱいになっている。


「久し振りですね、オルニー。元気そうで何よりです」

「うんうん!二人は大きくなったねー、あたしより背ぇ高くなって!」

「そりゃぁ、あんなガキの頃と比べればな。貴様はあまり変わっていないようだが。」

「大人はそう変わんないよー。変わったのは、ここで学校の先生になった事くらいかな?」

「事前に名を聞いた時は耳を疑ったぞ。教師が務まっているのか、貴様に?」

「できてるんだよねー、これが!だって馬の事だもん。あたしが誰より胸を張って語れる事だからさ!」

 えっへんと胸を叩くオルニーは自信満々で、すぐそこでこめかみを押さえるジャックの様子には気付かない。

 お忍び中とはいえ、仮にも帝国の皇子相手に一介の教師、それも平民がぺらぺらと素の口調で話している。


 ジークハルトが気を許しているらしいので何とかなっているが、マリガン公爵にでも見られようものなら即刻クビだろう。その程度も弁えられない教師が星々や五公爵家を相手に教鞭をとるなど、笑止千万だ。

 チェスターが意外そうに目を丸くして口を開く。


「正直なところ半信半疑でしたけど、本当に知り合いなんですね。」

「そうだよー。帝国(向こう)の馬はね、ツイーディアと餌や調教が違うのは勿論だけど、軍馬はなんといっても筋肉量がすごいね。こっちの馬とは明らかに品種が違うっていうか、力も持久力も求めた育成を代々続けているお陰で、そもそもの資質が…」

「この馬鹿はな、うちの馬見たさに軍の野営地へ飛び込んできたんだ。」

「てっ…!?」

 帝国の野営地にですかと叫びそうになり、チェスターは咄嗟に口を閉じた。

 それは中々に信じ難い事ではあるが、普段彼女の授業を受けているがゆえに、なんとなく想像がついてしまう。帝国軍が集まっていようが笑顔でまっすぐ突進していく、オルニーの姿が。

 心なしか白い顔のジャックが、遠慮がちにジークハルトへ微笑みかける。


「……あの、殿下。初耳なのですが。」

「今初めて言ったからな。」

 先に知っていれば詫びの品を用意したかったジャックだった。笑いを堪えきれないロイが、「グフッ!」と声とも咳ともつかぬものを漏らしている。


 ルトガーはどこか自分を見るような目でほんの一秒ジャックを眺め、オルニーへ視線を戻した。

 笑顔で堂々と帝国軍に駆け込んでくる平民女などまずいないので、当時どよめいた兵達は、彼女を「頭のおかしい娼婦では」と勘違いしたものだ。オルニーは懐かしそうに深く頷いている。


「何か縛り上げられて驚いたなー、あの時は。あたしは馬が見たいだけだったのに。」

「……アベル殿下、あの。」

「…後で、帝国への出国権に制限をかけておけ。」

「はい。」

 無関係な者が興味本位で近付いてこないか警戒しつつ、ジャックはアベルの指示を心のメモ帳に書き留めた。教師になったオルニーが帝国へ出かける事はまず無いだろうが、念のためだ。

 帝国側のルトガーですら呆れ顔で首を横に振っている。


「こちらが言うのもなんですが、あの時の貴女は本当に不用心でしたよ、オルニー。我々の前へ連れてこられたからよかったものの……報告されなかったり他の隊であったなら、貴女は今ここに居ないでしょうから。」

 殺されるか、売られて奴隷にされるか、嬲られるか。

 ツイーディアの人間とわかれば「一体何を調べに来た」と拷問にかけられる可能性が高く、密偵を寄越しただろうとツイーディア側に圧をかけられる可能性もあった。


 皇子の前に引きずり出されてなおも「馬が見たい」と言い切ったオルニーに、ジークハルトが「よかろう」と情けをかけてやったから、彼女は生きているのだ。

 ルトガーの言う通り、他隊なら即座に潰されている。今更怯えるという事もなく、オルニーは「う~ん」と首をひねった。


「遠目に見かけた時、馬達が誇らしげだったんだよね。だから何となく、君達のところなら大丈夫かなって考えた。早駆け勝負楽しかったねー!」

「くくっ……皇族()相手に随分度胸のある女だと、兵達は戦々恐々としていたが。アベル、お前もその内こいつと勝負してみるがいい。馬に乗った状態なら、中々楽しめるかもしれんぞ。」

「お、やる?いいよー、あたしは大歓迎!馬に乗ったら最強だからね!」

「考えておくよ。」

 オルニーが戦力になるのは騎馬でだと、アベルは入学前から知っていた。

 学園の教師陣についての資料で記載されていた事項だからだ。彼女は馬に乗った状態の方が身体がよく動き、集中力が高まり、不思議と狙いも定まりやすくなる。


 恐らくかつてジークハルトと早駆け勝負をしたのだろう会話に、ジャックはちらりとアベルを見やった。

 聞かなかった事にするとばかりに無反応だ。それがいいかもしれない。

 オルニーは無邪気な笑顔でジークハルトと話している。


「ねぇ、アルフィーやデイル達は元気にしてる?」

「とうに死んだ。戦場でな」

「!……そっか。」

 当時、オルニーが会わせてもらった馬の名だ。

 背中に乗せてくれた馬の名だ。ジークハルトによく懐き、この人間の役に立つのだと張り切っていた馬の名だ。


「きっと、すごく頑張っだんだね…」


 大きな瞳からぼろりと涙が零れ落ち、ジャックはぎょっとして目を見開いた。まさか、ドレーク王立学園の教師ともあろう者が急に泣くとは想定していない。

 チェスターが差し出したハンカチに気付きもせず、オルニーは服の袖でぐいっと目元を拭った。


「ぐすっ。寂しいけど…嘆くばかりでいたら、あの子らの誇りに失礼だ。」

 涙を流したオルニーに対し、ジークハルトは何も反応する事なく、その瞳は客を楽しませる馬達に向いている。個体差はあれどよく育てられているようだ。騎士団から退いたのだろう少し老いた馬もいる。

 にかっと明るく笑い、オルニーは大きく腕を広げた。


「せっかくだから、あたしの自慢の子達を見てってね!えーと、誰か君に挨拶したそうな子は……あっ、おいでおいでー!」

 オルニーの許可を得て、先程からこちらを気にしていた二頭がとつとつと寄って来た。

 額に白い模様がある栗毛の牝馬はまっすぐにジークハルトを見つめ慎重に歩み寄り、艶やかな青鹿毛(あおかげ)――黒色の牡馬は、嬉しそうにアベルの元へやってくる。


「チェーリアとヴェネリオだねー。」

「ほう?俺を歓迎しているわけではないようだが。」

 チェーリアは一定の距離を保った状態で耳をピンと立て、ジッ……とジークハルトを見ていた。

 オルニーが「大丈夫だよ~」と声をかけてやるともう二歩だけ近付き、ジークハルトが伸ばした手の匂いを嗅いでオルニーを見やる。


「ん?この人本当に大丈夫なのかって?あはは、大丈夫だよ~。」

「…前から思ってたけど、オルニー先生って馬の言葉が聞こえてそうだよね。」

 チェスターがぽつりと呟く。

 一方ヴェネリオと呼ばれた馬はアベルの腕に頭を擦りつけており、ちらとジークハルトを見たものの、すぐにアベルへ視線を戻した。

 オルニー達が構っている見知らぬ男が気になりはするが、それより何よりアベルが来て嬉しいらしい。軽くいなないてはぐしぐしと擦り寄っている。


「フフ、随分と好かれていますね。」

「……ヴェネリオ。わかったから落ち着け」

 アベルに首筋をぽんぽん撫でてもらい、満足気なヴェネリオはようやっとジークハルトに近付いて匂いを確かめた。

 怯えも緊張もなく堂々としており、この男と走ってみるのも中々楽しそうではある。


 しかしチェーリアは「あの子が気に掛けていた男は貴様か!?」という様子で不機嫌だし、彼を乗せたらヴェネリオにもしばらく怒りそうだし、第一いつも遊んでくれる(授業)のはアベルだ。

 君が一番だよという気持ちを込めて、ヴェネリオはアベルの手をぱくぱくと口で挟んだ。


「落ち着け」

「ングッフ…!フフッ……!」




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