503.我が身の片割れ
生徒会との打ち合わせを終え、私とウィルは小休憩をとりに食堂三階へ来ていた。
午前中に食堂を利用するのはイベントで一仕事する前の生徒や職員、どこを回るか相談してから動こうという客などであり、混みやすいランチライムやティータイムに比べれば人は少ない。
温かく保たれた個室に入り、ダンにも座るよう促して喉を潤した。
移動の間に私達は心配になる報告を一つ受けていて、ウィルも少しばかり眉根を寄せる。
「まさかロズリーヌ殿下が、貧血で倒れるとは…。」
「ええ。ネルソン先生が問題ないと言うからにはご無事なのでしょうけど、やっぱりコンサートの事で緊張していらっしゃるのかも。」
ロズリーヌ殿下は夕方にダンスホールで行われるコンサートに参加し、それをヴァルター殿下が客席からご覧になる予定だ。
昨年ロベリア王国を訪れたロズリーヌ殿下の行いで、ヴァルター殿下の女性恐怖症は悪化したという……謝罪のための対面すらできるかわからない、それでまずは遠目からという事になった。
ゲームではかなり我儘な人物として描かれていたロズリーヌ殿下。
ウィル達が昨年お会いした時も相当だったと聞くけれど、今の彼女は明るく大らかで優しい女性だ。盛り上がると声が大きくなったり顔が緩んでしまったりと、素直な親しみやすさがある。
ヴァルター殿下についても「ご迷惑をお掛けして」と反省されている様子だった。
『彼がきっぱりとわたくしを否定してくださったから、気付きになったと言えますわね。』
ロズリーヌ殿下にとって、ヴァルター殿下は気付きを与えてくれた方。
けれどヴァルター殿下にとって、ロズリーヌ殿下は生理的に受け付けない程の嫌悪感を抱いた方……コンサート後の対面が許されるかどうかも含めて、倒れるくらい緊張してしまっても無理はないでしょう。
私とウィルの話を聞いていたダンが片眉を上げる。
「そうかぁ?あの王女サマの事だ。案外ロベリアの王弟なんか関係なく、いつもの発作なんじゃねぇの。」
「……、ありえるな。」
そんな事はないだろうとフォローしようか悩んだらしい、ウィルの一言。
確かにどちらか悩ましいところね、殿下は……一生懸命な方で、時々、意識が遠のきそうになったりしておられるから。
「こっちが心配したって仕方ねぇだろ、あくまでヘデラとロベリアの話なんだ。」
「そうだね、君の言う通りだ。俺達は双方の要望を汲み取って場を用意したに過ぎない……同盟国同士が友好的であるに越した事はないけれど、どうなるかは当人達次第だな。」
ウィルの言葉に頷きながら、お二人の姿を思い浮かべる。
どちらも精神的な負担がお身体に障ってしまうから、見守るだけにせよ気を付けたいわね。
「…ところで、その、シャロン。」
「なぁに?」
「俺の気のせいかもしれないけれど、何かあったのか?そわそわして見える。」
テーブルの上でそわそわと指をいじりながら、ウィルは何か期待するような目で私を見た。
どんな予想を立てているのだか、きらきらと輝く瞳が眩しい。
「そう?…確かにちょっとだけ、落ち着かないかも。」
心当たりが無いわけでもないけれど。
人に伝えられない話なので、私は曖昧な笑みを浮かべてそう答えた。
ゲームにおいて、《学園編》の女神祭二日目――つまり今日は、デートイベントが起きる日なのよね。時間はキャラクターごとに多少ズレがあるけれど、おおよそお昼ごろ。
それは気になっても仕方がないでしょう、カレンが誰のイベントに向かうのか!
ウィルは北校舎のダンスホールに居て、一緒に歌劇を見ることになる。
サディアスと合流したらコロシアムの魔法体験所に、チェスターなら雑貨店があるフロアを見て回って。ホワイト先生とは中庭で遭遇し、席が無くて先生の研究室で一緒に食べる流れになる。
アベルは馬術場で会えて、カレンを乗せた馬を引いて歩かせてくれるのだけれど……最終的に求められる好感度が高いせいか、彼だけはその時点で一定の好感度があるか否かで差分がある。
いつか走る馬にも乗ってみたいと言うカレンに返事だけで終えるか、自分も乗って、その馬を走らせてあげるかという差分。
ここに至らないとスチルを取りのがすのよね。
剣術に興味があると言ったカレンに剣の持ち方を教えてくれるイベントもそうだけど、馬術場での「君は慣れておいた方がいい」という台詞がまた、カレンがいずれ騎士になる事を見越しているかのようで。
頑張りたいというカレンに応えてあげる、アベルの優しさが垣間見えるシーンだ。
ちなみに私は歌劇の司会進行をしているので、私を選んでもカレンは私を見つけられない。
お腹がすいてきたところでレオと鉢合わせ、一緒にご飯を食べて終える事となる。
選択肢によって、大体そんなイベントが起きるのだけれど。
「…アベルはしばらく、ジークハルト殿下と一緒だったわね。」
「!!そうだな、その予定だ。」
私の呟きに、ウィルが大きく頷いた。
殿下には必ずロイさんとジャックさんがついているけれど、だからと言って、アベルが殿下を放ってカレンを構うとは到底思えない。乗馬イベントが起こる可能性はかなり低いでしょう。
ホワイト先生も難しいかしら……もちろんこれは「ゲーム通りに」デートイベントが起きる可能性の話だから、内容の違う出来事が発生する可能性は否定できないとはいえ。
……ほんの少しだけ、苦い気持ちがある。
私が変えたいのは残酷な未来であって、カレンが持つ可能性を潰したいわけではない。困難があってこその成長も、……素敵な男性との恋も。
「アベルの事…気になるのか?」
ウィルの言葉に一度、瞬いた。
そうだわ、少し落ち着かないと言った後だから。そこでアベルの名を出したら、彼に関連して落ち着かないと言ったも同然だ。うっかり思うままに話してしまったと、私は苦笑して首を横に振る。
「何も心配してないと言ったら嘘だけど。」
「そうか……よかった。もし昨日何かあったなら、どうしようかと。」
「ふふ、昨日ね。アベルが困っていたわよ?ウィル」
魔法発表会の後、私がメリルと共に控室にいた時の事だ。
突然訪ねてきたアベルは困った様子で、エリ姫とウィルによって送り出されたようだった。強引に勧めた自覚があるのでしょう、ウィルはちょっとだけ苦い顔をしてから、悪戯っぽく笑う。
「ん……でも、まんざらでもない感じだったんじゃないか?俺にはそう見えた。」
「どうかしら。少なくとも嫌がる程ではなかったから、来てくれたのだと思うけれど。私はお話できて嬉しかったわ」
「気乗りしなきゃ来ないだろ。あの王子サマは。」
「うんうん、その通りだ。」
しばらく私と一緒に居てくれるかしらと聞いてみて、彼はもちろんと答えてくれた。
もし……もしも「話せて嬉しい」と、「話せてよかった」と。同じように感じてくれていたらいいのに、なんて。そんな甘えた考えが浮かんでしまう。
アベルが微笑んでくれたこと、手を握ってくれたこと。
思い返すと心が温まって――自分の手を軽く擦りながら、唇には自然と笑みが浮かんだ。
妙に静かだわと思って顔を上げると、ウィルが私をじっと見ている。
何かに気付くような、意外そうな、…初めて見る表情かもしれない。どうしたのかしらと疑問を込めて瞬くと、ウィルはハッとして「なんでもない」と言った。
心なしか少し、顔が赤い?はしゃいでいるか、照れているか……状況としてはどちらも違う気もする。少なくとも「なんでもない」はずがないけれど、問い詰めたりはしないでおきましょう。
代わりに「何か知っている?」とダンに目配せしてみれば、こちらはこちらで、仕方ない奴だというような曖昧な笑みしか返さない。なんだというの。
「…そういえばヴァルター殿下が、帰国したら私に手紙をくださるそうで」
「えっ。」
「アベルには昨日その話をしたのだけど、手紙が来た時はウィルにも伝えた方がいいと。」
「そうだな是非そうしてほしい。俺とアベルも殿下とやり取りするかもしれないし、いやするだろうから、俺達の間で細かな情報共有ができている事が伝わった方が、きちんとこう、王家と公爵家で連携が取れているというか、変わらぬ信頼関係がある事を示すためにもいいだろうから。」
すらすらと語りきったウィルは、顔の赤みがすっかり引いている。
外交にかかわる話になった途端に冷静になれるあたり、さすがだわ。私は深く頷いた。
一気に話して喉が渇いたのだろう、ウィルがコーヒーカップに口をつける。
ダンが私に見えるように懐中時計を手の中で開いた。もう十分以内にはここを出て、北棟に向かわなければいけないわね。着替えて化粧も少し変えて、皆さんに挨拶をして…台本も今一度目を通したい。
「シャロン」
ウィルの声色が真剣で、つい姿勢を正してそちらを見た。
青い瞳には私が映っている。
「いつか聞いた時、君は卒業までに結婚相手を考えておきたいと言ったけれど。それは他国の相手も含まれるのだろうか。」
「――…お父様が候補として考える中には、いらっしゃると思うわ。」
「今この学園にいる彼らも?」
「……可能性の話であれば。」
私はアーチャー公爵家の娘。
外交上必要とあらば、姫君のいないこの国で一つの駒となるかもしれない。
そんな事はわかっているでしょう、ウィル。
わかっていて、聞いているのだから……それは嫌だと、貴方は言ってくれているのね。
「君自身は?」
「選ぶ事が許されるのなら、ツイーディアを出て行きたいとは思わないわ。私達はずっと一緒なのだから」
「……うん」
けれど、貴方もアベルも王族の一人。
どんなに一緒にいたいと言ったって、「国のため」より優先できるかどうかは、友情とはまったく別の話だ。可能性が完全に消える事はない。
言ってしまえば、たとえ誰かと婚約したとしても……万が一にもその誰かが亡くなったら、白紙に戻ってしまう可能性だってあるのだし。
私達にできるのは、それが起きる確率を下げる事くらいだ。
ウィルが私の手を握る。
小さい時、バーナビーとして手を繋いで笑い合った頃のように。
けれど笑う事なく、真剣な目で私を見ている。
「俺にとって、君とアベルは我が身の片割れだ。絶対に失いたくない、大切な人。」
祈るように、覚悟を決めるように。
ゆっくりと丁寧に、ウィルが言葉を紡ぐ。
「遠く離れてしまったら、笑って生きられる気がしない。……だから君にはどうか、この国でずっと俺達と生きてほしい。」
柔らかく、儚く、彼は微笑んだ。
三人で笑い合う未来を守りたい、前からそう言ってくれていたけれど。
ああ、本当なんだと理解する。
嘘か本心かという話ではない。比喩でも誇張でもなく、事実として。
今の私とアベルを失ったら、ウィルは――…
ごすん。
「イタッ」
「重てぇって。その辺にしとけ」
「ダン!」
ウィルの頭に手刀とは、なんてことを。
思わず立ち上がったけれど、誰あろうウィルが「大丈夫」と私を宥めた。当たる前に見えたでしょうに避けなかったのだから、本人も敢えて受けたのだろうとは思うものの。
「暴力はよくないわ。」
「ひっさしぶりに聞いたな、そのセリフ。」
「いいんだよ、シャロン。こういう時、ダンの指摘は的を射てる事が多いからね。俺は聞く必要があると思う。」
頭を軽く擦りながらウィルが言う。
それは確かにそうなのだけど、でも、ウィルだから許してくれるのであって。私はひとまず、今は黙るしかない。
「それで、重いとは?」
「重いだろ。お嬢だからお気持ち表明くらいに受け取ってるけどよ、仮にも一国の王子がアレ言ったら脅しみたいなもんだろ。」
「脅し?脅しか……うーん、そうだったのかな。脅す気はなかったけれど、念押しではあった。シャロン、俺は今君に…怖い思いをさせただろうか?」
「とんでもない!」
しゅんとした顔のウィルに、慌てて首を横に振る。
いつの間にか離れていた彼の手を、こちらからぎゅっと握って。
「大丈夫よ、ウィル。私自身が出ていきたいと思う事は決してないから。どうか安心してね」
「シャロン……!」
「おいお嬢、あんま甘やかすな。」
悪化して旅行すら禁じられても知らないぞと言われ、私はついくすくすと笑った。
さすがにそれはないでしょう。
……ないわよね?




