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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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483.せっかくならばもう一品




 十一月ももう終わる。

 肌を冷やす風が吹く週末の午後、ダン・ラドフォードは一人でリラの街に下りていた。


 紳士服はシャツのボタンを一つ開け、シャロンが贈ったハットとマフラーを身に着けている。

 目的地は喫茶店《都忘れ》――…その二階にある個室だ。

 約束の数分前に店へ到着すると、背の高いウェイトレスは「お連れ様は既にお待ちです」と言った。階段を上がり、ウェイトレスは部屋の扉をノックする。


「お見えになりました。」

「どうぞ。」

 返事が聞こえてから扉を開くと、中に居た女は会釈を返した。

 部屋に入ったダンはウェイトレスを振り返り、脱いだハットを胸にあて穏やかに微笑みかける。


「案内ありがとうございました。」

「ごゆっくりお寛ぎください。」

 ぺこりと一礼し、ウェイトレスはなるべく音が立たないようそっと扉を閉めた。

 途端に紳士的な笑みを消し、ダンはハットとマフラーをコートスタンドに引っ掛ける。振り返った先のソファに座っているのは、シャロンの専属侍女メリル・カーソンだ。


「よう。注文は?」

「私の分はもう書いてあります。」

「了解」

 テーブル伝いに差し出された注文用紙に記入し、ダンは慣れた様子で一階へ続く戸棚の絡繰りを操作した。シャロンと共にこの部屋を利用した事は幾度もある。

 メリルの向かいに腰掛けると、しげしげとダンを見ていた彼女はくすりと笑った。


()()()()、だいぶ様になったのですね。貴方も成長しているようでよかった」

「そっちは変わらねぇな。」

 五日前。シャロンとダンが学園都市(リラ)へ旅立ってから約八ヶ月ぶりに、メリルは二人と再会した。以降、シャロン抜きで会うのはこれが初めてだ。

 オレンジ色のボブヘアに同じ色の瞳、公爵令嬢の侍女らしく、メリルはいつも通り身綺麗に整っている。


「とっくに大人ですから。成長期の貴方がたと比べれば背も伸びないし、代わり映えがなくて当たり前でしょう。…ジャッキーは真面目にやっていますか?」

「程々には。まだ色々と凝りてねー部分はあるけど」

「焦るあの子の顔が目に浮かぶようですね…まったく。」

 飲み物が届くまで、ダンは懐かしい屋敷の面々について近況を聞いた。メリルが学園都市に行くと知り、シャロンの弟であるクリスは自分も行く気満々だったらしい。

 行けないと知って少し部屋に引きこもったと知り、ダンはつい苦笑した。


「こっちには(ぼん)の大好きな姉上と王子サマ達がいるからな。」

「貴方もですよ。クリス様はまだ、昨年の大怪我を忘れていませんから。」

 カタカタと音がして、絡繰り棚に飲み物が到着する。

 立ち上がりかけたメリルを手で制し、立ち上がったダンは棚からトレイを取り出した。メリルの前に紅茶を、自分の前にコーヒーを置く。


「…ま、今年は刺されねーように気ぃ付けるわ。」

 去年の女神祭でのこと。

 ダンはクリスの目の前で刺されて大量の血を流した。

 治療を受けた翌朝「ダンがしんじゃう」と泣き喚かれ、スキルまで使って引き止められた事を思い出す。メリルが少し険しい目つきで人差し指を立てた。


「冗談ではなく、本当に気を付けてくださいね。ただでさえ、他国(よそ)の方々が来ている時なのですから…特に帝国の前では、絶対にシャロン様をお一人にしないように。騎士や旦那様の部下も付くと聞いていますが、油断してはなりませんよ。」

「わかってる。王子サマも教師連中も、全員そのつもりではいるだろ。物騒な話じゃなくても…仮にうちのお嬢がよそに取られたら、どうも国が傾きそうだしな。」

「…貴方、いつから国の心配なんてできるようになったんです。」

「してねぇよ。事実を言ったまでだろ」

 ダンはコーヒーカップを傾け、ごくりと一口飲み込んだ。

 まだ口をつけていなかった事に気付き、メリルもティーカップに指をかける。喉を通る温かさにほっと息を吐き、ソーサーへ戻した。


「もしお嬢がよそを選んだら、俺はそっちに行く」


 ゆっくりと瞬いて、メリルはダンに目を向ける。

 初めて会った頃はただ生意気だった三白眼が、今は真剣だった。黒い瞳はこちらの反応を冷静に観察している。


「あんたは?」


 王家や公爵家が納得していない場合の話だとすぐにわかった。でなければわざわざ聞く必要もない。

 誤魔化す事も茶化す事もなく、メリルははっきりと頷き返す。


「無論、シャロン様について行きます。」

「――だよな。」

「誤解のないよう言っておきますが……旦那様も奥様も、シャロン様の意思が一番だとお考えになるはずです。それでも、公爵家という立場上反対せねばならない事もある。だからいざという時は私や貴方が()()()()()、シャロン様の助けになるのです」

「おー」

「…何ですか、その急にやる気のない返事は。」

 真面目な雰囲気が台無しだとメリルは少し眉根を寄せたが、ダンは「別に?」と笑う。


「理由は何でもよかったってだけだ、メリル。」

「はぁ。そうですか」

「あんたがいた方がお嬢も嬉しいだろ。」

「学園生活はともかく…国を出るのに供が貴方一人きりだなんて、不安ですからね。」

「今のとこ、他国に嫁ぐ気はないらしいけどな。」

 そう言いながら、ダンはトレイに置きっぱなしにしていた伝票を手に取る。

 気付いたメリルがそれを受け取ろうと手を差し出した。


「ああ、それは私が」

「俺が払う」

「はい?子供が何を言って」

「――成人はしただろ。」

 じろりと不満げにメリルを見やり、十六歳のダンが言う。メリルがぱちりと瞬いた。


「学生ってだけだ。」

 そして既に働いている。彼は間違いなくアーチャー公爵家の使用人なのだから。

 加えて、二月に起きたダスティン・オークスとの戦いにおいて、シャロンと共に現地へ出向いたダンには特別給が出ている。

 それによって「馬車泥棒をした際の賠償金」という、公爵家への借金も既に帳消しになっていた。


「確かに、そうかもしれませんが…」

 奢られるのは少々しっくりこないと、メリルは困り顔で首を傾ける。

 ほんの一年足らずで公爵家の信用を得る素質があったとはいえ、彼女にとってダンは九歳も年下の後輩で、成人していようが「まだ学生の男の子」だった。


「高級レストランじゃあるまいし、そこまで気にするもんでもないだろ。大人しく奢られとけ」

「そうですね…」

 断固として断るという程ではないのも確かだ。背伸びしたい年頃を温かく見守るのも、年上の先輩たる自分の役目だろう。

 そう考えたメリルは膝の上で手を組み、一つ頷いて言った。


「では追加で、季節のフルーツサンデーを。」

「ああ?」

「職種は違えど、同じ家に雇われた同僚ですからね。これくらい余裕で払えるという事はわかっていますよ」

 くすりと微笑まれ、ダンは虚を突かれたように目を丸くする。

 大人しくどころか堂々奢られる気だと理解し、「は」と笑いが零れた。


「…ま、いいけどよ。俺も何か食うか」

「ここを出たら、予定通り諸々の荷物持ちをお願いしますね。何軒か寄ってからまとめて送るので」

「おー、任しとけ。」








 同時刻――…ドレーク王立学園、南東校舎。


 サロンの一室、テーブルや椅子をいくらかどけて作った広い空間で、レオ・モーリスは苦しげな顔をして片膝を床についていた。

 浅い呼吸を繰り返す彼が見やった先、ソファに腰掛けたシャロン・アーチャー公爵令嬢は優雅に微笑んでいる。先程まで行われていた生徒会との会議資料に目を通しながら、到底こちらを助けてくれそうにない。


「はぁ…はぁ……っくそ…」

「まだ立てるでしょう、レオ。」

 ぱらり、ページをめくりながらシャロンが言う。傍に置かれた丸テーブルには彼女のためのティーセットがあり、紅茶からはまだほのかに湯気が立っている。

 手の甲で額の汗を拭い、レオは苦々しく首をひねった。


「そりゃ、立てはするけどさ…はぁ、はぁ。もう終わりに…」

「駄目よ。まだ二十分も経ってないわ」

「え!?三十分はいったと思ってた!」

「そもそも。」

 資料から目を上げ、シャロンは鞄の上に置いていた一通の封筒をひらりと見せる。彼女に宛てて送られた手紙だ。内容は夜会でのレオに点数をつけて報告してほしいということ、押された印璽は緑色。

 まっすぐにレオを見下ろし、シャロンはにこりと微笑んだ。


「三ヶ月近く前に、レナルド先生から()()()の課題が出ていたこと……私に隠していたのは、どうしてなのかしら。」

「隠したわけじゃないんだって、ほんと!忘れてただけで!」

「先生は貴方がそれなりの努力をした想定で、私に採点をご依頼されたのでしょうに…《礼儀作法》だって受けているでしょう?女神祭を楽しめるよう、基礎のステップはとっくに授業があったはずだけれど。」

「いや、まぁ、あったけど。俺みたいのが、それでできるようになるかっつーと…」

 鉢巻のようにしたバンダナ越しに焦げ茶頭を掻き、レオはモゴモゴと「苦手で」だの「必要ないんじゃ」だのと呟いた。

 下手だったのは元より、その後当然のように自主練習を全くしなかったのだ。


「シャロン様とベインズ卿が圧倒的に正しいわ。立ちなさい、レオ・モーリス」


 仁王立ちでぴしゃりと言い放ったのは、先程から練習相手を務めているデイジー・ターラント男爵令嬢。

 濃いブラウンの髪を編み込んでポニーテールにし、黄色の瞳でぎろりとレオを睨みつけている。

 弱りきった顔でレオは立ち上がった。《剣術》や《格闘術》の授業と違って気が進まない様子だ。


「貴方は普段から姿勢が崩れがちだもの、良い機会だわ。このままじゃ、式典や護衛で直立姿勢を維持する時はどうするの?」

「そ、その時頑張るっつーか…」

「任務中に令嬢を助けて、パーティーでお礼のダンスに誘われたら?断るなんて恥をかかせたらどうなると思ってるのよ。」

「う…」

「成果を上げれば、部隊長に付き合ったりして夜会に出る事だってあるわ。平民の貴方と貴族とのパイプを作ってくださるという時に、ご夫人や令嬢と踊れないとでも?どうやって穏便に断る気?実力派は養子入りや婚姻で貴族の仲間入りをするのよ。分不相応ですの一言で断れるとか、その時練習すればいいとか思っていないでしょうね。」

「わかった、わかったから!」

 両手のひらを向けて顔をそむけるレオだったが、そんな事でデイジーの勢いは止まらない。むぎゅっと眉を顰めてさらに一歩詰め寄り、困りきった様子のレオにびしりと指先を突き付ける。


「大体!ベインズ卿の弟子を名乗りながら貴方!雑過ぎるのよ!!」

「だぁーっ!強いったって副団長だって師匠だって、俺にとってレナルドさんは、近所の雑貨屋の兄ちゃんなんだよ!」

「何をわけのわからない事を。いいからもう一度、最初から――…やる前に、手を洗ってきてくれるかしら。貴方、汗がすごいわ。」

「……わ、悪ぃ…」

 珍しく精神的ダメージを受けた様子のレオがふらふらと出ていき、デイジーはテーブルに置いていたコップを傾けた。一口、二口飲み込めば、ダンスで少し熱を持った身体にレモン水が染み渡る。

 彼女がほっと一息ついたところで、シャロンが穏やかな声で「デイジー様」と呼びかけた。デイジーは即座に気を引き締めてシャロンの側へ行き、騎士の如く自分の胸に片手をあてる。


「はい。シャロン様」

「疲れていない?急なお願いをしてしまったから…どうか無理はしないでね。」

「このくらいどうという事はありません。シャロン様こそ…女神祭目前でお忙しいでしょうに、彼のフォローまで。」

「ふふ、助けてくれているのはデイジー様だわ。私は居るだけだもの」

 シャロンはそう言うが、彼女がいなければレオはもっと()()()し、デイジーもさらに当たりがきつくなった可能性が高い。

 レッスンに関して細かな指示はしなくとも、公爵令嬢(シャロン)一人そこにいるかいないかで全く違うのだ。


 ――正直、私のダンスなどシャロン様の足元にも及ばない。けれど騎士家系であるターラントの娘として、「騎士として最低限必要な(恥ずかしくない)レベル」は当然習得している。本番直前の短期詰め込みなのだから、私に指導を任せるのは理に適っているのよね…。


 レナルドがシャロンに求めたのは採点であり、指導ではない。

 公爵令嬢が平民一人にダンスレッスンなどおかしな話であり、だからこそレオよりだいぶ後に依頼が来たのだ、結果を見るだけでいいと。


 ――それでも彼を見捨てず、私に声をかけるあたり。ジャッキー・クレヴァリーの罪も、デューク・アルドリッジの無礼も許すシャロン様の慈悲(優しさ)が窺えるわね。私も、もう少し落ち着いて対応できるような、余裕のある心を持ちたいものだわ……とはいえ。


 レオは置かれた環境の良さにもっと感謝すべきだろうと、デイジーは心の中で深く頷く。

 廊下から騒がしい足音が一人分聞こえ、勢いよく開いた扉からレオが飛び込んできた。


「っしゃあー!手ぇ洗ったし気合入れてきた!!もっかい頼――」

「入室は静かに!!」

「ふふふ」



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