474.まさか嫌とは言うまいな
ドンドンドン!ガチャガチャガチャ!!
「ヴェン!わらわと結婚してくれーっ!!ヴェン!なぜじゃ開かぬ!!」
「外開きだよ、エリ。押してごらん」
「そうであった!ヴェン!!」
「何事です、エリさ…ま……」
「ヴェンッ!!」
扉が開くと同時、エリはすぐ目の前に居たヴェンに飛びついた。
たかだか十六歳の少女の身体、突撃されたとて逞しい身体がぐらつく事はない。しっかり受け止められて、エリは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「帰ったらわらわと結婚するのじゃ!よいな?よいな??」
「……………、………?」
抱き着いたままピョンピョン跳ねるエリに何も返さず、ヴェンはたっぷり十秒固まってからエリの両肩を掴んだ。
べりっと引き剥がし、真正面から見てみる。
低い位置で二つ結びにした内巻の黒髪に、ぱっちりした猫目、蜂蜜色の瞳。イアンがエリにあげたはずのワンピース、膨らんだ胸元に長い手足。
どこか見覚えはあるが見た記憶のない、花盛りの乙女がそこに居た。
惚れた男に間近で見下ろされ、エリの頬が一気に赤らむ。
「こっこここのような場所でまさか、ちちちチッスを…するのかっ!?してしまうのか!?」
「エリ様ですか?」
「うむ!はわわわらわチッスなど心の準備ができておらぬ~!でもでもヴェンなら、ヴェンなら許」
「戻してください。」
「ぬにゃあ!?」
「悪ふざけをしている場合ではないかと。」
ヒョイと横へどかされてのつれない一言。
エリは愕然としてヴェンを見上げたが、赤い瞳は真っ直ぐに部屋の中の男を見ている。元通りにサングラスをかけ、黒髪の商人フェル・インスはへらりと苦笑した。
「嫌だなァ、私が何かしたわけじゃないですよ?そちらのお嬢様が、ご自身にかけていた魔法を解いただけです。」
「魔法……?」
「ああっ!」
騒ぎを聞いて駆けてきたイアンが声を上げた。視線はエリの足元だ。
黄土色の瞳でじろりとエリを睨みつけ、ずんずんと大股に近付いてくる。
「エリ嬢、何で裸足なんだ!靴の仕掛けもちゃんと説明しただろう!?」
「ふぐっ、だ、だってポイとした方が早かったんじゃ…」
「淑女が裸足で歩かない!戻って履きなさい!」
「くうう~!」
父に叱られる娘の如くイアンに怒られ、エリは不満そうに呻きながらも部屋へ戻った。ソファの前にぽろぽろ落ちていた靴を拾い、座った膝の上で何やらいじり始める。
まだフードをかぶったままのウィルフレッドが廊下の角からゆっくりと姿を現し、ちらと部屋の中を見て、エリの姿に瞬いてからヴェンを見た。
「何の騒ぎかと思えば………、何の騒ぎなんだ?」
「…自分にもわかりません。」
「イアン、この《すとらっぷ》はどうするんじゃったかの?忘れてしもうた。履かせてくれ」
「ちゃんと覚えてくれ!僕がいつでも助けてやれるわけじゃないんだぞ。それに言っただろう?緊急事態でもないのに、夫以外の異性に脚を触らせるものじゃない。その姿で居るなら子供っぽい振る舞いはやめるんだ。そもそも君は…」
「ぬぅ~っ、これ長い時の説教じゃ!」
イアンはエリが嫌そうに顔を歪めてもお構いなしにお小言を続けている。
どうやら現実らしいとわかってきたヴェンはひとまず部屋に入り、立ち上がったフェルに視線を移した。サングラス越しの黒い瞳はろくに説明する気がなさそうだ。
――アロイス、どうなってる。
――見たままだよ、ヴェン。
エリが自身にかけていた魔法を解いたと、フェルは言った。つまり、姿を変える術をエリが使っていたということ。
これまでヴェンが見ていた「成長が遅く、ずっと子供の姿のエリ」は偽りだったということ。
――そんな事が可能なのか?
どうやらイアンは知っていたようだし、ウィルフレッドもエリを眺めてはいるが、さほど驚きがないように見受ける。
自分如きが声をかけていいのか躊躇いつつ、ヴェンは口を開いた。
「…殿下は、驚かれないのですか?」
「うん?そうだな…俺は似たような能力を持つ子を知っているからね。」
イアンから報告があったとまで言わずにおき、ウィルフレッドはそう答える。
成長と退行という点でエリとは逆だが、シャロンの弟であるクリス・アーチャーも自分の姿を変えるスキルを持っている。
実際に目の当たりにしたのはこれが初めてだ。
エリは衣服までは変化させられないが、クリスはそれも含めて成長してみせたと聞いている。
ヴェンは理解しがたいとばかり眉根を寄せた。
「しかし、アベル殿下から聞きました。たとえ姿を違うものに見せかけても、王都や城の門などを通れば強制的に解かれると。」
「見せかけた場合はそうだな。だが彼女は実体が伴っている。君が触れる時、見た目と触れられる位置に差はなかっただろう?そこまでいくと、門などに仕掛けた程度の魔法では破れないんだ。」
「…そんな事が」
「履けた!もうよいな、イアン!」
すたんと床に降り立ち、エリは小言を続けていたイアンから逃げるように駆け出してきた。
彼女もだいぶ背が伸びたとはいえ、まだウィルフレッドの方が数センチ高い。
「ウィルフレッド、兄様の状況はわかったぞ。わらわ達は探さずともよくなった」
「無事だったんだな。それは何よりだ――今はどこにいると?」
「む、う……細かくはわからぬが、いずれ君影に帰ると言っておったそうじゃ。この島で用事を済ませたら、わらわ達は国へ戻って兄様を待とうと思う。」
エリの主張をそれ以上問い質す事なく、ウィルフレッドは「そうか」と微笑んだ。
万一フェル・インスが逃げ出した場合にと店を見張らせていたが、面談は問題なく終わったらしい。廊下に控える騎士に手振りし、警戒を解くよう指示した。
橙色の空が紺色に染まっていく。
学園へ戻るウィルフレッドと別れ、エリ達は宿へ帰った。高位貴族御用達なだけあって、宿の者はエリの変貌に気付いても笑顔を崩さない。
難しい顔をしたままだったヴェンの部屋を訪れ、成長した姿のエリはテーブル越しに彼の向かいに座った。
「わらわに言いたい事があるのじゃろう、ヴェン。聞きたい事と言うべきか…よいぞ。申してみよ」
「……いつから、その力をお使いに?」
「果たして、いつからだったのか……正確な事はわらわにもわからぬ。」
暗くなった窓の外を見やり、腕組みをしたエリは椅子の背もたれに身を預けた。
周りの子供より成長が遅いと、背が伸びなくなったと気付いたのは何歳の頃だったか。
「ある日…年上なのに背が変わらぬと、子供達が裏で笑っておるのを聞いた。夜、それを布団の中で思い返した時――…急に、身体が大きくなった。まこと不思議であったが、わらわも兄様の妹じゃ。己の持つ特殊な術だと察するのに、そう時間はかからぬ。」
成長した姿に最初は喜んだ。
自室の灯りをつけ、手鏡で顔をよく見てみたりもした。
しかし。
「ある事を理解した瞬間、わらわは元のように幼い身体に戻っておった。」
「……ある事、ですか。」
「鏡には麗しい乙女が映った。……世話役達が見れば間違いなく相手を見繕い始めるであろう、君影の姫の姿がな。」
ヴェンは否定しない。
現に彼の前にいるエリは、将来の夫を選考するべき年齢の姫だった。本来は数年前から世話役達が候補を出し合い、国から優秀な候補者を集い、見合いを進めていく流れをとるべきだったのだ。
「それに、小兄様が倒れれば幼いわらわしかおらぬ。皆、言葉には出せずとも兄様の帰りを待っておったじゃろう。兄様だって、小さいわらわが心配だったはずで………立派な姫になれば、どうなる?」
いずれ、戻らないアロイスの事は「忘れましょう」と言われる日が来たかもしれない。
いつか、帰らないアロイスの事を「きっと死んだ」と思ってしまう日が来るかもしれない。
故に、エリは欺き続けた。
「わらわはヴェンの事も、兄様の事も諦めたくなかった。……それならば、ずっと幼いままでいいと思ったのじゃ。」
「…なぜ、自分にも明かしてくださらなかったのです。」
「わからぬか?言えばおぬし、わらわを説得しようとしたのではないか。自分への想いは気の迷いだと」
「……それは」
「赤目持ちであるおぬしとは結婚できぬ。わらわが姫であるからには余計に――…そう思っておった。」
それまでの真面目な顔からは一変、エリはにやりと笑ってヴェンを見る。
兄から授かった知恵のお陰で、今や状況は変わったのだ。
まだ気付いていないヴェンはエリが発する圧に僅か、たじろぐ様子を見せた。
「なぁ、ヴェン――…わらわの愛するヴェンツェスラフ・メルタよ。小兄様の後をわらわが継いだら、赤目持ちは結婚してはならぬなどという決まり事……壊してしまえると思わぬか?」
「は……」
「無論、子を成してはならぬという決まりもじゃ。そうしておぬしを夫に迎え、わらわはゆっくりと兄様を待つ。」
「……何を、言っているのです。」
「ただの未来の話じゃ。」
神託――ツイーディアで《先読み》や《未来視》と呼ばれるスキルによって、エリの次兄が倒れる未来は知られている。
本人もそれを受け入れ、アロイスの帰還か、成長の止まったエリが継ぐのかと頭を悩ませていた。
君影の長は血が絶えない限り同じ一族が世襲していくものだ。
「あるいは、そうさな。決まりを変えねば長を継がぬと、小兄様を脅かしてもよいかもしれん。」
「おやめください。忌み子を認めるなど民の反発が」
「自身をそう呼ぶなと何度言えばわかる。」
「…エリ様。赤目持ちを危険視する風習は遥か昔から続くもの。決め事を変えた所で、そう簡単に人の意識は変わりません」
「その通りじゃ。だからこそわらわ達の代から変えていく」
厳しい目で見る者はいるだろう。面と向かって不満を言う者もいるだろう。
茨の道ではあれど、誰かが一歩踏み出さねば永劫変わる事はない。そして一歩踏み出すなら、生まれながらにして相応の立場を持つ者でなければ。強い力がなければ、君影のような国で意識革命は起こらない。
「長の夫、よいではないか。何も心配ないと示すのにこれほど潔白な身分もあるまい」
「反対に貴女が、赤目持ちに騙された愚かな長だなどと言われる可能性がある。」
「そなた、わらわを騙す気があるのか?無いなら何も問題あるまい。」
「しかし」
「ヴェン、覚悟を決めよ。」
テーブルに手をついて立ち上がり、エリは自らの胸に片手をあてて言う。
「一国の姫が、このわらわがおぬしを夫に望んでおるのじゃ。もっと胸を張り堂々と求婚を受け入れぬか。」
「……本気なのですか。」
「これ程の美女に迫られておいて、まさか嫌とは言うまいな?女に見れぬとは言わせぬぞ」
「………。」
「……………む、う……」
たっぷりと沈黙が流れ、自信に満ちた笑みを浮かべていたエリが瞬く。
慌てた様子でヴェンの傍に寄り、眉尻を下げて肩を揺すった。
「ヴェン!?あの、言わぬよな?ま、まさか、こんなハチャメチャに愛らしく麗しいわらわを見ておいて、未だ子供扱いするなどという事は、ないよな?」
「…エリ様のご成長は、喜ばしいのですが」
「嘘じゃろ!?」
どちらかと言えば否定的な言葉にエリが目を見開く。
ヴェンは困り顔で軽く頭を掻いた。
「どう受け止めてよいものか……自分は、貴女が生まれた頃から見ておりますので。おしめを変えた事も」
「それは忘れよ!!今のわらわを見ぬか!こうッ…何かないのか!?男として見惚れるような!」
「あんなに小さい赤子であった貴女が……っご立派になられて…!」
「ちがーうっ!そんな感動が欲しかったのではないわ!!むぐうう~ッ、覚えておれー!!」
奥歯を噛みしめて地団駄を踏み、エリは捨て台詞を吐いて部屋を飛び出した。
廊下をドタドタと駆けてイアンの部屋の扉を叩き、何事かとしかめっ面で出てきた彼に聞く。
「イアン。わらわが女である事をヴェンに知らしめるにはどうしたらよいのじゃ?脱げばよいか?」
「……ひとまず、淑女とは何かについて話し合おうか。」




