46.リビー・エッカートの幸せな一日:夜
夕方。
用を済ませて城に戻ってきたロイ・ダルトンは、抜け道の入口付近で立ち止まった。
まさに入口へ入ろうとしている、いつも通りどこぞの貴族子息に扮したアベルと、なぜか令嬢のような格好をしたリビーを見つけたからだ。リビーも同時に気付いたようで、ロイを振り返って固まっていた。あまり見られたくはなかったらしい。
「…これは、これは。今お戻りですか?」
止めた足を再び動かしながら、ロイはにこやかに尋ねた。
アベルが頷き、見られたものはしょうがないと切り替えたらしいリビーが嬉しそうに報告する。
「ロイ、アベル様が私とお前に褒美を買ってくださったぞ。」
「褒美?」
二人の元にたどり着き、共に歩きながら聞き返す。
「保留したのとは別だよ。まぁ、記念とでも思ってほしい。」
「ほんとですか。光栄だなぁ」
「品は私にお任せ頂いた。この石を使ったペンダントだ」
リビーは店員にもらった小さな紙を取り出した。ピンクを朱に混ぜたような色合いの石が描かれている。石言葉は「一途な愛」「信頼」「運命的な出会い」。ペンダントトップの完成イメージ図も書き込まれている。
「…ンフ、なるほど?」
「アベル様と共に在れるよう、月の意匠にしたんだ。」
リビーがどこか得意げに言うと、アベルが僅かに目を見開いて彼女を見た。気付いたのはロイだけだ。
きっと、月の女神の加護を受けるつもりで選んだと思っていたのだろう。騎士が考えそうな事だ。しかしリビーの目に映るのはいつだって女神ではなく、自分の主たるアベルだけ。
ツイーディアの王族を表す星だって、リビーにはアベルだけなのだ。ロイは苦笑した。
「私とリビーに同じ物をくださると?」
「あぁ。出来上がったら渡すけど、その後は好きにしていいよ。」
つける義務はないという事だ。
デザインも、ペンダントという形式も自分で選んだリビーと違い、ロイにとってはいきなりのプレゼントなので当然だった。リビーは茶色の瞳をじっとロイに向け、「アベル様から頂いた物を蔑ろにしないだろうな」と圧をかけてきている。
「フフ、ありがたく頂戴致しますとも。しかしリビー、私も同じで良かったのですか?」
「?お前も私もアベル様の騎士だ。違うのか。」
「……いえ、違いませんね。」
「ならば、何も問題はない。」
リビーがここで護衛騎士ではなく騎士と言ったのは、誰に仕えているかという意味で重要な差だ。彼女がそれほど自分を信用している事に、ロイは少し驚いた。
そして第二王子からの贈り物と説明するまでの間、まるで月の女神に「何か」を誓ったかのような、揃いのペンダントをつけた自分達が周りからどう見られるか――そこには、アベルもリビーも気付いていないようだった。
ロイとしては、面白そうなのでギリギリまで黙っているつもりである。
「ところで、今日は随分と可愛らしい格好をされているようで。」
にこやかに声をかけると、リビーが一瞬ピシッと固まった。すぐに元通り歩き出したが、居心地悪そうに肩にかけた袋を持ち直している。
「僕の姉という設定だ。」
「ンッフフ、それは、フフッ、大丈夫でした?」
「に、任務中は気絶していない。」
ロイの心配を正確に読み取ったリビーが自己申告する。つまり、出発前は大変だったのだろう。てんやわんやするリビーの姿を想像し、ロイは笑みを漏らした。もう少しからかっておく事にする。
「それだけ可愛らしいと男が寄ってきませんでしたか?」
「私に?そんなわけがないだろう。」
「僕が睨んでおいたからね。」
「な!?」
即座に否定したリビーが、アベルの一言に彼をまじまじと見つめる。そう、実は警戒を解いてからはリビーをちらちら見ている男性陣があちこちにいたのだが、絡まれても面倒なのでアベルが視線には視線を返して追い払っていたのだ。
「それと、ロイ。今日はと言ったが」
アベルは自分を見つめるリビーへ向けて目を細め、微笑んだ。
「僕の騎士はいつだって可愛い。」
無言で気絶したリビーをロイが素早く抱きかかえた。
「アベル様?」
「悪い、戯れが過ぎた。」
「ひどいなぁ、手加減してあげてください。この子、貴方の事になるとポンコツなんですから。」
「気を付けよう。」
足を止める事なく歩き続けながら、ロイは腕の中のリビーを見下ろす。
彼女だからこそ問題ないが、他の女性ならばあの一言だけで完璧に可愛いの意味を勘違いしただろう。部下として可愛がられているのではなく、女として可愛いと思われている、と。
「僕は、お前のことも可愛がっているつもりだけど。」
「存じております。貴方が名で呼ぶ騎士は我らだけですから。」
「ふふ」
「フフフ」
笑いながら、アベルと共に抜け道を進む。
やはりこの二人といると退屈しない、そう思ったロイであった。
リビーが再起動した頃にはすっかり夜になっていた。
せっかくの「一日一緒」を気絶や失神で自ら時間を縮め、リビーは悔しさと申し訳なさを滲ませていたが、アベルはさして気にしていない様子だ。
夕食の席では、今日も授業に来なかった事についてウィルフレッドから小言があったものの、ほとんど諦めたような「ちゃんと来なさい」だった。
「こ…これはこれは、アベル様。……お元気そうで何よりです。」
部屋に向かっていたアベル達は、廊下でサディアスと鉢合わせた。
できる限り自分の屋敷に帰るチェスターと違い、サディアスは主に城で寝泊まりしている。
普段カチコチの礼をして去っていく彼が話しかけてくるのは珍しい。何か用があると察したアベルは立ち止まって挨拶を返した。
「あぁ。君も元気そうで何よりだね。」
「…事件が解決したそうで、おめでとうございます。もっともウィルフレッド様のご尽力あっての事であり、貴方が前々から問題行動を数多く起こしているのは何ら変わりない事実ではあるのですが。これを機に少しは行動を改めて頂いた方が、国のためになるのではとも思います。」
「そうかな。まぁ、考えるよ。」
リビーはじっとしていた。
これが手紙に書かれていればビリビリに破いて差出人のところに押しかけたし、他の貴族が鼻を鳴らしながら言っているのであれば存分に威圧したが――サディアス・ニクソンだけは、別枠だった。
彼とは、リビーが護衛騎士になるより前に出会っている。
今のセリフも「解決してよかったです。ウィルフレッド様も手伝ってくれましたね。しかし日頃の行動から目をつけられるのですから、叶うならもう少し抑えて頂きたいです。」くらいに受け取っていた。
アベルを心配する臣下のセリフである。何ら問題はない。
「伯爵邸では、君がだいぶウィルを助けてくれたと聞いた。ありがとう」
「はっ!?あ、あぁあれくらい何の事はありませんから、従者として当然の事ですし、貴方からお言葉を頂くような事ではありません。あくまでも仕事で、義務として行っただけですので。」
焦りか緊張か喜びか、サディアスの額には汗が滲み、頬がだんだんと紅潮していく。
水色の瞳は所在なさげにおろおろと彷徨っているし、両肘を支えるように軽く組んだ腕は僅かに揺れていた。
「…それよりも。一部の者達がウィルフレッド様について、弟を庇うために三本目の剣を作ってきた、などと言っているようですね。まともな頭で少しでも考えれば、そんな事あるはずないとすぐにわかりますので、相手にする必要もない戯言ですが。」
アベルは少しだけ眉を顰めた。
それは第一王子、第二王子どちらの派閥にとっても邪魔な意見だ。つまりは王家そのものが気に食わないという連中だろう。今すぐ潰すべきものではないが、念のため警戒しておいたほうがいい。
「そう。くだらないね」
「えぇまったく。……では、私は失礼致します。」
サディアスは腕組みを解き、ずかずかと早足にアベルの横を通り過ぎた。すぐ後方にいたリビーの腕に肩がぶつかる。
「失礼。」
振り返りもせずにそう言って、サディアスは去っていった。
アベル達は第二王子の私室へと帰り、扉を閉める。今は室内に侍女達もいない。
椅子に腰かけたアベルが手を差し出すと、リビーは小さく折りたたまれた紙を渡した。サディアスが手に押し付けてきたものだ。広げると、数名の名前と爵位が書かれている。
読み終えて戻された紙に、リビーも目を通した。あまり聞き覚えのない名前だ。
「調べますか?」
「まだいい。彼が言った通り様子見段階だからね」
リビーとロイを動かすなら別件が優先だ。そう考え、アベルは否定した。
扉がノックされ、二人の視線がそちらへ向く。
「こ~んばんは。チェスターだけど、いらっしゃいます?」
「入れ」
珍しい時間に来るものだ。リビーは意外に思いながらアベルの後方に控えた。
扉が開き、チェスターがひらひらと手を振りながら部屋に入ってくる。馬を飛ばしてきたのか赤茶の長髪が乱れ、本人も疲れの色が見える。腰には剣を挿していた。
「はー、疲れた。」
苦笑いで息を吐き、チェスターは楽に会話ができる位置まで来て床に座り込む。公爵家の長男としてあるまじき行為だが、それを咎める者はここにいない。
「どうかしたのか。」
「えぇ~?そりゃないでしょ、王都から出る許可くれといてさ。」
その言葉にリビーは瞠目する。
普段顔を合わせない分、チェスターと護衛騎士は互いがいつどこにいるか知らないのだが、王都にいないのは予想外だった。
なぜなら、チェスターはアベルの従者だから。
入学時期のずれによる勉強時間として自由は与えられているが、本来は護衛騎士同様に側仕えである。アベルが護衛騎士すら側に置いていない事は周知の事実だが……。
それでも、流石に王都――城から、アベルとシャロンが訪れた下町まで――から出て活動するのは本来論外であった。
王子本人がそちらへ出向く時に同行するなら当然だが、王子を残した状況で、そこまで離れての活動は認められない。そしてよほどの理由がないと、入学すらしていない王子を王都の外には出せないのだ。
とある伯爵領の市場調査を名目にアベルが出した許可を、法務大臣であるニクソン公爵と規律を重んじる宰相が目ざとく見つけて苦言を呈した。
しかしチェスターの父である軍務大臣オークス公爵はもとより、特務大臣のアーチャー公爵もこちらに味方するだろう事を予想していたアベルは、五公爵の最後の一人、王立学園の学園長にあらかじめ手紙を出していた。
議題に上がり説明のためにアベルが呼び出された時にはすでに、返信は届いていたのだ。「問題ないと判断する」と。
結果的に認められたのは僅か三日で、報告書の提出は絶対。チェスターは往復二日かかる道のりをだいぶ強行して現地の滞在時間を伸ばし、ギリギリに戻ってきたのだった。
座り込んでいたチェスターは、息を整えてから跪く姿勢をとって頭を下げた。
「ごめん、アベル様。ガセだった」
「そう。」
「……ごめん。」
「お前が謝る必要はない。…報告書は明日でいい、早く帰ってやれ」
「…そうだね。」
俯いたチェスターは数秒そのままでいたが、床についた手に力をこめ、立ち上がった時には普段通りの笑顔を浮かべていた。
「またなんか探してみるよ。…そういえば言ってなかったけど、先週はシャロンちゃんとサディアス君がお見舞いに来てくれてね。」
「サディアスが?」
意外な名前に、アベルが聞き返した。
彼はチェスターにあまり良い印象を抱いていないはずだからだ。父親から何か指示があったか、とも考えたが、チェスターは楽しそうに笑って言葉を続けた。
「そーそー。シャロンちゃんとウィルフレッド様にせっつかれて、仕方なくって感じだったけど。」
「…なるほど。」
「シャロンちゃんは、魔法が原因だったりしないかとか、考えてくれてね。検証済でなんか申し訳なかったけど。ジェニーの友達になってくれた」
「そうか。」
アベルは、よかったな、とはわざわざ声に出さず、ただ薄く笑みを浮かべた。チェスターは改めてアベルに深く頭を下げ、ひらりと手を振って退室する。
「またね、アベル様。」
「あぁ。」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
アベルの横顔が見える位置までリビーが進み出てみると、彼は少し顔を顰めているようだった。
「リビー、悪いが」
「はっ。」
「チェスターを家まで見送ってほしい。……襲うなら今だ」
「承知致しました。」
リビーはなんの躊躇いもなく頷いた。一日一緒にという願いより、従者の命が優先である。アベルの判断に間違いはない。
チェスターがいなくなれば、他の誰かが従者に選ばれる。その椅子を狙う者もいるのだから。
「代わりに今夜、僕が寝ている間も好きなだけ部屋にいていい。」
「行って参ります!」
アベルとしては、約束した時間が減ってしまうので、その補填のつもりである。当然、好きなだけというのもリビーの睡眠時間を考慮して「途中で引き上げて良い」と言ったに過ぎない。
そしてリビーは、主の寝顔を朝まで見られるという事態に心が燃え上がっていた。
少し距離を開けてチェスターを追跡したところ、アベルの予想通り刺客に阻まれたのでリビーは猛威を振るった。
突然現れた彼女に事情を説明され、チェスターは苦笑いで共に公爵邸へと帰還したのだった。




