466.可能性と比べて
週明けの昼休み、食堂の個室にて。
「剣闘大会の魔法ってさ、シャロンちゃんが知ってる《可能性》にはあったの?」
ウィルとサディアスが席を立ち、私とダンだけになった状況でチェスターが聞いてきた。私が知る未来の可能性を語る上で、剣闘大会には触れてなかったものね。
食後の紅茶をこくりと喉へ流し、私はティーカップをソーサーに戻す。
「確証はないの。以前『たとえるなら、夢の中で上下巻の絵本を読まされた感じ』だと言ったけれど……アベルが剣を掲げた直後、確かに空は晴れていたわ。でもそれまでに天気の描写がないから…」
「最初から晴れてた可能性もあるって事?晴れてて驚いた人がいたりとか…それも描写無しか。」
「えぇ。」
「そう都合よく全部見れねぇってこった。」
お行儀悪く片足を反対の膝へ乗せ、椅子の背もたれに寄りかかってダンが言う。
チェスターだけになった途端にこれだわ。ウィル達がいるともう少し気を遣うのに。
「ていうか、やっぱそっちでもアベル様が優勝したんだ。ま、そうだよねぇ。昔のままだったら余計、ウィルフレッド様じゃ勝てないでしょ。」
「私やダンの参加もあったし、絵本とは少しずつ違っていたわね。」
「ああそっか、それもあるよね。」
アベルの優勝は変わらなかったけれど、チェスターはサディアスに勝つはずだったし、ウィルは決勝まで行けなかった。
そして剣闘大会が終わった今、明確にゲームと違う事がある。
カレンが、ウィル達の呼び方を変えないのだ。
この変化については、チェスター達にわざわざ言うつもりもないけれど……ゲームでは大会が終わってすぐ、コロシアムの外でウィルとサディアスを見つけたカレンが駆け寄っていく。
その時にウィルから申し出があったはずだ。
『君もそろそろ、俺をウィルと呼んでくれないか?』
『えっ?』
『ウィルフレッド様、何を――』
『親しい者の前でだけ…駄目か?カレンは俺の大切な友人なんだ。』
【 ちょっぴりしゅんとしたウィルフレッド様に見つめられて、ど、どうしよう?シャロン!どうしたらいいのかな!?なんて心の中で叫ぶけど、もちろん返事はない。サディアス様はふいと目をそらして、こっちを見てくれない。 】
『い、いいのかな……』
『良いよ。俺が君にそう呼んでほしいんだ』
『じゃあ…ウィル、様?』
『様も付けなくていい。』
『えと……、ウィル。』
『うん。』
ここで嬉しそうに笑うウィルが眩しいのよね。
身分なんて関係なしに「大切な友人」と言ってくれて、たとえ彼のルートじゃなくても気持ちがほっこりしたものだ――…けど。
それは、前世の私が持っていた価値観でのこと。今となっては正直、止めようとしたサディアスが正しい。愛称で呼び捨てにさせるのは危険すぎる。
そして二人が去った後、入れ替わるようにアベルがやってくる。
『さっきウィルと何を話してたの。』
『その……親しい人の前では、ウィルって…様もつけないでほしいって…』
『なら僕のことも、アベルと。』
『…アベル……』
にこりと作り笑いをするアベルに気圧されたからか、既にウィルを愛称で呼ぶ事になったせいか、この時のカレンはあまり拒否する素振りを見せなかったのよね。
前世でゲームを初プレイした時は、アベルがこれを言い出したのはウィルへの対抗心か何かかなと思っていた。
実際は恐らく、カレンがウィルを呼ぶところを人に聞かれた場合に備えたのでしょう。「第一王子にとって特別な少女」ではなく、「王子達と親しい少女」にしておくために。
『君と仲良くなれて嬉しいよ。カレン』
『私も…嬉しい、よ。アベル』
【 用は済んだとばかり、アベル様……アベルは、さっさと行ってしまった。何だか落ち着かなくて、私は汚れを落とすようにローブを軽くはたく。 】
『どうして、呼び捨てにしてほしいなんて……?』
当日のシーンはこれで終わり。
週明けの昼食で集まった際には、チェスターとサディアスに対しても敬称を外す事となる。あくまで人目がない時とはいえ、同性の私を呼び捨てるのとでは聞かれた時のリスクが段違いなのに。
ただ実際は、閉会後のウィルは皆と一緒に私とアベルがいるフィールドへ降りてきた。当日カレンと話すタイミングは無かったはずだ。
そして今もなお、その話題が出る様子はない。
会議や打ち合わせが多くて中々カレンと話す機会が少ないけれど、変わらず敬称をつけ、人前では「殿下」と呼べている。これまで通りだ。
ウィルにその気がないなら無いでいい。
距離感としては正しいし、ゲームとの違いの中でも、これは良い変化だと思う。
私が彼を愛称で呼んでいる事だってろくに知られていないのだ。そんな中でカレンが呼ぶところをうっかり聞かれでもしたら、どうなる事か。
チェスターが「そういえば」と人差し指を立て、私は意識をそちらに向ける。
「女神祭での《可能性》は?ジークハルト殿下の事はこっちが動いて変えたけど、ヴァルター殿下って来てたのかな。」
「わからないわ。ロズリーヌ殿下が起こす騒ぎもあったし…」
「言ってたね。そっちはもう心配なさげかな。」
「今のあの方であれば。」
殿下はゲームと違ってかなり友好的で楽しいお方だ。
以前カレンの教科書を破いてしまったのは事故だったし、階段から落ちる事件もなかった。女神祭でも、カレンを追い詰めるような真似はしないでしょう。
ダンが軽く顎を擦り、視線を遠くへやる。
「…それ考えると、むしろ《可能性》の方はロベリアの王弟が来なかったんじゃねぇか?トラウマなんだろ。」
「「確かに。」」
私とチェスターの声が重なった。
ロズリーヌ殿下が留学していると知らなかった、なんて事はないでしょうし。ヴァルター殿下がいらっしゃる事もまた、ゲームとは違う点なのかもしれない。
「ま、女神祭の懸念って言ったら本当、ジークハルト殿下だよねぇ。ヴァルター殿下と…君影のエリ姫にも会わせないようにしなきゃ。」
「護衛と案内役で、ジークハルト殿下にはダルトンさんとライル様、ヴァルター殿下にはセシリアさん、エリ姫には……キャサリン様のお兄様がつくのよね。」
「大丈夫だと思いたいけど……ロイさん、楽しい事好きだしな…セシリアさんは大ざっ…大らかだし。う~ん」
チェスターが苦笑いで首を捻る。
ジークハルト殿下にお誘いをかけた時には、まさかロベリアと君影からもお客様が来るとは思わなかった。警備や案内経路にここまで頭を悩ませる必要は、ないはずだったのだけれど。
自然と、ホワイト先生の言葉を思い出す。
『余計な客が来る女神祭を、上手くこなせるかどうか…それは、義兄上があいつらを評価する上で一つの指標になるだろう。』
「私達がどこまで対応できるのか、試されるわね。」
「もうちょっと簡単にしてほしかったよねぇ。俺とサディアス君は年上だけど、皆まだ一年生だよ?」
「ま、何とかなんだろ。」
「…ダン君なんでそんな余裕なの?初めて会う帝国軍人がよりによって殿下だよ。緊張とかしない?」
「すんだろうけど、今じゃねぇだろ。」
「はは、そうなんだけどね。」
去年の女神祭、ジークハルト殿下に会ったのは私やウィル達、そしてキャサリン様のような一部の貴族の子供達だけだ。屋敷に残っていたダンは会っていない。
例外として、レオとカレンは街中で会ってしまったけれど。
今回、ジークハルト殿下には変装してお越し頂くようお願いしている。
本人と相談がいるからまだ詳細は知らないけれど、ライル様が上手くやってくださるはず。
……とはいえ。
――あの圧倒的な威風を、どこまで隠せるものかしら……。
「帝国の暴虐皇子」と聞けば震えるだろう人達も、そうと知らずに見れば顔立ちの整った「上位貴族子息」でしょう。
それも監視兼護衛で常に人を引き連れ、時に私やウィル達と接触する事になる。一般人に扮するのは無理だ。
だからこそ違和感がないよう、変装もある程度は質の良い衣装でとお願いしている。女神祭に招く以上、人目には触れてしまうものね。
「君影国の姫ってのは俺らと同じぐらいの歳だったか?お嬢も会ってねぇんだよな。」
「そうね。色々話は聞くけれど、お会いした事はないわ。」
「俺とサディアス君も、エリ姫が城に滞在してたから会う機会あったってだけだからね~。まぁ、可愛い子だよ。」
「第二王子と見合いしたんだろ?」
「ん゛ッ」
にやりと笑ったダンがそんな事を言うものだから、ちょうどコーヒーを飲みかけたチェスターが噎せた。げほげほと苦しそうにしている。
私がダンを見やると、目が合った彼はくつくつと肩を揺らした。まったく…。
「お見合いではなかったと聞いているわ。言ったでしょう?」
「ん~そうだったかぁ?ケケ、忘れてたわ。」
「そろそろ怒ってもいいのよ。」
「失礼しました、お嬢様。」
ダンが爽やかな笑みを浮かべて姿勢を正し、座ったままながら恭しく一礼する。チェスターも怒る気が無さそうだから、今日のところはいいでしょう。小さく頷いておいた。
チェスターが困り顔で赤茶の髪を掻き上げる。
「けほっ、はあ~…そんな騒動もあったね。念押ししとくと、うちの王子様達があのお姫様と…っていうのは、絶対にありえないから。」
「そんなに?」
「そんなに。向こうもその気ないしね。」
一体どんな方なのだろう。
ホワイト先生のルートで戦う事になる中ボス、ヴェン――を連れたお姫様。
謎の男、ゲームの《お助けキャラ》であるアロイスさんの妹君で、彼を探している。アロイスさん自身は、リラの街を離れる気はなさそうだったけれど。
「シャロンちゃん、放課後はホワイト先生のとこ行くの?」
「えぇ。週末は先生が忙しくてお会いできなかったから、今日お時間を頂いているわ。」
「そっか」
「……?何かある?」
「や、何も。ダン君も一緒でしょ?」
「おう」
いってらっしゃいと笑顔で軽く手を振るチェスターに違和感はなかった。
私に何か、急ぎではない用事でもあったのかしら。もうじき昼休みは終わってしまう。
一口分残った紅茶をすいと飲み干し、私は二人と共に立ち上がった。テーブルには五人分の食器が残っている。
――……アベル、今日は食堂に来なかったわね。
別に珍しい事でもないのに、ほんの少し、そう思った。




