445.萎縮したら終わり
《それでは呼ばれたら出てきてくださいね~。一年生の一組目は、
ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン対バージル・ピュー!》
コロシアム全体に歓声が響く。
同時試合によってエリア分けされていたフィールドは丸ごと使えるようになり、ウィルフレッドとバージルの入場をもって客席との境に光の障壁が張られた。審判はレイクスとホワイトの二名だ。
立ち位置についたウィルフレッドは優美な微笑みを浮かべ、観客席に向けて軽く手を振る。女子生徒の悲鳴が混じり、歓声が大きくなった。
ウィルフレッドが手を下ろし、爽やかな青色の瞳が前を見る。
普段は半目開きにだらだらと歩く事も多いバージルが、今はしっかりとした足取りで立ち位置へついた。まだ百五十五センチにも満たない小柄さだが、背筋は伸び表情に幼さはなく、この一戦に本気で挑もうとしている様子が窺える。
《位置につきましたね。それでは構えて――》
日頃から《剣術》上級クラスで試合をしている二人だ、互いにタイミングはわかっていた。ほぼ同時に剣を抜き、エンジェルの言葉に合わせて切っ先を直上へ構える。
《挨拶!(`・o・)》
「「よろしくお願いします!」」
先に地面を蹴ったのはウィルフレッドだった。
己を相手より格下と考えるバージルは迎え撃つ事を選んだ。魔力量も剣技も筋力も負けていて、背丈だって十センチは違う。それでも。
――萎縮したら終わりだ。楽しもうよ、僕。
意識して笑みを作り、しっかりと剣の柄を握り締めてウィルフレッドを見据えた。
まずは魔法無しでの真っ向勝負。勢い負けしないようバージルも駆け出した。ここからはウィルフレッドの動きを一瞬たりとも見逃すわけにはいかない。
刃同士が火花を散らし、二撃目、三撃目と素早く切り返して互いに相手の隙を探る。
バージルはウィルフレッドの剣を捌きながら懐に潜り肘を入れようとしたが、予想していたウィルフレッドが身を引く方が早かった。
追いかけて襲いくる刃を一度、二度と弾いて、ウィルフレッドは三度目――横薙ぎの一撃に対し、バージルの剣を叩き落とすつもりで上段から振り下ろした。
ガン、と鈍い音がしてバージルが顔を歪める。
柄から手を離さない代わり、彼は手首を痛めないよう抵抗を最小限にした。剣を握る腕が後方へ流れる。体勢を立て直す間もなくウィルフレッドの蹴りが飛んできて、バージルは持ち前の反射神経でぎりぎり避け切ったが、勢いそのまま身を反転させたウィルフレッドがその鼻面に肘を叩き込んだ。
「ッんぐ…!」
防御が間に合わず視界が明滅し、灼熱の痛みに鉄の匂い。
共に授業を受けている《体術》というより、《格闘術》の動きだった。バージルは頭の片隅で意外に思ったが、考えてみれば当然のこと。授業を受けていない事は、その内容を一切履修していない証明にはならない。
授業の試合なら大人しく転がって「殿下、《格闘術》でも全然やってけそうですね~。」などと言ったかもしれないが、軽口を叩いている場合ではない。バージルは即座に余計な思考の一切を切り捨て、今見えるものだけに集中する。
ウィルフレッドが剣を振りかぶり、強く踏み込んだ。
バージルは剣を握る両手に力を込めてその刃を受け止めたが、バランスを崩したまま後方へ飛ばされる。予想できた事だ。既に口を開け息を吸っている。
「宣言!」
その言葉でウィルフレッドの目が輝いた。
バージルは苦い気持ちになる。この王子やはり、魔法を使うのはバージルが使うまで待っていたのだ。
ウィルフレッドの唇が開かれるのを見ながら、バージルは発動が失敗しないよう気を付けつつ急いで宣言を唱えた。
「僕の思う方へ風よ吹け、」
「宣言!風よ我が意思に応えろ、」
「止めない限りどこまでも!」
「俺を連れていけ!」
二人の周囲で強風が巻き起こり、地面を蹴ると同時に相手目掛けて飛び込んだ。
砂埃が舞い上がる。完全に空へ飛び上がれば風の魔法を上手く扱った方に勝機がある。それをよく理解してバージルは地面すれすれでの勝負を挑み、ウィルフレッドも真正面から受けて立った。
どちらも《風》は最適ではない。
先程よりもスピードと勢いを増した応酬の最中、ウィルフレッドの背中で純白のマントがはためく。
王子と戦っている自分はまるで悪役のようだとバージルは思った。実際、観客の殆どが望むのはウィルフレッドが勝つ姿だろう。一部には彼を嫌い、無様に負けて欲しいと思う者もいるかもしれないが。
――ま、そんなの関係ないけど、ね!
ただぶつかるのみ、バージルは心の中で言葉を繰り返す。
ウィルフレッドが横薙ぎに振った剣をやや前方へ跳んで避け、畏れ多くもその肩に片手をついて転回する。この距離なら魔法を使わず体術のみで挑む方が確実だ。
勝負はほんの一瞬。
ウィルフレッドの真上を越え、着地のために体を捻りながら――半ば片手逆立ちの体勢で、バージルは剣を突き出した。
予想より肩から手が離れるのが早い。ウィルフレッドが動いたためだ。
「はっ!!」
ウィルフレッドはかわされた剣の勢いそのままに回転し、振り向きざまに切り上げていた。僅かな躊躇いもない一連となった動き。バージルが目を見開く。
「な――」
言葉は続かなかった。
ガギンと硬質な音を響かせ、バージルの手から剣が弾き飛ばされる。どこかゆっくりと時が流れるような心地に陥りながら、バージルは真剣な光を宿した青い瞳が、飛んだ剣からこちらへと戻ってくるのを見た。
咄嗟に反応したウィルフレッドは見事だったが、体勢は崩れ、両手握りで強く振り抜いた剣は今、片手持ちに変わって斜め下を向いている。すぐには切り返して狙えない。
彼の性格上、試合で無手となった相手を即座に切り捨てる事はしないからだ。ウィルフレッドは次に備える事をしていない。ほぼ終わりだと思っている。
バージルもまた、自分の性格上確かに「終わり」だろうと頭の片隅で思った。
これが授業の試合なら。
未だ着地に至らない半端な空中で、バージルは考えるより先に手を伸ばしていた。
体の回転によりこちら側へ翻った、白いマントへと。
武器を奪ってなお降参されないと気付いたウィルフレッドが目を瞠る。それとほぼ同時にマントを掴み、バージルはウィルフレッドが反応するより先に強く引いた。
これ以上体勢を崩さぬようウィルフレッドが反射的にその力へ抵抗し、バージルはそれをも利用する。マントを引いたのは転ばせるためではなく、自分が彼へと近付くためだ。
バージルの片足が地面につく。
ウィルフレッドの背後。
バージルが跳んでからここまで僅か数秒、観戦している生徒の多くにとっては早すぎる攻防だった。
たとえ武器を失っても、相手が動けないよう拘束して「降参」の一言を引き出せばバージルの勝ちだ。王家が容易くそれを言うかは別として。
視界が白く染まった。
飛び退くでも、先程のように振り向きざまに攻撃するのでもなく。
ウィルフレッドはマントの裾を掴んで地面を蹴り、軽やかに宙返りした。
バージルの顔を――視界を、マントで覆いながら。
「っ、」
敵はどちらへ行ったかと脳が混乱し、バージルの動きが一瞬止まる。
首筋にひたりと冷たい刃。
後ろから着地の音が聞こえ、ふわりと白が解かれて視界が開けた。
「…今度こそ、勝負ありだろうか。バージル」
少しだけ息を乱した声。
続けて割れるような歓声が耳に届く。肩で息をしながら、バージルは力なく笑った。
「はぁ、はっ……そりゃ、貴方の…勝ちでしょ~。殿下」
バージルがレイクスに降参の合図を送ると、ウィルフレッドは剣を引いた。
振り返れば、王子殿下は青い瞳をきらきらさせて笑っている。眩しい。光の魔法でも漏れているのかと、バージルは心の中で冗談を言った。
「流石の身のこなしだった。油断すれば俺が負けていただろう」
「はは…」
意趣返しまでしておいて何をと思ったが、バージルは苦笑いだけして鼻の下を袖で拭う。相手を跳び越え空中から剣を突きつけるのも、マントを利用するのも、バージルが狙った事だ。
「ニクソン様くらい、風が使えたら……もっと、やれましたかね。」
「ああ、相手と近距離での発動は中々難しいよな。わかるよ。俺も彼ほどは扱えない」
「それと……鼻潰されんの、結構痛手でしたね~…。」
呼吸のしづらさは動き全体に絡んでくる。
無意識下での呼吸に支障があれば意識をそちらにも向けねばならず、必要なだけ息を吸えなければ、体を動かすにも宣言を唱えるにも厄介で、酸素が足りなければ気は急いて頭も回らない。
「確かにそうだな。ついやってしまったが…大丈夫か?」
「ついって…ま、へーきですよ。」
ホワイトが軽く放った剣を、バージルは数歩進んでキャッチする。ウィルフレッドも立ち位置へつき、二人は向かい合った。
剣を胸の前で構える。
「「ありがとうございました!」」
《準決勝第一試合、勝者ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン!》
エンジェルのアナウンスにコロシアムが沸く。
退場のために歩き出しながら、バージルは観客席を見上げた。
赤色。
殆どの生徒はウィルフレッドに手を振り、勝利を称えて叫んでいる。
しかし悔しそうに眉を寄せ唇を引き結ぶ彼女が見ているのは、きっと自分だろう。そう確信が持てた。
目が合うとレベッカは強く頷き、何か叫びながら笑って大きく手を振る。
バージルも笑って手を振り返した。
「良い試合だった。ではまたな、バージル」
「はい。お疲れ様で――…」
通路に入り手短に別れの挨拶をしたが、バージルはウィルフレッドが立ち去る方向に違和感を覚えて声をかける。
「殿下、着替えないんですか?」
少しではあるが、純白のマントはバージルの鼻血がついて汚れている。更衣室へ寄って新しい物と取り換えるべきだろう。
王子を引き留めてしまったと内心少し後悔したが、ウィルフレッドは気にした様子もなく振り返った。代わりにどこか、そわそわしている。
「このくらいはな。更衣室に寄るまでもない」
「けど貴方の立場的に…」
「わかってる、良くないな。うん。よろしくないのはわかるんだが、先程の試合は登場する所を見れなかったし――すまない、急ぐ。また授業で。」
「なるほど…はい、では。」
バージルがのんびりと言い終える頃にはもう、ウィルフレッドの姿はなかった。
《続いて一年生の準決勝第二試合、アベル・クラーク・レヴァイン対デューク・アルドリッジ!フィールドへどうぞ!(`・△・)/》
エンジェルの声に続いて歓声と拍手が響く。
アベルが立ち上がると同時にウィルフレッドが貴賓席へ戻ってきた。この速さではまた風の魔法を使っただろう。決勝を控えた身で余計な魔力など使うべきではないが、それをわざわざ口に出して咎める者はいなかった。
二人の目が合う。
先に勝利を決めてきた兄を前に、アベルは薄く笑った。
「じゃあ、行ってくるよ。」
「ああ。行ってこい」
――待ってるから。
二人はすれ違い、割れるような歓声の中でアベルは魔法も無しに飛び降りる。
騎士が取ってきたマントの替えをサディアスが受け取り、ウィルフレッドに手早く付け替えた。
フィールドでは選手二人の入場をもって、障壁が新たに張り直されていく。
王子らしい優美な微笑みを浮かべ、ウィルフレッドは席に座って呟いた。
「頑張れ。アベル」




