443.応えるために
北エリア――チェスター・オークス対サディアス・ニクソン。
対照的な二人だった。
ウェーブした赤茶の長髪、真っ直ぐな紺色の短髪。
チェスターの騎士服は赤褐色の上着、黒のズボンに茶色のブーツ、マントは黒だが裏地は上着の差し色と同じワインレッド。
サディアスは濃紺の詰襟で、ダブルボタンを配置した中心部分と袖の折り返しは白地だ。濃紺のズボンに白の編み上げブーツ、背中のマントも白だが、上着の差し色に合わせて裏地が鮮やかな青色だった。
五公爵家同士の試合に観客の視線が集中している。
《四人とも位置につきましたね?では構えて、挨拶!(*^-^)/》
「「よろしくお願いします!」」
形式的な挨拶を終え、二人は即座に剣を構え直す。
柔らかい印象の垂れ目に茶色の瞳、黒縁眼鏡の奥には冷ややかな水色の瞳。
視線が交差する。
「――よろしく、サディアス君。」
「…よろしくお願いします。チェスター」
届かない呟きは、隣のエリアから響く破裂音に掻き消された。
二人はそちらに気を取られる事なく同時に走り出す。
「宣言。風、我が意のままに」
唱え終わると同時、サディアスは己の感覚に集中した。
右足が地面を踏みしめる。ざり、と音が聞こえたその瞬間、最も足に力が入り地面を蹴るその瞬間に魔法を発動する。
爆発的な加速を得て一気にチェスターへ肉薄した。
ギィン!
刃が激しく火花を散らし、そのままチェスターの後方へ流れるサディアスを茶色の瞳が追いかける。チェスターが体勢を立て直すより早く、空中で方向転換したサディアスが再び襲い掛かってきた。
まるで羽が生えているかの如く自由自在にチェスターの周囲を飛び回り、ヒットアンドアウェイを繰り返す。
身を翻し攻撃を弾き続けながら、チェスターは必死に彼の動きを追った。
――この速度でそんな小回り利かせてくる!?風が最適じゃないのによくやるよ、ほんと…!
死角に回り込まれぬよう気を付けながら隙を探る。
剣戟の最中、チェスターはサディアスが繰り出した突きを身を引いて避け、同時に彼の腹部を蹴りつけた。しかし避けた際にサディアスも警戒して下がっていたのだろう、手応えは浅い。
距離をとるまでに至らないかとチェスターが察した瞬間、サディアスに足を掴まれていた。
「うわっ、」
自分の意思とは無関係にグンと引かれ、反対の足が地面から離れる。抵抗する間もなく空中で三回転し、チェスターは猛スピードで放り投げられた。
――いや、回し過ぎだし早過ぎだし!!
どちらが上下かさえ一瞬わからなくなり、遠心力による頭痛を堪えながら反射的に閉じた目をこじ開ける。エリアを区切る壁にぶつかると理解してギリギリで風の魔法を間に合わせた。サディアスはこちらを追いかけてきている。
「宣言、水よ大壁となり遮ってくれ!」
二人の間に現れた大量の水を見るなりサディアスは飛び退った。敵の魔法に飛び込む馬鹿はいない。チェスターのスキルを知っているなら余計だ。
目測はおおよそ縦に十メートル未満、横に五メートル超はあるだろうか。
魔力量の差を理解している彼にしては豪快な使い方だと、サディアスは訝しげに眉を顰めた。
「そのまま凍りつけ!!」
「っ!?」
エリアを区切る壁を土台とし、大量の水がその場で氷壁へと姿を変える。これほどの規模でさえ全体を氷漬けにできる、その事実に一瞬怯んだ。
――チェスターはどこから、
サディアスが気付いた時には既に、風の魔法で加速したチェスターが上段に剣を振りかぶっていた。
彼にしては移動が早過ぎる。反応が遅れた。
「はああっ!!」
「ぐっ!」
辛うじて刃を合わせたが勢いは止められなかった。
衝撃をもろに食らって空中から叩き落とされ、チェスターが振り切った刃が二の腕を深く切り裂く。激痛がはしった。
――…くそっ……
落下しながら、サディアスは己の失態に顔を歪める。
チェスターの魔法に圧倒され隙ができてしまった。どう対処するかを即座に考えねばならなかったのに、全体が見える位置まで下がらねばならなかったのに。
それができていれば、氷壁の上から飛び出しただろうチェスターの姿を事前に捉えられたはずだ。
――違う。あの時点で上を取られていたなら恐らく、水で壁を作ったその内側で、チェスター自身も水で打ち上げられていた。私はそれを見抜けなかった…
切られたのはよりによって利き腕。
骨には達していないがそれなりに深手を負っている。シャロンは戦いながら治癒の魔法である程度治すという芸当をこなしたらしいが、普通、治癒の魔法は落ち着いた状況で傷口に手をかざして行うものだ。サディアスはそちらの訓練はしていない。
――私の負けだ。未熟だった。
着地したら審判に降参を告げるべきかと考える。
試合としてはまだ決着がついていないが、サディアスが失敗したのは明白だった。潔く負けを認めても良い場面だ。出血量が多いため治癒も早めに受けた方が良い。血は戻らないから。
加えて、チェスターが魔力を大量に使った以上、仮にも王子の護衛として、自分は魔力を多く残しておいた方が良い事もわかっていた。騎士や教師陣は大会の後まで見張ってくれるわけではない。
総合的に考えて、ここで降参は「あり」だ。
一瞬でその答えに行き着いたサディアスの脳裏に、ウィルフレッドとアベルの姿が浮かぶ。
――降参で……それで、良いのか。
『サディアス。その名が何を示すものであろうと、この六年近く俺の従者でいてくれたのは君だ。』
ウィルフレッド様に、
『お前があのような扱いを受けて、僕達が許すと思うのか。』
アベル様に、
『君は早めに公爵を継いでよ。そしたら今度こそ、俺の同志になって。』
チェスターに、恥じない姿とは。
引き際を弁える事だろうか。
サディアスの頭に浮かんだあの夜のチェスターの姿は、いつの間にかシャロンに変わっていた。
公爵令嬢でありながら突然剣を持ち始めた変わり者だ。ウィルフレッドが変わったのも彼女が遠因となっている。
『私、何の役にも立てなかったわ。…だからこそ、次があった時のために強くなる。』
己の無力を思い知った時、彼女は諦めなかった。
泣き崩れて終わるのではなく、受け入れるでもなく。
『足手まといにならないように。そしていつかは私だって、貴方達を守れるように。』
諦めの悪い人だ。
彼女は格上であるネイト・エンジェルに腕を切られてなお、戦った。
――貴女らしいですよ、本当に。
サディアスは苦く、少しだけ笑みを浮かべる。
視界の端に見える客席から、自分と地面までの距離をおおよそ、計算した。空はよく晴れている。
『まだ降参しませんか。』
自分の声が頭に響いた。
答えなど決まってるとばかりの大声が聞こえる。
『しねぇです!!』
「――……、宣言。」
サディアスは呟いた。
上空からチェスターが追ってきている。剣を構えて。
「風、我が意のままに!」
空中で身を反転させ、地面を睨んだサディアスは叫ぶように唱えた。
発動した風の魔法が落下速度を抑え、地面すれすれで並行移動へ切り替える。サディアスはチェスターが追ってくる方へ向き直りつつ着地した。止まりきらない勢いに靴裏が地面を削って長い二本線を刻み、血がボタボタと垂れる。白のブーツとマントが土くれで汚れていく。
離れた位置で着地したチェスターとの距離を測り、サディアスは片手の中指と親指を合わせた。
「火」
パチン。
炎が視界を遮る寸前、チェスターが慌てて急停止をかける姿が見える。
サディアスは迷わず地面を蹴り、風の魔法で加速しながら炎の壁へ飛び込んだ。観客席が一斉にどよめく。
「は――」
声を漏らしたのはチェスターだ。
彼は炎の壁の右か、左か、上か、どこからサディアスが飛び出すかと警戒していた。
まさか、大火の中心。
人が一人通れるだけの穴が空くとは、同時にサディアスが飛び込んでくるとは。魔法のコントロールに余程の自信がなければできない事だ。
チェスターは火を避けるため、魔法を解除し自分の足で大きく一歩飛び退ったところだった。着地するより早く、風の魔法で加速したサディアスが一直線に特攻してくる。
炎の壁で相手を見失ったのはお互い様のはずなのに、まるでチェスターの位置がわかっていたかのようだった。
――いや、そっか。わかったんだ。
チェスターは剣を握る右手に力をこめる。
自分を見据える目の強さについ、「そんなサディアス君初めて見たかも」などと。心の中で笑ったつもりが、口角が明らかにつり上がる。左手を自分の背に回した。
「俺じゃ、間に合わねぇもんな!」
吼えながら短剣を引き抜いて投擲する。
当然のように風の膜で弾かれたが想定内だ。サディアスに飛び道具は通用しない、そんな事チェスターは知っている。サディアスが、チェスター程度では風の魔法を一度解除するしかないと知っていたように。すぐには再発動もできないと知っていたように。
短剣を投げた際の勢いを利用して体を捻り、チェスターは地面を蹴ってサディアスの直線上から離れた。自在に方向転換が利く相手なので逃げ切れないが、百パーセントの攻撃を受けるよりはマシだ。少しでも勢いを殺したい。
サディアスがこちらへ曲がる、振られた剣がこちらへ襲い掛かる、その寸前でチェスターの両足が地面に着いた。
刃がぶつかり、火花が舞う。
角度を変えて幾度も、幾度も。
まるで先程のやり直しのようだが、より近接戦になっている。こうまで近いとたとえ自分の体でも風の魔法の勢いを乗せづらいものだが、サディアスは見事なコントロールでそれを実現していた。
剣戟の最中、チェスターの剣先がサディアスの頬を切り裂いて横髪を掠る。サディアスは怯むことなくチェスターの死角へ抜け、その脇腹に剣の柄を叩き込んだ。
「っがは!」
サディアスの腕力だけならまだしも、魔法による加速付き。
体の骨がミシリと歪むのを感じながら、チェスターは辛うじて受け身を取って地面に転がった。顔を歪めつつ片膝をついて立ち上がろうとするも、剣先が突き付けられる。
「はぁ、はぁっ……やるじゃん、サディアス君。」
「…たまには、足掻いてみようかと。」
「えぇ?あはは……今回は俺の負け!」
からりと笑い、チェスターは一歩下がりながら今度こそ立ち上がった。審判のレイクスに合図し、降参と示す。
「腕ごめんね、平気?」
立ち位置へ歩きながら聞くと、サディアスは軽く頷いた。
試合さえ終われば、止血程度まで治しておくくらい容易い事だ。二人は規定の位置に立って向かい合い、剣先を直上へ向けて構える。
「「ありがとうございました!」」
《北エリア勝者、サディアス・ニクソン!》




