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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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43.兄弟喧嘩を経て

 


 ここのところ、アベルは機嫌がよかった。


 普段常に怒っているかといえばそんな事はないのだが、時折見せる僅かに愁いを帯びた顔を見なくなった。そして代わりとばかり、ふとした時に微笑みを浮かべるのだ。

 変化に気付いているのは自分くらいであろうが、このままでは心臓がもつか怪しい――…第二王子の護衛騎士であるリビー・エッカートは、そんな風に考えていた。


 誰を相手にしても余裕のある笑みを崩さないアベルの、素の微笑みを見られる機会というのはあまりない。

 もっと小さい頃は――まだリビーはアベルに出会っていない。当時を知っている者達の頭を開いて記憶を絵として引きずり出す事はできないかと常日頃考えている――そう珍しくなかったそうだが、成長するにつれ彼がそんな表情をする事は減ってしまったという。


 理由は双子の兄であるウィルフレッドの態度だ。

 アベルは自分に非凡な才がある事も、それが兄にどれほどのプレッシャーと劣等感を与えてしまうかも理解していた。第一王子は優秀かつ努力家だったが、それにしたって双子の弟は出来が良過ぎたのだ。


 ウィルフレッドは次第に、やがて露骨にアベルを避け始めた。

 アベルが授業をサボり城を抜け出し、自分が何を考え何をしているのか兄にまったく伝えなかった事もそれに拍車をかけた。


 アベルは当然のようにウィルフレッドの態度を受け入れ、話し合いをしようともしない。

 嫌われて当然、避けられて当然、()()()()()が悪いのであると。


 そうして自分勝手で横暴な姿を見せ、注意してくる兄を突き放して対立を示し、周囲の反応を、誰が有能で誰が無能なのかを、誰が敵で誰が味方なのかを、見極めていく。

 兄の敵をできるだけ潰すために。



『納得がいきません』


 かつて、リビーはアベルに訴えた。

 ウィルフレッドの態度を看過できず、つい思いきり睨んでしまった事を諫められた時である。二人になってから改めて「ああいう事はやめろ」と言われ、リビーは眉根を寄せてしまった。


『我が君。貴方へのウィルフレッド様の態度はおかしい。自分がどれほど守られているか、わからないのではないでしょうか。』

『わかる必要はない。僕が勝手にしている事だからね』

『しかし…!』

『僕達の事に首を突っ込むな。……これでいいんだ。』

 何が良いというのか。

 リビーは不満だったが、アベルにそう言われては勝手に動く事もできなかった。

 もう一人の護衛騎士、ロイもウィルフレッドの態度は不満であったらしく、演習場で彼にちょっかいを出していたが、殺気までいかずとも怒気を滲ませた事でアベルから怒られていた。余計な事をするなと。


 ――本当に、貴方はそれで良いのですか。


 アベルが理解者を欲しているわけではない事くらい、リビーにはわかっていた。行動理由をいちいち説明せず、誤解されようとも知らん顔なのだから当然である。

 だがそれでも、たった一人。


 ――ウィルフレッド様にだけは理解して頂かないと、あの方はいつかどこかで、壊れてしまうのではないか。


 そんな不安が漠然と胸に渦巻いていた。

 リビーがどれほどアベルを敬愛していようと、忠義を尽くそうと、双子の兄という存在には代われないのだ。



 そして、あの事件が起きる。


『今回犯行に使われた剣だ。』


 ウィルフレッドが、護衛騎士を撒いてまで自ら動いたのだ。

 弟の無実の証拠を持ち帰り、国王より騎士団長より先にアベルの元へと持ってきた。疑われたのはお前なのだからと。紛れもない、弟を想う兄としての行動だった。


 言葉を交わす二人はいつもより肩の力が抜けているようで、後方に控えていたリビーにはその表情までは見えなかったけれど、声色も含めてアベルが嬉しそうなのは間違いなかった。

 ウィルフレッドも妬みや卑屈さのない、苦しさもない顔をしていた。


 後日、演習場では久方振りにウィルフレッドがアベルの手を取った。

 アベル同様に騎士達も驚いていた。ウィルフレッドの護衛騎士だけは予見していたようだが、二人が笑い合った事で演習場に拍手が起こった。騎士のほとんどは二人の和解を望んでいたからだ。


 近い存在が手の届かない高みに行く悔しさ、無力感、羨望――差し伸べられた手を素直に取りたくないウィルフレッドの気持ちは騎士達にもわかるし、王族に意見できる立場でもない。

 アベルも口出しを望まないが故に、誰もが見守るしかなかった彼ら二人が、とうとう。



 訓練後の湯浴みも終えた後、やや強引にアベルの手を掴んで引っ張って行くウィルフレッドを見て、生まれた時から仕えているという侍女が目を細めて「お懐かしい」と呟いていた。


 ウィルフレッドの部屋の前で、リビーとヴィクターは扉の左右に並び立つ。

 アベルが兄相手に大声を出す事はまずないので、時折漏れ聞こえてくるのはウィルフレッドの声だった。


『はあ!?どうしてお前はそう…誤解を招くような事はやめなさい!………そんな事望んでないって言ってるんだ、お前が悪く見られるんだぞ!もっとやり方を……こ、この馬鹿っ!強情っぱり!』


 ふっ、と吹き出すような笑い声が聞こえて横を見ると、一瞬だけ口元を押さえたらしいヴィクターが無表情に顔を上げた。真面目に護衛するつもりはあるらしい。


『失礼。』

『…何が可笑しい。』

 リビーは単純な疑問として聞いた。

 漏れ聞こえた会話を受けての反応にしては変だと思ったからだ。自分の主が――リビーと違って、ヴィクターにとっては「護衛対象の王子」かもしれないが――怒っているのだ。

 笑うべき時ではないはずなのに、ヴィクターは僅かに笑みを浮かべ、どこか満足そうに言う。


『嬉しいんだよ、お前は違うのか?』

『何がだ。』

『お二人が、普通の兄弟喧嘩をしてる事が。』

 兄弟喧嘩、なのだろうか。

 リビーは視線を前へ戻して考えた。会話の全ては聞こえなくとも、アベルの言う「僕が勝手にやっている事」について、ウィルフレッドが文句をつけているだろう事はわかる。アベルに方針を変えるつもりがなさそうな事も。


 意見が対立し、片方が怒っているのだから確かに喧嘩か。

 そう結論付けて、リビーはただ待った。それが良い事か悪い事か、嬉しい事か悲しい事かは、部屋を出てきた時の主の表情でわかるはずだ。

 十分ほどそのまま待機し、やがてウィルフレッドに見送られてアベルは部屋を出てきた。


『俺はあくまで反対なんだからな。』

『それでいいよ。余計な事を言わないでくれればね』

『はぁ…。』

 こめかみを押さえる兄と違い、アベルは穏やかな笑みを浮かべていた。

 それを見て目を細めるリビーの口元が微笑んでいたかどうかは、布に隠されて傍からはわからなかった。




 それからである。


 そう、問題はそれ以降、アベルの機嫌が良いのだ。

 悪い事ではない。まったくもって悪い事ではないどころか、主の笑みを見る回数が増えるという事はリビーにとって最上の喜びであったが、ただ毎回心臓を襲う衝撃に耐えきる自信がなかった。

 眩しいのである。


 ――ああ、ただ一人と決めた我が生涯の主、至高の存在が浮かべる微笑みはひたすらに眩しく、尊く、かつて世を照らしたという太陽の女神もなんのその、春の木漏れ日すら敵わぬ幸福の権化。このまま心臓が止まったとしても私に後悔は…いや、心臓が止まってしまったら我が君を守れないし側にいられないしお姿を拝見する事も叶わないそんなのは嫌だ、まだ生きなくては。なんとかして意識を保たねばならない。失神してしまってはその時間が惜しい。意識を、意識を!アベル様が私を呼んでいる!お姿を拝見する喜びを享受し、凛々しいお声を聞き漏らさないようにせねば勿体無い――…えっ?今、なんと。


「待ッ、てくださ……わっ笑い、過ぎて…死にそ……!」

「早く起こしてやれ。」

「ンブッ!フッ、クク…!げほっげほっ」

「ロイ。」

 アベルは焦れたように護衛騎士の名を呼んだ。

 その長身を丸めて腹を押さえていたロイが、覚悟するかのように大きく息を吐いて顔を上げる。まだ口元はぴくぴくしているが、辛うじて笑いの渦からは逃れたようだ。

 場所はアベルの部屋、珍しく二人同時に呼ばれた護衛騎士、そしてその片方であるリビーは気絶して倒れていた。


『リビー、ロイ。お前達それぞれに僕個人から礼をしたいと思う。何か、望みはあるか?』


 そんな一言が発端だった。

 アベルとしては、兄弟仲についてこの二人にも結構な心配をかけたという自覚があり、また日頃護衛とは関係のない仕事をさせてばかりである事も含めて、個人的な礼をと思ったのだが。


 ばたり。


 なぜかリビーが倒れてしまった。

 隣に立っていたロイに「なぜ支えてやらなかった」という目を寄越したアベルだが、ロイとしてはあの倒れ方は危険ではなかったし、どこか本人の覚悟が見えたためつい見守ってしまった。そして笑わずにはいられなかったのだ。

 主君からの突然の感謝と褒美に思考回路が停止した、そんな彼女があまりに面白くて。


「はぁ…ここ最近で一番笑いました。リビー、大丈夫ですか。」

 頭を打ったわけではないので、床に寝そべった彼女を揺さぶる。

 スンと目を閉じたままのリビーだったが、ロイが「アベル様の御前ですよ」と声をかけるとシュバッと起立した。


「――失礼致しました、我が君。」

「早いなぁ~!ッハハ、本当面白い。」

 楽しげに笑いながらロイが元の位置に戻り、アベルは椅子にかけたまま小さく息を吐いた。リビーの敬愛が重い事は城の誰もが知っている事実である。そう、もちろんアベルも。

 リビーは激しく瞬きを繰り返しながら記憶を再生し、どうやら自分とロイはそれぞれに褒美を頂けるらしい、という事を思い出した。


「それで?ロイ、お前は何がいい。」

 また倒れられては困るので、アベルはリビーを後回しにしたようだった。考える時間を与えたとも言う。

 ロイが目を細めて――細めたかどうかがわかるのはアベルくらいだったが――笑った。


「フフ、《保留》でお願い致します。いつか、思いついた時に叶えて頂きたく。」

「なるほど、お前らしい。…あまり無茶は言ってくれるなよ。」

「どうですかねぇ。」

 ロイは楽しげに首を傾げた。アベルが褒美という名の約束を破るとは思えないので、とっておきのカードとして保存しておく方が吉と考えたのだ。内容によっては断られるのだろうが、今適当に叶えてもらうには惜しい。

 二人の視線がリビーに移る。俯いて視線を彷徨わせていた彼女は、意を決したようにアベルを見つめた。


「私は、もし許されるなら…その……。」

「言ってみろ。」

「い、一日でも良いので、ずっとお傍で護衛をさせて頂きたく!!」

「…なんだと?」

 身体を九十度折り曲げて頭を下げたリビーに、アベルが聞き返す。

 予想外だったとでも言いたげな言葉におそるおそる顔を上げると、アベルは眉根を寄せていた。それは不快というより困惑によるものだったが、リビーがそう言い出すだけの事をしている自覚はあったようで、すぐに諦めるようなため息を吐いた。


「……そんな事でいいのか。」

「はい!」

 これは本当に叶えてもらえそうだと察して、リビーが目を輝かせる。

 第二王子アベルの護衛騎士であるリビーとロイだが、普段あまり彼と一緒に行動できないのだ。それは他ならぬアベルの命令で別の仕事をしているからであり、彼のために動く事はリビーにとって喜びだ。

 が、それはそれとして…


 一緒にいたいのである。


 ――本当は一生片時も離れずにお守りさせてほしいところだがそれではさすがに奥方を娶られた際など非常に支障が出るであろうしせめて数年、いや今までを考えれば一年どころか一か月すら応じて頂けるか怪しい。ならば一週間でも…だがいいのか?私ごときの浅はかな望みでアベル様の時間を、いや自由を奪う事などあっていいのだろうか。お一人で行動されている中には恐らく私やロイにすら隠しておきたい事だってあるかもしれないその場合に私のこの願いというのはあまりにも邪魔ではないだろうかいやしかしこんな機会もうないかもしれない!せめて一日だけでも…!


「いいだろう。」

「――ッ!」

 願いの許可と、金色の瞳が真っ直ぐ自分に向けられた事でリビーは再度意識を手放しかけた。

 しかし堪えねばならない、なんとしても。一日中ずっとアベルといられる特権を確実に得るためにも。


 パァン!


「ありがたき幸せにございます。」


 可及的速やかに自らの頬を張り、リビーは静かに跪いた。





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― 新着の感想 ―
[一言]  概ね暗く進んで行く物語は。。。 読んでて疲れる。。。
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