435.星を囲う白き壁
治療が済んだシャロンとダンは共に貴賓席に戻った。
騎士服は同じ仕立てを数着用意してあるので、切られた上着もそちらに替えている。チェスターとサディアスは既に戻っていたらしく、チェスターが軽く手を挙げる。彼も着替えたようで、ダンが切り裂いた跡が消えていた。
「お帰りーシャロンちゃん、ダン君!今は四年生がやってるよ。」
シャロンは微笑みを返してフィールドに目をやり、ダンは口では「おー」と言いつつ軽く騎士の礼をしてみせた。声は届かずとも、貴賓席は常に他の生徒の目が向いているのだ。
ウィルフレッドはシャロンを振り返り、心配でたまらないという目で口を開く。
「っ…あのネイトを相手に、見事だったよ。怪我は大丈夫か…?」
「ありがとう、ウィル。跡も残らなかったわ。叔父様が処置してくださったの」
「そうか。よかった……」
声は微かに震え手はひじ掛けをグッと握っているが、表情は柔らかな微笑を保っている。遠目から見ただけでは気づかれないだろう。
本当は立ち上がってシャロンの手を両手で包み、詳しい感想を述べながら褒め称え、同時にひどく心配したこと、無事に戻ってきて怪我も治って良かったとはいえ、彼女が痛みを感じた事にはやはり苦しい気持ちになることを伝え、とはいえ懸命に戦略を練って仕掛けた知恵と勇気を褒め称え…としたいのだが、ここは貴賓席。
ウィルフレッドは懸命に自重してフィールドへ視線を戻した。
フィールドではまた一組の決着がつき、シャロンは拍手をしつつトーナメント表を見やる。
一年生の二回戦勝ち上がりはネイト、チェスター、サディアスの三人だ。表はそこで止まっていて、次の対戦カードがどうなるかは見えない。
――次からはウィル達、《剣術》上級クラス組が入る。五人いるから、どこか一組は上級クラス同士の試合になるわね。
組み合わせは完全にランダムのはずだが、さすがに最初からウィルフレッド対アベルが組まれる事だけは無いだろうとも考えた。
――ジェニーは、私とチェスターがあたったらどうしましょうと心配していたけれど。ふふ、それは大丈夫だったと手紙に書かなければね。
四年生最後の一組が試合を終え、拍手と歓声が響く。
運営席の最前列で司会をしていたケイティ・エンジェルが再びフィールド上空へ飛び出し、ふわりと大きく飛んで注目を集めた。
《以上で第二回戦は終了で~す!予選を勝ち抜いたメンバーが揃ったところで、準々決勝の対戦カードを発表しますよ。準備はいいですか?いいですね~?(*^-^*)》
観客席に向けて声を少しだけひそめ、にっこりと微笑み、ぱちんとウインクする。息子であるネイトがそっと目をそらした。
エンジェルは両腕を大きく広げて声を張り上げる。
《ここからは同時二組の試合!《剣術》上級クラスも加わってさらに熾烈な争いとなるでしょう!それでは全学年同時に発表します。戦うのは~……この子達ですッ!(`・v・)+》
彼女の話に合わせてやや音を小さくしていた楽隊が、発表の瞬間にジャンッと高らかに楽器を掻き鳴らした。トーナメント表が一気に更新され、予選部分が消え去る。
シャロンはこくりと唾を飲んで一年生の対戦カードを確認した。
ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン対チェスター・オークス。
バージル・ピュー対サディアス・ニクソン。
ダリア・スペンサー対デューク・アルドリッジ。
アベル・クラーク・レヴァイン対ネイト・エンジェル。
「げっ。」
ついそんな声を漏らしたネイトは、普段まとめ上げている白茶色の長髪を解きタオルを首にかけていた。先程の試合で水をかぶったためだ。着替えは済ませたが髪は乾ききっていなかった。
周囲から同情の視線が突き刺さって笑顔が引きつり、隣に座っていた友人にまたしても無言で肩をポンと叩かれ、深いため息が漏れる。
――う~ん……温存とか言ってる場合じゃない人来ちゃったな。
「エンジェル、貴様前期試験は一位だっただろう?少しはあの暴君に恥をかかせてくれよ。」
「頑張れッ…全力で頑張ってこいよ!骨が残ったら拾ってやるから!!」
「魔法が使えなきゃ意味がないって事、たっぷり教えて差し上げたらどうかな?ああ、もし俺が殿下と同学年だったら自分でやったのに。」
「今の内に痛み止めか…恐怖が薄れる薬みたいな…何か処方してもらった方がいいのでは?」
「おい!君と殿下は後半の試合だろう?今の内に僕の話を聞いて損は無いと思うよ。フフ、必勝法を考えてあってね……」
外野がうるさいなと思いながら、ネイトはスカイグレーの瞳を貴賓席へ向けた。
笑顔のウィルフレッドと苦笑いのチェスターが何か話しながら、しかめっ面のサディアスは唇を閉じたまま、立ち上がる。アベルが何か声をかけると、チェスターは表情を引き締めて頷いたようだった。
《フィールドは南北に分かれます。第一試合の四人は呼ばれたら出てきてくださいね~。》
東西南北で形成されていた光の壁がフッと消え、代わりに中央で仕切る光が地面に現れる。円形のフィールドは半円ずつに分かたれた。予選より広い範囲で戦える。
《南エリア、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン対チェスター・オークス。
北エリア、バージル・ピュー対サディアス・ニクソン。》
三人が風の魔法で貴賓席から飛び出すと、待ちに待った王子の登場に割れんばかりの歓声が轟いた。審判は南をトレイナーとホワイト、北をレイクスとグレンが見る。南エリアへ進み出て、ウィルフレッドは観客席を見上げた。
後ろで高く結った金色の髪は太陽の光を反射して輝き、爽やかな青色の瞳には長い睫毛の影がかかっている。
きめ細やかな色白の肌に、優しくも気品ある整った顔立ち。ウィルフレッドがその薄い唇に完成された微笑みを浮かべれば、見入っていた女子生徒達が黄色い声を上げて熱狂した。
「きゃああああ!殿下ぁー!」
「ウオオオオオ!殿下ーっ!」
「今目が合ったわ!わたくしに応えてくださった!」
「私に決まってるでしょう!?」
「俺だ!俺に微笑んでくださった!!」
何やら低い声も混ざっている気がするが、フィールドに立つ者にとってはどれも等しく遠い声である。
客に応えていた手を下ろし、ウィルフレッドは開始位置についた。
襟飾りのついたシャツに青いネクタイを締め、前を開けた白地の上着は飾り紐やボタンが金色だ。内側に着たベストとズボンは黒く、白いブーツは金の縁取りがされていた。
白いマントは裾に金糸の刺繍が施され、右側だけ肩の後ろへ流している。鞘から抜いた剣の鍔には王家にのみ許された星の意匠。
「互いに力を尽くそう、チェスター。」
「お手柔らかにお願いしますよ、ウィルフレッド様。」
へらりと笑いながらも油断のない目で、チェスターもまた剣を抜いて向かい合う。
予選では身に付けなかったマントは黒く、裏地は上着の差し色と同じワインレッドだ。
《皆さん位置につきましたね?――では構えて、挨拶!('v'*)》
「「よろしくお願いします!」」
挨拶を終えて息を吸った瞬間、チェスターは笑みを消した。
互いに地面を蹴って距離を詰め、与えられたエリアの中央で刃がぶつかり火花を散らす。踏み込み、避け、身を翻しては剣を突き出し、防ぎ、寸前で飛び退く。それが怒涛のスピードで繰り広げられ、連続で剣戟の音が響く。観客席から見守る令嬢達は目が追い付かず、何が起こっているのやらよくわからない。
――こ、れは……俺の集中がもたない!
チェスターは顔を歪め、ウィルフレッドとの近接戦闘は限界と察した。
剣筋が、込められた力が、体運びが、あまりにも正確過ぎる。試合を楽しもうという遊びはあるが、無駄は無い。
ウィルフレッドがチェスターに怪我をさせずに試合を終えられないだろうか、と考えている事が透けて見える。つまりは致命傷部位への寸止めだが、長引けば怪我ありきに切り替えるだろう。
――引き際はわかっとかないとね。
横薙ぎに剣を振ったウィルフレッドに押される勢いも利用し、チェスターは地面を蹴って後ろへ跳びながら呟いた。
「宣言。水よ、幾つもの窓を作ろう――」
「風よ俺に力を!」
チェスターが宣言を唱え始めてすぐ、ウィルフレッドは追撃を選んで早口に叫んだ。それがきらきらと輝く楽しげな笑顔に見えるのは、好奇心の強い彼らしい。宣言が短い分真っ直ぐにしか飛んでこないが、風を使わずに後退するだけのチェスターに追いつき、魔法発動を邪魔するだけならそれで充分なのだ。
刃が受け止められ、幾度も火花が散る。
「っかの、星を…囲う、壁となれ!」
ウィルフレッドの猛攻に押されるが、攻撃を狙わず逃げに徹すればぎりぎり時間は稼げた。
チェスターが唱え終わると見て、ウィルフレッドは周囲に目を走らせながら飛び退って剣の柄を握り直す。そんな彼を中心に三メートルほどを空け、薄い四角形の――まさにガラス窓のような――水が等間隔の隙間を空けて浮かび、半球を作り出した。
それらは瞬く間に凍りつき、先の見えない氷の壁と化す。
チェスターのスキル《温度変化》によるものだ。観客席が大きくざわめいた。
「はっ!」
ウィルフレッドは包囲から抜けるべく踏み込んで剣を振ったが、彼が近付いただけ氷の壁も遠ざかる。青い瞳が僅かに丸くなった。
――なるほど、場所ではなく俺自身が対象か。
氷の壁は半球を維持している。
ならば風の魔法で飛べば下は空くだろう。ウィルフレッドの発動速度ならチェスターは遅れて下から来るしかないが、その場合ウィルフレッドは氷の壁のほぼ全てを死角に入れなければならない。
あの壁で直接相手を叩く事は違反だが、別の事には使える。たとば防御、たとえば空中の移動補助。ウィルフレッドはこのまま地上で戦う事を選んだ。
――チェスターはどこだ?
氷の壁がウィルフレッドと共に移動した際、どさくさに紛れて壁の向こう側へ隠れたらしい。
壁は剣が届かない以上魔法を使うしかないが、もしその裏にチェスターがいて巻き込んでしまうとルール違反になる。
ウィルフレッドは眉根を寄せて周囲に視線を走らせつつ耳を澄ませた。
風と共に、衣服のはためく音がする。
反射的にそちらへ剣を振ったウィルフレッドは、直後に目を見開いた。刃の向かう先にあったのは風の魔法で飛んでくるマントだけ。
別の方向から足音。
ウィルフレッドはその足音から離れるように移動しながら振り返り、ギリギリで剣を受け止める。
――片手持ち?
チェスターは剣を左手だけで振っていた。
一拍遅れて襲い掛かる右手には短剣。どうやら隠し持っていたらしい。ウィルフレッドは蹴り上げようとしたが避けられる。
降参を求めるのが目的だろう、ウィルフレッドの首筋目掛けて短剣の刃が――
バァン!
「なっ!?」
自分の後方にあった氷の壁が砕け散り、チェスターが反射的に振り返る。
その隙を許すウィルフレッドではなかった。
チェスターを掴み足払いをかけて地面に引き倒しながら片腕を捻り上げ、反対の手を踏みつける。唖然とした表情で、チェスターはあっという間に拘束されてしまっていた。
「……うっそぉ…」
「美しい魔法だったよ、チェスター。」
爽やかに微笑むウィルフレッドの向こうで、魔法を解かれた氷の壁が水となって地面へ落ちる。拘束を解かれて起き上がるチェスターの背中には短剣の鞘が固定されており、傍目からはマントで隠していた事がわかった。
拘束を解かれたチェスターが苦い顔で勝者を見上げる。
「今のウィルフレッド様が割ったって事ですよね。……魔法で?」
「ふふ、どうかな?」
ウィルフレッドは悪戯っぽく笑い、堂々と立って手を差し伸べた。チェスターがその手を支えに立ち上がれば、大きな歓声が上がる。
《南エリア勝者、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン!》




