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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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432/529

430.拳を掲げてえいえいおー

 



 剣闘大会当日。


 コロシアムが開場すると、良い席を取りたい観客や出番を待ちきれない出場者達が早速集まっていた。

 入口より手前に受付が複数設けられており、学年と名前を記帳する事で引換えに投票用紙を貰う。学年ごとに色の異なるその紙に、自分と同じ学年の女子生徒から一人を選んで名前を書くのだ。


「本当に投票があるのですか。俗な催しですこと」

「私達一年生はシャロン様しかありえませんわね。むしろ全学年で一位。はぁ、お近付きになりたい……。」


「君は今年もラファティ侯爵令嬢に入れるわけ?」

「当たり前だろう!くそっ、フェリシア嬢…大会にも出ない軟弱者と婚約なんて……シミオン様なら納得できたのに!」


「うちの学年はま~たセイディちゃんとウィレミナ嬢の一騎打ちだよなぁ。」

「えぇ。一年、二年で一勝ずつ。三年の今年はどっちかしら。」


「皆、わかっていますね?我らがコリンナ様に清き…いえ、猛き一票を!」

「「「コリンナ様に栄光を!!」」」

「一致団結してるとこ悪いが、そこ。列は乱すなよ。」

 燃え上がる四年生女子を手振りで誘導し、イングリスが苦笑した。

 《剣術》初級および《弓術》担当の教師だが、正体は王子の入学に伴って配属された騎士だ。


 二十六歳の彼は前髪を上げた銀髪を短く刈り上げ、百八十センチを越える身体はよく鍛えられていた。細いつり目は気さくに弧を描き、明るく溌溂とした声に生徒達も素直に従っている。

 ネクタイはせず襟元のボタンも一つ外したラフな格好で、紺色のシャツは今日も肘まで捲っていた。


「書いたら向こうで提出しないと、受付だけしても通してやれねぇからな。」

「先生は学生時代、どなたに入れたのですか?」

「さぁな、ほら早く行け。」

「は~い」

 半分に畳んだ投票用紙は、字が書かれているか否かだけを係が透かしで確認し、箱に入れる。この後の集計作業はドレーク公爵家に仕える――つまりは学園都市リラの、文官の仕事だった。不正は許されない。

 複数人の名を書いたり、他学年や男子、教師の名を書いても無効票扱いとなる。

 そんな事は関係なしに書く者もいるのだが。


「見て、シミオン様よ…今年もまったく迷わず書かれたわ。」

「フェリシア様のご婚約は気にされていないのかしら。あんなにお似合いでしたのに」

「仮に道を違えようと、ご自身の心を曲げるような方ではないでしょう?」

「一途に想っていらっしゃるとか…?そのうち、攫っていかれたりして!」

 興奮気味に、かろうじて小声ながらもきゃあきゃあとはしゃぐ令嬢達の視線の先。

 短く整えた黒髪に同じ色の瞳をした伯爵家長男、シミオン・ホーキンズは眉一つ動かさずに投票を終える。元より男前な顔立ちの彼だが、今日は伯爵家独自の騎士服を着こなしており、普段以上に人目を引いていた。


 二年生の彼が書いた名は一年生の《ノーラ・コールリッジ》一択。

 学年が違うため、もちろん無効票である。



 別の受付ではまた一人、順番待ちをしていた生徒が長机の前へやってきた。

 係が名前と学年を聞いて名簿から探し、チェックをつける。


「一年生のカレン・フルードさんね…はい、これが投票用紙よ。」

「ありがとうございます。」

 低い位置で二つに結った白い三つ編みを揺らし、カレンはいそいそと仕切りのある記入スペースへ進んだ。赤い瞳を投票用紙に向け、大事な友達の名を書き記す。


 ――《シャロン・アーチャー》…っと。


 投票がある事には驚いたが、好きな女子生徒を一人だけ選べば良いとなれば、浮かぶ名前は一つだった。

 紙を二つ折りにすると、一緒に来た二人の友人もちょうど記入スペースを離れるようだ。


 ぴょんぴょんとゆるく跳ねた血紅色の長髪に灰色の瞳、黒のチョーカーとヘアピンをつけたレベッカ・ギャレット。

 今日の出場者でもあるデイジー・ターラントは、濃いブラウンの髪を編み込んでポニーテールにし、運動着姿で腰には剣を提げている。黄色の瞳はやや緊張気味に揺れていた。

 三人は顔を見合わせて頷く。同じ名を書いたのだ。


「殿下達だ!」

 誰かの興奮した囁きをその場にいたほぼ全員の耳が拾い、そちらへ目を向ける。

 列の最後尾に着く前からどんどんと順番を譲られ、一行は道を作られるようにして受付へやってきた。


 第一王子ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン。

 第二王子アベル・クラーク・レヴァイン。

 特務大臣の長女シャロン・アーチャー公爵令嬢。

 法務大臣の長男サディアス・ニクソン公爵令息。

 軍務大臣の長男チェスター・オークス公爵令息。


 学園に通う全生徒の中で間違いなくトップの五人だ。

 彼らの後ろを守るように追従しているのは、シャロンの従者としてとうに知られたダン・ラドフォード。

 家ごとに意匠の異なる騎士服に身を包み堂々と歩む様は、まさに壮観だった。彼らは集まる視線を気にした風もなく受付を済ませ、投票用紙を受け取る。


 ウィルフレッドは美麗な微笑みを浮かべたまま、アベルは日付でも書くように淡々と、シャロンは最初から決めていたように、チェスターは見守る令嬢達にパチリとウインクしてから、サディアスはくだらないとばかり眉間に少し皺を寄せ、全員が躊躇いなく書き終えた。


 一行がコロシアムに入っていくのを見送ると、生徒達はようやっと息を吐いて、夢から覚めたばかりのように顔を見合わせる。

 普段見る事のない騎士服姿に盛り上がる会話が多かったが、幾人かは外見とは別の話をしていた。


「…第二王子殿下、本当に出るんだな。」

「そりゃ出るだろ!《剣術》も《格闘術》も一年のトップだぞ。」

「ですが、ほら…魔法が使えないでしょう?無様を見せないよう不参加を貫かれるのかと…」

「馬鹿言うなよ、あの方は魔法無しで強いからすごいんだろ。」

「攻撃魔法が禁止とはいえ、流石の殿下も優勝は無理なのでは?」


「チッ……ガタガタ言ってねぇで黙って見ろってんだ。」

 レベッカがぼそりと吐き捨てた。

 明らかに苛立った様子の彼女の背を軽く叩き、デイジーが「放っておけばいいのよ」と促す。カレンも「早く行こ」とレベッカの手を引いた。




「さぁ、皆様っ!練習の成果を見せる時ですわ!」

「「「はい、殿下!」」」


 コロシアムの観客席、教師陣が座るエリアの横には楽隊のスペースが設けられている。

 今まさに楽隊の正面に立って向かい合い、少々ふくよかな女子生徒がキリッとした薄青色の瞳で全員を見回した。


「出場される方々の健闘を祈り!華やかな音を添え!忘れられない一日に致しましょうっ!」

 ゆるりと巻かれたプラチナブロンドのポニーテール、結び目に添えた大きな白いリボン。

 もっちりとした指を拳の形にし、王女ロズリーヌ・ゾエ・バルニエは声に合わせて天高くへと突き出した。


「えい、えい、おー!」

「「「おう!」」」

 彼女に揃えて声を張り上げ、楽隊の面々もまた右の拳を天高く掲げる。腕章のようにお揃いでつけている緑のスカーフがひらりと揺れた。


 剣闘大会を盛り上げるために手配される楽隊。

 希望すれば《音楽》の成績優秀者もそこへ参加できるのは例年通りだが、今年はなにせヘデラ王国(音楽の本場)の王女がいる。たった一人の娘を国王が兄弟王子達と共に溺愛しているのは有名で、ロズリーヌが参加するならばと最高級の楽器一式が貸し出された。


 プロ含めて平民混じりの楽隊であるため、届いた物を見た瞬間ほぼ全員が絶句したものである。

 唯一「あらあら、ありがとうございます」と朗らかに笑っていたのは、《治癒術》《音楽》担当の老婦人ローリーだ。彼女もスカーフをつけ、いつも通り皆が見える位置で微笑んでいる。

 楽隊の面々は練習を通じて何とか――特に、手配されたプロの楽団員は《王女ロズリーヌ》自体が初めてであったため苦労したが――どうにか慣れて、今日を迎えていた。


「殿下、本当に向こうじゃなくて良かったんですか?」


 楽器の最終点検をする一同を横目に、今回の楽隊の一員でもある従者ラウルがぼそりと呟く。

 彼の緩く波打つ深緑の髪は肩につかない長さで整えられ、周囲の女子生徒がその甘やかな顔立ちをちらちらと盗み見ていた。ラウルの桃色の瞳はコロシアムの真反対、双子の王子達がいる貴賓席へと向いている。


「せっかくお誘いくださったのに、楽団席のままで。」

「これで良いんですのよ。演奏の度に移動というのも大変ですし、何より…」

 ため息をついて目を閉じたロズリーヌの口角がむにゃりと上がる。

 ニヤつきそうなのを必死に堪えているようだが、鼻から漏れた吐息が「むふっ」ではどうしようもない。


「皆様、ご自分の試合以外は基本的に観戦なさるの。わたくしがあそこにいたら……ぐふっ、サディた…えふんけふん、殿下達のね?ほら、試合後の汗の香…ごほっごほ、艶めかしいフェロモ…うう゛ん!気だるげな視線、乱れた吐息、暑いと上着を脱げば、張り付いたシャツ…汗を拭くのに一度眼鏡を外されたり…うふっ、へへへ……」


 どうしようもなく緩む口元がとうとうニンマリと弧を描き、開いた目はどこか遠い空想の彼方を見ているようである。

 決勝でバージルと戦うアベルは軽傷くらいは負うかもしれない。

 そんな「もしも」から想像すると、席に戻った彼をシャロンが心配し、治そうとして「この程度」と拒否され、それでも有無を言わさずてきぱきと処置してしまう。ちょっと不服そうなアベルに、これでよしとばかり微笑むシャロン。


「……が、見れるというの!?」

「殿下、声だけは潜めてください。今は周りがいるので」

 ぶつぶつ呟いて急に叫ぶロズリーヌだが、楽団の面子は授業や練習期間によっておおよそ慣れている。

 びくりと肩を揺らした数名も、二人をチラと見て「何だ、いつものか」という顔で作業に戻った。ロズリーヌは青くなったり赤くなったりしながらラウルの袖をぐいんぐいんと引いている。


「どどどどうしましょうラウル、わたくしの推しカプが今日いちゃ…いえ婚約…結婚するかもしれませんわ!オペラグラスと花束と式場の用意はございますわね!?」

「オペラグラスは予備もありますが、他は必要無いですね。」

「そんな…!い、今からでも準備を」

「ところで、あちらの売り子はハート型の菓子を売ってましたよ。お二人のために味見した方がいいのでは?」

「買いましょう。今すぐに」

 ロズリーヌはキリリと表情を引き締めた。

 何味があるのか、それぞれどのようなおいしさか、ひとまずの結婚祝いに相応しい品か、普段はどこで買えるのか、よく確かめなくてはならない。

 そう、決して己が食欲のためではなく。


「まぁ!コレはなかなか美味しいですわね!ローリー先生、それから貴方達も、ほら!小さいからサクッと食べられますわよ。」

「あらあら、ありがとうございます。頂きますね。」

「私達にもいただけるのですか?申し訳ない…」

「何言ってるんですの、演奏前の栄養と思って!さ、頑張りますわよ~!」




なんと今回で200万字を越えました。

読んでくださる方、ブクマやご評価ご感想、いいねもありがとうございます。

書き続ける上で本当に励みになっております。


長い話ではありますが、今後もそっと見守って頂ければ幸いです。


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