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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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421.王女の在り方 ◆




 怒りと焦り、それに僅かな戸惑いが混じってロズリーヌの顔は歪んでいた。

 ドスドスと足音を鳴らして歩く彼女の後ろから、気まずそうに顔を見合わせる三人の令嬢がついていく。

 明らかに何かあったらしい四人が通るのを、外通路にいた数人の生徒がちらりと見やった。彼女達が通り過ぎたばかりの扉が開き、南校舎から一人の女子生徒が現れる。

 その瞳は四人の背を追った。


『お待ちください。第一王女殿下』


 凛とした声は叫んでもないのによく通る。

 びくりとしてつい立ち止まったロズリーヌは、自身が怯えた事を隠すように太眉を吊り上げて振り返った。後ろについていた三人が慌てて端へ避ける。

 こつ、こつとほんの小さな靴音でこちらへ歩いてくるのは、シャロン・アーチャー。


 ロズリーヌがこの学園で一番嫌いな女だ。


 たかが公爵家の娘のくせに、ウィルフレッド王子としょっちゅう一緒にいる。ロズリーヌに口答えしてきた生意気な薬学教師は彼女の師だという。

 王子も令息達も、ロズリーヌとシャロンの意見が違うと迷わずシャロンの肩を持つ。《魔法学》初級の女教師に注意していたら、シャロンが歯向かってきた事もある。平民に身分差を教えただけで難癖をつけてきた事もある。


 嫌いだった。

 男受けを狙った媚びた笑顔も、少しだけ眉に力を入れてこちらを見る不愉快な目も、王子を騙す口の上手さも、ロズリーヌへの当てつけめいた細かな仕草も、金か身体で取っただろう成績の良さも、何もかも。

 プラチナブロンドの縦ロールを揺らしてシャロンを指差し、ロズリーヌは唾をまき散らしながら叫んだ。


『何なんですのッ!?貴女ごときがわたくしを呼び止めるなんて!』

『私が何について話したいかご存知のはずです。ここではなくサロンで――』

『黙りなさい!よく侍らせている平民の男がいないようですわね、ふん!人目が無いところでわたくしに乱暴を働くつもり?不埒者仲間でも呼んでいるのかしら!わかってますわよぜーんぶ!』

『…レオはカレンを医務室へ運んでいます。私が指示する声は、殿下もお聞きになったのではありませんか。』

 そう言われてふと、「貴方はカレンを医務室へ!」「わかった!」という声が思い出される。

 しかし生憎、素直に「そうでしたわね」などと言える性格ではなかった。


『知りませんわよそんな事ッ!あの不気味な娘は勝手に階段から落ちたんでしょう!』

『そ、そうですわ!勝手に足を滑らせてました!』

『わたくしも見ました!言いがかりです、シャロン様!』

『ロズリーヌ殿下には関係ありませんわっ!』

 シャロンが黙っていた事を四人はペラペラと喋り、外通路に残っていた生徒達はそれとなく立ち止まって耳を澄ます。

 この時校舎の扉から小柄な男子生徒が一歩出てきたが、薄紫の髪をおさげにした彼は女子生徒の争い、それもあの王女がいると見て「うへぇ」と校舎へ引っ込んだ。


『わたくしが突き飛ばしたとでも言う気!?貴女、見た目も貧相なら心も貧しいんですのね!おーっほっほっほ!』

『そうですわ!見た目……ひ、ひどい事をおっしゃらないで!』

『殿下を疑うならわたくしが証人になります!』

『いくら公爵閣下の娘で殿下達に気に入られてるからって、あんまりですわ!』

 見た目が貧相と聞いて野次馬の生徒までもがロズリーヌとシャロンを見比べた。

 ロズリーヌが基準なら確かに、シャロンの肩幅やウエスト、手足の細さは貧相と言えるかもしれない。


『…サロンには来てくださいませんか。』

『何をされるかわかったものじゃありませんもの!馬鹿馬鹿しい!』

『承知致しました。』

 目礼したシャロンはちらりと野次馬達を振り返り、肩を揺らした彼らの中にプラウズ伯爵家の次男がいると見て、瞬きと指の動き、小さな礼で人払いを頼んだ。

 顔を真っ赤にした彼が「任せてくれたまえ」とばかり自分の胸を叩き、野次馬を追いやっていく。


 シャロンは視線を前へ戻しつつ扇子を取り出し、パンと開いて口元を隠しながら三人の令嬢を見据えた。「ひっ」と短い悲鳴が上がる。

 麗しく微笑む時とはまったく違う、上に立つ者が下へ命令する時の目だった。


『言わねばわかりませんか、ペイス伯爵令嬢、パートランド子爵令嬢、ウェルボーン子爵令嬢。私は殿下と話があるのです。弁えて立ち去りなさい』

『『『わ、わかりましたっ!』』』

『ちょっと貴女達ッ!?何なんですの!?』

 シャロン・アーチャー公爵令嬢がここまで怒りを露わにした事などない。

 三人はロズリーヌが走っても到底追い付けない速度で逃げ出した。


 あわあわと辺りを見回したロズリーヌの耳にこつり、シャロンの靴音が聞こえる。

 つい後ずさりしながらも睨みつけると、叫ばれても唾が届かない距離で彼女は立ち止まった。


『殿下。貴女は階段を上がりながら、邪魔だと言ってカレンにぶつかりました。彼女はよろけて手すりに掴まりましたね。』

『邪魔なものを邪魔と言っただけですわ!』

『余所見をした貴女は、直後に足を踏み外しました。…カレンが咄嗟に押し返さなければ、殿下ご自身が落ちていたのですよ。』

『だったら何ですの!?あの娘、わたくしを支えるのではなく押すだなんて!痛みがありましたし不快でしたのよ、不敬ですわ、本当に無礼!身の程を――』

『貴女は』

 シャロンが一歩前へ踏み出し、喚き散らしていたロズリーヌは思わず口を噤んだ。

 扇子をパチリと閉じて、大嫌いな薄紫の瞳がこちらを睨んでくる。


『他に仰る事は、思う事は、ないのですか。カレンは身を呈して殿下を守りました。貴女は怪我の状態を見る事もせず立ち去られた。』

『……?だったら何なんですの!貴女頭がおかしいのではなくて?誰もが願いを聞き身を捧げて当然でしょう、わたくしはロズリーヌ・ゾエ・バルニエ。王女ですのよ!!』

『――貴国では、それが当たり前だと仰るのですね。』

 シャロンはほんの一秒、目を閉じてから静かに聞いた。

 学生同士の口論ではなく。


 ツイーディア王国筆頭公爵家の令嬢として、ヘデラ王国第一王女の在り方を聞いたのだ。


 ヘデラは食料が豊かな反面、軍事力の弱い国。

 隣接しているにも関わらず帝国が襲ってこないのは、ヘデラが魔法大国ツイーディアの同盟国だからだ。見捨てられたらたちまち蹂躙され属国となり果てるだろう。

 アーチャー公爵はツイーディアの特務大臣、有事の際は国王に次ぐ決定権を持つ重鎮だ。


 その娘から王女としての在り方を問われる重さも、彼女の眼差しや声色、表情までもが変化している事も、ロズリーヌは気付かない。

 常識を問われて答えるようにあっさりと頷いた。


『ええ!それに知っていますわ、わたくし。階段から落ちるくらいなんて事ないって!あの娘、さっさと立ち上がればいいのにわざとらしくて。不快だったからすぐ離れたのですわ!』

『…殿下。貴女は』

『まだ何か言う気ですの!?いい加減にしないとただじゃおきませんわよ!!』

『私をぶたれますか。では、()()()()()()()()()なさるとよろしいでしょう。逃げも隠れも致しません』

『生意気な!避けたらどうなるかわかってますわね!?このッ――』

 他に人のいない外通路で、ロズリーヌが手を振りかぶる。

 シャロンは腹の前で両手を揃え、怯えた様子もなくただ目を閉じた。衝撃に備えて軽く歯を食いしばる。


 強い風が吹いて、顔の横でパシッと音がした。

 微かに漂った覚えのある香りに、シャロンはそっと目を開く。


『――失礼。ここで何を?』


 ロズリーヌの腕を掴んで冷たく言い放ったのはアベルだった。

 どこから飛び込んできたのかと、シャロンとロズリーヌが揃って目を見開く。


『んまぁ!わたくしに会うためにそんなにも急いで…おまけに勝手に触れるだなんて、今日のアベル殿下は積極的ですのねぇ!ほほほほ!』

 機嫌良さそうに笑ったロズリーヌは強引にアベルと腕を組んだ。

 アベルは片眉を僅かに上げたが拒否はせず、シャロンから離れるように一歩退いて唇を微笑みの形にする。


『彼女が何か。』

『ああそうですわ、聞いてくださる?カレンとかいう不気味な子がいるでしょう。あれが階段から落ちたのを、まるでわたくしが悪いように言うのですわ!ぐちぐちとしつこくって嫌な女!わたくしが美しいから嫉妬しているのでしょ?蹴落とそうとでも思ったのでしょうけど、失敗ですわねっ!』

『――…お心は、充分に拝聴致しました。』

 そう言った彼女は自国の王子であるアベルと目を合わせ、次いで他国の王女であるロズリーヌを見やる。普段とは逆の順だが、それに気付いたのはアベルだけだった。


『お望みの通り、話はここまでに。御前失礼致します。』


 シャロンは静かに片足を下げ、完璧な姿勢で淑女の礼をする。

 それが自分に真似できないものであることすらロズリーヌにはわからなかった。頭を下げたシャロンを見てフンと鼻を鳴らす。


『王子様が来た途端に逃げるんですのね。自分が悪いとわかってるなら初めから――』

『殿下。寮に戻るところかな?よければ僕がお送りしよう。』

『まぁまぁまぁ!本当に積極的。悪くないですわね。えぇ、こんな女見るのも嫌ですもの。早く行きますわよ!』

『…ご随意に。』

 アベルの声に軽蔑が滲んでいるとも知らず、ロズリーヌは彼の腕にぐいぐいと密着して外通路を歩いて行った。

 姿勢を直したシャロンは二人の背を見つめて小さくため息を吐く。後方で扉の開く音がした。


『シャロン、大丈夫か!?』

『ウィル…』


 振り返った先に幼馴染の姿が見え、シャロンはようやく肩の力を抜く。

 弱々しく下がった細い眉にウィルフレッドが慌て、慰めるようにそっと彼女の背に触れた。目の前の少女が何より大事で、遠い後ろ姿は目に入らない。


『アルジャーノンが教えてくれたんだ。レオを連れてないと聞いて肝が冷えた。』

『事情は後で話すわ。カレンの所へ行かないと…』

『わかった。すぐ来れなくてすまない、君に怪我はないよな?』

『大丈夫……アベルが、助けてくれたから。』

『……そうか。』


 校舎へ入る扉が閉まらないよう、サディアスが黙って押さえている。

 水色の瞳はちらりと寮の方を見やった。


 ロズリーヌと歩くアベルは角を曲がる直前、ほんの一瞬だけ振り返る。

 ウィルフレッドと寄りそうシャロンを確認して、何も問題ないと視線を戻した。





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