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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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410.悩みや不安と無縁の境地




「少し、貴女らしくなかったわね。デイジー様」


 しょげてしまった彼女に声をかけると、少しの沈黙の後、観念したように「はい」と返事があった。


「実は元々、彼らにあまり良い印象が無いのです。」

「彼ら?」

「殿下達と共に《剣術》上級クラスに入った三人です。」

 姿勢を正し、デイジー様はテーブルの上で両手を組んだ。

 視線はこちらに向いているものの、眉はすっかり下がっている。


「騎士の息子のくせして手抜きをし、真面目にやらないバージル・ピュー。伯爵令嬢としても、騎士の娘としてもふざけた態度のダリア・スペンサー。そして……会話もままならない孤児の戦闘狂、デューク・アルドリッジ。」


 ……大まかには間違っていない、けれど。

 デュークはアベルに試合を挑む頻度が規格外なだけで、戦闘狂では無いわね。少し話しづらいせいでだいぶ誤解を受けているものの、本人はまったく気にしてない。

 困り顔の私を見て、デイジー様は「わかっています」とため息を吐いた。


「バージルは最近真面目だと聞きますし、彼も…アレを聞いて初手で無理だと諦めなければ、聞き取りようはありました。第二王子殿下に挑み続ける以外は、別に狂っていませんし。」

 そこは狂っている判定なのね…。

 確かに、ほぼ毎日となると他にはいないでしょう。レオのように遠慮して数を控えている人もいる。


「ですが噂が全てでなくとも、そう噂されるだけの行動を彼らはとってきた。彼は努力すればさほど違和感の無い話し方ができるのに、普段そうしないではありませんか。理解されようという努力が無い!」

 理解されたいとは、あまり思っていないのでしょうね。

 ウィル達は恐らく彼を将来的に騎士へと考えている。もしデュークにその気があって、かつこのまま自分で気付かないようであれば……誰かが言う必要も出るけれど。


「デイジー様は、今すぐ変わってほしいのね?」

「だって…悔しいんです。あんな人達の方が腕が立つなんて……自分が強くなれば良いとはわかっていますが、上にいるのはもっと正しい人であってほしい。」

「クラス分けはあくまで実力ごとに内容を変えるため。上位クラスが下位を従えるわけではないわ」

「……はい。」

 爵位や職の階級とは違う。

 中級の私達は彼らに命じられる立場ではないし、彼らもまた、人の上に立つ者たれと義務を課せられたわけではない。


 わかっているけれど……という所かしら。

 自分より優秀な人には清廉潔白であってほしい、尊敬できる人となりでいてほしい。その気持ちを否定するつもりはないけれど。

 気まずそうに目を伏せたデイジー様は渋面をしている。


「どうしてもその、納得がいかず……先程は、それがあって彼に当たりがきつくなりました。」

「他の方への苛立ちも混ざっていたかしら」

「……はい。」

 主にダリアさんと思いつつ聞けば、デイジー様はがっくり項垂れた。

 彼が去る間際に呼び止めたそうにしていたし、申し訳なくは思っているのね。相手が平民ならこの程度良いでしょうと開き直る人も多い中、彼女は自己嫌悪を抱いているようだ。


「次は、後悔のないようにできると良いわね。」

「…そう、ですね。人に理想を押し付ける前に、私自身がまだまだ未熟だと痛感しました。シャロン様に初めて声をかけた日から、成長したつもりでしていなかった。……己を見つめ直します。」

 覚悟を決めるようにキリッと顔つきを変え、立ち上がったデイジー様は「お時間を取らせてしまい」と頭を下げた。

 気にしなくていいと伝え、背筋の伸びた彼女の後姿を見送る。それとなくやって来た職員が皆のカップを下げていった。


「ダン、時間は?」

「移動込みであと十五分だな」

「ありがとう。貴方、何も口にしてないでしょう。何か飲んで」

「おー、そうさしてもらうわ」

 注文口までは二十メートルほど離れているけれど、休日で利用者がかなり少ないから、私に近付く人がいれば目立つ。

 それでも自分のグラスを持って来た男子生徒もいたものの、この後用事があるとホワイト先生の名を出したらすぐに帰っていった。

 私のお師匠様は結構恐れられているらしい。




 ダンと少しだけゆっくりして研究室へ戻った。

 冷めきった薬の上澄みをすくい取り、薬瓶へ移し替える作業を手伝う。瓶にはあらかじめ目盛が刻まれているので、そこまできっちりと。


「これはあくまで、飲んだ者が所有する知識をもとに真実を話させる薬だ。思い込みや誤解があれば結果的に嘘も混ざる。それを忘れてはならない」


 いつかもしものために、しっかりとメモを取る。

 前世の記憶を持っている私が、ジェニーの記憶を「他人による魔法」ではと思い込んだように。デイジー様がデュークに悪印象を持っていたように。

 人が何かを語る時、そこには主観や先入観があるのだ。


「思考能力を一部麻痺させているため、自白した内容について完全には記憶できないとされている。見た目はごく僅かに赤い水だが味に特徴があり、濃度の関係で他に混ぜては効果が無い。味さえわかっていれば、口に含んだ段階でそれと判別できる」

「自分に影響のある量がわかっていれば、飲み込まない判断もできるという事ですね。」

「それが許される状況ならな。」

 依頼された分の薬瓶に蓋をして、先生は残った自白剤を別の薬瓶に注いだ。

 こうしてみると依頼より一人、二人分くらいは余っている。先生はそこから三十ミリリットルほどを空っぽのビーカーに注ぎ、自分の口に流し込んだ。私はびっくりして目を見開く。

 先生は眉間に皺を寄せてからごくりと飲みくだした。


「……おれに効果があるか、答えてみろ。」

「!…こ、うかは――ありません。先生は背丈が百九十センチ近くあるので、必要量は五十ミリリットルです。ただ半分を超える量ではあるので、頭が重く感じたり…思考が鈍るくらいは起きる可能性がありますが、それも軽い症状でさほど待たずに治るかと。」

「正解だ。強制はしないが、おまえも味を見てみるか?」

「良いのですか!」

「ああ、どうせ余りは処分する。ただしここでだ、持ち出しは流石に許可できない」

 わかっていますと答え、差し出された薬瓶を受け取る。

 充分過ぎる量があるわね…。先生が飲みかけのコーヒーに手を伸ばすのが視界の端で見えた。私はちょっとどきどきしながら薬瓶を傾ける。


 ガシャン!


「んぐっ!?」

 驚いた拍子に薬瓶を支える手が上がってしまい、一気に流れ込んだ薬で溺れないために反射的にゴクンと飲み込んだ。

 口の端からこぼれた薬にハンカチをあてると、勢いよく扉を開いたダンと目が合う。黒い瞳は私からホワイト先生に移り、その足元で砕け散ったマグカップを見た。


「…落としただけだ。問題ない」

「片付けましょうか」

「いや、おれがやる。戻っていい」

 確認するように私を見てくれたダンに頷きを返す。

 彼が廊下へ戻ると、先生は大きくため息をついてマグカップの欠片を拾い始める。私は薬瓶をテーブルに置き、部屋の隅から箒とちりとり、雑巾を取った。この辺りは弟子入りしてから私が配置を見直したものである。


「先生、掃くのは私がしましょう」

 コーヒーはそんなに中身がなかったのだろう、雑巾をポンと置いただけで充分だったらしい。床に屈んでいる先生の前に私も屈む。


「おまえは触らなくていい。それより、どうだ?」

 先生が私を見た。

 どうとは、何についてだろうか。カレンと同じ色の、綺麗な赤い瞳がこちらを見ている。

 なんだか心も頭もすっきりしていて、自然に唇が開いた。


「はい…とても美しいと思います。」

「美しい?何の話だ」

「その目を、美しく思うと申しました。ルーク・マリガン様。」

 先生がきょとりと瞬いた。

 今言っただけでは伝わらなかったのかもしれない。


「私の友人も、同じ色をしていますが…目の形や印象が異なるため…彼女はむしろ、愛らしいと感じます。…貴方の目は、綺麗です。」

「………、………シャロン・アーチャー。」

 私をまじまじと見て、同じだけ目をそらし、もう一度見てから先生が私を呼んだ。意識するまでもなく口が勝手に「はい」と言う。


「おれが聞いたのは、味の事だ。」


 ザラザラと、マグカップの欠片がゴミ箱に落とされた。

 私は記憶を振り返る。


「…僅かに舌がひりつく辛味、それと独特の、えぐみがあります。苦手な味です。」

「覚えておけ。」

「はい。」

 先生に合わせて私も立ち上がった。

 赤い瞳は私からテーブルの薬瓶に、さっきまで私が立っていた場所の床に、そうしてまた、私に戻ってくる。


「おまえ、どれくらい飲んだ。」

「零れた分があるので、定かではありませんが…五十ミリリットル未満。私に対する必要量の百六十パーセント前後です。」

「なぜそんなに」

「マグカップが砕けた音に、驚いたはずみです。本意ではありませんでした。」

「………。」

 先生が黙り込んでしまった。

 座るよう手振りで促され、ひとまず自分の椅子に納まる。


 手早く何か粉末の調合をなさった先生は、窓を少し開けてから水を張った桶を床に置き、桃色の粉をそこへ垂らして軽く混ぜた。

 桶が私の足元へ押しやられると、微かに清涼感のある香りがする。

 視線を戻せば、先生が私を見ていた。


「嘘を吐いてみろ。ツイーディア国王の名は。」

「ギルバート・イーノック・レヴァイン陛下です。」

「……。」

 先生は眉間に皺を寄せ、目を閉じて再び沈黙した。

 何かお悩みだろうか。私は今なんだか悩みや不安とは無縁のような境地にいるので、できるなら先生の悩み解決にお力添えしたい。私に明かせる範囲ならだけれど。

 時計の針が進むのを待って、先生が言う。


「いいか、質問に答えるな。初代学園長の名は。」

「アンジェリカ・ドレーク様です。」

「……はぁ。」

 先生はため息混じりにノートに記録を付け始めた。授業でチョークを使って書くよりすごい速記だわ。桃色の粉が桶の水に足された。


 それから幾つか簡単な質問を受けた。

 最初に「嘘をつけ」「答えるな」と言われたりするけれど、記憶の引き出しを開けてすぐに口から出てしまうものだから、どうしようもなかった。


「嘘をつけ。この国の第一王子の名は。」

「ウィルフレッド・バーナビー・レヴァイン殿下です。…愛称はウィルと呼ん」

「そこまで聞いていない。」


「無言を返せ。第二王子の名は。」

「ツイーディア王国ならアベル・クラーク・レヴァイン殿下…ヘデラ王国ならナルシス・レミ・バルニエ殿下…ロベリア王国はカルステン・ゲアト・ノルドハイム殿下…ソレイユ王国は」

「もういい。」


「答えるなよ。おまえは既婚か。」

「いいえ、私は未婚です。将来は嫁ぎますが…道中、きっと何かに襲われて死にます。」

「……おまえを探りたくて聞いてるわけじゃない。妙に悲観しているようだが……いや、いい。おれには関係無い。」

「仰る通りです。ただ先生はお優しいので、そう言う時ほどムグ」


「先程は質問が悪かった――嘘をつけ。六騎士とは何だ」

「ツイーディア王国の初代国王陛下および、初代五公爵閣下です。」

「………。」

「現代では六兄弟とも呼ばれますが、これは誤りです。」

「ん?」

 先生がこちらを見た。

 途端にじわりと、血の巡るような感覚がして。私は一度、二度と瞬いて研究室を見回す。なんだか妙な感覚だわ。起きていたのに、目が覚めたような?


「やっとか。」

「……えぇと…?」

 先生が深くため息を吐いてペンを置き、背もたれに身を預けた。

 足元にある桶は一体?私が握っているハンカチは誰のかしらと思ったら、先生がひょいと奪っていった。代わりに先生がそれまで書いていたらしきノートを見せられる。


「驚かせたおれが悪かったが、おまえは今自白剤の影響下にあった。簡単にだが問答の結果を残してある」

「……うっすらと、若干、ちょっとだけ覚えがあります。」

「味は覚えているか?」

「…はい。あの辛味とえぐみは覚えました」

「ならいい。」

 ご迷惑をおかけしましたと謝り、改めてノートに目を落とす。

 陛下のお名前から始まって…嫁ぐ道中で死ぬって……こ、これは危うくゲームシナリオでの私の死について言うところだったの?詳細に喋っていなくて良かったけれど、なんだかホワイト先生から微妙に同情されていない?


「それと、検査結果だが――成功だ。あのニワトリには《覚醒》の効果が付与されている。」




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