395.誰と行く?
日曜の午後。
私はウィル、アベルと共に街のレストランへやってきた。
予約した個室の廊下にはリビーさんが立ち、窓の外ではケンジットさんが見張りをして護衛にあたっている。狩猟の時に途中リタイアしたディアナ様をコテージへ送っていた方だ。
私達はケーキスタンドに並んだ料理やデザートを楽しみつつ、女神祭の打ち合わせを進めていたのだけれど…
「ロベリアの第三王子殿下が?」
目を丸くして聞き返した。
ウィルが「そうなんだ」と小さく頷く。帝国のジークハルト殿下を内密に招くというのに、ロベリア王国からもいらっしゃるだなんて。知られないよう警戒する相手が増えてしまったわ。
第三王子といえば、確かお名前はヴァルター殿下。私達より四つ上の十七歳で、多才な方だと聞くけれど…
どうしたものかと思って、私は少し眉を顰めた。
「去年ロズリーヌ殿下とひと騒動あったのは、その方よね?」
「ああ。殿下はだいぶ変わられたから、同じ事にはならないだろうが……ヴィクターによると彼は女性がいると吐…気分が悪くなるそうだ。」
吐き気を催すのね。
ウィルが口ごもったところを脳内補完していると、スコーンにジャムを塗りながらアベルが付け足す。
「彼の侍女は全員執事服で、髪は短髪指定。香水や化粧もある程度制限があるらしい。」
「それは相当重症ね……。」
日常生活に支障が出るくらいなのかしら、お可哀想に。
ロズリーヌ殿下は「わたくしを否定してくださった」と感謝していたけれど。
「そういう事であれば、私はご挨拶するにしても最低限の時間にした方が良いわね。」
「かもしれないな!うん、こればっかりは彼は悪くないし、もちろん君に非があるはずもない。仕方のない事だ」
「あちらはあくまで学園の視察に来るからね。邪魔しない程度にさっさと済ませたらいい。」
アベルの言葉にウィルがうんうんと頷いている。
心なしか、ちょっぴり強引に話がまとまっているような……気のせいかしら?おかしくはないもの。
「そうね」と答えた私の前で、二人が同時に口を開いた。
「アベルと一緒に挨拶しておいで。」
「ウィルと一緒に挨拶してきたら。」
…。
ぱちぱちと瞬き、私はひとまず紅茶に手を伸ばす。
ウィル達はゆっくりと顔を見合わせ、お互い「本気で言ってるのか?」という怪訝な顔で視線を交わしていた。喉へ流した紅茶はまだ温かく、私はふうと息を吐いて頬を緩める。次はこの小さなタルトを頂こうかしら。
「…ウィル。僕はジークを見張らないといけない。」
「俺はヴァルター殿下が学園へ到着した時に挨拶を済ませておこうと思う。その頃にこそお前がジークを見ていてほしいし、となればお前がヴァルター殿下に会うのは」
「到着時は子爵にでも迎えさせればいいでしょ。ウィルが彼女を紹介しないでどうするの。」
「お前が紹介する事に何の問題があるんだ?陛下の言葉は覚えてるだろう、俺達は気を付けないといけない。」
「だからこそでしょ。」
「だからこそだ。」
二人の間で何かが決定的に食い違っている気がする。「だからこそ」で話が通じない時点でズレているわね。
私はタルトを一口分フォークで運んだ。おいしくてつい微笑んでしまう。サディアス達と一緒に別行動しているダンに、お土産として買っておこうかしら。
「場合によっては、強引に話を切るならお前が向いていると思うけどね。俺ではまだ気迫がな。」
「はっ。スペンサーとの件で周りが一斉に黙った事、僕が知らないとでも?」
「俺は穏やかで優しい男だよ、アベル。相手がしつこいと多少折れてしまうかもな。」
「余程でない限り、僕には拒否する権利ないよね。決めるのは本人だ」
「どうかな。お前なら止めてくれると思うが」
「心配なら自分で行けばいいでしょ。」
アベルは片眉を上げてジャムを塗ったスコーンをかじり、次にクロテッドクリームを塗っている。
ウィルはクリームを塗ったスコーンをかじり、次にジャムを塗っている。
タルト最後の一口を飲み込んで、私は口を開いた。
「あの…そんなに厄介なら、ダンを連れて私一人でご挨拶を」
「そういう事じゃない。」
「そういう事じゃないんだ、シャロン。」
また同時に言われてしまった。
どういう事なの。
本人の目の前で押し付け合いをするのはどうかと思うのだけれど。
「わかった、それならシャロンに決めてもらおう。俺達では平行線なのだから」
「…いや、それは」
「シャロン。ヴァルター殿下と挨拶するなら誰と行く?」
言い淀んだアベルの言葉を遮って、ウィルの青い瞳が真剣な眼差しで私を見る。
二人が嫌なのであれば、そうね。
「やっぱりホワイト先生かしら。」
「「………。」」
なぜ沈黙を返されるのだろう。
さっきアベルも話に出していたし、妥当に思えるけれど。
「留学時代に殿下と交流があったでしょうし、私は先生に師事しているから変という事もないわ。それに女性が苦手な殿下でも、薬師を志していると紹介されたら少しは気が楽かもしれないもの。」
「…そ、そうだな……さすがシャロンだ……。」
さすがと言いつつ、ウィルの肩は明らかに落ち込んでいる。
本当に何かしらと思ってアベルを見やると、不機嫌そうに眉を顰めてスコーンを咀嚼していた。先生の話をして笑顔だった試しがない。もぐもぐしているのが少し可愛らしく思えて、気付かれたら怒られそうなので視線を外した。
「第三王子殿下がいらっしゃること、ロズリーヌ殿下には私から伝えましょうか?それか、貴方達も同席してもらう方が、より真剣な空気になるでしょうけれど。」
「俺も一緒に行こう。一応殿下の反応を見ておきたい。アベル、お前は?」
「都合が合えば。ウィル、見るなら従者の方もね。ロベリアに同行してたはずだ」
「ああ、確かにそうだ」
彼も彼でだいぶ雰囲気が変わったなとウィルがしみじみ呟く。
確かロズリーヌ殿下も、「ラウルも何匹か猫ちゃんをかぶって過ごしていましたわ。」と言っていたわね。
もう九月も終わり、来週から後期が始まる。
ダンは《剣術》中級クラスへの異動を認められたし、ウィルも「基礎の確認はできたから」と《魔法学》上級クラスへ行くのだそう。
節目を迎えて、これが間に合ったのは丁度よかったかもしれない。
「ウィル、アベルも。ご依頼の物を返すわ」
私は鞄から取り出した箱を二つ、テーブルへ並べた。
ウィルが用意してくれたカフリンクスだ。中央にアレキサンドライトを埋め込んだ八芒星で、反対側の宝石がウィルはブルーサファイア、アベルはイエローサファイアを用いて作られている。
さっそく箱を開けて中を確かめ、ウィルが顔を綻ばせた。
「できたのか…!ありがとう、シャロン。無理はしなかったか?」
「えぇ。大丈夫よ」
「…どちらに込めてある?」
カフリンクスをチラと見下ろしてアベルが聞く。
私のブローチと違って二つに分かれているものね。
「アレキサンドライトの方に。それが良いでしょう、ウィル?」
「ああ、もちろんだ!君とお揃いだから。」
「ふふ」
にこにこと嬉しそうなウィルを見ていると私も心が温まる。
さっそくつけ始めたので、私もブローチを取り出して制服の襟につけた。横から急かされたアベルが渋面でシャツの袖に手をかける。
今週は私やフェリシア様を含め、学園に通う高位貴族令嬢の多くがブローチを付けていた。
来週からは更に人数が増えるでしょう。街の宝飾店の子であるマシュー・グロシン様も、妙にブローチが売れてるらしいとジャッキーに話していたそうだ。
そう。ちょうどよくブローチが流行っている。
何もなしに私がこれを身に付けてしまうよりよほど良い。
試験終わりで一時的に増えた茶会を利用すれば、誘導はさして難しくなかった。フェリシア様という協力者がいれば猶のことね。
宝飾品を買えない子は刺繍で自作したり、それも苦手な子は《服飾》の授業で成績の良い平民の子に仕事として依頼しているようだ。
来週、よく目を配る人は私が新しい物に付け替えたと気付くでしょうし、さらにウィル達の袖口を注視すれば、いずれもアレキサンドライトだとわかるでしょう。
ただカフリンクスは反対側を見ただけでは気付けない。
私にしつこく聞いてくるような人には、相手が付けているブローチに話題を切り替えたりなど、やんわり拒絶することもできる。
厄介な外野を作らない事は無理なので、せめて少しでも穏やかであるよう準備をしなければね。
…ちなみに寮で相談した時、フェリシア様はものすごく呆れていた。
『信じられない。殿下達は何を考えているのよ……貴女に自分達以外の相手を選ばせない気?』
『強制するおつもりは無いと思うわ。信頼の証というか』
『仮にそうだとして。第二王子殿下はともかく、第一王子殿下にお相手ができてみなさい。貴女ひどい妬みを買うわよ。』
『えぇ、お相手によっては覚悟がいるわね。それまでに私も婚約できていれば、友情とご理解頂けるのではと…』
『その時何かあれば、今回のようにすぐわたくしに相談するのよ。もう……』
ため息をつきつつ、それでも協力してくれるのだから本当にありがたい。
回想を終え、私はしみじみと頷いた。
「これにシャロンの魔力が込められているんだな…。」
「スキルの効果は一度きり。攻撃魔法に対して、水の魔法が発動されるようになっているはずよ。」
本当は検査によって確認できているけれど、二人は知らないのであくまで仮定として言った。
ウィルがしっかりと頷き、私の襟元と、袖口につけ終えたアベルとを見回す。
「――…うん。俺の贈り物を身につけてくれてありがとう、二人とも。」
「こちらこそ素敵なブローチをありがとう、ウィル。」
「…貰った以上は、ちゃんと使うよ。ありがとう」
仕方ないなとでも言うように、少しだけ眉を下げたアベルが薄く微笑んだ。
「ふふ、俺は幸せ者だな」
くしゃりと笑って、ウィルが言う。
「何年先の未来でも、こうして三人で笑い合っていたい。俺はその未来を守りたいんだ」
私は……アベルの笑みが消えたことに、気付いてしまった。
もしかしたら、私も。すぐに口角を上げたけれど。ウィルは照れたようにはにかんでテーブルへ視線を落としていて、気付かなかったようだった。
「――もちろんよ。私達はずっと一緒だわ」
死なせはしない。殺されたりしない。
皆で一緒に生きていくために、私は…未来を打ち明けて、対策を……
「何年先より前に、サディアスの件を何とかしないとね。」
「そうだな。わかってるさ……シャロン、本当にありがとう。これで万一の備えができた」
不安を押し隠して頷いた。
アベルが話題をすり替えた事を、ウィルはさして気にしていない様子だ。
それから幾度か、会話の合間にアベルを見たけれど……彼が目を合わせてくれる事はなかった。




