381.一人、必ず
放課後、私はウィルとアベルと三人でサロンに来ていた。
ウィルにエスコートされてソファへ座ると、二人は向かいのソファへ並んで腰かける。サディアスやチェスター、ダンは廊下で待ってくれていた。扉は締め切らずにいるけれど、彼らはこちらの会話が聞こえないよう距離をとっている。
「シャロン。先日俺は、君に渡したい物があると言っていただろう?」
「えぇ。もしかしてそれが?」
ウィルがテーブルに置いた小箱を見て聞くと、彼は嬉しそうに顔をほころばせて頷いた。
差し出してくれたそれを受け取り、自分の手元で見下ろしてみる。……国内でも三本指に入る彫金師のサインが刻印されているわね……。
そうっと開いて、美しさに思わず感嘆のため息を漏らした。入っていたのはブローチだ。
透かし彫りで模様を施したシルバーの三日月に重ね、あまり丸みの無い八枚の花弁の中央にアレキサンドライトが埋め込まれている。装飾に小さなダイヤモンドが散りばめられた中に一つ、アメジストも混ぜてあった。
「気に入ってくれただろうか?」
「とても素敵だわ。ウィル…」
「良かった……!」
心から安堵した様子で笑う幼馴染から、ちらとその隣へ視線を向けてみる。アベルは私を見る事なく、ウィルと顔を見合わせて頷き合った。
二人は小さな箱をそれぞれ取り出す。中が見えるよう開いて置かれたそれにはカフリンクスが入っていた。
中央にアレキサンドライトを埋め込んだ八芒星。
カフリンクスは左右で同じ色形である事が多いけれど、これは反対側がウィルはブルーサファイア、アベルはイエローサファイアを用いて作られている。
「これは俺達の分。君はまだ星が――あ、いや……その、君のは花にしたんだ。」
「君の魔力を込めてほしいという件、これを使ってほしい。」
照れた様子で頬を染めるウィルの横でアベルが淡々と言う。
それは私が望んだ事でもあるので、二人が持ってくれるならもちろん、お守りにさせて頂くけれど。
彼らを交互に見てから、私は改めて自分のだというブローチに目を落とした。
モチーフが星ではない、当たり前だ。
星を身に付ける事が許されるのは王家と、王家に嫁いだり婿入りした人だけなのだから。いくらウィルが家族同然に私と仲良くしてくれていても、公爵家の娘として《星》の重さくらい理解している。
「そうね、精一杯やらせていただきます。二人の命に勝る事はないもの。」
「ありがとう、シャロン。心配だからどうか、君のブローチに魔法をかける事も忘れないでくれ。」
「えぇと…これはわざわざ作ってくださったのよね?」
小さく頷いてから聞くと、ウィルは片手を胸にあてて「勿論だ」と誇らしげに笑った。
輝石の国、コクリコ王国に伝手のあるオークス公爵家を頼り、大きなアレキサンドライトを一つ買って三分割して作らせたらしい。世界で唯一無二の物だ。
アベルが「僕も貰う側だ」と付け加えた。費用は全てウィルの個人資産から出ているということ…。
「ありがとう、ウィル。私、どうお礼をしたらいいのか……」
「お礼なんて!むしろ日頃の礼がこれだと思ってほしいし、何より君のスキルを頼るんだ。貰い過ぎるくらいだよ。」
サディアスには私のスキルを知らせない事にしている。だから不自然でないようチェスターとダンも含めて席を外してもらったのね。
アレキサンドライトは色が変わる宝石。
窓から太陽光が差し込む今は、青緑色をしていた。
「《魔法学》でも魔力を使うから、どうしても明日にとはいかず、少しお待たせしてしまうけれど…」
「勿論無理はしなくていいし、第一に君の分からで頼む。」
「ウィルの分からやるわね。」
「何でだ!?」
ぎょっとするウィルの横でアベルが「それでいい」とばかりに頷いている。
それにしても、花と星という違いがあるとはいえ……これを「たまたまデザインが一緒になったんです」とは通じない。チェスターとサディアスも持つならまだしも、私達三人だけとなると。
ちょっぴり眉を下げて片頬に手をあてると、ウィルがぎくりとして視線を彷徨わせた。どうやら自覚があるわね、これは。
「ねぇ、ウィル?」
「な、何だ?シャロン。」
「とても嬉しいけれど…少々、誤解を生まないかしら。」
「……ちょっ、とだけ、そんな事もあるかもしれないが……だ、駄目か…?」
私の幼馴染は眉を下げて小首を傾げ、青い瞳をうるうるさせている。
そんな縋るような目で見られるとつい微笑んで「もちろんいいわ」と言いたくなるけれど、むしろ、貴方たちはそれでいいの?
歴代の特務大臣を担ってきた我が家と、王家との絆は確固たるものである――…それだけとは、見てもらえないと思う。私達が同性ではないために。
「だから僕はいいって言ったんだ。」
アベルがぼそりと呟いた。
いえいえ、待って?その場合私とウィルだけになってしまうから、ますます駄目よね?私がウィルの相手だと公言するようなものだわ。
ウィルが「お前の分がないと意味がないだろう」と答えている。
貴重な宝石の小粒を三つ手に入れるのではなく、大粒を三つに分けて作ったもの……女神祭で彼が言っていた言葉が思い出された。
『君とアベルが傍にいてくれたら、俺はきっと何だって頑張れるよ。』
私達は三人一緒。
ウィルにとってこれは、その証なのだろう。
邪推する方が出てしまうとわかっていてなお、私とアベルと揃いの物を持ちたかったのね。
くすりと笑えば、不安そうなウィルは少し前のめりになった。
「シャロン。ずっと俺達と居てくれるだろう?」
「もちろんよ、ウィル。ずっと傍にいるわ。」
「……婚約でもしたら。」
呆れた様子のアベルがため息混じりに言う。
確かにそれぞれ婚約者がいれば誤解は減らせるかも。
ただ、それは少なくとも来年以降になるわね。今年度はとてもそんな事を考えている場合じゃないし、王子殿下の婚約相手は国王夫妻が見極めた上でになる。現時点で幾人も候補は出ているのでしょうけれど。
ウィルは苦渋に満ちた顔でこめかみに手をあてた。
「お前が…お前がそんなだからっ……!」
「何なの。」
アベルが怪訝そうに聞き返している。
私はそれぞれの蓋を閉じて大切に鞄へしまった。部屋に戻ったら厳重に保管しなければね。魔力を込めるのも慎重に、しっかり行わないと。
正しくできているかどうか、見てわかればいいのだけど…そうはいかないから。
ゲームの《学園編》では、五つのルート全てでウィルかアベルが死んでしまった。
どちらか一人、必ず殺されてしまう未来……。
自然、鞄へ添えた手に力が入った。
何も起きませんように、何か起きても守れますように、どうか。
きっと大丈夫だと信じて、私は二人に笑いかけた。
「では一度預かるわね。」
「手間をかけてしまうが、よろしく頼むよ。」
「えぇ、任せておいて。」
使い始めたら色々噂が立つでしょうけれど、それもわかった上でウィルが贈ってくれるというなら、私には全力で拒否する程の理由はない。
王子殿下からアーチャー公爵令嬢への信頼と捉えて頂けるよう、最低限の火消しはしましょう。
二月に起きるかもしれない事件に備えて、カフリンクスに魔力を込めれば致命傷は避けられる。
……事件を未然に防ぐ方は、どうなったのかしら。
『サディアスに対して悪意があり、ロベリアに通じる者。希少な違法薬を作らせる事ができる者……心当たりはある。だからお前は動くな。サディアスには飲食も本人宛に届く荷物も警戒させる。』
アベルがそう言っていたけれど、と伺うように見やると、察してくれたらしい彼が口を開いた。
「違法薬の方は騎士団本部が動いてる。心配しなくていいよ」
「そう…」
私は公爵家の直系で、《先読み》結果を知る者だけれど……捜査状況を共有できる相手ではない。
チェスターやサディアスと違って、ウィル達を補佐する役職に就いているわけではないただの学生なのだ。
二人の様子から「ひとまず難航しているわけではない」と見て、私はほっと胸を撫でおろした。
居住まいを正して「実は私からも話があって」と切り出す。
「よければ協力してほしいのだけれど…」
「当然だ、俺達にできる事なら。」
「ありがとう、ウィル。実はジークハルト殿下を女神祭に招待するの。」
「うん?」
「お父様からもある程度指示を貰えたから、貴方達にも相談をさせてほしくて……」
ウィルが丁寧に手のひらをこちらに向けた。制止の仕草だ。
「シャロン、俺は少し聞き違いをしたかもしれない。もう一度聞かせて貰えないか?」
「帝国の第一皇子、ジークハルト殿下を学園の女神祭へ招待するから、貴方達にも協力してほしいわ。」
「なるほど、聞き違いじゃなかった。……一度落ち着こうか。公爵にも相談したという事だけど、その…えぇと…」
「だめ?」
「駄目じゃないな!君が俺を頼って駄目な事なんてあるものか!」
嬉しそうに頬を紅潮させたウィルがニコニコする横で、軽く俯いたアベルが静かに指の節を眉間にあてている。
「個人的に不安はあるが前向きに検討しよう。ただ帝国だからね、流石に陛下の許可も取らなくてはいけないよ。」
「えぇ、頂いたわ。こちらその書状よ」
「もうあるのか!?さすがシャロンだ……是非とも協力させてもらうよ。」
「…ウィル。ちょっと甘いんじゃないの。」
さすがにといった様子で渋面のアベルが言う。
ウィルは書状に目を走らせながら「そうだな」と呟いて、考え込むように眉根を少し寄せる。読み終えて書状をアベルへと渡し、真剣な瞳で私を見た。
「一つ…これだけは確認しておきたいんだが。」
「はい。」
「君はその……ジークの所に行ったりしないよな……?」
「アクレイギアに?そうね、行く予定はないわ。」
今のところは。
何せ卒業後に隣国へ嫁いだら殺されてしまう私なのだ。
それが帝国だった可能性はほぼゼロだと思うけれど、念のためを考えれば、旅するにも結婚するにもツイーディアの国内がいい。
ウィルは心底ホッとした様子で笑い、アベルが「もうちょっと自信持ったら」と呆れたように言う。
「そう…そうだよな!ずっと一緒なんだ、当然か。ふふ」
「勿論いくらか条件付きになるから、殿下にも手紙で話はしたのだけれど……それでも面白そうだからできるだけ行くと、つい先日返事があったわ。」
「面白そう、か……まぁ帝国には無い催しだからな。彼は王都でも街を見ていたし、リラにも興味があるのかもしれない。とはいえ、公的には難しい…あくまで内密にだな。」
顎に軽く手をあてて呟いたウィルに頷き返した。
帝国の皇子が来るとなれば大騒ぎになる。
カレン達やキャサリン様のように、去年彼に会っている生徒は顔も知っているし。取るべき対策は多い。
陛下の書状をテーブルに置いて、ふむと息を吐いたアベルが腕組みをした。
「なるほどね。陛下達が最低限の条件を付けて、後は僕達で采配してみろと言うわけだ。」
「当日のジークの行動も含めて、少々試されているのだろうな……サディアス達にも話そうか。アベル、声をかけてきてくれ。」
「…わかった。」
ウィルと目を合わせ、一つ瞬いてからアベルが席を立つ。
彼が部屋を出ていくと、ウィルは「さて」と私の目を見た。
「それで、シャロン。君はなぜ帝国の皇子を呼びたいんだ?」
「《先読み》された未来を変えるため。少しでも、読まれた未来を曲げるために。」
「嫌な言い方をするけれど、この件については変えた先が良いか悪いかわからないよね。」
「きっと良いものであると信じているわ。あの方は必ず帝位につく――…ウィル。貴方は彼をよく知っておくべきだと思うの。」
次期国王として。
アーチャー公爵家の娘である私は、その言葉を胸に留める。
「帝位か……、まさか…」
目を逸らしたウィルの青い瞳に、睫毛が影を作っていた。
どうしてか一瞬苦しげに見えて……けれど瞬いた後の彼は、いつもみたいに笑う。
「大丈夫だ、シャロン。ジークが皇帝になるし、俺達の代に戦争はしない。」
今、ウィルは何を考えたのだろう。
なんだか心配になって口を開きかけて、けれどアベル達が戻ってくる話し声が聞こえて、ウィルが立ち上がる。私も同じように迎えなくてはと腰を上げた。
扉の方を向いたウィルの背中を見つめる。
「君もアベルも…他国に渡すものか。」
呟かれた声は本当に微かで、何を言ったか聞く前に扉が開いた。




