37.私は気付いてしまった
サディアスと私が…仲が良いのですね、と?
「……?そうね、私はお友達だと思っているけれど。」
隣で眉間の皺を深くしている彼が、同じように思ってくれているかはわからないわね。
どうなのかしらと思って見つめると、サディアスはちらりとこちらを見て、すぐに目をそらす。
私がジェニーに視線を戻すと、彼女は何か考え込むように小さく頷いていた。
「お友達ですか…そうなのですね……」
「……?」
「でもつい今しがた、とても愛らしく微笑みを向けておられましたよね?」
「んなッ…!」
私が口を開くより先にサディアスが変な声をあげる。
確かにさっき彼を見て微笑んだけれど、あいらしく?
「あれっ、いつの間にそういう感じになったの?やだなー、言ってよ~。」
によによと楽しそうに笑うチェスターを、サディアスがものすごい怒りの表情で睨みつけた。
また頭に血がのぼってしまってるみたいで、その頬は赤い。
「大事な人を見る目で微笑まれてましたよね?ねっ?」
ジェニーが胸の前できゅっと拳をつくって訴えかけてくる。可愛らしい仕草に思わず口元が緩んでしまいながら、私は頷いた。
「そうね、サディアスは大事な人だもの。」
「まあ!」
「あらら。」
オークス兄妹がまったく同時に口元に手をかざすので、仲の良い兄妹だわとのほほんとしていたら、
「シャロン様。」
地の底から響くような声で呼ばれて、びくりと肩が揺れた。
そちらを見れば、サディアスが引きつった笑みを浮かべて私を睨みつけている。眼鏡を押さえるその指は何かを耐えるように震えていた。
「貴女は、誤解を招きやすいと、言いませんでしたか、私は。」
「ど、どうしたのサディアス…というか貴方、私に敬称をつけなくていいのよ?」
「話をそらさないでください。」
そらしたつもりはないのだけれど…。
もごもごと反論したものの、全然聞いてくれそうにない。なんだがすごく怒っているわね?
「訂正を。大事な人というのは、友人だからですね?」
「えぇ、大事なお友達だわ!」
サディアスが自分から言ってくれた事が嬉しくて、ぱっと笑顔になって答える。
「貴女にとってウィルフレッド様もアベル様もチェスターも、そして私も等しく大事な友人なのでしょうね。」
「??もちろんだわ。」
何の確認作業をされているのかしら、とは思ったけれど、私は頷いた。
ジェニーは途端に目をぱちくりさせたけれど、チェスターはにやにや笑い続けている。
「そういう事です。…何が可笑しいのですか、チェスター。」
「いぃ~え?なんにも☆」
「そうでしたか……そう、そうなのですね。」
どうしてかジェニーは小さくため息をついた。
ちょっと元気がなくなってしまったように見えるし、さっきの質問の意図もわからない。私がサディアスに微笑んだ事がどうのと、あれは一体……
そこまで考えて、私はハッと口元を押さえた。
――ジェニー、さてはサディアスを好きになってしまったのね…!?
ぴしゃん!と雷が落ちたかのような衝撃だった。
さらさらの紺色の短髪に、涼しげな目元。まるで宝石みたいな水色の瞳。知的な雰囲気は彼の絶対的な知識量が醸し出しているもの。
生来の魔法のセンスに加えて勤勉な努力家、そしてジェニーにとっては久し振りに出会う年頃の近い男性。好みを熟知した贈り物。
私は思わずため息を吐いた。
き……気付いてしまったわね、シャロン・アーチャー……私は彼と二人でここへやって来たのだから、恋敵として警戒されて当然だったのだわ。なんという事かしら。
くぅ…!と目を閉じた私は膝の上に両手を揃え、ジェニーにしっかりと頷いてみせる。
「大丈夫よ、ジェニー。私は貴女を応援しているわ。」
「はい?」
きょとりとして首を傾げられてしまった。もしかして、まだ本人は無自覚…?
「くくっ、ゴホン!あー、シャロンちゃん?そろそろ君が持ってきたクッキーでももらおうかな?」
「あぁ、そうね。ぜひどうぞ」
なぜか笑っているチェスターに頷くと、侍女がクッキーを各自取りやすいよう大皿に広げてくれた。一つの大輪だったものが、花びらや葉を散りばめた絵画のようになる。
「うん!おいしいね。ジェニー、ほら。」
「ありがとうございます、お兄様。」
チェスターがクッキーの乗ったお皿を持ち上げると、ジェニーの白くてほっそりした指が花びらを摘まむ。小さな口にも入る大きさのそれをぱくりと食べて、彼女は顔をほころばせた。
「おいしい。見た目も素敵で……ありがとうございます、シャロン様。」
「気に入ってもらえたならよかったわ。」
嬉しくてにこにこしてしまう。
テーブルへ戻される皿にサディアスが手を伸ばしたけれど、届く前にチェスターがひょいとどける素振りをする。…チェスターは楽しそうだけど、サディアスはすごい顔で睨んでるわね。あぁほら、拗ねて手を引っ込めてしまったわ。
「――…。」
私はそっと、部屋の中を観察する。
会話を邪魔しないように戻ってきた侍女が、ウィルが贈った花を活けた花瓶を飾っている。
壁際に控えている二人も入れて三人。これが普段彼女の世話をしている人達かしら。
怪しい事は何もない。
ジェニーもチェスターも侍女達を信頼して任せている様子だし、部屋は清潔に保たれていて、ジェニー自身もきちんと身を清めてもらえる状況にある。誰かの悪意なんて入りようもない場所だ。
一体誰が、どうやって彼女に魔法を?
「症状は、咳と脚の筋力の低下ですか?」
紅茶のカップを危なげなく支えるジェニーを見やって、サディアスが聞いた。
「それとも、咳を気にして動かさなくなったが故の衰えでしょうか。」
突然の話題にチェスターは少しひるんでいたけれど、すぐ真剣な表情になる。
「医者には両方だと言われてる。運動量が減ってからも、補助をつけて無理のない範囲で筋肉を使わせてはいるんだ。」
ベッドに寝転んだままでも、筋力が足りなくても、誰かに脚を曲げ伸ばししてもらったりする事で多少はリハビリになるものだ。
チェスターはテーブルに肘をつき、手に顎を乗せる。
「でも咳が出れば中断せざるを得ないし、年単位は流石にカバーしきれない。」
「……そうでしょうね。咳止め薬は。」
「軽減はするけど、そこまで。数か月くらいでだんだん効かなくなる。」
あのチェスターが笑わず、言葉も崩さずに話している。
ジェニーはそんな兄の姿を痛ましい表情で見つめ、静かに俯いてしまった。
「父が何人か上級医師も連れてきたけど…変わらなかった。」
治癒の魔法に長けた医師。
外目に見えない内臓の治癒はひどく難しいけれど、彼らならそれができる。特に上級は欠損をも治せる証。
ただ、できるのはあくまで《外傷》の治癒だ。老化による機能不全や体内物質の偏りが原因のものなどは治せない。
「……そうですか。」
話題を切り上げるように、サディアスが目を伏せた。
「ご心配頂いてありがとうございます、サディアス様。」
ジェニーは明るい笑顔を作ろうとしたようだけど、それでも眉は困ったように下がっていた。小さな手を胸の前で組んで、力のない微笑みを浮かべる。
「身体のことは、毎日太陽の女神様にお祈りしています。いつかきっと…よくなるようにと。」
「ジェニー…」
私は自然と彼女の名を呟いていた。
チェスターが壊れものを扱うように優しく頭を撫でている。そうしてやっとジェニーの笑顔に明るさが取り戻されていく。
二人を見ていると、胸が締め付けられるようで苦しい。
ジェニーは叔父からひどい暴力を振るわれて命を落としてしまう。
それを知らないチェスターは彼女のためにウィルを殺してしまう。
――嫌だ、そんな未来は。
涙が滲みそうなのを瞬きをして堪えた。しっかりしなくては。
「ねぇジェニー、女神様のことは好き?」
「…はい、もちろん。」
少し唐突な質問にジェニーは不思議そうな顔をしたけれど、頷いてくれた。
「実はこのクッキーを買った日に、本屋で女神様の画集を見つけたの。」
「画集…ですか?」
興味を持ってもらえたみたいだ。私は努めて優しく微笑む。
「国のあちこちにある女神様の像を描いたものよ。まるで目の前にあるみたいな繊細な筆使いで、実際にそこに行ったような気持ちになれたわ。」
「それは…それは、とても素敵ですね。」
「一冊買ってあるから、次来る時には持ってくるわね。」
見てもらって、気に入られるようであればプレゼントしましょう。そんな事を考えながら笑いかけると、ジェニーは目を丸くした。
「……また、来てくださるのですか?」
そこに驚かれるとは思わなかったけれど、私の答えは一つだ。すぐに頷いた。
「もちろんよ。」
「…ありがとうございます。シャロン様。楽しみにしています。」
ジェニーははにかむような笑顔でそう言ってくれた。
とても可愛い。この笑顔を守るためなら頑張れるわ。きっとチェスターも同じね。
いつも笑っている人だけど、あんな慈しむような目は見た事ないもの。
「ねぇ、チェスター」
ティータイムを終えて部屋を出た私達は、チェスターに案内されながら屋敷の玄関へと向かっていた。
「ジェニーの病気は…魔法が関わっている可能性は、あるのかしら。」
「魔法?……う~ん、ないと思う。」
苦笑いになったチェスターは、考えてくれてありがとうね、と私をフォローした。
やっぱり「そんなものは聞いた事がない」で終わらされているのかしら。そう思っていたら、さらに続いたチェスターの答えは違っていた。
「低い可能性でも排除するためにね。使用人全員教会に連れて行って、改めて鑑定を受けさせたんだよ。皆、自己申告と同じ内容だったけど。」
私も、隣を歩きながら聞いていたサディアスも軽く目を見開いた。ちゃんと魔法の可能性まで確認していたのだ。
「それで、魔力があった人は一時完全隔離させてもらった。……それでも、治らなかったんだ。」
魔法の発動には、それを行う魔力持ちが側にいなければならない。治らなかったという事は使用人ではありえないということ。
つまり、
「……俺と両親の内の誰かがそうじゃない限り、魔法は関係ない。」
チェスターは言い切った。
「さらに言うなら、両親は長く空ける時もあるから……まぁ、俺じゃない限り、かな。」
そんな。
「なるほど。既に調べてありましたか。」
思わず口を噤んでしまった私に代わって、サディアスが言う。
「そうなんだよねぇ。はは……ほんと、どうしていいかわかんないよ。」
私達に背を向けて言うチェスターの表情は見えない。
「…よく、訪ねてくる人、とかは…?」
「週に一度は医者が。その人が最初に来たのは…病気になってから二年後とかだったかな。」
「……何らかのスキルが使われている可能性はないという事ですね。」
「まぁ、ほぼほぼ無いんじゃないかな。」
私に気を遣ってか、チェスターがぼかした答え方をする。オークス家の使用人達に見送られながら、私は屋敷を出た。
「二人とも、ほんとに今日はありがとね。ウィルフレッド様にはお礼の手紙書くけど、喜んでたってサディアス君からも言っといて。」
「伝えます。…忘れなければ。」
「はは」
彼が忘れる事はないだろうと私もチェスターもわかっていて、チェスターはまるで、何の心配もなく生きているかのように、親兄弟に不治の病を抱えた人などいないように、明るく笑っている。
そこまで隠せてしまう人なのだと、実感した。
「また、来てもいいかしら。」
「もちろん!…ありがとうね、シャロンちゃん。」
ほんの一瞬見せる、痛ましい表情。
「じゃあまたね☆帰り道、お気を付けて!」
ぱちりとウインクして手を振る彼の笑顔を見て、私は――
本当に救えるのかと、恐ろしくなった。




