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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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377.結構たくさんある



 放課後の南校舎五階、旧生徒会室。


 薄い水色の長髪と瞳を持つ侯爵令嬢フェリシアは、黒い短髪と瞳の伯爵令息シミオンと向かい合っていた。

 フェリシアが珍しく立ったまま彼を待っていたものだから、入室したシミオンは思わずごく僅かに首を傾げる。ぱたんと扉が閉じて一秒、フェリシアは氷のように冷えた声で言った。


「わたくしがなぜ怒っているかわかる?」


 もちろんわからない。

 当然、わからない。

 二人が知り合って何年も経つが、フェリシアにこう問われてシミオンが頷いた事など片手で足りる数だ。ゆえにシミオンはいつも通り「わからん」と即答しかけたが、そこでふと姉に言われた事を思い出した。


『あぁ、お前、気を付けなさい。フェリシア様に頬を打たれていますよ。』


 何事か言った直後に平手打ちされる。そんな未来を読まれているのだ。

 たとえ突然でもフェリシアの平手を避ける事などシミオンには容易いが、実際にそうなれば自分は避けないだろうとわかっていた。彼女が手を出すほど怒るのだとしたら、それはシミオンが悪い。


 とはいえ、打たれたいわけではないシミオンは黙って一歩下がった。フェリシアが怪訝そうに片眉を上げる。


「わからん。」

「えぇ、そうでしょうね。貴方昨日コロシアムで、シャロン様に向けて騎士の礼をしたんですって?」

「ああ」

「噂になっているわ。貴方が昔から惚れ込んでいるのは彼女ではないかと。」

「違うが?」

「知ってるわよ……。」

 フェリシアはこめかみに指先をあて、ため息混じりに軽く頭を振った。

 シミオンの想い人は七年前から変わっていない。


「まったく…礼をするにしても、どうして客席全体にしておかなかったの。」

「俺はアーチャー家への敬意を示しただけだ。あの場で他の生徒に頭を下げる理由はなかった。」

「貴方のそういう所、美徳でもあるけれど軽率よ。お陰でシャロン様が何人もの令嬢に絡まれたのだから。中には、苛立って態度の良くない方もいたようだし…」

「それは知らなかった。」

 落ち着いた声で言い、少しも動揺のない真顔のシミオンは剣の柄に手をかけた。


「迷惑をかけたのは誰だ?無意味な真似をするなと言ってくる。」

「やめて。貴方が言ったら更にこじれるのよ。」

「当事者なのにか。わからんが、お前がそう言うならやめておく。」

「……座りましょう。」

 扱いやすいのだか、扱いにくいのだか。

 ひとまず文句を言う事はできたと、フェリシアは長い髪をさらりと流してソファに座った。ローテーブルを挟んで向かい合わせに二人掛けが置かれている。

 咄嗟に動きやすいよう、シミオンは入口からもっとも近い席の肘置きに腰かけた。そんな状況にもすっかり慣れたフェリシアは特に突っ込まない。


「せめて、貴方に決まった相手がいればね……」

「ノーラ以外いない。」

「…この前振られていたじゃない。」

「振られてはいない。将来伯爵夫人はどうかと言ったら無理と言われただけだ。」

 それは実質振られているのではないか。

 ホーキンズ伯爵夫人はどうか、と聞いたわけではないにしてもだ。


「しかもあの子笑っていたわよ、冗談だと思って。」

「笑ってくれたならそれに勝る事はない。可愛かった」

「永遠に噛みしめてなさい、そこで。」

 目を閉じて浸るシミオンにぴしゃりと言いつけたところでノックの音がする。

 フェリシアが返事をすると、サディアスとノーラが一緒に入ってきた。


 ノーラはコールリッジ男爵の一人娘だ。

 ウェーブがかった薄茶の髪を編み込んでハーフアップにし、そばかすのある頬には軽く白粉をはたいている。瞳は朱色で、ちょこんとした鼻には丸眼鏡を乗せていた。

 同じ男爵令嬢でも代々騎士家系のデイジー・ターラントと違い、父親が金で爵位を得た家だ。学園に入って《礼儀作法》の授業を取ってはいるものの、日頃の仕草はまだまだ粗雑さがある。


 既に立ち上がっていたシミオンがサディアスに挨拶し、「よく来た」と真顔のままノーラを歓迎した。心の中で呆れつつフェリシアも挨拶を済ませる。

 二人は別々の階段で五階に上がり、廊下でちょうど合流したらしかった。いつも通りフェリシアの隣にノーラ、正面にサディアスが座る。


「今月後半には、危険生物討伐に関する報酬制度の触書が出ます。」


 そう口火を切ったのはサディアスだ。

 いずれそうなると聞いていた三人は神妙な顔で頷く。王都襲撃の一度を除いて主要都市の周辺ではまだ確認されていないが、魔獣は既にツイーディアのどこで現れてもおかしくなかった。


「根回しはおおよそ終えているそうですが、国民への制度の周知含め、()()()が正式稼働するまではそこから二か月ほどかかるでしょう。」

「う~ん、ついにって感じですね…。」

 やや苦い顔でノーラが言う。

 魔獣発生の情報や被害状況の共有、討伐された魔獣の記録、報酬の受付と管理など。

 これらを行うギルドの設置場所検討と職員の確保には、コールリッジ男爵率いるユーリヤ商会も内密に協力していた。


 ツイーディアには王国騎士団以外にも戦闘職がある。

 一部貴族領が置いている独自の兵、輸送業者や個人につく雇われ傭兵などが該当するが、何せ魔法大国である。

 魔力持ちの殆どは王立学園で魔法を扱う術を学び、持たざる者は剣闘を学ぶか、あるいは物理的な力において弱者であるという自覚を持っていた。

 街の片隅で野菜を売る老婦でさえ、魔獣を討伐する実力を持っている可能性がある。

 ここはそんな国だ。


「討伐者の職種を問わない……陛下も思い切った判断をされましたわね。」

「ギルドを通じ、筆記試験による討伐資格制度を導入予定だそうです。魔獣の基礎知識や危険性、死骸の扱いを盛り込む事で被害を抑える狙いだとか。」

「ああ、金目当ての無駄死にも減らせそうですね。」

「けど資格持ってない人が襲われて、もし倒しちゃったら?違反みたいになっちゃうんですか?」

 ノーラが肩より高く手を上げて聞くと、サディアスは軽く頭を横に振った。

 全国民へ同時に制度を理解させる事、資格を持つ必要性を説く事は不可能なのだ。それを一方的に罪とするべきではない。


「事情を聞いて、問題なければ罪にはなりません。もちろん再度遭遇する可能性がありますから、試験を受けておくよう勧めはされるでしょうが。」

「俺やフェリシアが受けられるのはいつです?」

 王子とその従者は先行して資格を持つだろうと考えてシミオンが聞く。

 サディアスは「まだ少し先です」と言いつつ、手帳を取り出してページをめくった。


「ギルドでの試験受付開始とほぼ同時期、学園の教師全員が資格を取ります。それから魔獣対策の授業を行い、希望者には放課後か休日を利用して試験実施の流れになるでしょう。」

「授業かぁ…《魔法学》ですかね?」

「魔力の無い者も対象なので、恐らく《国史》の授業内だと私は想定しています。」

「確かに!でなきゃ殿下とか受けられないですもんね。」

 感心したように言うノーラにフェリシアとシミオンも頷く。

 第二王子アベルをはじめ、魔力を持たない生徒は《魔法学》が必修ではないのだ。全員が対象であれば、魔力あるなしを問わず全員必修の《国史》が妥当だろう。


「サディアス様…ギルドは維持できるのでしょうか?置かない場合のリスクを考えれば、先手を打たれたのは素晴らしい事だと思いますわ。けれど…」

「えぇ、状況を見つつの運営になるでしょう。魔獣をゼロにできるならそれに越した事はありません。…一応、回収する魔獣の死骸を有効活用する手立ては、活路が見えたと聞いています。じきに解毒薬も正式な物が作れるだろうと。」

「そうでしたか…」

 フェリシアがほっと安堵の息を吐いた。続いてリラでの問題について情報を簡潔に共有していく。


 以前ウィルフレッドを探し回り、挙句アベルが自分に惚れていると勘違いしていた侯爵令嬢。彼女は休学を終えて戻ってきたものの、周囲が一線引いた態度になったためか今のところは大人しい。


 また、一ヶ月と少し前に学園備品のタオル等を窃盗した生徒がいた。

 こちらはアベルの従者であるチェスターから警告済みにも関わらず、王子殿下一行が使った食堂個室へ下膳前に侵入している。出てきた所をシミオンが問答無用で捕え、職員の前で自供させた後にチェスターへ引き渡した。

 令嬢に囲まれてティータイム中だった彼に苦笑いで「それ、今?」とは聞かれたが。引き渡した。


 ノーラはサディアスに頼まれていた調査の報告書をずいと差し出す。長くなるので口頭説明はなしだ。


 港で荒くれ者に絡まれて走ったり、ちょうど売り歩いていた雑貨店の主、フェルに抱えられて一緒に逃げたり、フェルがうっかり踏んづけて跳ねた小石が荒くれ者に命中したり、積んであった空っぽの木箱がなぜか崩れ落ちたり。

 どちらへ逃げようかとフェルが足踏みし、やっと走り出したところでちょうど荒くれ者との間を馬車が通ったり、ギリギリな奇跡だらけの逃走劇は思い出しただけでも疲れてしまう。



 報告書をぱらぱらと読みながら、サディアスはふと目を上げた。

 人数分の紅茶を用意するフェリシア、試験前だからか渋面で教科書を読んでいるノーラ、それをじっと見つめているシミオン。

 一年ほど会わない期間もあったというのに、随分と見慣れた変わらぬ光景だった。


「……大した事ではないのですが、一つ聞いてもよろしいでしょうか。」

「んぇ?どうしたんですか改まって。」

「もちろん構いませんわ、サディアス様。わたくし達で答えられる事ならば。」

 誰とも目を合わせずに言ったサディアスを不安に思い、フェリシアは少し前のめりになって言う。シミオンも真顔のまま黙って頷いた。


「貴方がたから見て、私に食の好き嫌いはあると思いますか。」

「俺はわからないですね。」

 予想外の質問に女子二人が瞬く中、シミオンが間髪を入れずに答える。

 フェリシアがぐっと眉間に力を込めてそちらを見やった。


「早過ぎるのよ。少しは考えなさい」

「気にした事がない。」

「あ、貴方ね……!」

 いつも通りフェリシアに注意され始めたシミオンを放置し、ノーラは顎に手をあてて首をひねる。サディアスが食べる姿を思い出してみて、幾度か頷いた。


「うーん…たとえば、ケーキに乗ってるミントは絶対食べないですよね。食事は貝類を食べるの遅いかも?あとポークビーンズも嫌い。すごい我慢の顔してますよ。」

「……そう、でしたか?」

「ミントは絶対そうですって!フェリシア様、絶対ミントティー出さないもん。ですよね?」

「…出さないようにはしていますね。サディアス様は…」

 言いかけて、躊躇うように唇を閉じたフェリシアをサディアスが促す。

 何せ自分ではよくわかっていないのだ。思い当たる事があるなら言ってみてほしい。

 フェリシアが小さく頭を下げる。


「では……僭越ながら。魚はマリネよりフライ、特に白身がお好きで、肉は鳥。野菜ですと南瓜、果物は東国の梨をお気に召していたかと。」

「……そんなに…ありますか。」

「わたくしから見た印象ですので、不確実ですが。」

「あたしも何となくですけどね!」

「…いえ、信用していますよ。フェリシア、ノーラ」

 一つ二つならまだしもそれほど多くあるのなら、気付けなかった自分に呆れてしまう。

 伊達に長く付き合っていないなと、サディアスは柔らかく苦笑した。


「貴女達は、私よりも私を知っていますね。」

「っ、そんな事は……」

「ほんと、フェリシア様さすがの観察眼!どこお嫁に行っても可愛がられますよ、絶対!」

「ああ…そういえば婚約が決まったのでしたね。書類はこれからでしょうが…」

 熱をもちかけたフェリシアの頬から一気に血の気が引く。

 一昨日シャロンに話したせいか、否。彼女が言うはずはない。侯爵家が隠していないのだから、どうせいつか耳に入るに決まっていた。

 伏せていた目を上げると、サディアスは変わらぬ微笑みを浮かべてくれている。



「おめでとうございます、フェリシア。貴女の縁が良いものでありますように。」



「――……はい。サディアス様」


 少しだけ潤んだ瞳が、嬉し涙に見えればいいと願って。

 フェリシアは精一杯いつも通りに、令嬢として完璧な微笑みを返してみせた。


「ありがとうございます。」





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