36.ぎすぎすティータイム
「いらっしゃいシャロンちゃん、サディアス君!我が家へようこそ~。」
私達を出迎えてくれたチェスターは、今日は長い赤茶色の髪に何本か編み込みをつくり、襟足あたりで一つに結っていた。
白いシャツはいつも通り二つほどボタンが開いていて、ベストのポケットからはハンカチが覗いている。
ひらひらと手を振るチェスタ―の明るい笑顔につられて、私も自然と顔がほころんだ。
「お招きいただいてありがとうございます、チェスター様。」
スカートの裾を軽く持ち上げて礼をする私の横で、サディアスも形式的な礼をした。
「堅いのは無し無し!こっちこそ来てくれてありがとね。妹の部屋に案内するよ」
「部屋?私がお伺いして大丈夫なのですか。」
令嬢の自室と聞いて、サディアスが眉を顰める。チェスターは苦笑いした。
「ごめんね。…客間まで行けないんだ。」
「……わかりました。」
サディアスが静かに答える横で、私は胸を軽く右手で押さえる。
歩けないのだわ。もう…家の中ですら。
心臓がどくどくと嫌な音を立てていた。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせて、二人に気付かれないように深呼吸をする。何か手立てはあるはず。だって、人がやっている事なのだから。
脳裏に、かつて見た涙が浮かんだ。
『馬鹿だよねぇ、俺……ぜーんぜんわかんなかった。あんなに側にいたのに』
チェスターが足を止め、私達にウインクして扉を指した。そのまま手首をひねって、指の節で二回ノックする。
『魔法、だったんだってさ……妹の、病気。……それさえ、わかっ、て、れば……』
「ジェニー、二人が来たよ。」
「はい。お兄様」
『俺……あの子にもっと、何か…してやれたかなぁ……?』
扉が開いていく。
先導するチェスターに続いて部屋に入った。
女の子らしい調度品が揃った中で、ベッド脇には丸テーブルが置かれている。
きっと今日のティータイムのためだけに運び込まれたであろうそれには椅子が三脚並べられ、紅茶やお菓子もすぐ整うように準備されていた。
そしてベッドには、一人の少女。
「紹介するよ。俺の妹――ジェニーだ。」
チェスターと同じ赤茶色の髪を編み込み、お揃いになるよう後ろで一つに結っている。白いブラウスの襟元には赤いリボンをつけ、下半身は布団をかぶせたまま、彼女はベッドの上で身を起こしていた。
チェスターと違って少しだけ吊り気味な目は、どこか警戒するような眼差しだ。
「こんな所から申し訳ありません。ジェニーと申しますわ。」
そう言って、彼女はぺこりとお辞儀をした。私もスカートの裾をつまみ、礼をする。
「初めまして、ジェニー様。シャロン・アーチャーと申します。」
「私はサディアス・ニクソンと申します。ウィルフレッド第一王子殿下の従者です。貴女の兄君の同僚のようなものですね。」
「お話は伺っております、サディアス様。いつも兄がお世話になっております。…シャロン様も。」
ジェニー様はにこやかにサディアスに笑いかけた後、スンッと控えめな笑顔で私に目をやった。チェスターの瞳は茶色だけれど、ジェニー様は灰色をしているのね。
「こちらはウィルフレッド第一王子殿下からです。本日は所用がありこちらに来られなかったので。」
「まあ!ありがとうございます。」
サディアスが口元に笑みを浮かべて花束を差し出すと、ジェニー様はぱあっと顔を輝かせて受け取った。
色とりどりの花にうっとりと瞳を潤ませ、香りを楽しんでから侍女へと渡す。
「花瓶に活けてちょうだい、リボンも取っておきたいわ。」
「はい、お嬢様。」
侍女がしずしずと部屋から出ていき、サディアスは続けて、見るからに本が入っているであろう包みを差し出す。
「こちらは私から。『キャメロン・ペッパー』シリーズがお好きだと伺いましたので、番外編として、怪盗ペネロピを主人公として書かれた短編集です。」
「あ、ありがとうございます!」
ジェニー様が目を丸くして慌てて頭を下げる。キャメロン・ペッパーは主人公の女の子の名前で、平民である彼女が持ち前の器用さであらゆる事件に立ち向かう冒険小説だ。番外編なんて出ていたのね…。
まだ持っていなかったようだし、チェスターまでぽかんとしているという事は、ジェニー様がシリーズのファンだというのは、彼が話したわけではないみたい。流石はサディアス。
「私はお茶菓子をお持ちしましたわ。よければご一緒にと思って。」
最後は自分の番と、私はいそいそと袋からクッキーの箱を取り出す。
「シャロン様、私に敬語をお使い頂くのは畏れ多いですわ。どうか、兄と同じように。」
「そ、そう…?」
「兄を呼び捨てにされているのでしょう?私が様を付けられるわけに参りません。」
ジェニー様はツンとそっぽを向いてそう言った。
なんだか本心からは納得していない様子のそのセリフ、いつだか似たような言葉を聞いた気がするわ。
『ウィルフレッド様を差し置いて、私が敬称をつけられるわけにはいきません。どうか、敬語も含めてやめて頂けませんか。』
ちらりとサディアスを見やると、「そうでしょうね」という顔をしていた。この敬語禁止の広がり、思えばウィルをバーナビーと呼んで普通に話していたのが始まりなのよね……。
「それなら、貴女も私に同じように話し」
「序列一位であるアーチャー公爵家のご令嬢に、そんな真似できませんわ。」
「……。」
確かに我が家は筆頭と言われているけれど、でも公爵家同士はそこまで厳密に上下が作られているわけではない。
私は困ってチェスターを見たものの、ごめんねとばかり苦笑いでウインクされてしまった。観念して、「わかったわ」とテーブルにクッキーを置く。
きゅっと唇を結んでいたジェニーが、花のようなつくりのそれらを見て目を輝かせる。感嘆のため息をもらす口元に添えられた手に、離れない視線に、喜んでもらえたのだと嬉しくなった。
やがて彼女はハッとして私を見ると、こほんと咳払いをして「ありがとうございます」と言った。
「気を遣わせちゃってごめんね~、二人ともありがとう。とりあえず座ってよ」
チェスターに促されて、私達はテーブルを囲む椅子に座る。
注がれた紅茶は我が家と違う茶葉が使われていて、ほのかに果実の香りがした。
「ジェニー、喉は大丈夫かな?」
そう言って笑いかけるチェスターはとろけるような優しさを滲ませていた。ジェニーも表情を和らげ、ゆっくりと頷いて私とサディアスを見る。
「サディアス様、シャロン様。この度の事件について、詳細までは存じ上げませんが…第一王子殿下とお二人のご活躍によって、兄が早くこちらへ帰る事ができたと伺いました。本当に、ありがとうございました。」
ぺこりと頭を下げられて、少し慌ててしまう。私は何もしていないのに。
サディアスは軽く眼鏡を押し上げて言葉を返した。
「どうか顔を上げてください、私は大した事はしておりませんので。ウィルフレッド様や、こちらのご令嬢の父君…アーチャー公爵の手助けあっての事です。」
「サディアス、貴方はとても勇敢だったわ。私こそ何もしていないもの。」
「皆の力ってやつかな?俺もちょっと見てみたかったなぁ、サディアス君達が戦うとこ。」
チェスターが言うと、サディアスが片眉を跳ね上げた。
けれど妹さんの手前言葉を耐えたのか、黙ってシュガーポットから砂糖を取り出す。
「お兄様が危ないところに行くなんて駄目です!」
「あはは、もちろんだよ。俺はちゃんと安全だから、ね?」
焦ったように眉尻を下げるジェニーに、チェスターが安心させるように微笑みかけて頭を撫でた。
「何せ我が主は強いからね。俺が出る幕ないって。」
「そう…そうでしたわね。」
チェスターは以前、既に戦闘を経験済のような話をしていたけれど…きっとジェニーには内緒なのね。心配させてしまうだけでしょうし、私も黙っておきましょう。
カチャン、と小さな音がして振り返ると、カップをソーサーに置いたサディアスが眉間に皺を寄せていた。
「従者の仕事は、王子殿下の護衛も含まれていると。ご存知のはずですが。」
冷ややかな声だった。
チェスターにはアベルを守る気がない、という話ではないけれど……アベルの従者になりたかったサディアスとしては、今のは聞き捨てならない言葉だったのかもしれない。
「あー、それは、もちろん?」
「なぜ疑問形なのです。」
苦笑いしたチェスターをサディアスが鋭く睨みつける。なんだか緊張感が増してきて、私はそっと自分の紅茶を一口飲んだ。
「俺達って従者だけどさ、今はまだ入学前で自由時間が多いじゃん?だからサディアス君だって、ウィルフレッド様と常に一緒じゃないでしょ。」
「ウィルフレッド様は護衛騎士がついていますが、アベル様はどうなのです。」
「あれは~そのね、本人の要望なんだよねぇ。」
「だとして、貴方とアベル様が同行している所を、ろくに見た覚えがありませんが?」
サディアスが眼鏡を押し上げて言った言葉に、チェスターが困り顔で口を閉じる。
言われてみると私も見た事がないわ。だからってアベルが、護衛のために一緒に行きますと言われて同行させるかというと……どうなのかしら。
「お、お兄様だって許可を得て」
「ジェニー、いいよ」
「私のせいなのです!わた…ッケホ!コホッコホッ」
大きい声を出したジェニーが咳き込み、チェスターが慌てて立ち上がって背中に手を添えた。
侍女が水を用意して差し出し、咳が続く彼女にゆっくりと飲ませる。
「っは…はぁ、こほっ…」
「無理しないで。ごめん、俺が…心配かけて」
「違っ……兄様、」
顔を歪めるチェスターに、ジェニーが縋りつくように頭を横に振っている。
ようやく咳が落ち着いてくると、チェスターは少し暗い顔のまま椅子に戻った。そして無理やり誤魔化すような苦笑いを浮かべる。
「あー、そのね。サディアス君」
言うつもりはなかったのだろう事を、妹に語らせるくらいならと思い直したようだった。
「俺、色々と情報を集めてて。…アベル様は、従者としての時間もそれにあてろって、言ってくれたんだよね。城の蔵書も、誰に聞くのも、自分の名前を使っていいって。」
サディアスがぴくりと眉を動かす。何についての情報かは聞かなくてもわかる事だった。
「だから君の言う通り、ろくに同行はしてない。用事を請け負う事もあるから接触はするけどね。義務を果たしてないって言われたら、確かに否定はできない。」
「……そうですか。」
侍女に背中を擦られて、ジェニーはゆっくりと深呼吸を繰り返しながらも、会話の行方を見守っている。
サディアスはテーブルに目を落とした。
「私なら、弟がどうなろうとアベル様の傍にいたでしょう。」
なぜそうしないのかと言っているともとれる発言に、チェスターが目を見開いた。
けれど、
「――ですが、貴方は…そうするのでしょうね。」
視線を上げて真っ直ぐにチェスターを見据え、サディアスはそう続ける。
「貴方の事情と、第二王子殿下の護衛体制は別問題です。しかし、殿下が望まれているのであれば、私が口を出す事ではありませんでした。…失礼を。」
「…いや、大丈夫……うん。気にしないで。」
珍しい態度にチェスターの方が戸惑っているようだ。
私がサディアスを見ると、水色の瞳が何ですかとばかりこちらを向く。つい顔がほころんでしまう私に、彼はますます怪訝な顔をしていた。
「シャロン様」
唐突に、ジェニーが私を呼ぶ。
なぜ私なのかと思いつつそちらを見ると、ジェニーは灰色の瞳でじっとこちらを見つめていた。
「…シャロン様は、サディアス様と仲がよろしいのですね?」




