364.俺って紳士だから
「うん?」
ウィルフレッドが首を傾げると、後ろで結い上げた艶やかな金髪がさらりと揺れた。
街を一人で歩くための変装も解き、今はレストランの個室でアベル達と四人、テーブルを囲んでいる。
「ホワイト先生といた生徒はシャロンなのか。」
「みたいですよ。まぁ噂と違って従者も一緒だったとか……ダン君でしょうね。」
チェスターは軽く笑って言い、器に盛られた瑞々しい葉野菜にフォークを突き刺した。
教師のくせに女子生徒とデートしていた…などと噂を流した女性はどうやら、相手がシャロン・アーチャー公爵令嬢だとは知らなかったらしい。
サディアスが騎士団から預かった報告書をぱらりとめくり、少々渋面のアベルは黙って夕食を食べ進めている。
リラの街において、ルーク・マリガン――ホワイト先生に冷たくあしらわれた女が、彼の悪い噂を流すのは初めてでは無い。
しかし彼が来た当初の数年前ならまだしも、今そんな噂が流れたとて本気で信じる者はいなかった。
とはいえ野次馬根性で現場を覗きに行く者が出るのは、活気ある街のご愛嬌といったところか。
ウィルフレッドは柔らかい肉をナイフで一口大に切り分け、ソースを絡めて上品に口へ運ぶ。そしてくすりと美麗に微笑んだ。
「俺の友達はとても愛らしいからな。先生すら魅了するかもしれないと、その女性が恐れたのも無理はない。」
「…単に先生への嫌がらせかもしれませんが、対処はご本人にお任せするとして。」
サディアスは黒縁眼鏡を指で押し上げ、水色の瞳がウィルフレッドをじとりと見やる。
「カレンの件はどういう事なのですか?貴方が女子生徒を抱えてどこかへ消えたなど、知られれば大事ですよ。」
「見たのはお前達がつけた騎士だけだろう?変装していたから、他の通行人は俺だと気付かなかったはずだ。」
ウィルフレッドは三人を見回して言った。
サディアスは涼しい顔で視線を受け止め、アベルはこちらを見ておらず、口元が緩んだチェスターはサッと目をそらす。
変装した第一王子を一人で歩かせる事に三人が妙に協力的だったのは、こっそり騎士をつけるという暗黙の了解があっての事だった。
カレンを庇うように立ったあの時。
ウィルフレッドはすぐ助けに入れるよう建物の影からこちらを窺う、見覚えのある顔に気が付いた。
王子の入学を機に王都からリラへ赴任した彼――ケンジットが瞬時に現れた、それも騎士服でなく目立たない色合いの私服とくれば、その任務は自分の護衛である。
ちょうど良いから後は任せたと、ウィルフレッドは彼に目配せをしてから魔法で脱出した。
「普通に引き渡しても良かったが……カレンは怖がっていたし、聴取にどうしても時間を取られてしまうだろう?」
「そこでなぜ魔法なのですか。」
「彼女がいる以上、走って逃げても無駄だと思ってね。人目は引けるかもしれないが…」
手を引いて駆けるにはカレンの身体能力が足りず、かと言って抱えればウィルフレッドの足は当然遅くなる。ほとんど引き離せない上に、目立って事情を知らない騎士が来ても厄介だった。
チェスターが首を傾げて軽く手のひらを広げる。
「すんごい高さ飛んだって聞きましたけど、そこまでいかなければ、姿を消さなくてよかったんじゃないですか?屋根が死角になるでしょ。」
「そう、俺は屋根上へ上がるつもりだったんだが……ふふ、あれはちょっと飛びすぎたな。」
「笑い事ではないのですが。」
「あはは……見失った時、リビーさん達めちゃくちゃ焦ったと思いますよ。」
「目立つよりは良いと…」
ウィルフレッドはそう言いかけながらスプーンで大海老のビスクをすくい、口の中へと流す。温かく濃厚な味わいを楽しみつつ、ふむと小さく息を吐いた。
――やっぱり、リビーもいたのか。
第二王子の護衛騎士であり、二番隊長ダライアス・エッカートの養女。
スキルを使っていようといまいと、彼女の隠密の腕は確かである。護衛の一人がウィルフレッドの前方に姿を現したという事は、リビーは後方にいたのかもしれない。
ウィルフレッドはやや困ったように眉を下げて弟を見やった。
「お前、少し過保護じゃないか……?」
「それでサディアス、ウィル達に絡んできた奴らは?」
「はい。三人は最近港で雇われたばかりの流れ者だったようです。」
ようやく口を開いたアベルに問われ、サディアスがちらりと資料を見返しながら答える。追求を諦めたウィルフレッドも彼の声に耳を傾けた。
「ケンジットから厳重注意しましたが……うち一人はメインストリートを越えた先で暴力沙汰を起こし、結局は捕縛となりました。荷物の積み下ろし作業中だった王立学園一年、デューク・アルドリッジの顔面に拳を一発。」
「デュークにか?馬鹿をしたものだな……そうか、彼に迷惑をかけてしまったか…。」
「腹いせでやった、いかにも平民だったから大事にならないと思った、仕事中の子供なら深追いして来ないと考えたと供述しています。」
「他に被害は?」
申し訳なさそうに目を伏せたウィルフレッドの横でアベルが聞く。
サディアスはほんの一瞬躊躇ってから読み上げた。
「アルドリッジが男を屋根から投げ飛ばしたため、その先のアイスクリームパーラーから被害届が出ています。備品が壊されたと」
「サディアス君、その店ってまさか…」
「男の身柄は、居合わせたリリーホワイト子爵が騎士に引き渡しました。」
「うわ、そこ繋がるんだ。もしかしてシャロンちゃんもまだいたのかな?」
「そのようですね。」
「じゃあデートはそこで終わりかぁ………じ、冗談ですって。」
びくりと姿勢を正し、チェスターは双子の王子を交互に見ながら手を振る。
一瞬だけ感じた冷えた気配の主は、にっこり微笑んでいるウィルフレッドの方らしかった。アベルは淡々とサディアスに被害額と男の支払い能力を確認している。
「けど実際、シャロンちゃんと真面目に噂されそうな相手って、ホワイト先生も入りますよね?家格釣り合うし優秀だし、そこまで歳いってるわけでもない。」
「しかし公爵が強引に手配でもしない限り、あのホワイト先生が生徒に手を出すとは思えないが……」
「ウィルフレッド様が言ったんじゃないですか、シャロンちゃんなら魅了しちゃうかもって。」
「あくまで、そう想像する人もいるだろうという事だ。……それにシャロンとデートしたのは先生じゃなくてアベルだからな!」
「急に何なの」
椅子の背もたれにがっしりと手を掛けてきた兄を、アベルは怪訝な目で見やった。ウィルフレッドはなぜか嬉しそうに頬を紅潮させ、青い瞳はきらきらと輝いている。
「それも二人で。」
「ウィルに言われたからね。」
「仲良く、」
「悪いとは言わないけど」
「夕食まで一緒にとって!」
「良い下見になったんじゃないの。」
「………。」
ウィルフレッドが何とも言えない表情で肩を落とし、震えていたチェスターが小さく噴き出した。咳払いで誤魔化す彼から目を離し、呆れた様子のサディアスが小さく頭を振って食事を再開する。
アベルは、「シャロンとホワイト」という組み合わせに別の意味でざわつきを覚えていた。
ホワイトに違法薬《ジョーカー》の話題を出したのはシャロンであり、それによって彼は今まで黙っていたロベリア王国の非公開記録をアベル達に明かす。
また、前任教師であるジョディ・パーキンズ女史の殺害事件について疑問を提示し、これを失踪事件と覆すきっかけとなったのだ。彼女もまた、ホワイトと同じく《ジョーカー》を作れるだけの腕を持つ薬師だから。
――単に授業の話か、それとも再び何か動くのか。
リリーホワイト子爵、ルーク・マリガンは底知れない男である。
元王国騎士団一番隊長ユージーン・レイクスが手合わせしたがる程の強者であり、若くして薬学の本場ロベリア王国で博士号を取得した優秀な薬師。
宰相マリガン公爵に多少睨まれてでも、学園長であるシビル・ドレーク公爵は彼を自分の手元に置く事を選んだ。
アベルには彼がわからない。
ロベリアの記録を渡してきた事も、パーキンズを詳しく調べさせた事も。
相対した時の平静さを見るに、彼が正義感に燃えて動いたとはとても思えなかった。焦りもなく、義憤もなく、恐怖もなく、高揚もなく、愉悦もなく、自分の感情を一滴も混ぜる事なく、ただ淡々と。
ならばなぜ動いたのか。
何を考え、何を目的としているのか。
アベルは今日、リラを訪れたロイから不穏な報告を受け取ったばかりだった。
騎士団長クロムウェルからの、イザベル・ニクソンの侍女に妙な動きがあるという報告。そして君影国の姫と護衛にまったく連絡がつかないという報告。
後者は単に旅の途中で騎士団詰所へ寄っていないだけかもしれないが、兄を探す上でほぼ命綱に近い騎士団からの情報を、彼女達があえて避ける意味はあるだろうか。
「ともかくウィルフレッド様、今後は安易に異性を抱えたりされませんように。」
「安易ではなかったんだが……サディアス、君だって非常時にシャロンを抱えて姿を消した事があるだろう?」
「そ…っれは貴方が原因ではないですか!」
サディアスが顔を赤らめて叫び、ハッとして小さく咳払いする。
自分は悪くないのだ。あれは制止の声も聞かず王立図書館の空へ飛び出した王子のせいだ。
「第一私は望んでいませんでした。あの時もその前も、彼女が勝手に」
「うん?その前って何だ。」
「――……、私がいたブースに入り込んできた、強引さの事です。」
「なるほど。」
眼鏡を指先で軽く押し上げたサディアスの言葉に、ウィルフレッドが納得して頷いた。そう、サディアスは決して机の下で彼女に抱え込まれたりなどしていない。
王立図書館の一件について詳細を知らないチェスターは「面白い話を聞いた」とばかりに口元を緩ませていた。察したサディアスが先に口を開く。
「チェスター、貴方こそべたべたと触れているのでは?」
「えー?手の甲に挨拶ぐらいはした事あるけどさ。これでも俺って紳士だから、シャロンちゃんにくっついた事なんか……」
雪山の一件が解決した後、感極まって抱擁している。
ついぱくんと口を閉じたチェスターを見て、ウィルフレッドが不思議そうに瞬いた。
「なぜそこで固まるんだ?」
「違いますほんと…あれはそういうんじゃないから……」
「あれとは。」
「俺とシャロンちゃんの友情物語で…あっ、アベル様は?俺より仲良いんじゃないかな~きっと。」
チェスターが明るい笑顔で人差し指を立てると、ウィルフレッドは目を輝かせアベルは眉間に皺を寄せる。
「確かに。アベルお前は?」
「普通だよ。知っての通りエスコートくらい、女神祭で踊ったのは皆そうでしょ。」
「…そうか……」
「何で残念そうなの。本当に意味がわからないんだけど」
「えぇ~でもアベル様ってさ、狩猟の時にシャロンちゃん抱きしめたって」
「人命救助も含めるのか、今の話は」
「うわ声低っ……」
ザクリとサラダにフォークを突き立てるアベルから目をそらし、チェスターは両手を肩の高さに上げて降参のポーズを取った。
落ち着きを取り戻したらしいサディアスがトントンと端を揃えて書類をしまう。
しょんぼりと柳眉を下げて再びビスクに口をつける兄を横目に、アベルは心の中でため息をついた。




