347.お腹が空く順番
お昼時、食堂二階のテラス席。
他の生徒からちょっと離れたテーブルについて開口一番!
「オペラに行ける事になっちゃった……!」
「「はあ?」」
小声で告げた私に、レベッカとデイジーさんの声が重なる。
ところどころぴょんと跳ねた長い赤髪のレベッカは、女の子がそんな顔しちゃ駄目って怒られそうなくらいウゲッと口を大きく歪めた低い声で。
濃いブラウンの髪を編み込んでポニーテールにしたデイジーさんは、きょとんとしたちょっと高めの声で。
「オペラって貴族どもが観るアレだろ?」
「あら、平民でも席は取れるわよ。貴女は歌劇より食べ物でしょうけど」
「ぶ~っ飛ばすぞ~このア~マ~♪」
「…レベッカ、意外と上手いね。」
「意外だわ。」
「ほっとけ!」
顔を赤くして怒るレベッカをほっといて、私は何でオペラに行けるのかを説明した。
ウィルフレッド様とアベル様が招待されて、同行者として私とレオにも声がかかったって。貴族じゃない生徒を男女それぞれ連れて行く事に意味があるから、あまり気負わなくていいらしいって事も。
「あっはははは!レオが!レオがオペラ!!ぶはっははは!にっ、似合わね~っ!」
「小汚い笑い方の女は放っておいて、カレン。ドレスコードは何か言われた?」
「えと、制服で良いって。皆それで行くってシャロンが。」
「シャロン様が仰ったなら大丈夫ね。染みの一つも無い事くらいは確認するのよ。殿下達と行くのだから」
黄色い瞳でサッと私の制服を確かめながらデイジーさんが言う。
私は頷きながら、レオは大丈夫なのかなと心配になった。ダンさんにそれとなく頼んでおこうかな…。
レベッカは首の黒いチョーカーに指をひっかけて、にやりと笑った。
「デイジー、カレン、賭けだ。あたしはレオが寝るに一票。」
「彼、芸術系に理解が無さそうだものね。賭けにならないわ」
「でも、戦うシーンがあるって聞いたら楽しみにしてたよ?」
「なんつータイトルの劇なんだ?」
「えっと…『剣聖…」
「『剣聖王妃』!?」
デイジーさんの目がキラリと光ってびっくりする。
知ってるのと聞いてみたら、当たり前だわと胸を張られた。
「史実を元にした劇ね。数百年は前だったかしら、この国には《剣聖》の称号を得た王妃様がいたのよ。」
「へぇ。超強かったって事か?」
「もちろん。彼女はその強さで王子殿下に見初められ、帝国との戦を終わらせる立役者となって、男爵家の生まれでありながら王妃の座についた唯一の……言わない方がよかったかしら。」
「大丈夫だよ!どんなお話か気になってたから」
展開を先に言ってしまったと肩を落とすデイジーさんに慌てて手を横に振る。オペラを観に行けるって衝撃が強くて、うっかりシャロン達に聞くのを忘れてたから。
デイジーさんは同じ男爵家で、それも騎士を目指しているからその王妃様に憧れがあるらしい。
「簡単に言えば殿下達のご先祖様のお話ね。戦う女性の話であり、身分差の恋の話でもある。見応えがあると思うわ。私も観に行こうかしら…」
「カレンのついでに仲間に入れてもらったらどうだ?」
「何言ってるの、そんな事したら他の方まで群がってくるわ。殿下達が行くとなればその日はもう満席でしょうし」
「オペラねぇ……。」
レベッカは渋い顔をしてるけど、デイジーさんはもうだいぶ観に行く方に傾いているみたい。
占いの館に行った時と同じような展開になりそう、なんて思いながら、私は「強い王妃様」を想像した。きりっとしたシャロンが馬に乗って剣を高く上げている。
来週の観劇を楽しみに、私はちょっと浮足立って放課後の廊下を歩いていた。
自習室での勉強も捗った気がするし、今日はなんだか良い感じ。
もし誰かに会えたら、ちょっとお茶に誘ってみようかな。その勇気も今なら持てるかもしれない。せっかくなら…あの人とお話しできたら嬉しい。
【 私の頭に浮かんだのは… 】
空き教室の物音なんて聞こえなければよかった。
扉が少し開いてるからって覗き込むんじゃなかった、何よりも、ガタンッて大きな音がした拍子にどうして私は慌てて中に入ったんだろう!全然わからない!立ち去るべきだったんじゃないかな!?
うぅ……教室の一番後ろの机から、ちょっとだけ顔を出して教壇の方を見る。
「ね、つまんない事はやめようよ。まだ学園生活楽しみたいでしょ?」
ふわっとウェーブした赤茶色の長い髪を編み込んで、今日は剣術があったからか後ろの低い位置でひとまとめにしていた。いつも優しい雰囲気の垂れ目は今――全然、笑ってない。
チェスターさんって、ああいう顔ができたんだ。
教壇に寄り掛かるようにして尻もちをついた知らない男子生徒を、立ったまま冷たく見下ろしている。口元は薄く笑ってるのに、ぞくりと寒気がした。
「ぼぼ僕はただ、あこ、憧れッ」
ガン、って音に私の肩がびくっと跳ねる。
チェスターさんが教壇を――…そこにいる男子の顔の真横を、蹴った音。彼は短い悲鳴を上げて背中を丸め、私からは机で見えないから多分だけど、床につくくらいに頭を深く下げた。
「ご、ごめんなさい二度としません!見逃してください、気の迷いだったんです。もうしませんから!!」
「それで?」
「あっ…か、返します。全部返します、こ、これで全部……」
制服の上着の内側とか、後はズボンのポケットかな?ごそごそ探って、何か出してるみたい。
チェスターさんは不快そうに顔を顰めたけど、相手が顔を上げると表情を消した。
「――お前、許されたと思うなよ。」
「ヒッ…」
「あはは、つまんない時間だったね!もう行っていいよ☆」
「しっ、失礼します!!」
慌てて立ち上がって、その人はよろめきながら逃げるように走って出ていく。向かったのは教室の前側の出口だったから、私がいる方には来なくてよかった。どんな顔をしたらいいかわからない。
よかっ……
「……えっと…カレンちゃん?いつからそこに?」
うっかり顔を出したままだった。
チェスターさんがひどく気まずそうに苦笑いしてこっちを見ている。私は目をギュッと瞑って机の影に隠れた。
「いやいや無理だからっ!ちょっと待って、そこにいてね?あぁもう…」
ここには誰もいません作戦は失敗に終わり、私はチェスターさんに連れられて食堂の半個室――ちょっとした仕切りはあるけど、皆からも見えるようになってるところ――に来た。
席につくまでに何人か貴族の女の子が話しかけてたけど、チェスターさんは慣れた様子でやんわりかわしてた。チェスターさんが私にちょっとした迷惑をかけたという事にするみたい。
「あ~あ、気付かないなんて恥ずかしいな。周りが見えてなかった」
「う、ううん。私がこう、こっそり入っちゃって。」
「それ遠慮しないで食べてね。」
「ありがとう…」
季節限定のデザートを見下ろしてお礼を言った。
これ食べてみたいなって気になってたのがバレてたのかな?とも思いながら、フルーツがたっぷり乗ったアイスにスプーンを差し込む。
「あの、さっきの人って…?」
「聞いて楽しい話じゃないよ、迷惑な人。見かけても近付いちゃ駄目だからね?」
「そっか…うん、わかりました。」
深く聞かない方が良いって事だと、私はそれ以上さっきの事を考えるのはやめた。
アイスは冷たくて、とろっとして甘くておいしい。思わず頬が緩んじゃって、チェスターさんが優しく目を細める。
【 何か聞いてみようかな? 】
「チェスターさんは、家族は……兄弟とかいるの?」
「四つ下の妹が一人!すんごい可愛いよ?」
「そうなんだ!」
あんまり嬉しそうに笑うから、私もつられて声が明るくなった。
チェスターさんが今年で十六歳で、それで四つ下って事は……順番に指を折ってみて、はっとする。
「もしかして、来年?」
「そ。新入生として入ってくるから、カレンちゃんも会えるよ。仲良くしてやって。」
「わぁ、楽しみだね!どんな子なの?」
「目の色は違うけど、髪は二人共母親譲りでさ。俺とお揃いにしたがったりするの。可愛いでしょ」
ぱくっとアイスを口に運んだ私は、うんうんと強く頷く。
妹さんはチェスターさんが大好きなんだね。それはもちろんチェスターさんも同じで、妹思いなんだなぁ。
……その愛情が滲み出た笑顔はとろけたように優しくて、見つめてしまうとちょっと落ち着かない。
あとたぶん食堂にいる女の子達から私に視線が刺さってる。わ、私じゃない!私じゃないよ…!って説明したいけどそれもできなかった。
「去年まで長く臥せってたから、まだちょっと心配なんだけどね。」
「そうなんだ……今はもう平気?」
「うん。体力も戻ってきて頑張って勉強中だよ。シャロンちゃんは先に習ってるから、手紙で教えてくれる時もあるみたい。…本当に助かってる。」
何か思い出すみたいに目を細めて、チェスターさんは綺麗な仕草で紅茶を飲む。
そっか。
シャロンは公爵家のお嬢様で、チェスターさんの妹さんも公爵家のお嬢様で。同じ勉強がいるんだね。貴族に生まれたらそれだけで勉強する事が増える。
内容は私にはあんまり想像つかないけど、きっとすごい大変なんだろうな。
「カレンちゃんは一人っ子だっけ?家の手伝いもしてたって聞いたよ。」
「手伝いって言っても、薬草とか花を少し育ててたから…それを売るくらいだよ。」
「偉いね。それでお忍びの王子様に会うんだから、びっくりしたでしょ。」
「それはもう……あの時はまだ知らなかったけど。」
でも、あの日を境に自分の人生が大きく変わったのは間違いない。
どうせ魔力なんか無いって思ってたし、ウィルフレッド様達やシャロン、レオにも会えなかった。
「入学式で本当に慌てて。だって…あんなにキラキラした王子様が、私が会った子にそっくりで……シャロンだって、前は男の子の――あっ…」
「あははは、聞いた聞いた。大丈夫だよ」
言ってよかったのかなと一瞬焦ったけど、チェスターさんは知ってたみたいでよかった。ほっとして丸くくり抜かれたメロンをぱくんと口に入れる。甘い!
「おいしい?」
「うん!すごく美味しい。ありがとうチェスターさん。」
「そう言ってもらえると食べさせ甲斐があるなぁ。デザートが欲しい時はいつでもおにーさんに言って?な~んてね。」
「ふふ、お腹が減って死んじゃいそうだったら頼むかも。」
そうなった自分を想像しようとしたけど、お腹を空かせた人っていうと真っ先にレオが浮かんだ。
うーん、と首を傾げた私にチェスターさんが「どうしたの?」と聞く。
「えっとね…私より、レオの方が先にお腹を空かせるんだろうなって。」
「――それは、間違いないね。」
眼差しを優しく和らげて、チェスターさんはくすりと笑った。




