342.そういう味がする
「……そういえば、それ何ですか?」
アベルがテーブルに置いていた紙包みを指してチェスターが聞く。
開けていいと目で許可されてパラリと開けば、いかにも手作りらしいクッキーが三枚出てきた。あらま、と声だけはおどけて目を細める。
「誰からです?」
「カレンだ。」
「――ああ、なんだ。」
それなら異物毒物の混入はなさそうだと、チェスターはあからさまにほっとして肩の力を抜いた。プロ以外が作った物が珍しいのか、ウィルフレッドが興味津々といった様子で眺めている。
「まさか毒見無しで口にしてませんよね?」
「一応目の前で一枚食べてもらったよ。」
カレンを疑うわけではないが、相手が平民である以上そういった形式を守る事は大事だ。
ウィルフレッドはちょっぴり歪なクッキーとアベルとを見やった。
「あの子はお前のために作ってくれたのか?」
「いや、他にも配ってた。食べる?」
「いいのか!」
ぱっと顔を輝かせ、ウィルフレッドは自分の前から書類をどける。《先読み》検証の報告書はきちんと鞄にしまった。
摘まんだクッキーを二つに割ってから口に入れる。アベルが「人数分でちょうどいい」と言うので、チェスターも横から手を伸ばして一枚もらった。
それは「まずい」と感じる味ではなかったが、正直に申し上げて舌の肥えた彼らが「おいしい」と思える味でもない。甘くてざらざらしたクッキーにところどころ、数種類のドライフルーツが混ざっていた。
ウィルフレッドはほくほくした顔で飲み込み、残りの欠片を摘まむ。
「パティシエ以外が作ったクッキーなんて初めてだな。こういう味がするのか…なんというか、そう。独特の趣がある。」
「普段俺達が食べてるのとは、材料も違うでしょうからね。……アベル様、これちゃんと美味しいって言ってあげました?」
「悪くないとは言ったよ。」
「あー……」
微妙な顔をするチェスターに「何だ」と聞くより先に、サディアスがサロンに戻ってきた。
アベルが加わっていると見て挨拶し、見慣れないクッキーに視線を落とす。明らかな手作り感に少し眉を顰め、サディアスは黒縁眼鏡を指で押し上げた。
「それは……?」
「カレンちゃんが作ったんだって。これはサディアス君の分。はい。」
チェスターの説明にちらりと王子達を見回せば、アベルも、何か咀嚼しているウィルフレッドも否定しない。全員食べたらしいと察し、席に着いたサディアスは大人しくクッキーを受け取った。
食べやすく割ってからサクリとかじる。
数か月前カレンに好物を聞かれ、特に浮かばないと返したサディアス。
そういえばあれから少しは自分の好みを考えられたのだろうかと、チェスターはじっと彼を眺めて聞いてみた。
「どう?」
「…どうとは?」
「味だよ。」
「……ドライフルーツと、砂糖の味ですが。」
――そりゃそうでしょ!
口を開けたら声を上げて笑ってしまう。チェスターはぴったり閉じた唇を微笑みの形で維持した。
サディアスはチェスターに怪訝な目を向けてから残りを食べ始める。
そんな従者達のやり取りはさておき、アベルは長い脚を組んで騎士団長ティム・クロムウェルからの報告について考えていた。
法務大臣のニクソン公爵は、魔獣対策に関する法整備でかなり忙しくしているらしい。かねてから進言していた軍備拡張もこの機を逃さず進めてしまいたいのだろう。
魔獣対策が必要なのも確かだが、あまりそちらに労力を割くと帝国あたりは隙と見て攻めてくるかもしれない。第一皇子はともかく、皇帝はツイーディアを嫌っているのだ。だから対人の軍備も必要である。
ジョシュア・ニクソンの主張は大筋として間違ってはいない。
他とのバランスがとれていないだけで。
騎士団長クロムウェルは、騎士を増やすために入団試験の質を下げるつもりはない。
宰相マリガン公爵は一定の理解を示しつつ、軍備より魔獣そのものの分析、解明に力を注ぐ方が結果的に国防であるとした。
軍務大臣オークス公爵は国軍に拘らず、傭兵や民間人でも魔獣を討伐しやすい体制を作れないかと言い出し、「貴方がそれを言うのですか」とニクソン公爵を大層怒らせたらしい。
国王の騎士を率いるトップとして恥ずかしくはないのか、そのように人任せだから弟の所業にも気付けないのだと。
クロムウェルからの報告には「空気最悪過ぎて逆に面白かったです」、と書き添えられていた。困ったような眉をして、その実全然困っていないだろう笑顔が目に浮かぶ。
特務大臣アーチャー公爵は魔獣の殲滅が第一目標だとしながらも、全体数が不明である事からオークス公爵の案も同時に詰めておくべきだとした。
予想を超えて国中に広がった場合、魔獣の死骸処理や魔石の取り扱いについての正しい知識はもちろん、詳細な生息数、討伐数の把握においても国として仕組みを作るのは必要な事だと。
それを全て騎士――国軍の手で成すのがニクソン公爵の主張だったが、騎士団の屯所は人が住む場所全てにあるわけではない。
各自の意見を聞いた上で、国王ギルバートが判断を下した。
「俺とアベルに招待が来た。」
ぴらり、開封済みの封筒を二通見せてウィルフレッドが言う。
来月公演されるオペラ『剣聖王妃』の観劇チケットが届いたのだ。一枚につき何人か連れて入れるようになっている。サディアスが眉間に小さく皺を寄せた。
「《先読み》通りに…ですか。襲撃を企んでいるにしては、劇団はまだ怪しい動きは見せていないようですが……」
「そのようだな。果たして既に未来が変わったのか、欺かれているか、こちらが何か間違えているのか……チェスター、君はどう思う?劇団員と話しただろう。」
「えぇ。て言っても何人かですけど」
チェスターはチケットに書かれたメインキャストの名前を眺める。
一月半ほど前に偽シャロンの正体を探った時、俳優業の線を追ったチェスターはオペラハウスの歌劇団も訪れていた。面会を取り付けた女優だけでなく、たまたま近くにいた他の歌手や裏方の従業員ともちゃっかり知り合いになっている。
シャロンから襲撃事件について聞かされた後は、改めてチケットを買って観劇し、花束を持って控室にお邪魔した。
ハーヴィー・オークス役の男優がえらく喜んだので握手を交わすなどしつつ、次の演目は誰が活躍するのかと探りを入れて観察したのだ。
「そりゃ、やばそうな雰囲気はなかったですよ。気の良い人達で。それも演技って言われたらお手上げですけどね。」
「…そこまで徹底できるなら、舞台上から狙うなどという捨て身の作戦は取らないでしょう。もっと計画的に行うはずです。」
考え込むように眉根を寄せてサディアスが言う。
第一王子の負傷や暗殺が目的なら、観劇に集中している隙をついて合鍵などで貴賓席に侵入する方がよほど成功しやすい。劇場側がグルなら、貴賓席にあらかじめ潜んだっていいだろう。
しかし《先読み》によれば、観劇にきた客全員の視線が集まる舞台上から、一斉に貴賓席へ魔法を放ったという。
その時になってようやく貴賓席へ向かった敵もいたらしいが、それは隣の貴賓席から先に廊下へ出たチェスター達とぶつかった。
騎士団から寄越された資料と照らし合わせながら、ウィルフレッドは興味深そうに話を聞いている。劇場の見取り図には既に、当日の警備配置なども書き込まれていた。
アベルはティーカップに指をかけ、静かに傾ける。
オペラハウスでの襲撃事件についてはさして心配していなかった。《先読み》結果と違いアベルは最初からいるつもりだし、騎士も事件が起きる可能性を知っている。緊張感を持って配置につくだろう。
これもウィルフレッドがこういった話に慣れる機会と思い、兄に任せて自分は他の事を考えていた。
来年起きるという魔力暴走事件。
それに関連するかもしれない薬師ジョディ・パーキンズ――今では、彼女の死は偽装だったと考えられている。
教師陣の殆どにはそのまま死んだと伝えられたが、過去彼女を診ているノア・ネルソンは秘密裏に捜査に協力した。
現場で見つかった白骨を確認し、別人だと証言したのだ。
ならば、誘拐か失踪か。
しかし二月の事件に向けて《ジョーカー》を作らせる、あるいは自ら望んで作るとしても、ホワイトが寄越した資料によれば、材料を揃える時点でとても一個人の手に負える代物ではなかった。
例えば、ロベリア王国原産の希少な植物《アロトピー》の花。アクレイギア帝国の高価な《ビリデ草》の根、コクリコ王国で稀に見つかる《フィリンテ》の実。
君影国付近で採れる事のある《君影草》の花弁、またヘデラ王国の落葉樹の葉、ソレイユ王国の果物の果汁……それが材料の一部だ。
特に、アロトピーはロベリア王国が厳重に管理しているという。
だからこそホワイトはシャロンに「少なくともロベリアの協力者は必要」と言ったのだ。
果たして、本当に《ジョーカー》が使われるのか?
何の目的で?
暴走までにタイムラグがあり、強力な幻覚を引き起こすがゆえに、「暴走によって誰が傷つくか」はわからない。
《先読み》ではアベルが命を落としていたようだが、たまたま狙われたのはウィルフレッドだ。
サディアスに暴走を起こさせるとして、その高額かつ希少な薬を作るだけのリスクと結果の不確定さが釣り合わない。
――イザベル・ニクソンはサディアスを疎んでいるが、唯一の嫡男が暴走など起こせばニクソン家の悪評にもなる。クロムウェルの報告によれば、目立った動きもない……
ニクソン家やサディアス本人の醜聞目的なら、何も高額で厄介な《ジョーカー》でなくてもいい。狙って誰かを殺させたいならそれも向いていない。無味無臭とはいえ公爵家の嫡男に薬を盛る難しさもある。
ただ第一王子の従者である以上は、サディアスが暴走した時近くにウィルフレッドがいる可能性は高い。だがそれも確実ではない。
考え出すとキリのない話だった。
アベルは黒髪をくしゃりと掻き混ぜて紅茶に口をつける。この先何が起きようと、ウィルフレッドを喪う事だけはあってはならない。
「そういや、ウィルフレッド様。さすがにもうアレ決まりました?」
「ふふ…よく聞いてくれた。ようやく候補を五十にまで絞れたんだ。すごくないか?」
「遅過ぎると思いますが。」
サディアスが呆れの混じった冷ややかな声で言う。
シャロンとアベルと揃いの装飾品を、とウィルフレッドが選び始めてから、もうじき半年だ。
「君もいつかわかるよ。大切なひとに贈る時どれほど悩ましいか……」
「わかりたくはないですね。」
そんな事に何ヶ月もかけたら他の仕事が滞る。
いつか大恋愛したら相談乗ったげる、などとほざくチェスターを無視して、サディアスは資料の端を揃えた。
ウィルフレッドといいシミオンといい、特別な女性の存在は人を少し変にするらしい。




