33.闇のベール
灯りを消した部屋の中、ベッド脇の両開き窓を開け放って星空を見ていた。
さらりと吹き込む風が私の髪を後ろへ流す。
連続で剣を振る数は四千九百回を越えた。
明日はとうとう、チェスターの妹さんに会える。
「――…。」
つくづく思うのは、私の《スタート》があの日でよかったという事だ。
ゲームは王立学園の入学当日から始まるけれど、それではチェスターの家族は救えない。今だって、確実に救えると決まったわけではないけれど。
ベッドの上に座ったまま、窓の額縁に乗せた両腕を枕にする。
チェスターがウィルを殺し、アベルがチェスターを殺す。
そしていつかアベルも殺される。
その流れを止めるためにも、妹さんの病気の原因――魔法使い本人か、あるいは魔法を打ち消す方法を探し出す。ご両親が亡くなる襲撃事件も回避または迎撃して守り抜く。
ゲーム内でオークス公爵家をはめた、チェスターの叔父。彼をなんとかして牢に入れる事ができれば。ひとまず安心できるはずだわ。
見上げた夜空には月が、星々が、輝いている。
ツイーディア王国は騎士が作った国だ。
かつて実在した《月の女神様》と共に戦った騎士。だから王族は《星》を象徴としている。
黒い空で光る星を見つめて、自然と彼の事が頭に浮かんだ。
「……アベル」
「何?」
…。
……?
私は部屋の中を見回した。誰もいない。幻聴?
動揺して激しく瞬きをしながら、おそるおそる、小声で呼びかけてみる。
「あの、アベル?」
「だから、何。」
うーん!?
私は窓から身を乗り出して下を覗き込んだ。誰もいない。
「あ、貴方どこにいるの?」
「上だけど。」
うえ?と、窓の額縁に手をついたまま身体をひねる。
私の位置より人一人分ほど右へずれた屋根の縁から、細身のズボンと黒いブーツを履いた脚が見えていた。腰掛けているらしい。
こめかみに手をあてて、私は俯いた。一体いつからいたの、そしてどうしてそこにいるの。
「君、気配に気付いて呼んだんじゃないの?」
「えっ!?それは、その。」
気付いてなかったわと言おうとして、口をつぐんだ。いないはずの人を声に出して呼んでいたなんて、……ちょっと、その、恥ずかしい。
だって誰かが、ましてや本人がいるなんて思わなかったし、ふと呟いてしまっただけだから何も考えていなかったし…
「ど、どこにいるかまでは、わからなかったのよ。」
「ふうん。」
…通じたのか通じてないのかわからないけれど、顔を上げないほうがいい事はわかる。月明りでは暗くてよく見えないかもしれないけど、赤くなっているかもしれない。
私は手でぱたぱたと顔をあおいだ。
「それで、どうしてここにいるの?」
「用を片してきたところでね。君がぼーっとしてたから、何をそんなに見てるのかと思って。」
こんな夜中に用事…?
不思議に思ったけれど、聞いても「ちょっとね。」という一言しか返ってこなかった。
「声をかけようとしたらそっちから呼んでくるし、かなり驚いたんだけど。」
私もとっても驚きました。
とは言えないので、軽く笑って流しましょう。
「ふふ…でも、どうやってそこに?我が家の警備の問題になるわ。」
「黙っておいてあげなよ。門番が可哀想でしょ」
「言いつけるつもりはないけれど…」
夜風で顔の熱も引いてきて、私はもう一度上を見てみる。
先程と違って脚を組んでいるみたいだけれど、屋根に隠れた上半身はまったく見えない。
声をかけようとして、その前に自分の格好を改めて見た。
襟元や袖にフリルのある、淡いピンク色のネグリジェ……さすがにもう一枚くらい着た方が良いわね。
「ちょっと待ってて」
私はそう言ってベッドから降り、椅子にかけてあった白いカーディガンを羽織る。
もう一度ベッドに乗って窓の額縁に片手をつくと、彼のほうを見上げた。
「アベル、こちらへ降りてこない?」
「部屋には入れない。」
「わかっているわ、窓のところよ。私達、もっと小声で話したい内緒のお話があるわ。そうでしょう?」
今だって、この会話が誰かに聞かれているとは思わないけれど。それでも彼の秘密を普通の声量で話すのは躊躇われた。
一拍の間をおいて、アベルの脚が屋根の上へと引っ込む。
「離れて」
窓は私達が並んだってまだ余裕があるくらいの幅だけれど、私は言われるがまま大人しく手を離し、ベッドの上に座り込んだ。
外側に開いた窓に片手を引っ掛け、黒いブーツはこつりと窓枠に着地する。
フード付きのローブを着たアベルの顔は、真っ黒なベールに隠されてまったく見えなかった。
前世でも見覚えのない格好に、私は思わず目を見開く。
「…アベル?」
「うん」
つい確認で名前を呼ぶと、返ってきたのはやっぱりアベルの声だ。額縁に座った彼に手招きされ、両膝立ちで近くへ寄る。
黒いベールは薄い生地のように見えるのに、近付いても何も見えない。
「それ、貴方は見えてるの?」
「見えないね。」
「なんでそんなものを…」
彼はローブの中に手を入れると、一枚の紙きれとペンを差し出してきた。小さなインク壺もセットで額縁へと置かれる。
「内緒のお話とやら、書いてくれる?」
「わかったわ。」
確かに筆談なら小声よりも確実だ。
私はすぐ横から注がれる視線を感じながら、ペン先をインクに浸した。
少し、どきどきする。
アベルはどこまで「知られて構わない」と思っているのか、私にはわからないから。
けれど、たとえ前世の知識がなくたって、一つ目が正解なら二つ目は自動的にそうなるはず。鑑定結果をきちんと読み解けば。
だから、私は思ったままに書いた。
《貴方は魔法が使える。それも、全部。》
私が差し出したペンを受け取って、アベルはインク壺と一緒にローブへしまった。そして紙を手にとると、もう片方の手でベール付きのフードを脱ぐ。
金色の瞳が文字をなぞり、私を見た。
その瞬間に部屋の床が、ベッドの上が、ほのかに発光する。
「な、」
「静かに」
注意されて自分の口に手をあてる。光はすぐに消えた。
どういう事かとアベルを見ると、彼は紙を窓の外へ垂らし――
「正解。」
ボッと音を立てて、紙は燃え尽きた。
ゲームの設定通りだ。アベルは宣言を唱えずに魔法を使う。
「じゃあ、君自身の事もわかった?」
「えぇ。私、無意識に魔力で自分の身体を強化…?しているのね。そして貴方も。」
「僕以外では君が初めてだけどね。騎士団でも使ってる人はいないと思う。」
「そうなの?」
「たぶんね。」
それはやり方や存在が知られていないのか、使えないのかどちらなのだろう。
でもアベルから騎士団には確認できないわね、彼には魔力がない事になっているのだから。なぜわかるのかという話になってしまう。
「教えてくれてありがとう、アベル。お陰で私にも魔法が使えるってわかったわ。」
「どういたしまして。僕の事は内緒にしてくれると思っていいかな。」
「もちろんよ。言わないと信じてくれたから、話してくれたのでしょう。」
彼の信頼が嬉しくて微笑むと、アベルはただ口角を上げて返した。
それにしてもと、私は辺りを見回してみる。今はもういつも通りの、自分の部屋。
「さっき光ったのも貴方が?」
「そう。ここは聞き耳を立てるのが上手い人がいるでしょ。少し確認させてもらった」
それは一体誰の事かしら……。
少し首を傾げた私に、アベルはフードについているベールを指でつまんでみせる。
「ちなみにこれは闇の魔法。つけている間は風にあおられようと絶対に中身を見せない」
「なるほど、王子様のお忍びにピッタリなのね?」
「下しか見えないのが難点だけどね。」
アベルはそう言ってまたフードをかぶってしまった。
ベールがその顔を覆うと、こちらからは顎と首元が見えるだけになる。……何も今、かぶり直さなくても。
「身体を強化するというのは、どうしたらいいのかしら。まだ意識的にはできなくって。」
「治癒の魔法を使ったことは?」
「…ないわ。」
ここでその話になると思わなくて、意外に思いながら言葉を返した。
治癒の魔法。
それだけは全ての魔力持ちが――クオリティの差はあれど――使えるものであり、基本的に宣言は不要とされている。
宣言が必須とされる五属性と比べれば、そこにも違いがある。
やり方は《外傷》部位に魔力を流し込むというもので、手をかざすのが一般的だ。自分の体なら、近付ける必要もないので立ったままでも…やれる人はやれる、らしい。
ただ既に塞がった傷をキレイにするとか、外目には見えない内蔵を治すとかは難易度が高いし、欠損したものを復元させるというレベルになってくると、治癒の魔法を専門としている上級医師の手にかからねばならない。
「自分の身体に意識して魔力を流すという意味で、僕達の身体強化と自己治癒は近いものがある。」
「確かにそうね…自己治癒、か……」
「……自傷は勧めない。」
ぎくり。
ちょっとナイフとかでピッてやって練習しようかしら、なんて思っていないわ?本当よ。ちらちらと視線を泳がせる私に、アベルがため息を吐く。
「通常の魔法でも、《手の中》《足の先》のように意識的に自分の身体を基準にすると、そこに魔力が流れる感覚があるはずだ。魔法は結局イメージの力だからね。」
「少し、熱をもったような感覚はわかるわ。あれかしら。」
「それも人によって違うらしいけど、君の場合はそうなんじゃないかな。」
ふむふむと頷きながら両手を握ったり開いたりしてみる。
アベルが左手を差し出したので、私はそこへ自分の右手を重ねた。軽く握られた手がほんのりと温かくなり、それは染み渡るように私の身体へ広がっていく。
「…これは」
「君の左手に向けて流す。感覚だけみといて」
そう言われて、魔力の流れに意識を集中する。
右手から染み渡った温かな魔力は、するすると左手へ移っていった。
皮膚をぴったりと覆う外殻のように、けれど手の内側――手のひらだけでなく、骨だけでなく、この手に詰まった全ても、隅々まで等しく満たすように。
アベルが手を握るのをやめると、魔力の温かさもすうっと消えていった。
まだ彼の手に自分の手を重ねたまま、私は掴んだ感覚にどきどきしながら顔を上げる。するとベールがとても邪魔に思えて、私はもどかしさのあまりもう片方の手で彼のベールをそっと持ち上げ、そのままフードをぱさりと下ろした。
私がなぜそうしたのかわからないのだろう、きょとりとしたアベルが二度瞬いた。手を彼の頭の後ろへやった分、私達の距離が近付く。
喜びを伝えたくて、重ねたままの手を今度は私が握った。
「ありがとう、アベル。とてもよくわかった気がするわ!」
「そう……?ならいいけど」
「私、手を強くしようという時は、手のひらに丸く魔力を集めるようなイメージをしていたの。でも貴方は全然違っていた。」
具体的なイメージがまったくできていなかったのだ。
私のやり方では、仮に強化できても手のひらだけで、指先は弱いままになってしまう。考えてみれば当然のことをどうして気付けなかったのかしら。
「早く強化するのと、より広範囲を強化する事、強化の度合い…その辺はまた別だから。今の自分がやれる事を見誤らないように。」
「……えぇ。気を付けるわ」
情けない顔にならないようにと思ったけれど、やっぱり眉尻は下がってしまう。
あの時なにもできなかった、その後悔がちくりと胸を刺した。自然と顔が少し俯いてしまうのを、ぐっと持ち直して。私はアベルを見上げる。
そして、失態を自分から話そうと口を開いた。




