333.帰ってきた俺ちゃん
七月――…我儘王女と三人の令嬢が、カレンの教科書を破くイベントの時期だ。
ゲームでは途方にくれるカレンのもとにロズリーヌ達が姿を現して嘲笑し、そこへ親友キャラこと私が現れて冷静に、けれど毅然とした態度で追い返す。
けれど私が生きる現実の殿下は我儘王女なんかではなく、むしろ三人の令嬢、オリアーナ・ペイス伯爵令嬢達を諫めてくれた。
従者のラウル・デカルトさんを連れ、くるくると表情を変えながら学園生活を送っておられる。今の殿下ならばきっと、あんなイベントは起こらない――私はそう考えている。
「お嬢様の実家めっちゃ怖かった……」
四人席が一つだけの、食堂二階の半個室。
静かにティーカップを傾けた私の向かいで、今週から戻ってきたジャッキーがぼそりと言った。
私より少し濃い色彩の紫髪はヘリオトロープといったところか、三つ編み一つにまとめて胸へ流している。
こうして近くで素顔を見ていると、彼が確かに中性的でそれなりに整った顔の持ち主だと見て取れた。目や鼻などのパーツに私と大きく異なっている部分は無く、確かに化粧と魔法を使えば彼が一番なりやすい貴族令嬢は私なのだろう。
それについてはとんでもない報告が届いていた。
彼、ジャッキー・クレヴァリーは……私の親族だったのである。
お父様が彼の身元を調べて発覚した。
物心つく前のジャッキーを連れて母親が結婚したのが、借金を残して亡くなった父親なのだ。では実父は誰だと探ったら、一夜限りの相手でなんと私のお母様の叔父だった。
私からすれば母方の祖母の弟。
既に亡くなっているけれど、生きていれば今年で五十歳になっただろう人が、ジャッキーの父親らしい。私の祖母は伯爵家の出身で、ジャッキーは伯爵家第三子である次男が結婚後に外で作った子供だ。
どうも、ジャッキーの母は子ができた事を伝えなかったらしい。
まとめましょう。
ジャッキー・クレヴァリーは私の母ディアドラの、年の離れた従弟にあたる。
私の従弟父だ。今のところ本人は何も知らないし、このまま知る事はないかもしれない。
「屋敷広くてびっくりした。旦那様、と奥様、執事のー…」
「ランドルフね。」
「そう、ランドルフさん、あとオレンジの……メリルさんに囲まれて、まして。勉強休めると思ったら先生つけられるし、王様のとこ連れてかれるし、ロイさんはずっと笑ってるし。」
謁見の事は手紙で聞いていた。
ジャッキーはすぐ気絶してしまったそうだけど、お父様によれば陛下も王妃殿下も「すごい」とはしゃいでいたらしい。……私としては、お二人がはしゃぐ姿がちょっと想像つかないけれど……長年の付き合いがあるお父様が言うからには、間違いないのだろう。
「授業の事は聞いているかしら。」
「あ、はい……えと、書類はもう出してもらったって。」
引きつった顔で視線を彷徨わせるジャッキーは、やはり剣術も護身術も習いたくないみたい。
ただ襲撃に遭ったり騎士団で「強そうな人」を沢山見た事で、学んでおいた方が身の為、という事には理解を示してくれていた。私の傍に控えるダンが澄まし顔で頷く。
「剣術の初級にはまだ俺もいます。最初から怪我をするような事はないのでご安心を。」
「うへぇ……りょーかいです。」
ジャッキーはギュッと目を瞑って言い、ぱちりと開いて水を飲んだ。
ここは半個室。
他のテーブルが無い仕切られた空間とはいえ、食堂にいる生徒達からほぼ丸見えになっている。紅茶を嗜む私の前で水だけのジャッキーが身体を固くしているのを、多くの人が目撃しただろう。
こちらからもよく見える状況なので、盗み聞きしようとわざわざ近付いてくる人はいない。
ジャッキーが水の入ったグラスを鷲掴みにしてぐいとあおったものだから、私は静かに扇子を広げて口元を隠した。彼には通じなくていい、遠目から見ている人向けだ。
トンッと音を立ててグラスが置かれる。
「ジャッキー、背筋を伸ばして」
「あ、はいっ!」
びくりとして姿勢を正した彼は、やはり一月前に見た時より普段の姿勢が良い。
お母様がつけた先生の努力も少しは報われているみたい。ダンほど見事に表裏使い分けられるようになるかどうかは彼次第ね。他者を演じる力はあるけれど、紳士然とした自分を演じるのはまだ難があるようだから。
「お金について、独特な稼ぎ方を提案したと聞いたわ。面白いアイデアだけれど、アーチャー家の下に入ったからにはやらせてあげられないの。」
「あー、聞きました。他の声やるのは特に駄目だって、言われるまで俺ちゃん全然気付かなくて。」
「貴方の安全のためでもあるけれど、そもそも私の時と同じように、本人の意にそぐわない事になるでしょう?」
「はい……。」
ジャッキーが肩を縮めて落ち込んだように頭を低くし、私は音の出ないよう扇子を閉じる。
ランドルフに絞られる中で、彼は二つほど借金返済案を出していた。公爵家の指示以外でも何か働いて借金を返したいという気持ちは嬉しいけれど、方法が問題だった。
まず、《お望みの声でお望みの台詞を!》。
ウィルの声で甘い言葉を囁いてもいいし、アベルの声で負けを認めてもいいし、誰の声でもいい。お金さえ払えば。声を真似される側としては堪ったものではないけれど、確かにありとあらゆる需要がありそう。
次に、《貴族男子のオトし方教えます!》。
ジャッキーがかつてウェイトレスとして働いた酒場は、娼館の女性がよく来る店だったらしい。女装と知って大いに気に入られた彼は、酔ったお姉様達から化粧の仕方や男に好かれる方法を伝授されたのだとか。
ランドルフが雷を落とすのも無理はない。
そんな稼ぎ方をされてはアーチャー公爵家の名折れだと、絶対にやってはならないと、ジャッキーは耳がキーンとするまで怒られたそうだ。
私としては自力でも頑張ってみたいと考えた彼の意思を汲みつつ、我が家にも迷惑のかからない手法でお願いしたい。
「一つ提案があるの。貴方はお化粧も自信があるでしょう?」
「そりゃまーね。仕上げは魔法って言っても、元をガッツリ寄せないと使う魔力多くなるし。」
「人にした経験は?」
「結構ある、りますよ。酒場で働いてた頃の小遣い稼ぎでやってました。」
評判は良かったと聞いて私は頷いた。
どれくらいのものか今度実際に見せてもらいましょう。何の提案なんだと首を傾げるジャッキーに、私は説明する。
学園の女子寮は自分の家の侍女を連れて入れない。
お金を払って寮勤めの職員に着付けや化粧、髪のセットや手入れ等をお願いする事はできるけれど、金銭に余裕のない令嬢は自分で化粧をする。母親や家の侍女に習ってから入学した人も、習わず今苦心している人も、教わる相手がいなかった人も様々いて、実力は人それぞれ。
化粧の仕方をある程度わかっていても、個人に合った色使いだとか、どう見せたいかによってどんな工夫をするか、その辺りの知識が揃っている人はそんなにいない。
また、平民出身だと化粧に興味はあれど、今までまったく手を付けた事がないという娘も多かった。
「お化粧で悩む女子は多いという事よ。貴方がそれを解決できたらとても素敵だわ。」
「なるほどなぁ……けど、ほんと人によるじゃん?毎朝女子寮行って化粧してやれるわけじゃないし、教えるっても材料どうー…します?」
「価格帯によっていくつかのパターンを想定して、初期投資の化粧道具は私が揃えます。依頼人との仲介もね。」
「俺ちゃんは貰った道具で、目の前の人の相談に乗れば良いってこと?」
「そうよ。」
満足させられたら、使った道具がどこで売っている何という製品かを書いた紙を渡す。
商会と交渉して紹介料を貰うか何かできればなお良いわね。道具をそろえる時点でどこから買うかよく考えなくては。
「ご令嬢達は平民の男に教わりたくないんじゃないの?顔に触んなきゃ化粧できないし。」
「ジャッキーとして対応する必要は無いのよ。」
「あー…、そういう事?客とバッタリ会っても初対面のフリすればいいのか。」
「お悩みは他言無用だもの。」
「うっかりよそで客の名前呼んじゃったりしたら?」
「私から名前を聞いたと言えばいいわ。」
ジャッキーのままで敬語や丁寧な仕草をやるより、数年だけリラに滞在予定のミステリアス美人でも演じてもらう方が良い。同じ学園に通う男子に化粧の悩みなんて言えるはずがないのだし、ジャッキーが私以外にもなれるのではと勘繰られても困る。
「やれって言われたら俺ちゃんはできますけど、稼げるかな…」
「物は試しだもの。最初は数人お客様をとってみて、上手くいきそうか様子を見ながらやってみましょう。」
私達の本分は学生なので、大々的にやる事はない。
いきなり人数が増えてもジャッキーは一人だし、彼だけで対応させてはまずいので見張り兼調整役も必要だ。
貴族も同じ伯爵一つとっても金銭的に厳しい家と余裕のある家は違うから、依頼人によってどの価格帯の化粧品を勧めるかは私が決める。
稼いだ額の何割かは返済と別でジャッキーのお小遣いにしたら、やる気も続くかしら。まずは秘密を守ることや、綺麗な姿勢と口調を維持することに慣れてもらえるといい。
お父様の下で働くにしても、騎士団に入るにしても、秘密保持と礼節は大事なのだから。
ジャッキーは「ん~」と唸りながら頭を掻いた。
「わかりました。お嬢様がせっかく考えてくれたんだから、やってみる。」
「ふふ、護身術や剣術もね。」
「そっちは自信ないなぁ!すごく無いです!ね、見てよこの細腕。か弱いんだよ俺ちゃん」
「大丈夫、か弱くてもどうにかするのが護身術よ。カレンも受けているわ」
「……剣は……?」
「少しずつ力をつけましょうね。」
にこりと笑って言う。
ため息混じりにテーブルへ突っ伏したジャッキーをダンがひょいと起き上がらせた。首根っこを掴んだものだから、細い首から「ぐぇ」と声が漏れている。
ケホケホ咳をしてから、ジャッキーは神妙な顔で私を見た。
「おじょーさま」
「なぁに?」
「学んで損はないって言ってたけど、人にはさ、ゆとりってものが必要だと俺ちゃんは思うです。思います」
「そうね。無理がない程度に頑張っていきましょう」
「頑張るのが無理なんだって!」
「ふふ」
相変わらず賑やかな子だ。
やる前から無理だとわかる物事もあるけれど、さすがに今回は該当しない。
彼は酒場やら何やらでキリキリ働いていたのだから、まったく筋力がないというのは間違いだ。戦いのための筋肉ではないけれど。
イングリス先生も鬼教官というわけではないし、私はジャッキーに自主鍛錬をしなさいとまでは言ってない。無理と言うならしばらく授業を受けてからだ。
淑やかに紅茶を喉へ流す私の前で、ダンはジャッキーの肩に手を置いて囁いた。
「ま、諦めろよ。」
「うぅううう~~~っ!」




