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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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329.口走った言葉は




 山中の小さな村。


 舞台袖から現れたドルフ少年が両腕を大きく広げ、駆けまわり、跳び上がって声を張る。

 「大変だ」「土砂崩れだ!」「人喰いオオカミも出たぞ」「今日こそ村はおしまいだ!」内容の割に歌声はひどく楽しげで喜色に溢れ、伴奏もリズミカルで陽気なものだ。


 セットの草むらや物陰、扉を開けたりとあちこちから村人達が顔を出す。

 「何だって」「そら大変だ!」「俺の家に大蛇が出たし」「あたしはたった今全身の骨を折ったよ!」誰もが明らかな嘘を歌い上げて笑い、駆けまわるドルフとハイタッチしたり、からかうように背中を叩いては、少年の頭から落ちた帽子をひょいと放り投げて戻してやった。


 彼が去った後で村人が噂話を歌うところによると、ドルフは両親を亡くして村の大人の手伝いをしながら、報酬に食べ物を貰うなりして生きている。

 よく笑いよく働く子で、朝にああやって駆け回るのは、驚くような嘘を叫ぶ方が大人の寝起きが良いと学んだためだった。大人が起きて手伝いの仕事がなければ、彼は困ってしまうのだ。

 すっかり習慣付いた嘘に驚く大人はもういないけれど、村はドルフ少年の嘘に嘘を返す挨拶で始まり、皆が顔を合わせれば良し、足りない寝坊助がいるとドルフがそのまま起こしに行く。そうやって村は回っていた。


 さて、村中を駆け回ったドルフは家の屋根に上がって遠くを見るように目をこらし、ハッと大きく目を見開くとぴょんと飛び上がる。

 「よそ者が来たぞ!きっと盗賊だあ!」たたん、とステップを踏んで走り出した彼は伴奏のリズムと共にスピードを上げ、風の魔法による演出で木の葉が舞った。




 どきどきしながら、シャロンは持っていたオペラグラスを下ろす。

 家庭教師の授業で既に学んだ逸話であり、小説化されたものを読んだ事だってあるとはいえ、オーケストラの生演奏に俳優の歌声、実際に舞台を駆け回るドルフ、大人達の温かい笑顔――…それはオペラならではだ。


 ぴったり横に並べられた椅子はひじ掛けがあるとはいえ、少し身体を傾けたらすぐに肩が触れてしまいそうなほど近い。シャロンが自分を見たのを察して、アベルは金色の瞳を隣へと向けた。

 彼女は興奮を隠しきれない様子できらきらと目を輝かせていて、薄紫の瞳は言葉がなくとも「見た?すごいわ!」と伝えてくるかのようだ。アベルは目を細めて微笑み、小さく頷く。

 再び舞台に歌声が響いた。




 この先に村があるらしいと話しながら進むのは、エルヴィス・レヴァイン一行だ。


 良い酒と美しい女性がいれば嬉しいなどとハーヴィー・オークスが軽口を叩き、エルヴィスが真面目にやれと苦笑し、グレゴリー・ニクソンは「良い出会いがあればいいな。もちろん同志の話だ」と二人の肩を叩く。

 片目に眼帯をつけたアンジェリカ・ドレークは男共のやり取りに呆れつつ、か弱くも美しい太陽の女神が山登りで疲れていないか気にかけていた。


 村に到着した一行は最初盗賊と間違われるが、飛んできた矢をグレゴリーが華麗に叩き切り、丸太が転がって来る罠も全員があっさり跳んでかわすなどして歩みを止めない。

 呆気に取られる村人達に敵意はないと示したところで、「たまげた人達だ」と歓迎された。「謝罪もかねて今宵は酒盛りを開こう」と、防衛のために出てきていた逞しい村の男衆が陽気に歌い踊り出す。


 合唱の最中、ちょろちょろと少年ドルフが物陰から現れては「出て行け!」「盗賊め!」「酒で溺れて死んでしまえ!」と叫ぶように歌ってすぐに隠れた。


 村人達は一行を「盗賊呼ばわりしても許してくれた男前と美人さん」などとおどけて歌い上げる。

 治安はどうとか真面目な話を始めかけたエルヴィスを、ハーヴィーが「話は美味い酒を飲みながら」などと背中を押して連れて行った。

 後に続こうとしたグレゴリーの首根っこをアンジェリカがひょいと引き留め、「盗賊と疑っていた子はどうするんだ」と、今はまたどこかへ隠れた少年を探すように両腕を広げてみせる。


 村人の男は嘘つきドルフの話を教えると、太陽の女神の腰へと伸ばしたやましい手をグレゴリーに叩かれた。

 一行は全員が酒宴に参加する事となり、舞台に一人残ったアンジェリカはもう一度だけ周囲を見回してから舞台袖へ消える。




 緞帳が下りて劇場の照明が明るくなった。

 第一幕の終了、今から三十分ほどは休憩時間だ。


 アベルが立ち上がって手を差し出すと、シャロンは素直に手を乗せて席を立つ。まだ頭の中でオーケストラが音色を奏でているような感覚で、手を引かれながら口を開いた。


「まだドキドキしているわ!皆さん素敵な歌声だったわね、ア――」


 カーテンの奥へぐいと引っ張られて声が途切れる。

 たたらを踏んだシャロンの身体を受け止め、アベルはソファの座面に片膝をついて彼女をそっと座らせた。背もたれに片手をつき、目の前で丸くなった薄紫の瞳をじとりと見下ろして囁く。


「俺の名を呼ぶなら、こちら側でだ。」


 個室はびっしり並んでいるため、観覧席側にいては隣の個室に声を聞かれる可能性があった。舞台の歌声を聞くために、防音の魔法は施していないのだから。

 シャロンがきょとんとしたのは僅かな時間で、彼女はすぐに「そうよね、わかったわ!」と頷く。目には未だ興奮冷めやらぬ輝きがあり、早く早くとばかり自分の隣へ座るようアベルの袖を引いた。

 アベルが促されるまま座ると、シャロンはどの歌手のどこの歌声が良かったと話し始める。


「――それに、ドルフが歌を挟む間もぴったりだったわね!練習なさっているでしょうから当たり前なのだけれど、村人の歌詞との合わせがよくできていて。あと、丸太を避ける時の皆さんの動きが……!」

「風の魔法だな。」

「やっぱりそうよね?でも高さがそれぞれで違っていたり、太陽の女神様はアンジェリカ様が手を取って補助していたでしょう。」

 シャロンは「こうやって」とアベルの手を取り、繋いだ手を下ろしながら「ね」と柔らかく笑いかけた。

 アベルは楽しそうに話す彼女をじっと眺めながら相槌を打ち、そのまま手が離れなくとも好きにさせている。恐らくシャロンは繋ぎっぱなしという事に気付いていない。


「――……、アベル?」


 はしゃいでいた彼女から、まるで「どうしたの」と伺うような視線が送られた。

 何かと思えば、アベルは無意識にシャロンの手を緩く握り返していたようだ。それが意味ありげに感じられたのだろう。

 薄紫の瞳を見つめながら、アベルは薄く微笑んだ。


「楽しいか?」

「えぇ、もちろ――…あ…」

 花がほころぶように笑って言いかけたシャロンが、ぴたりと止まる。

 さっきから殆ど自分が喋ってばかりだったのではないかと考え、そうだと気付いて頬が赤くなった。肩を縮め、視線を落として消え入るような声で呟く。


「私……あの、少し話し過ぎたわね。こんな一気に喋るものではないわ、もっと抑えないと……」

「構わない。俺は公爵令嬢の批評が聞きたいわけじゃないし、」

「でも」

「楽しそうなお前を見るのは好きだ。」

「――……。」

 今度こそ固まったシャロンを見て、アベルは不思議そうに少しだけ首を傾けた。


 どうしたと問うつもりで、繋いだ手の指先でそっと彼女の手を叩いてみる。シャロンの肩がぴくりと跳ねた。

 顔を覗き込むと、頬を赤らめた彼女は動揺した様子で目を泳がせている。令嬢として良くなかったなどと、今更アベル相手に気にする事ではないのに。


「そんなに恥じる事はないだろう。」

「だって…貴方今、何て言ったの?」

「今?」

 何か言っただろうかと眉根を寄せ、アベルは瞬いた。

 さして妙な事を口走った覚えはない。落ち着けと言うつもりで手を握り直しながら背もたれに身を預け、大まかにどんな会話だったかを思い返した。


 ――確か、そう。


「お前が楽しそうで良かった、とでも言ったか?」

「………そ…うね?大体……そんな風な事だったわ。」

「……?そのままの意味だ。お前が喜べばウィルも喜ぶ」

「あぁ、今すごく理解したわ。」

「そうか。」

 何かが解決したらしいシャロンを見て、アベルも頷く。

 じきに第二幕が始まる時間だ。




 村の男十数人とエルヴィス一行が酒盛りをしている。


 ハーヴィーが悲しげに「なぜ村の女性が一人もいないんだ」と絡めば、アンジェリカが鬱陶しそうに肩を押しやって「酒を恋人にしてればいい」と叱る。村の男衆はそれを笑いながら「こんな色男達を見せられるか」「攫われてっちまう」「むしろついて行くだろう、喜んで!」などと歌い上げた。


 ヤケのように景気よく酒瓶を傾けるハーヴィーに男達がやんやと拍手喝采するのを、舞台袖からひょっこり顔を出したドルフ少年が睨んでいる。

 飲めや食えやさぁ飲めやと歌われる中、アンジェリカと目が合ったドルフは逃げ出した。騒ぐ酔っ払い達は誰一人、少年を追って出ていく彼女を止めはしない。


 エルヴィスは太陽の女神に飲ませようと差し出される酒を片っ端から奪いながら、真面目くさった質問を村人に投げかけた。

 「何人住んでる?」「百億人!」「賊が来た事は」「ありません!」「土地を狙われたりは」「してません!」「この指何本」「三十本!」「酔っ払いども!」笑い続ける村人をよっこらと投げ転がすエルヴィスを、太陽の女神がくすくすと慈愛の微笑みで見守っている。

 その後ろを「トイレはどこだ、俺のオアシス」とフラフラ歌って、ハーヴィーが会場を出て行った。


 グレゴリーは苦笑しつつも飲み比べを受けて立っている。

 酒を飲み干して「どうだ降参だろう」と歌えば、村の男も飲み干してフラつきながら「まだまだこれから」と歌った。

 勝てば日持ちのする食料を少し分けてもらえるという賭けだ。

 しかしグレゴリーの死角で、村の男の酒瓶は中身を水とすり替えられている。だんだん呂律が怪しくなってきたグレゴリーを、「一旦酔いを醒ましていいぞ」と気の良い男達が数人付き添って外へ連れ出した。




 オペラグラスをしっかりと持ち、シャロンは固唾を飲んで舞台上を見守っている。

 仲間はどんどんいなくなって、宴会場にはエルヴィスと太陽の女神だけだ。


 やや前のめりになっているシャロンの横顔を、アベルは薄く微笑んで眺めていた。

 是非行ってこいとウィルフレッドに言われた時は混乱したが、何故こうなったと悩むのをやめ、護衛役に選ばれたくらいのつもりに切り替えてからは楽だった。

 楽しそうに笑う彼女を見るのは、弾んだ声が紡ぐ話を聞くのは、悪くない。


 一度オペラグラスを下ろそうとしたシャロンが慌てた。

 ウィッグの前髪が絡んだらしい。アベルは「動くな」と囁き、彼女の頭を引き寄せて器用に解いた。「ありがとう」と微笑まれて頷き返すと、彼女は気を付けながら再びオペラグラスを覗き込んだ。




 ドルフは警戒するように建物の影からアンジェリカを見ている。


 腰に佩いた刀には触れないと示し、アンジェリカが凛々しくも美しい歌声を響かせた。名乗りを上げ、兄弟達も自分も決して悪いようにはしないと、困っている事があるなら助けになると、そのために私達は各地を回っているのだと告げる。


 そうっと窺うように出てきたドルフは薄い光の魔法を纏っており、「本当に?」と涙が滲むような震え声で歌い、アンジェリカは力強く頷いた。「絶対だ。私は片目しかないけれど、見るべきものは見えている。」


 ドルフは泣き崩れて叫ぶ。「本当に僕が見えるの」「見えている」「聞こえているんだね、助けを求めたこの声が」「聞こえている!」「ああ、奇跡だ!」オーケストラが重低音を響かせて衝撃を予感させる。


 ドルフを包む光が強まり、その身体がふわりと浮かび上がった。

 「お願い、お姉さん。あいつらを」アンジェリカが見上げる先でドルフの姿は薄れていく。「盗賊達をやっつけて!」少年の泣き顔が見えなくなり涙の光すら途絶えると、アンジェリカは刀を抜いて駆け出した。




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