307.乙女達の可能性
「魔獣の事は何か知ってる?ブラックリー領にも出たけど」
「それが、私が知っている可能性ではこの時期に魔獣はいなかったの。もっと何年も後で、見た目からして違うモノが魔獣と呼ばれてはいたけれど……」
シャロンはゲームに出てきた魔獣について説明した。
ギトギトと脂っこい黒毛、通常より大きな体躯。体表のどこかに埋め込まれた魔石を砕かない限り、たとえ心臓や頭が無くても襲ってくるのだ。ホラーである。
一応、予想や懸念といった形で父エリオットにも伝え済みだ。
「そっか…」
「情報があまりなくて申し訳ないわ…」
「いやいやいや!むしろあり過ぎでしょ。ほんとにどうやってこんな……あ、答えなくてもいいからね。」
つい本音が零れた様子のチェスターが急いで付け足す。
探られたくない事を無理に探って信頼関係を損なうのが一番よくない。
シャロンは緩く首を横に振った。
チェスターとダンは既に、シャロンの言う「可能性」が現実に起こりうると知っている。
荒唐無稽な妄想だと言われる事はないし、未来に備えて巻き込まれてくれているのだから。
「たとえるなら、夢の中で上下巻の絵本を読んだ……いえ、読まされたという感じかしら。お話の途中途中でいくつか分かれ道があって、内容が少しずつ変わっていくの。上巻は来年の三月まで。下巻は卒業から数年経った未来のこと。」
「そりゃ随分なげー話だな。」
「つまり上巻の終盤で、ウィルフレッド様かアベル様どちらかがいなくなるんだね。」
シャロンは重々しく頷いた。
第一王子が死ぬか、第二王子が死ぬか。ゲームシナリオにおけるツイーディア王国の歴史では、それが最大の分岐点だったと言えるだろう。
「にしても未来の事がわかるなんて、シャロンちゃんって女神様の加護でも受けてるんじゃない?」
「どうかしら……絵本には女神様の事は出てこなくて。」
「そらそうだろ、神話じゃねーんだから。……そういや、アレ何だったんだ?神話学の教師に聞いてたやつ。」
ダンの言葉に、チェスターは説明を求めてシャロンを見る。まだ解決していない話なので、シャロンは少し眉尻を下げた。
「下巻の私がすごい薬を持っているのよ。大怪我でもたちまち治して魔力すら回復する薬。」
「万能薬じゃん…」
「あるに越した事はないから探しているのだけど……ホワイト先生には、薬学ではなく何かのスキルによるものという考察を頂いたわ。だからグレン先生に、太陽の女神様の治癒力はスキルかどうか、なんて話を聞きに行って。」
シャロンの話を興味深そうに聞いて、チェスターはようやく紅茶に口をつけた。
語られる未来の可能性に聞き入っていたせいですっかり冷めている。
「……ついでに言っておくと、グレン先生はアベルに近付けない方がいいかもしれないわ……」
「えっ。何、急に…それどういう表情?」
シャロンどころかダンまでもが何とも言えない苦い顔をするので、チェスターも困り顔になった。
なんというか、その。と伝え方を迷うようなシャロンを見てハッとする。
「いいよ、シャロンちゃん。言わなくて…」
「どうして…まさか気付いていたの?」
「いや、グレン先生がそうとは、言われるまで全然わかんなかったけど……アベル様ってほんと、誰彼構わず魅了しちゃうから…」
「ぶはっ!」
ちょうどアイスコーヒーを口にしたダンが噎せた。げほげほと咳き込んでいる。
「脅してるのに相手が怖がりながら見惚れてるなんてザラだし、ほっとくと自称下僕が増え…」
「待って、あの、すごく…すごい誤解があるわ。」
「え?」
「っはははは!げほっ、ごほ、ぶふっ、はははは!」
ダンが腹を抱えて笑う横で、シャロンは懸命にグレンとの会話を説明した。
「こほん、話を戻すわね。」
「うん、ごめんね…」
「六騎士や女神様については……グレン先生は、王家と五公爵家が隠している事があるのではと言っていたわ。」
「初代様か……うち、よく言われるよ。女神像をどこに作り置いたのか、リストがあったりしないのかって。」
チェスターはため息混じりに首を横に振る。
ハーヴィー・オークスこそは各地に置かれた女神像の製作者とされるが、アーチャー公爵領カンデラ山にあった女神像のように、未発見の物もまだあるのではと囁かれていた。
どこにどれだけ作ったのか、製作者が記録さえ残していれば!――と、子孫に言われたって困るのだ。ない物はない。
「万能薬は気になるけれど、ひとまず私達が備えるのは二月の事件……そしてオペラハウスね。」
「あんま先の事考えたってしゃーねーからな。」
「状況どんどん変わってるんだろうしね。いや~、可能性知ってるだけ怖いね。どこまでそのままでどう変わってるのか……」
「そう…いっその事、もっと変えてみようかしらと思ったりして。」
口元に軽く握った拳をあてるシャロンに、チェスターが首を傾げる。ダンも何も聞いていなかったのか、何を言う気なのかと隣を見た。薄紫色の瞳と視線がぶつかる。
「ダンがいる事も、ロズリーヌ殿下の性格が変わって、傍にデカルトさんがいる事…チェスターのご家族が無事である事、ウィル達が険悪ではない事。絵本と違う事はたくさんあって、中には魔獣のように良くない事柄もあるけれど。」
すべてがシナリオ通りに進むより、変化がある方が可能性は広がるはずだとシャロンは言う。
目には見えなくとも、選択肢は増えているのではないかと。
「敢えて変えてくって事?」
「そう、たとえば――…」
◇
「マジで行くのかよ……。」
静かに佇む一軒家を前にレベッカが言う。
眉は不機嫌につり上がって、真っ赤な長い髪は相変わらずぴょんぴょんと緩く跳ねてる。黒いヘアピンとチョーカー、制服はスカートだけど、立ち方が雑だってデイジーさんが叱った。
「足幅はもっと狭く。それでは堂々というよりガサツだわ」
「べ、別にいいだろあたしがどう立ってたって!」
デイジーさんは代々騎士になる男爵家のお嬢様で、制服もズボンだしシャロンみたいにいつも帯剣している。
普段はポニーテールにしてる濃いめのブラウンの髪は、休日だからかハーフアップにしてバレッタで留めてあった。服は私とレベッカが制服で行くって言ったから、「では私も」と揃えてくれたみたい。
私達は今、三人でリラの街の占いの館にやってきた。
元は一人で行くつもりだったんだけど、興味なさそうなレベッカに「へー」と返されてる所で、通りすがりのデイジーさんが目を輝かせて食いついてきた。
どうも、私が貰ったカードは招待の意味もあって、優先的に見てもらえるらしい。全然知らなかった……それならそうと書いておいてほしい。
あれよあれよという間にデイジーさんも来る事になって、結局レベッカも来た。本当は結構気になってたんじゃないかと思う。本人は否定してるけど…。
藍色の屋根のおうちは門が開いていて、ひょこっと覗けば奥には庭もあるんだろうなと窺えた。
玄関の扉は真ん中が縦長のガラスが嵌め込まれ、内側から「OPEN」の札がかかっている。まるで隠れ家的喫茶店みたいに見えるけど、扉を開けた向こうは玄関ホールだった。
「いらっしゃいませ。」
「うひゃぁ!?」
「カレン、うるせーぞ」
だって暗がりから急に人が!
お仕着せを身にまとった女の人が、私の大声に驚く様子もなく手元を見て「カードをお持ちですね」と確認した。慌てて差し出すと、「ではこちらへ」と案内される。
三人一緒か別々に見てもらうか選んでいいみたいで、振り返ったらレベッカが明らかに目を泳がせたので別々にしてもらった。
学園のサロンをほんの数人用にしたような、とはいっても実家の私の部屋より全然広い部屋に私達三人だけ。追加料金を払うなら待つ間にお茶とお菓子をもらえるみたいで、なんとデイジーさんが私とレベッカの分まで頼んでくれた。
「外に行列がないのは、あの侍女が決まった人数しか通さないから。それも日によって変わるそうだし、私達が見てもらえるのはカレンが持っていたカードのお陰よ。」
ありがたくクッキーをかじっていると、十分もせずにさっきの侍女さんが呼びに来る。
最初は私という事で、案内されるまま別の部屋に入った。
「ふふ、貴女でしたか。来てくれたのね」
「こ、こんにちは……」
紺色のクロスがかけられた丸いテーブルの向こうに、あの日雑貨店の前で見た女性が座っている。
長い髪も、肩回りがレースの薄いドレスも全部黒。くっきりと縁どられたアイメイクは植物の模様も入ってて、目元以外は少しだけ透けたフェイスベールで覆われてよく見えない。肌の白さがすごく際立っていた。
テーブルには火が灯った燭台と、水が張られた盆……細かい模様が描かれててなんだか高そうだ。
促されるまま、彼女の前に一脚だけ置かれた椅子に座る。
周りは天井から垂れるつやつやした布で覆われてるみたいだった。
たっぷりとゆとりをもたせてて、お姫様の絵本に出てくる天蓋付きベッドを思い出す。布の向こうはまだお部屋の中なんだろうけど、めくったら駄目だよね。
なんとなく、さっきの侍女さんみたいに誰か、布の裏でお客さんが悪さをしないよう待機してるんじゃないか、とも思う。
「今日は何を見ましょうか?」
楽しそうに、占い師さんが微笑む。
目元しかわからないけどすっごい美人さんだ。緊張して背筋を伸ばした。
「えっと……」
【 何を占ってもらおうかな? 】
「だ、第二王子殿下と……仲良くなるには、どうしたらいいかを……。」
「わかりました。」
「あ!違うんです、あの本当に、私はただお友達…になれたらくらいなんですけど!」
そういうんじゃないですと手をパタパタ振る。焦っちゃって顔が赤いかもしれない!
本当に違う!
「その、いつも急でビックリしちゃって、ゆっくり話せたら学べる事が多いんじゃないかっていう…」
「大丈夫ですよ。ふふ、落ち着いて話しましょう?カレンさん」
一度深呼吸なさるといいでしょう、なんて言われて、私は顔をあおぎながら深呼吸した。
少しは落ち着いたかもしれない……私、名前を言ったっけ?
「あの…」
「では見てみましょうか、貴女がかのお方と近付けるように――…」
占い師さんは盆に手をかざして目を閉じ、ベールの内側で何か呟き始める。
ふわりと淡く風を感じた気がした。ううん、実際に風があるみたい。私達の周りに垂れた布がゆらゆらと揺れている。盆の中で水に波紋が生まれ、燭台の灯りが揺れた。
十秒も待ったかわからないうちに風はおさまって、占い師さんが目を開ける。
「放課後、どこかへ寄ろうと思った時は……図書室へ行くと良いでしょう。」
「図書室?」
意外で思わず聞き返した。
アベル様は訓練場とか裏庭の木の上――は、あの出来事が印象強いだけかもしれないけど。図書室の中で見かけた覚えはない。この前は、図書室の方から来たっぽかったけど。
「えぇ。ただあそこは広いですから、見つけられるかどうか、話を許されるかどうかは貴女次第です。」
確かにそうだ。本を読みに来てるのに、お話ししてくれるかも微妙なところだし。でもそれがわかるんだから占い師さんはすごい。
とは、思いながら。
私はおずおずと占い師さんの黒い瞳を見上げる。
「あの……お願いした私が言うのも何なんですけど、王子様がどこにいるかって、言っても大丈夫なんですか……?」
「まぁ。ふふ…私を心配なさるとは、優しい方。」
「い、いえ…そんな。」
「私が示すのはあくまで可能性。何時何分とわかっているわけでもなければ、実際に殿下がそこにいるかはわからない。それでも可能性に縋りたいと願う乙女達の、私は味方ですよ。」
おとめ。
パチパチと瞬きして、私はとりあえず盆の中のお水を見つめる事にした。
……その呼び方は、ちょっと恥ずかしい。




