306.万一に備えて
「もうほとんど起きない可能性かしらと思うのだけれど…」
そう前置きをして、シャロンは去年のロズリーヌについてチェスターに確認した。
癇癪持ちで我儘放題な王女殿下。
少しでも気に食わなければ叫び罵り手を上げ、マナーもとても見れたものではない。
「そのままのお方だと、学園でも既に結構暴れているはずだったわ。」
ちょっぴり困り眉で言うシャロンに、チェスターは深く頷く。
実際ウィルフレッド達とは、彼女が来るなんて本当に厄介だと話していたのだ。しかしロズリーヌ王女はガラリと変わった。
シャロンが「もうほとんど起きない可能性」と言うのもわかる。
「たとえば何すんだよ?」
「カレンの私物を壊したり、階段から落ちそうになる殿下を助けてカレンが怪我をしたり。女神祭では公衆の面前でカレンを貶して、もういい加減にしなさい、という事で退学よ。」
「チビの事ばっかだな…」
「ダン君チビって呼んでるの?やめなよ。」
「今そこじゃねぇだろ!」
軽く引き気味のチェスターに目を細められ、ダンが苛立ったように返す。
シャロンは優雅にティーカップを傾け、こくりと喉を潤した。ソーサーへ戻す際、僅かに震えて小さな音を立てる。
「私が一番恐れている事件は、冬……二月に起きるわ。」
騒いでいた二人がぴたりと止まった。
それだけの深刻さが声色から感じ取れたのだ。
「知っている可能性は、ふたつ。」
「二つもあんのか?」
「片方はもう大丈夫のはずよ。」
薄紫色の瞳がちらりとチェスターに視線をよこす。信じている者の目だった。
両親を亡くした彼の身に起きる可能性は、以前の話し合いでダンもなんとなくは察している。その未来がほぼ潰えているだろう事を、三人は頷き合って確認した。
「俺はそれが最悪の未来だと思ってたけど……まだあったんだね?」
「こちらも最悪……私が知る可能性では、どの道ウィルとアベルは一緒に生きていられないの。一人が王になる時、もう一人はいないのよ。」
苦しさを堪えるように吐き出された声に、チェスターは目を見開く。
てっきりウィルフレッドが死ぬ事件の後にまだ何か起きると、そういう話だと思っていた。
けれど彼女の言い方では、まるで。
「もう一つの、可能性は…」
テーブルに目を落とし、シャロンは声の震えを堪えるように胸元で手を握る。
小さな石の感触を確かめ、意識してゆっくりと深呼吸した。そうならないために今こうしているのだから、口にする事を恐れる必要はないと自分に言い聞かせる。顔を上げて背筋を伸ばした。
「アベルが死んでしまう。……サディアスの、魔力暴走に巻き込まれて。」
「あの王子が死ぬとか、想像できねぇけど……魔法か…」
眉を思いきり顰め、ダンが苦々しく呟いた。
アベルは魔力を持っていない。ゆえにどんな魔法も使えない。天才的な剣術で多少はいなせるそうだが、サディアスほどの実力者が暴走して放った高威力の魔法なら、どうか。
チェスターは悔恨に顔を歪めてシャロンを見つめている。
かつてエクトル・オークションズで自分が吐いた言葉を思い返して。
『大丈夫だよ、シャロンちゃん。』
励ますつもりで、安心させるつもりで、笑顔すら浮かべて「アベル様は強いから」と言った。
『殺したって死なないような、最強の王子様なんだから。』
それが彼女にとってどんな言葉だったか、ようやく本当の意味で理解する。
ウィルフレッドが死んだ場合、アベルは後継を見つけて死を選ぶ――それだけではなかった。彼女は知っていたのだ。
当時のチェスターは可能性を知らなかったとはいえ、シャロンにとってあの一言は「笑えない」では済まないものだった。
『死んじゃうわ』
チェスターがウィルフレッドを殺す事も、
サディアスがアベルの命を奪ってしまう事も、彼女は知っていたのだから。
『アベルだって、死んでしまうのよ。チェスター』
結果的には、チェスターの失言がきっかけで二人は手を組む事になった。
その点だけはよかったのかもしれないけれど、チェスターは改めて過去の自分を責める。無意識に拳を固く握りしめていた。
「避けらんなかったって事は、結構でかめの魔法か?」
「いいえ、《火槍》を一本だけ。」
「ヒヤリ?」
「サディアスが最も得意とする火の魔法で、槍の形をとったものよ。アベルは…避けられなかったというより、ウィルを庇ったの。」
シャロンの説明に、チェスターは噛みしめるように強く目を閉じる。
あまりにも単純で明確な理由だった。
らしい話だと、思ってしまう。
「俺は間に合わなかったの?」
つい早口に問いかけた。
たとえサディアスの火槍が命中しようと、まずは服と体の表面が焼かれるはずだ。大火傷は免れないだろうが、チェスターがその場にいれば消火はできる自信があった。火傷だってすぐに医務室へ運んでいれば…。
もしや暴走を続けるサディアスの相手をしていたのだろうかと、そんな考えも打ち砕かれる。
「貴方はいなかった」
言い淀むように一瞬だけ目をそらしたシャロンは、しかしきちんとチェスターの目を見て続けた。
「人知れず王都の屋敷へ戻って……ダスティン様と相討ちに。」
「…俺も、死んだんだね。」
「えぇ。……暴走したサディアスはアベルが気絶させたけれど、……わた、しが、消火と治癒をしたけれど……アベルは、助からなかった。」
視線を落としたシャロンの目には今、何が見えているのだろうか。
胸元で握り締めた拳が小さく震えている。
「サディアス君はどうなったの?……暴走とはいえ……」
「殺されたわ」
「…処刑じゃなくて?」
「アベルを慕う騎士の……どなたかに。獄中で殺されてしまう。」
騎士の名はわからないとシャロンは言う。
チェスターの頭には、たった一人しか浮かばなかったけれど。
――…そんな強行すんのは…リビーさん、だよね。…させたくないな、そんなこと……。
「つまりだ。」
自分の膝を軽く叩き、ダンが二人の視線を集める。
「魔力暴走が起きなきゃいいんだろ?原因は何だったん……」
言いかけた途中で黒い瞳が見開かれた。
ホワイトの研究室を訪れた時の会話を思い出したのだろう。あれか、と自分を見つめるダンに、シャロンは頷いてみせる。
「詳細はわからないけれど、誰かに薬を仕込まれたみたい。チェスター、私はそれを…《ジョーカー》だと予想しているの。」
「違法薬の中でもトップレベルにやばいやつ、だよね?」
「えぇ。遅効性、無味無臭。強制的に暴走と幻覚を引き起こす。サディアスのように魔力が高い人に使われたら、どんなに危険な事か……」
「幻覚…そうか、いくら暴走してもサディアス君だもんね。ただの暴走じゃ……」
魔力のコントロール、発動の微調整においてはウィルフレッドさえ及ばない。
そして何よりも、
――俺は、サディアス君が暴走を起こしたらどうなるかを一度見てる。
城で起きたボヤ騒ぎがそれによるものだと、シャロンは知らない。
チェスターだって細かい事情は教えられていないが、サディアスは部屋にいた画家のギャビーを傷付けはしなかった。家具から髪に延焼はしてしまったようだが、暴走してなお彼は耐えたのだ。
ジェニーのように全方位へ無差別に発動するのではなく、部屋をほぼ焼きながらそれでも決して、人間には当たらないよう調整してみせた。相手が王族ならなおさらだろう。
――なのに、シャロンちゃんが知る可能性ではどうしてか、ウィルフレッド様をピンポイントで攻撃した。
「暴走した時に周りの誰を巻き込むかなんて、わからないわ。きっと狙われたのはサディアス自身……その人を突き止める事、できると思う?」
「……それは、難しいよ。サディアス君本人……もしくは、ニクソン公爵家を狙う人間は多い。その、結構危ない連中とも通じてるんだ。」
そこまで言って、チェスターはハッとして焦ったように手を横へ振る。
「それはもちろん情報収集のためでさ、だから……一概に悪い事ばっかしてるとは思わないでほしいんだけど。でもたぶん閣下の方はもっと……わからない。ニクソン家は本当に敵が多い。」
「特定は無理、やっぱりそうよね。」
「騎士団の力を借りてもかなりキツいんじゃないかな。第一、閣下がそこまで協力してくれないだろうし」
「でも、ジョーカーを手に入れられる人はそんなにいないでしょう?」
シャロンの言葉にチェスターも頷く。
薬師の中でも相当に腕の良い者が、希少ゆえに高額な材料をかけて作るのだ。そんな物を依頼できる人間は、伝手のある者は、用意できる者は。
「俺とお嬢がこの前薬学教師のとこ行ったって言ったろ。そん時の《真面目な話》がそれだ。」
「物が物だから、先生も詳しくは教えてくださらなかったけれど…少なくとも、ロベリア王国の協力者は必要だと。でも交易している人だけでも相当数いるから、入手経路から探るならもっともっとジョーカーの情報が必要で、それは私達では法に触れる危険がある。」
「俺達だけじゃ到底手に負えないね。アベル様相談案件だな~…。」
勝手に動いて後でバレたら大目玉――は、まだ良い方だ。
最悪、探る内によろしくない組織に捕まってとんでもない事になる。
「先に犯人がわかれば一番よ。でも何よりサディアスがそれを口にしない事、そして万一の時は火槍に備える事。」
「可能性からは、サディアス君の証言とかその後の調査とかわからない?」
「残念ながら。」
「そっか……」
ゲームのシナリオで、投獄された後のサディアスの事はろくに出てこない。
アベルを慕う騎士に殺されたのだと文字で綴られるだけだった。
「ジョーカーの可能性が高いとは考えているけれど、完全にそれだけに絞るのも少し怖い。ホワイト先生は、複数の薬を使えば同じ事はできる。ただ無味無臭とはいかなくて、人に盛るには向いてないとおっしゃっていたわ。」
「わかった。アベル様には俺から伝えてみるよ。」
「えぇ……お願いするわ。」
冷静に説明できる自信がなくて、シャロンは素直に預けた。
チェスターとシャロンの知り合いという事になっている、架空の《先読み》持ちとチェスターが接触し、シャロンもそれを伝え聞いたという設定にする。
「サディアスに飲食を禁じるわけにはいかず、毒見にだって限界がある。だから防げなかった時のために、できればウィル達には宝石を身に付けてほしいのだけど……」
「どういう事?」
「実は……私は、攻撃魔法にだけ反応するお守りを作れるの。」
「えっ」
何を言い出すのかと、パチクリ瞬いたチェスターにシャロンは丁寧に説明する。
宝石に願いと共に魔力を込めると、攻撃の意思を持って発動した魔法に対して水の魔法が自動的に発動するのだ。
サディアスの火が相手とわかっているので水はピッタリだし、少なくとも威力を低減できるだろう。
「シャロンちゃんのスキルって何……?てっきりジェニーと正反対で、身体を強くするものかと。」
「私もそう思っていたのだけど、不思議ね。ふふ、入学前にお父様達に話した時も目を丸くされて。」
「わけわかんねーけど便利だよな。」
「宝石じゃないと駄目なの?」
「ペンとか木製のブローチとか試してみたけれど、駄目だったの。」
「そっか……あっ。でもそれならちょうどいい事があるかも?」
チェスターが思い返すように視線を空中へ投げて言った。
アベルとシャロン、ウィルフレッドの三人で身に付けられるような装飾品をと、ウィルフレッドが頭を悩ませていた事を思い出したのだ。
「…うん、そこは任せて。使えそうな物がそのうち手に入ると思うよ。」
「ありがとう、チェスター。頼もしいわ」
「お礼はそれをくれる人にね☆」
ウインクを飛ばすとシャロンは美しく微笑んだまま、けれど不思議そうにこちらを見てくるので、チェスターは軽く頷いた。
「俺も、ちょっとだけ《先》が見えるんだ――なんて、ね。」




