305.それはもう怒る
ザッ!!
という効果音が出そうな堂々とした佇まいで、王立学園の生徒三人が喫茶《都忘れ》へとやってきた。週末の特別授業も各自の昼食も終えた午後二時の事である。
「懐かしいよね~、この状況。」
外側へ跳ねた紺色の髪は肩に触れる長さで、優しそうな垂れ目の中には茶色の瞳がある。男はどこかウキウキした様子で、細い楕円フレームの眼鏡を指で押し上げた。
第二王子アベルの従者、チェスター・オークス。
百七十センチを越えている彼より、真ん中に立つ少女は十五センチ近く背が低かった。
「えぇ。まだ半年も経ってないとは思えないほど、昔のように感じられるけれど。」
セミロングの金髪はふわふわと波打ち、薄紫色の瞳を抱く目は懐かしそうに細められている。頬にはそばかすのような化粧を施し、腰に提げた剣の意匠は薄手のストールに隠れて見えなかった。
筆頭公爵家の令嬢、シャロン・アーチャー。
チェスターと反対隣にはいつも通り、百八十センチ近い背丈の男が控えている。
「まさかこっちでも同じ店に同じ店員が揃ってるとはな。」
彼は背中まであるストレートの茶髪を低い位置で一つに結い、お世辞にも目つきが良いとは言えない三白眼で店を眺めていた。制服の上着やネクタイは無しにシャツを軽く着崩し、普段は腰の左右に下げているケースを二つとも右側にまとめ、刺繍入りのスカーフを巻き付けてある。
シャロンの従者、ダン・ラドフォード。
三人がなぜウィッグをつけた上で軽く変装しているかといえば、もちろん噂になるのを避けるためだ。
ただでさえシャロンはジャッキー・クレヴァリーによる騒動が起きたばかり。ダンがいるとはいえ、生徒達の「旬な話題」が消え去る前から「チェスターと街で密会」などという火種を投下するわけにはいかなかった。
かくして、喫茶《都忘れ》の二階にある個室の一つに入る。
事前にチェスターが予約していたここは、シャロンがアベルに連れてきてもらった部屋とは似て非なるものだった。バルコニーがないのだ。
調度品も喫茶店の範疇におさまるもので、やはりあの部屋だけ特殊だったのだなと人知れず頷いた。
それぞれの飲み物を注文したところで、テーブルを挟んで向かい合わせのソファへ座る。
「チェスター、ジャッキーの件では色々とありがとう。」
あちこち回って疲れたでしょうとシャロンが労う。
彼女の偽物が三人の男子生徒を騙した件で、チェスターはその偽物を探し出そうとしていた。まず学園の生徒、次に街の役者達。
しかし対象にしていたのはもちろん女性で、犯人のジャッキー・クレヴァリーは男子生徒だった。ある種もっとも徒労に終わった調査だったが、チェスターは「気にしないで」と軽く手を振る。
「流行りの女優さん達とお喋りできて、俺は楽しかったよ。シャロンちゃんとダン君も頑張ってたでしょ?」
シャロンは直接話を聞きたがる数多の令嬢達と食事やティータイムを共にし、情報を探りながら冷静に自分ではないと伝え広め、ダンはレオと共に男子寮の調査を担当した。
偽物がどうやって被害者三人に待ち合わせ日時を書いたカードを出していたか。これは男子寮の職員が仲介した可能性を確認するものだったが、成果なし。
つまり特定不能な男子生徒の協力者がいると予想されたが、結局はジャッキー本人だった。
「俺はレオと手分けできたし、職員全員に聞いた時点で終わりだったからな。小うるさい奴らに囲まれたお嬢のがめんどかっただろ。」
「一緒に来てくれたダンにはかなり我慢させてしまったわね。」
「ま、皆それぞれ頑張ったって事で☆」
チェスターはおどけたようにからりと笑って見せたが、ふと目を伏せて背もたれに身を預けた。太腿に置いた手を軽く組んで苦い顔をする。
「しっかし……俺さ、王都にいた頃は基本的に屋敷まで帰ってたでしょ?こんなに長くアベル様の傍で寝起きした事なかったんだけど……あの人やっぱとんでもないね。」
「とんでもない、というと?」
「朝の五時過ぎにはもう完璧に整ってるの。なのに自主鍛錬とか会議とか諸々で深夜に寝る事もざらみたいだし、タフだとは思ってたけど予想超え過ぎ。信じられる?朝食前にもう一通り体動かして汗を流すとこまで終えてるんだよ。それも毎日。」
「それは凄いわね……」
「お嬢も大概だけどな」
ダンはぼそりと呟いた。シャロンは剣術や体術の授業がその日あるかないかで自主鍛錬を調整している。元の能力差があるので当然だが、アベルよりは短時間で負荷も軽い。
チェスターは睡眠時間が短いと顕著に体調に表れてしまうため、アベルからも「合わせなくていい」とバッサリ言われたそうだ。学園生活が四年ある事を考えれば当然の判断と言える。
三人がそんな話をしている内に、カタカタと戸棚の絡繰りが動いて飲み物を運んできた。
「そろそろ本題に移りましょうか。」
「――正直、緊張してるよ。」
真剣な表情で居住まいを正したシャロンにチェスターが苦笑する。
去年告げられた「心配事」は彼の両親の死で、その事件は本当に起きた。これから何を告げられるのか、緊張しない方がおかしい。
「前と同様に、あくまで確定していない話だということ……そして、既に状況が変わっていてその通りに起きるかはわからない事を、大前提とするわ。」
「状況――…俺の家族が無事である事を含めてかな?」
「……えぇ。」
「わかった。」
チェスターもダンも、未だにシャロンがどうやってその可能性を知っているのかは聞いていない。
ただあれほど苦心して大きく未来を変えたであろうバサム山の件を経て、前提が変わらないのなら。これから聞く話はきっと、彼女はもっと前から知っていたのだろうなとチェスターは考えた。
「まず、八月にウィルが命を狙われるわ。」
「まずでそれなんだ……」
「場所は街のオペラハウス。私達はカレンと一緒に『剣聖王妃』を観に行くの。」
「有名な演目だね。」
チェスターの相槌にダンはわからない顔をしたが、今聞く事は控えた。
『剣聖王妃』は、爵位の低い騎士家系の令嬢がその剣術でもって王子に見初められ、苦難を乗り越え王妃となるストーリーだ。
もちろん脚色込みだけれど、ノンフィクションである。
「オペラハウス側からの招待チケットで、ウィル達が来る事は宣伝として街の誰もが知っているわ。脚本の中に戦のシーンがあるのは覚えている?」
「もちろん。どこの劇場で観たって偽物の矢とか光の魔法で派手に演出される。」
「貴賓席に向けて来るわ。全部」
「全部か~。」
「役者全員グルって事か?」
「全員かはわからないけれど、多くの攻撃が舞台から放たれるの。」
弓矢は本物、舞台での使用は注意が必要である火の魔法も使われ、風の刃も伴って。
暗殺どころか派手殺だ。チェスターが僅かに眉を顰める。
「ウィルフレッド様が狙われるって言ったよね?」
「えぇ。」
「貴賓席に一人だったのかな。」
「サディアスはもちろんいるけれど、貴方は…私やカレン、レオといてくれた。」
王子殿下御一行として呼ばれたとはいえ、一つの貴賓席では席が足りない。
第一王子と従者、第二王子と従者、公爵令嬢と護衛役とご友人……と三つに分かれる予定だったのだという。なのにチェスターがシャロン達といた、という事は。
「アベル様は来なかったんだ?」
「そうね、最初は。あの……状況が違うというのは、ウィルとアベルの事もなの。」
「……もしかして一、二年前みたいな感じ?」
言いにくそうにしたシャロンにチェスターが聞くと、こくりと頷かれる。
ダンがアイスコーヒーを啜りながら片眉を跳ね上げた。
「…何だよ、そういう感じって。」
「うちの王子様達、前まで結構険悪だったんだよ。状況わかってないウィルフレッド様が、ムスッとしながらわかりにく~い上に見当違いの心配して、アベル様が関係ないでしょって置き去りにする流れ。」
「片方への棘すげーな。」
「だって俺、当時のウィルフレッド様の事そんなに好きじゃないからね。一方的に悪いとまで言わないけどさ。」
悪びれていない事を示すように、チェスターは軽い仕草で肩をすくめた。
「今と違うって前提でそのメンバーなら、俺は確かにウィルフレッド様じゃなくて、シャロンちゃんとカレンちゃんを守りにつくかな。レオ君は弱くないけど不安が残るし、俺がいるとサディアス君も気分悪いだろうしね。」
「そんで?攻撃食らってどうなったんだよ。」
「サディアスが咄嗟に、魔法で全て跳ねのけるわ。少しもウィルにはあたらなかった。」
「まぁ屋内で放てる程度の魔法じゃ、サディアス君には勝てないよねぇ。」
「それで、攻撃の直前に一般口から客席へ来たアベルはそれを見て――…怒るわ。それはもう。」
「うわっ……」
先を想像してチェスターが顔を顰め、口元を手で覆った。
その後の《シナリオ》はこうだ。
アベルは客席の最後方からあっという間に舞台へ躍り出ると、既に抜いていた剣で片っ端から敵を叩きのめした。
ウィルフレッドへ向けられた攻撃で大騒ぎになっていた客達は、流れる血を見てさらに大混乱。とにかく逃げようと狭い出入口へ詰めかける。
サディアスはしつこく狙ってくる者へ魔法を放ちながらウィルフレッドを下がらせようとするが、弟が敵の真っただ中に出てしまったウィルフレッドはそれどころではない。
アベルへ反撃する敵達を魔法で攻撃しようと身を乗り出し、それで狙われるのだからサディアスの仕事も減らない。
チェスターとレオはシャロンとカレンを逃がそうとするが、元から二手だったのだろう、貴賓席に向かってきた敵と廊下で鉢合わせる。
二人が戦う隙にカレンを人質に取ろうとした男の顔面に、シャロンが水の魔法を食らわせて怯ませ、カレンが「えいっ」と鞄で殴りつけたところをチェスターが倒してくれる。
カレンが選ぶルートにもよるが、大まかにはそんなドタバタが繰り広げられるのだ。
「何かすごい詳細だね?あ、シャロンちゃん自身がいるからか…」
「そこはなんとも言えないけれど、ともかく、バサム山の一件と違うのは誰の企みかはわからないという事。王子殿下が来るとあらかじめ多くの人に知られる催しがあったら要注意ね。」
「あらかじめわかってんのに、騎士団は動かなかったのかよ。」
「普通に考えて、警備は強化してただろうね。けど役者が何人も敵だとは思わないかな。だって、成功しても逃げられるわけないじゃん?」
片手を広げるようにして言うチェスターに、ダンも「確かにな」と頷いた。
騎士が駆け付けるのはすぐで、抵抗したところで実行犯の殆どは捕えられるだろう。
「まずって事は、これ自体はそんなに大問題じゃないのかな?」
「事件後にどう収拾がついたかは不明だけれど、少なくとも私達の誰かが怪我を負う事はなかったわ。」
シャロンは、場合によってはわからないと念を押す。
チェスターとダンもそれは真剣に頷き返した。戦闘がある以上、油断は命取りだ。
「他には?」
続きを促され、シャロンは少し考え込むようにテーブルへ視線を落とす。
彼女の事はもう言わなくていいのではないか、そう悩みはしたものの、念の為に話しておく事にした。




