300.もちろん予想外
恋人だと思っていた美少女の正体が、よりによって男。
その事実を理解してしまった三人のダメージはどれほどだったろうか。
放心、夢の終わり、悲しい現実、もれなく全員が膝から崩れ落ちた。売り払われていたという宝飾品は返却され、薄紫の長髪を三つ編みにした中性的な顔立ちの少年が土下座する。
おまけに彼は騙したつもりがなく、偽物だとわかった上で楽しんでいると思っていた、などと。
学園で誤解をといたら即停学、王都へ連行され事情聴取、あまつさえ特務大臣アーチャー公爵閣下直々にお叱りを受けるだろうと聞いては、もはや殴りかかる気力も罵倒する語彙もなく。
ただホレスがすすり泣く声だけが響いていた……。
と、それは日曜日の話。
シャロンにかけられた疑惑を払拭するために仕方ないとはいえ、三人を「女装少年に騙された馬鹿達」と笑い者にするのも忍びない。
月曜、再びシャロンそっくりに化粧をし、けれど髪型は前に垂らした三つ編み一本のまま、制服もズボンを着用してジャッキーは登校した。一日ずっとシャロンと同じ授業に出て――寝てはダンに起こされ――シャロンの表情と仕草、時にはわざとらしく声色を真似る。
「「「あれは騙される。」」」
二人を見た生徒の誰もがそう言った。
女装で騙された、という言葉だけ流れるよりは断然三人の名誉を守る事ができただろう。
体術の授業では見学席から「シャロンさま!応援しております!」とシャロンの声が飛び、本物のシャロンが「はい」と穏やかに返す。教師であるトレイナーは何か言いたげに口を開いたが、閉じてそのまま授業を続けた。
ちなみに爛々と目を光らせるレベッカと試合を行うシャロンの姿にジャッキーは引いた。俺ちゃんは絶対あそこには混じれない。
植物学の教師ホワイトは、途中までそもそも生徒達の方を見ずに授業をしていた。
途中で教科書を読み上げながらふと二人を見つけ、真顔で目を離さないままきっかり三秒だけ黙ったものの、何のお言葉もなかった。ダンが笑いかけて咳をした程度である。
「ンッフフ。これはまた、思った以上に似てるなぁ~。」
夜、ドレーク王立学園正門前。
薄緑の髪をハーフアップにした長身の騎士――ロイ・ダルトンは、くすりと笑ってジャッキーを見下ろした。開いているかわからないその細い目を見上げて、ジャッキーは唖然としている。
「背ェでっっか……もしかしてホワイト先生より高ぇ?」
「おや、そちらは地声ですか?」
「エ゛フンッ……《ジャッキー・クレヴァリーと申します。よろしくお願い致しますわ、騎士様》。」
制服はスカートではないが、ジャッキーは淑女の礼を披露した。
魔法も化粧も使っていないはずなのに、シャロンがここにいたかと一瞬錯覚するような柔らかい微笑みと声色、一度腰を落として戻るまでに姿勢は崩れない。
アベルや付き合いの長いウィルフレッドからすれば、本物の所作はもっと洗練されている。しかしジャッキーの再現度は庶民とは思えないレベルのものだ。本人はあまり、その凄さを自覚していないけれど。
「――……なるほど。ンフフフフフ」
「ロイ」
「失礼。」
少々ツボに入りかけたが、アベルに注意されて無理やり笑いを止める。
護送に自分が選ばれた理由はわかっていた。
ジャッキー・クレヴァリーを確実に王都ロタールまで送り、学園まで連れ帰る。
道中、不幸な事故で行方不明になどならないように。
「私はロイ・ダルトンと申します。王都までの送迎を担当させて頂きますが、一つ。」
後方には数名の騎士が馬を連れて待機している。まずは教会の《ゲート》から神殿都市サトモスへ飛んで一泊、そこから別の馬に乗り換えて王都を目指すのだ。
少年の顔に戻ったジャッキーの前に屈んで、ロイは声を潜める。
「貴方には私の馬に同乗して頂きます。途中休憩や宿はとりますが、もし何かあれば私に直接。騎士でも御者でも宿の人間でも、他人に言付けるのは無しです。飴玉一つ水一杯でも、他の者から受け取らないように。」
「…おう、了解です。」
アベルからも事前に脅されているのだろう、ジャッキーは緊張した様子でちらりと視線を泳がせたが、荷物を抱きかかえてそう返事した。
王都側から頼まれた書類をアベルの後ろに控えているチェスターに渡し、ロイはジャッキーを子猫のようにひょいと馬へ乗せる。馬術が好きと言っていた通り、ジャッキーは小さく笑って馬を撫でていた。
振り返ったロイとアベルの間に夜風が吹く。
ほんのひと月半振りに見る金色の瞳を、静かに燃える炎のような星の光を、眩しいと感じた。先日のリビーが見るからに喜んでいた事を思い出し、今更ながら気持ちがわかる。
「頼んだ。」
たった一言に込められた重さを、確かに受け取った。
ロイは片手を胸にあて、背筋を伸ばしたまま頭を下げる。
「御意に。我が主」
蹄の音が学園から離れていく。
ロイが操る馬の上で身体を捻り、ジャッキーは遠ざかる第二王子と従者に手を振った。冷静に考えれば不敬だが、今はただ、少しでも知っている相手を目に焼き付けたくて。
チェスターは大きく手を振り返してくれたのに、アベルときたらやはり、見るだけで何もしない。危ないですよと一言注意され、ジャッキーはまだ明かりの多いリラの街へと目を移した。
パリン。
ベッドの中で目を開く。
寝心地と香りが男子寮の自室とは違っていて、ジャッキーは今見ていた夢が今日の回想だと気付いた。神殿都市の宿の一室は暗い。
もうひと眠りするかと考えて、そういえばさっきの音は何だろうかとぼんやり考え――
ダンッ、と轟音がして部屋が揺れる。
「おわぁあ!?」
思わず飛び上がって枕元へ後ずさった。上階で何か重い物が床へ叩きつけられたような衝撃で、つい天井を見つめるけれど当然何も見えない。
「ほにゃああああああああ!!」
「へ、え?えっ!?」
幼い女の子の叫び声が聞こえたと思えば、さらにドスン、ゴトンと宿が揺れる。
ジャッキーは慌ててベッドから降りようとしてシーツが足に絡まり、顔面から床へ激突した。「んぐぉッ!」と声が漏れたきり、何も言えずに転がり回る。
誰かが階段を駆け下りる音、金属がぶつかり合う音、大きな物音と人のうめき声、どう考えたって戦闘音だ。
「ゆけー!そこじゃー!やってしまえぃ!」
「………ッ!」
無事だったらしい女の子がやんややんやと盛り上がる声が聞こえるが、ジャッキーはそれどころではない。鼻からだくだくと血が流れているのだ。よろめきながら手を伸ばし、バン、バンと手探りで鞄からハンカチを取り出した。
「いッて……な゛に、何なの゛……どゆごと……」
ひたすらに顔面と鼻が痛い。
ジャッキーは見た目をごまかすためなら光と闇の魔法を使えるが、単に暗くする、明るくするといった普通の使い方がまったくできないのだ。火の魔法も使えないので本当にどうしようもない。
しかしさほど待つ事もなく騒ぎはおさまり、扉がノックされた。
「ジャッキー、起きてるか?ここ開けてくれ!」
「………。」
心臓がドクドクとうるさい。
暗闇の中で目を見開き、ハンカチを鼻に押し付けたまま身じろぎもせず沈黙を守る。声には聞き覚えがあった。ロイと共に自分を迎えに来た、ダークブラウンの髪と瞳をした若い騎士だ。
声真似ができるからこそ、ジャッキーは聞き分けに自信を持っている。間違いなく本人であろうと思う、しかし。
「やべ、そうか!ダルトン呼んでこないと――あぁ来た、悪い!忘れて声かけちまった。」
「ンッフフ、聞こえてましたよ。上へ戻って頂いてよろしいですか?」
「わかってる。ジャッキー、怖がらせてたらごめんな!」
一人の足音が近付いてくる代わりに、一人が走り去っていく。
ジャッキーはゆっくりと息を吐き出した。額に滲んだ汗をハンカチで拭い、再び鼻を押さえる。
「ご無事ですか?」
声を掛けながら扉をノック、二回目は手を離さずに扉を擦り、三回目。
ジャッキーはふらりと立ち上がり、扉の内鍵を二つとも開ける。ぱっと開いた扉の向こう、廊下の明かりで見えたロイの服には返り血がついていた。
「ん゛ッ、血…じゃん……!?」
「…フフッ、どうやらそれはお互い様ですね。壁にでもぶつけましたか?」
「や、床……シーツひっかがった。」
「お可哀想に。」
「何があったんです?なんか……子供いながった?」
「とりあえず中へ。宣言、炎は僅かに灯るでしょう。」
壁掛けランプに火が入り、ジャッキーはベッドの方へ背を押されながらズビ、と鼻をすする。鉄くさい匂いがした。
服が汚れているからか仕事中だからか、ロイは一脚だけある椅子に座る事もなく立ったままだ。
「まず、ちょっと不審者がいたので片付けました。先ほどの声の主は上階の部屋を借りている少女です。あぁ、彼女にも優秀な護衛がいるのでご心配なく。」
元々上階の良い部屋はジャッキーの名前で予約したとか、少女が「あの大きい部屋か!?…ふ、ふん。別に羨ましくなどない!」と頬を膨らませ、ロイが快く秘密の交換を提案したとか、ジャッキーにはその事は知らされず、昨日まで少女が使っていた小部屋へ最初から案内されたとか――そういう事は、特に言わない。
教える必要もないからである。
まさか今夜たまたま上の部屋が襲われるなんてロイには想像もつかず、もちろん予想すらできなかったものだから、大変に心から驚いているのだ。
部屋の交換は護衛の騎士でも限られた者にだけ伝えた、否、一部にはうっかり伝え忘れてしまったため、上階の警備体制はそのまま。偶然ではあるが、そのお陰で速やかに片付ける事ができた。
「言いつけてやる!言いつけてやるのじゃーっ!」
「……なんかスゲー叫んでるけど……」
「おやおや…きっと、何でも親御さんに報告したいお年頃なんですねぇ。鼻血は止まりましたか?」
「ん…大丈夫そーです。」
「では、もう一度眠るといいでしょう。良い夢を。」
返り血つけた服で言われてもな、とジャッキーは思ったが、さすがにそれを言うほど馬鹿ではない。ぺこりと頭を下げると、ロイは明かりを消して出て行った。
「割とあっけなかったな。」
階段に足をかけると、訝しむような声が上から降ってくる。
二階の手すりから顔を覗かせているのは、先ほどジャッキーの部屋を訪れた男だ。ダークブラウンの髪を後ろでちょこんと縛り、二十歳未満に見える童顔だが実際にはロイとそう変わらない。
王国騎士団十番隊所属、エイブラム・ガイスト。
オークス公爵家をめぐるバサム山の一件でシャロン達とともに戦った騎士だ。もう一人のダスティン・オークスを知る者が新たに見つかったと聞いて、今回は自ら志願して同行している。
「えぇ――姫君は落ち着きましたか?」
「ヴェンだっけ、でっかいのがなんとか宥めたよ。殿下に折れた剣でワンパンされたって聞いてたけど、あいつ普通に強いな?」
「フフ、護衛ですからね。」
くすりと笑って、ロイは二階の廊下を見回した。ガイストもつられて視線をたどる。
乱闘のせいで戸棚に亀裂が入り、積まれた籠は崩れ落ち、血痕が壁に散り、窓は割れていた。腰を抜かした宿の主人には他の騎士が対応中だ。
「神殿都市って敵でも血ぃ流させるの嫌うんだろ?苦情とかになっちまうのかなぁ。」
「それは大丈夫かと。」
「何で?」
「いえ、なにせ他国の要人がいらっしゃったのですから、ねぇ?手加減して何かあれば大問題、致し方のない事です。」
ガイストは虚を衝かれたように目を見開き、ぷはっと噴き出した。ロイの腕をバシバシと叩きながら笑う。
「だ~からお前ここの宿にしたんだ?なるほどな。かしこ~」
「まさか。たまたま、偶然ですよ。」
「へいへい……それより、殺しに来たか攫いに来たかわかんねぇけど、「絶対」って気迫は感じなかったな。何考えてんだか…。」
勝てないとみるや撤退し、飛び道具で既に捕まった仲間の息の根も奪っていった。
宿にいた全員ごと始末するような手法を取らなかったのは、単にその実力がなかったのか、殺すとまずい人間がいると知っていたのか、深追い無用の命令だったのか。
ロイはいつも通り、余裕のある笑みを浮かべて言った。
「私達の任務は彼を無事に送ること。敵を探るのは、またいずれでよろしいかと。」
300話になりました。
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