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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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278.まさかそんな意地悪は




「ルーク。お前さん勝手やっただろう。」


 ため息を吐くような低音で名前を呼ばれ、ルーク・マリガンこと《ホワイト先生》は顔を上げた。

 場所は食堂一階――平民向けフロアである。

 何か周囲がザワついたと思えば彼女のせいかと、ホワイトは納得して咀嚼していたものを飲み込む。


 学園長シビル・ドレーク公爵がそこに立っていた。

 物憂げな瞳に皺の寄った眉間、ビリジアンの髪は後ろで高く団子にまとめ上げ、濃い黄色をした紅花の簪で留めている。すらりと伸びた脚に合うパンツスタイルの白地の正装を着て、黒いシャツには臙脂色のネクタイを締めていた。


「こんな所で珍しいですね、学園長。」

「お前を探していたのさ。ちょいとツラ貸しな」

「今…」

「それくらい引っ掴んで持って来れるだろう?」

「……わかりました。」

 ホワイトは渋々立ち上がると、テーブルの皿からサンドイッチを取って歩き出した。

 仮にも公爵家の次男が平民向けフロアで食事するのも妙な話だが、寄ってくる生徒との貴族付き合いが面倒で、ホワイトは基本的に他のフロアには行かないようにしている。


 手足の長い百九十センチ近い背丈に、右の前側と左の後ろ側だけまばらに白い黒髪。いつも通り赤いガラスのゴーグルで目を覆い、ホワイトは黙々とサンドイッチを完食した。


「相変わらず背が高いねぇ。見上げると首が疲れちまう」

「好きでこうなったわけでもありません。…どこで話しますか」

「…お前、公にできない理由でイジったのかい。」

「おれはどこでも良いですが」

「あぁわかった、私の部屋にしよう。」

 軽く手を上げてホワイトの話を遮り、シビルは道行く生徒達の好奇の目を無視して歩みを進める。

 学園長室へ着いて応接用のソファを勧め、自分もさっさと向かいに座った。腰を下ろしたホワイトを見やり、軽く手を振る。


「外しな。」

 シビルの一言に対し、ホワイトは抵抗なくゴーグルを外した。

 元々、見知らぬ他人に覗きこまれたり、無遠慮に瞳の色を指摘されるのが面倒でつけているものだ。シビル一人相手なら意味はない。

 血のように赤い瞳が彼女を見据える。


「それで?また何だって私の許可もなく、禁止区域の魔法を変えたりしたんだい。」

「…許可が必要だったのか」

「はぁ……。」

 今知ったと言わんばかりの呟きに額を押さえ、シビルは深いため息を吐いた。

 植物学の教師であるホワイトは温室の管理を任されている。

 温室は地下に禁止区域が設けられており、そこへの入り口は特殊な魔法で隠されているのだ。きちんとした手順を踏まねば見つけられないし、強引に破れば管理者(ホワイト)に察知される。


「失礼。おれの采配でやって良いかと思いました。」

「普通はやって良いどころか、他人が発動した魔法の組み換えなんてできやしないけど…それができるからと言って、お前……最古の魔法の一つを……。」

 ゆるく頭を左右に振り、シビルは遺憾の意を示した。

 禁止区域とそれを封じる魔法が作られたのは学園設立当時、初代国王や初代五公爵が生きていた頃の話だ。推定するに最低でも三つ以上のスキルを用いて発動された貴重な魔法である。


「ま、やっちまったモンはしょうがない。」

「……どなたかに報告しますか?」

「陛下にだけは言っとくよ。お前が《干渉》持ちなの、父親にバレたくないんだろう。」

「はい。助かります」

「いいさ。私も今お前を引っこ抜かれたら困るからね」

 足を組み替え、シビルは組んだ両手を膝の上に置いた。

 じろりとホワイトを見やる瞳は鋭い。


「けど次からは前もって言いな。解除手順も教えてもらうよ」

「わかりました。」

「で、変えた理由は何だったんだい?」

「魔獣の所有者に《ゲート》使いがいる事、王族が入学した事、それとヘデラの王女です。」

「あの娘か。危険には見えなかったけどね」

 ふくよかな王女の姿を思い浮かべ、シビルは背もたれに身を預けた。

 王女付きだというのに従者はろくに訓練を受けていない様子だったし、どちらも魔法学は初級を取ったと聞いている。


「試すつもりでシノレネの花を見せましたが、あれは恐らく使用法を知ってます。地下への入り方を知るのはおれとあなたを含めてごく僅かですが……念には念を入れる時期が来たと思いました。」

「なるほどねぇ…」

「学園長。」

 そろそろ煙が吸いたいと考えるシビルを、ホワイトは淡々とした声で呼んだ。


 目が合う。

 赤い瞳を恐ろしいと思う自身の心を、シビルは否定しない。強面を強面と感じて罪はないように、美人を美人と思って罪はないように。それは相手を構成する一要素でしかないのだから。


「魔法を組み替えた事に気付いたなら、あなたはおれがいない時に入ろうとしたわけですが。」


 問いかけるホワイトの表情に敵意はない。

 探るような目をどこか、血の繋がった王子に似ていると思いながら、シビルは瞬いて肯定した。


「なぜです?罠の場所と解除方法までは教えてない。おれの毒であなたが倒れると厄介でしょう。」

「つまり中に入る気はなかったのさ。私は魔法が変わらず発動してる事を確認しただけだ。この学園全体の管理者として――」

「城から何か通達でも?」

「……ま、そういう事さ。すぐ知るだろうからお前にも話そうか……今、ツイーディア王国全体が警戒を強めている。」

 憂鬱そうに目を細め、シビルは窓の外を見やる。

 遠い王都や地方で起きた事件でも、この王立学園も街も、決して他人事ではなかった。


 たとえ学園都市リラが、絶海の孤島であろうとも。





 ◇





 大神殿のとある一室。

 床に描かれた文様が光を放つと、ほんの一瞬前までいなかったはずの人々や荷物が現れる。驚いたように部屋を見回す者、慣れた様子で文様の範囲から離れる者、興奮して友人と話し出す者まで様々だ。


 誰よりも早く部屋を出たのは一人の女性騎士。

 到着の証にさらさらと名簿にサインし、書き終わるや否や荘厳な大神殿にも、そこに勤める司祭達にも興味がないとばかりに突き進む。

 彼女は長い黒髪を低い位置で一つに結い、前髪には金色のヘアピンを二本、腰には二振りの剣を挿していた。


 王国騎士団一番隊所属――第二王子アベルの護衛騎士、リビー・エッカート。


 顔の下半分を黒布で隠した彼女は、大神殿を出ると鋭い茶色の瞳を周囲に走らせた。ほんの数秒もなしに目当ての人物を見つけ、そちらへ方向転換する。

 大神殿周りは人も馬車も賑わっていたが、明らかに他より背の高い彼は目立つのだ。


「ロイ」


 彼女が声をかけたのは、薄緑の前髪を後ろへ流してハーフアップにした大男。まるで閉じているかのように細い目、笑顔の絶えない口元。

 第二王子アベルのもう一人の護衛騎士、ロイ・ダルトンだ。

 アベルがドレーク王立学園に通う四年の間は、リビーが学園都市リラに勤めているように、彼はこの神殿都市サトモスに勤める事となっている。


「こんにちは、リビー。ンッフフ、何か良い事がありましたか?」


 リビーはまったくの無表情だったが、ロイがそう問いかけると黒布の下で口角をくいと上げた。会うのは一月振りだが、つい昨日も長く話していたかのような安心感がある。


「わかるか。もうじき我が君に会えるのだ」

「それは何よりですね。入学の日以来ですか?」

「……あの日の警備は…学園にほど近い場所に配置されたせいで、騒ぎに駆け付ける事ができなかったばかりか、乗っておられるだろう馬車を見送るのみだった……」

「おやおや……」

 配置を決めた者への恨みがたっぷりこもった声で呟き、リビーは未だに許せんとばかり眉を顰めた。おまけにその後アベルが街へ出た時には、リビーは別件の捕り物に参加していて会えなかったのだ。

 もうひと月以上アベルを見ていない。


「リラはいかがですか?ケンジットとは上手くやれていますか」

「……可も不可もない」

 ふっと息を吐いて心を落ち着け、リビーは軽く腕組みをして答えた。

 ケンジットは二人と同じ一番隊に所属する騎士であり、第一王子ウィルフレッドの護衛騎士二名――ヴィクター・ヘイウッドとセシリア・パーセル――がどちらもリラへ来ないとなった時、代わりに選出された男だ。


「お前がいるより不便で、誰もいないよりマシだ。」

「すみませんねぇ、そちらへ行けずに。」

 ロイは少しだけ眉を下げて苦笑すると、肩から下げていた鞄を開ける。

 ウィルフレッドとアベルはロイとリビーの二人で納得していたが、宰相であるマリガン公爵がそれを認めなかったのだ。

 せめて王都との繋ぎ役をするべく、ロイはこの神殿都市サトモスにやってきた。


「此処にいるだけ良い。お前は問題なくやっているのか?」

「存外、まぁ悪くはないですね。君影の姫がまだ滞在されていますから、時折私のところに押しかけてきて賑やかですよ。」

「エリ様か」

「えぇ。」

 鞄から取り出したのは、騎士団長ティム・クロムウェル直筆の手紙も添えられた、アベル宛の報告書だ。

 つい今朝がた、王都ロタールから秘密裏に届けられたばかりの代物である。ロイは軽い口調で話を続けながらリビーに渡した。


「あの大声で入ってきますから、詰所の者達もすっかり慣れています。子供と勘違いしている騎士が多くて、最近は菓子が用意され始めましたね。」

「成人どころか学生にも見えない小ささだ、無理もない。」

「彼女の探し人は手紙を一つ寄越したきり音沙汰ありません。姿を現す気が無いのであれば、むしろ……」

「この街にはいないだろうな。」

 足跡を残すなら、追っ手が必ず来るのなら、自分がいる街で騎士団に手紙など届けない。

 リビーは報告書を自分の鞄にしっかりとしまい込み、きちりと閉じた。


「言ってやらないのか?」

「ンッフフ、まさか。私から他国の姫に捜索方針の進言など。ねぇ?」

「そういうものか」

「えぇ、そういうものです。」

 ロイは勿論とばかり笑顔で頷いてみせる。

 決して、アベルの事を真剣に聞いたのに教えてくれなかったなどと、根に持っているわけではない。決して。まさかそんな。優しいロイがするはずもない意地悪である。


「ヘデラのロズリーヌ王女殿下はいかがです?相変わらずなのですか。」

「街で見かけたが、影武者かと思うほど別人になっていた。」

「…と、言いますと?」

「体積と毛量が減り、化粧が薄くなり、怒鳴る代わりに奇妙な鳴き声を披露し、道の端をコソコソ蠢いている。」

「あの王女殿下がですか?」

「チェスターが言うには本人らしい。サディアスも、渋々とだが本物の可能性が高いとは言っていた。入学の日、アベル様達に対して正式に去年の非礼を詫びたそうだ。」

「それはそれは……」

 妙な事もあるものだと、ロイは顎を擦る。

 とんでもない留学生に振り回される主やその周りの話も聞いてみたかったが、そうはならなかったようだ。


「去年かの方が連れていた従者を覚えているか?見た目は、そうだな……ヴィクターの髪を痛めつけ、目に塗料を塗ったくったような男で…」

「いましたね。」

「それも共に来ているが、だいぶ関係が変わったようだ。王女に対する口調も態度もかなり崩れていた。何があったかは知らないが。」

「そう、ですか……。」

 影武者ならばそうまで変える必要はない。

 本人だとすればリビーの言う「奇妙な鳴き声」や、「道の端をコソコソ蠢く」が気になるものの、それはロイが心配したところで意味のない事だ。近くにいるアベル達の方がよほどまともに確認できるだろう。

 暴れなくなった王女より、今はもっと大事な話がある。


「リビー。先ほど渡した団長からの書類は、魔獣の件だと思います。恐らく貴女が帰る頃か、遅くとも明日にはそちらの詰所でも会議が開かれるでしょう。」

「……出たのか。」

「えぇ。再び現れました」

「場所は。」

 騎士の中でも、リビーは魔獣と二度に渡って交戦している。

 鋭くなった茶色の瞳を見つめ、ロイは静かに答えた。



「ブラックリー伯爵領……十番隊、アイザック・ブラックリー隊長の故郷です。」




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