274.断言致しますわ
植物学の教室について、私はダンやカレンと一緒に席へ座った。
授業が始まるまではもう少しだけ時間があって、ホワイト先生もまだ来ていない。……ロズリーヌ殿下が珍しく前の方の席にいらっしゃるわね。
ノートを開いて前回の復習をしているカレンの横顔を、ちらりと見る。
先週、カレンはアベルに助けられたらしい。
学園編のまだまだ序盤である四月にそんなエピソードは無かった。
けれど考えてみれば、シナリオとしてゲーム画面で見た時以外、カレンは誰とも接触してない――はずがない。ゲームの《学園編》は……私が知っているカレンの軌跡はあくまで、一年間の中でもごく一部を切り取ったものに過ぎないのだから。
『上級生に絡まれてる子を見かけて、でも私に助けられるのかなって迷ったところでね、先にアベル様がその子を助けてくれたの。』
ゲームではカットされていた話か、あるいはゲームでは起きなかった出来事か。私にそれを知る術はないから、気にしても仕方がないのだけれど。
後者の場合は関係性の変化に影響があるかもしれないから、「ルートの予想がつけられない」という点だけ、少し不安だ。
ジェニーとは手紙を交わしているし、メリルにも時々は直接顔を見て贈り物を届けてほしいとお願いしてある。チェスターはきっともう大丈夫だから、ウィルが彼に殺されてしまう可能性はない。
それなら後は、このままカレンがウィルのルートにさえ入らなければ……なんて、少し思ったりもしたけれど。
「席につけ。授業を始める」
ガラガラと粗雑に台車を押しながら、ホワイト先生が教室に入ってきた。始業の鐘が鳴る中、立ち話をしていた生徒達も大人しく席についていく。
白衣に赤いレンズのゴーグル、一部がまばらに白くなった黒髪――……こうして授業で先生の姿を見ると、私はちょっとだけ悩ましく眉を下げてしまう。音のない溜息を短く吐いた。
なにせ、捕まらない。
入学から一か月経つというのに、運命にでも邪魔されているのかと思うほど、私は授業以外でホワイト先生に会う事ができずにいた。
研究室を訪ねても留守、ならば温室かしらと向かえば「さっきまで居た」、研究室に戻ってみるとやはり留守、食堂に行かれたかと探しても見当たらないんだもの。
「前回話した通り、今日は温室内の禁止区域にあるものを幾つか持ってきた。後ろに座っている者は見にくければ勝手に前へ来い。ただし触るな」
広い温室の中は温度管理ごとに区分けされているけれど、中でも先生がおっしゃった「禁止区域」は扉に精密な鍵がかかっている。
二段式の台車にはガラスケースで覆われた鉢植えが五つ乗っていて、カレンは興味津々といった様子で赤い瞳をきらきらさせていた。
私はちらりとロズリーヌ殿下を見やった。従者のデカルトさんと共に静かに座っている。いつもは後ろの方なのに今は前から二列目の、一番隅の席だ。
ホワイト先生は一つずつ紹介し、教科書に載っているものはページ数を教えてくれる。隔離されているだけあって毒性が強い。黒板に書かれる特徴をノートに書き写していく。
「これなどは国内ではまず見た事がないだろう、許可が無ければ所有してはならないものだ。」
ガラスケースに片手を置いて先生が言った。
確かに見た事がない。大きな鉢からたくさん伸びた茎の先端それぞれに、濃いピンク色の小さな花をつけている。
「おれも前任から引き継いで育ててはいるが、当然使用は禁じられている。」
前世で知っている台詞だわ。
でも――ロズリーヌ殿下が動く事はなかった。入学式でも乱入イベントは起こらなかったし、今回も何もなく終わりそうね……。
ゲームだと、後ろの方に座っていたらしい殿下は立ち上がり、教壇の前に置かれた台車へ突進する。そのままではぶつかると見て、ホワイト先生はカレンいわく「面倒くさそうな顔で」立ちふさがった。
『おどきなさいな!わたくしその花をもっと近くで見たいんですの!』
『おれの話を聞いていなかったのか、触るなと言ったはずだ。何をしようとした?』
『邪魔なガラスをどかすだけですわ!』
『言語は共通のはずだが、理解できないか。触るなと言っている。』
『んまぁ!貴方にそれを決める権利があって!?わたくしは王女ですのよ!!』
『論外だ。出て行け』
『何ですって!?教師風情がこのわたくしに――』
そこでウィルが立ち上がって声をかけ、二人のもとへ行く。
我儘で強引なロズリーヌ殿下と、王女相手でも最終的には実力行使するだろうホワイト先生の相性は最悪だった。明らかに殿下が悪くとも、先生も言い方を気を付けない人だから…。
教師と生徒とはいえ、ヘデラの王女と宰相の息子。本気で揉められては困る。
ウィルは宥めるけれど、殿下は興奮していて拳を作った腕を振り上げた。
少なくともゲームでは面食いだったから、彼女は顔を殴ろうとしたつもりはないと思う。恐らく胸を叩こうとしたか何かでしょう。
といっても訓練なんて受けた事もない方の拳だ、ウィルは難なく受け止めて席へ戻るよう促した。
『もう結構!わたくしここで失礼させて頂きますわ!!』
『私達も行きます、ロズリーヌ様!』
怒って自分から出ていく殿下に付き添うように、三人の令嬢が教室を出る。まるで「私達がうまくフォローしておきます」と言うように、ウィルへわざとらしい目配せをしながら。
立ち絵もなく名前の欄に令嬢A、B、Cとしか出ない彼女達は、カレンに嫌がらせをしている張本人だ。媚を売る姿を見てカレンは人知れず嫌な気持ちになり、授業は再開される。
……というイベントで、選択肢は無い。
先生と殿下の間にカレンが割って入るのはおかしいものね。第一王子であるウィルが既に仲裁に入っているのだから、猶更。
「名はシノレネ」
意識を授業へと戻し、私はペンを握り直した。
ゲームでは続かなかった言葉、カットされたであろう話に耳を傾ける。要点を書いた黒板をチョークで叩き、ホワイト先生は言った。
「ヘデラ王国原産の花だ。」
◇
ホワイト先生のお言葉を聞きながら、わたくしは心の中で誰にともなく「大人しくしています、大人しくしていますから」と呟いていた。
前世でプレイしたゲームの中で、わたくしことロズリーヌ・ゾエ・バルニエは本日騒ぎを起こしていましたわ。先生が触るなとおっしゃったのに触ろうとして、止められて怒って、ウィルフレッド殿下にご面倒をかけた挙句、叩こうなんて!
今となっては――この新生ロズリーヌにとっては、まっっったく考えられない事態ですけれど。
確かにゲームの、そして以前のわたくしがあの花を見たら飛び出していたでしょう。
だって祖国で見た花ですもの。懐かしくて嬉しいに決まっています。
かつてはただの花だと思っていました。
けれどこの新生ロズリーヌ、授業イベントで見たと気付いてきちんと調べておきました。シノレネというあの花は、ヘデラの貴族の間ではよく知られた秘密の花なのです。
わたくしは大人じゃなかったから、知ろうともしなかったから、見た目以外の事は知らなかったけれど。
「詳細は言わんが薬の原料となる。人を催眠状態に落とすものだ。かの国では精神病治療の一種としても用いられるため、《使用制限》がされているだけだが……ツイーディア王国においては全面違法だ。」
それだけ危険なのです。
シノレネは葉っぱの節から分泌液を採る事ができます。それと他の材料を混ぜて作り出した香油は、人を催眠状態にできる――つまり、暗示をかけられる。だから治療に使うなら、医師と薬師が厳重に管理した上でせねばなりません。
犯罪に利用されています、裁判が困難な事件があります。
しかし産地である以上、管理外つまり違法業者の根絶はとても難しいそうです……だって、こっそり作っちゃうのですから。盗難もございます。お花がああやっていっぱいくっついていると、職員がこっそりくすねたらもうわかりません。
…と、お父様やお兄様達の愚痴は、今は置いておきましょう。
「万が一にも余所で見かけたら気を付けろ、所有者が薬を作っていないとも限らん。……それと、鍵を開けたくらいで禁止区域に入れると思うな。毎年遊び半分に挑戦する馬鹿がいて面倒だ」
ホワイト先生が恨みのこもった目でぐちぐち言っていますが、それも今は置いておきましょう。
あの方ね、背が高くてあんな口調だから圧が強く見えるけれど、結構天然でドジですから。知っていればそんなに怖くありません。
裏で王家の敵を暗殺するご家系の出身とはいえ、怖い怖いお父様が彼に指令を出すのは、《未来編》のお話ですし。
一応は攻略制限のある方ですから、カレンちゃんが先生のルートに入る事はないでしょう。先生にとっては、少し特別な生徒かもしれませんけれどね。
カレンちゃん、白髪に赤い瞳ですから。
ホワイト先生が実のお母様から聞いた、呪いめいた言葉。
『黒髪赤目の男が無辜の民を殺す。やがてその髪は白く染まり、数えきれないほど殺すでしょう』
性別こそ違えど、黒髪の時期がなくとも、カレンちゃんの《色》は先生にとって複雑なもの。まったく気にしていないという事はないと思いますわ。
あぁ……叶うなら全てのルートイベントを物陰から見ていたかった。
今世を何巡かしたいですわ。といっても、戻すなら入学直前になさってくださいね、神様。わたくしあのダイエットをやり直すのは死んでしまいます。
せっかくこの世界に来れたというのに、わたくしときたらロズリーヌ。皆様の邪魔をしない事はできるけれど、イベントの目撃には至れていません。
最初の「皆でお茶会」イベントは一体どなたを選んだのかしら。カレンちゃん、貴女は一体どの殿方とイイ感じになっていくんですのッ!?あ、できればアベル殿下以外でお願い致します……。
「殿下。授業終わってます」
「えぇっ!?」
ラウルの声に慌てて見回してみれば、教壇に先生はおられないし生徒の皆様も退出を始めていますわ!わたくし一体いつからホワイト先生のお声を聴いていなかったのかしら!?
今は置いておきましょう、の「今」が長過ぎましてよ!
「ニタニタ……いえ、ニヤニヤなさってる間に終わりましたけど。」
「訂正の意味ッ!まぁなんてこと、さっきと黒板の内容が違いますわ!」
「殿下が手を止めてから三回くらい書き変わりました。」
「そんなにも!?」
あ、貴方、わたくしの手が止まった事に気付きながら放置を……!?なんという不敬ッ!
「次の教室は遠いですから、後で俺のノート写してください。」
「あら、良いんですの?じゃあそうしますわ。持つべきものはラウル!貴方ですわね。」
もっちりと微笑みながら立ち上がり、教室を見回してみます。
カレンちゃん達も、ウィルフレッド殿下達ももういない……一抹の寂しさというやつが胸をよぎりました。
いいのですいいのです、平穏に過ごしてキャッキャウフフな恋模様を展開してくだされば、わたくしはそれで。
カレンちゃんへの嫌がらせに加わってしまうなんて、あり得ませんから。
わたくし断言致しますわ、心の内で。
次のイベント――「生意気ですわ!」は不発だと!!




