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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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26.――絶対に、

 



 私のせいだ。


 その一言がぐるぐると頭の中を渦巻いた。

 せっかく、サディアスが男達を戦意喪失させたのに。

 せっかく、ウィルがあの男に勝ったのに。

 せっかく、アベルの無実を証明できるところだったのに。

 私のせいで全部が台無しになっていく。


「ごめん、なさい……」

「口を開くな!」

 消え入るような声で呟くと、喉にあてたナイフを強く押し付けられた。ジリ、と痛みがはしって思わず顔が歪む。

 ウィルとサディアスが目を見開き、しかし動けずに歯を食いしばった。


「…ハハ、おらあ!!」

「ッぐ!」

 ならず者のリーダーがウィルの脇腹に蹴りを叩きこむ。

 ウィルはサディアスの近くまで転がったけれど、自分の剣から手は離さない。


「やめて!ウィルを、ウィルを王にするのでしょう!」

「騒ぐな!」

「いっ、」

 痛いと声が漏れそうになって、私は唇を噛んだ。私よりウィルの方が痛いに決まっている。蹴られたところを手で押さえ、身を起こしたウィルが片膝をつく。

 男はにやにや笑いながら歩き、壁際へ蹴り飛ばされていた自分の剣を拾い上げた。


「さっきはやってくれたなぁ。見ろよ血ぃ出ちゃってるよ…」

 自分が圧倒的に優勢であるという愉悦を滲ませて男は笑う。剣を持ってウィルのほうへ歩き始める。

 やめて。何をする気で、


「それ以上、ウィルフレッド様に暴行を加えるのはよした方がいい。」


 サディアスがきっぱりと言った。

 男が歩みを止め、眉を吊り上げてこちらを見やる。視線の先にいるだろう執事は私の背後なので、どんな顔をしたかはわからなかった。


「執事殿、その娘を捕えたのは正解です。ウィルフレッド殿下の弱点ですから、命を握っていれば金でも貢物でも手に入る。うまくやれば傀儡政権ともなるでしょう。」

「サディアス!何を言って…」

「雇われた貴方がたも。ここで殿下に目立つ傷を残すより、見逃したほうが美味い汁をすすれますよ。なんなら監視ついでに護衛騎士にでも抜擢してもらえばいい。」

 薄い笑みを浮かべて、サディアスは計画を話す。

 リーダーらしき男は数メートル先のウィルを見ながら剣をブラブラさせているけれど、自分で考えるよりは執事の回答を待っているようだった。


「伯爵が帰るまで決めかねるというなら、余計に現状維持が望ましいでしょう。下手に殿下の傷を増やし、城へ帰そうにも怪しまれてしまうという状態になれば、損をするのはそちらです。……ウィルフレッド様、足腰は立ちますか?さすがに歩けはしますよね。」

 つらつらと話しながらウィルを一瞥して目を合わせ、サディアスは続けて私を見た。

 安心させるようにこちらへ片手を広げてみせる。

 もう片方はピシリと腰の後ろに据えて、この危機的状況においては場違いな、紳士の仕草だった。


「シャロン様、貴女にとっても良い話です。ウィルフレッド様を脅すための人質となれば、貴女の命は保証されるのですから。」

 にっこりと微笑んで語った彼の、瞳の強さを見る。


「――()()()()()()()は、元からおありですね?」

「もちろんだわ。」

 間髪を入れずに答えた。

 何を問われているのか、本当は細かい事なんてわからなかったけれど。その問いに対しては、それしか答えはなかったから。

 紳士的に微笑むサディアスの口角が、僅かに上がった。


「火」


 パチン。

 呟くと同時、サディアスは腰の後ろに回していた手で指を鳴らした。

 私の頭上からボウッと音がして執事が叫び声をあげ、ナイフが離れる。まさか、今の一言だけで魔法を?


「シャロン!」

 ウィルが私に声をかけながら立ち上がり、自分に向かってきた男の刃を受け止める。


「大丈夫!」

 ナイフが離れた瞬間から私は走り出していた。

 再び剣のぶつかり合いが始まった後方で、私はサディアスの元にたどり着く。手を引かれ、すぐに後ろへと庇われた。


「ごめんなさい!ありがとう、サディアス」

「厄介なご令嬢です、まったく…」

 申し訳なさとナイフがこの首を離れた安堵で泣いてしまいそうだったけれど、ぐっと堪えて前を見た。

 床を転げて頭をはたいていた執事が、火を振り払ったようでゆらりと立ち上がり、敵意に満ちた目をこちらへ向ける。


 一度は人質をとった事で強気に出ようとしていたならず者たちが、再度どうしたものかとサディアスと執事、ウィルと切り結ぶ男とを見比べている。

 でもサディアスはもう大きな魔法は使えない。

 どうしたらいいの?

 ここから、どう…


 屋敷が揺れた。


「な、ッ!?」

「んだぁ!?」

 嵐が来た時のようにぐわんと外から揺らされたようだったそれは、一瞬だけで。ウィルとリーダーの男はすぐに互いへ視線を戻す。その直後、


 突風と共に一人の男性が部屋に入って来た。


 むしろ突撃してきたと言うべきか、その人はほんの一瞬で部屋の中央まで到達してしまった。

 当然ながら、そこにあった長テーブルの食器や酒瓶は等しく床へ落とされる。何もなくなったそこをゴツリとブーツで踏みつけた、その後ろ姿に。

 見慣れた銀髪に、声をかける。


「おとう、さま……」


 呆然とした私の声に、お父様は険しい表情で振り返った。

 銀色の視線がすぐに私の首へ移り、目を見開く。



()()()()!!!!」



 その怒号が魔法の宣言だと気付いたのは、私とサディアス、ウィル以外の全員が――この部屋にいる十数人の敵全員が、一斉に床に叩きつけられてからだった。


「がッ、ぁあぁあああ……っ!!」


 呻き声を上げる彼らはまるで縫い付けられたかのように床に突っ伏し、とても自力では起き上がれないようだった。まさに、ひれ伏している。

 強い風が吹いているような音が聞こえるのに、私やウィル達の髪を揺らすものはなかった。

 ぽかんと開いてしまう口にそっと手をかざす私の横で、サディアスが「疲れた」と一言残して座り込む。目の前の光景に対してあまり驚いた様子はない。

 ウィルは自分の剣を鞘に納めて、男が持っていた剣を拾った。


「シャロン」

「はい!」

 思わず直立不動の姿勢をとる。

 男達の呻き声が響く部屋で、ずんずんと歩いてきたお父様が――私を抱きしめた。


「危ない事を、するなと…!」

「…ごめんなさい……」

 じわりと、涙が滲んだ。

 もう大丈夫だと思えたから。そして、自分の無力さを痛感した。

 ちくちくと痛かった首筋が暖かい熱をもって、痛みが消える。お父様が治癒の魔法を使ってくれたのだろう。


「ごめんなさい、ごめ、なさ……ぅうう。」

 そこからはずっと、声を上げて泣いてしまった。

 お父様にも、ウィルにも、サディアスにも、アベルにも、謝り続けた。


 守るために鍛えると、強くなると言ったくせに、私は結局なんの役にも立たなかった。ウィルもサディアスも頑張ってくれたのに、二人の足を引っ張っただけ。

 怖くて、不安で、どうしていいかわからなくて、守られていただけ。


 初めての戦闘で、私はあまりにも無力だった。





 ◇





「…なんて事だ……」


 マクラーレン伯爵は頭を抱えて呟いた。

 王立図書館からのんびりと帰ってみれば、ひっくり返って気絶している門番に、なぜか目を回してよろけている騎士が二人。開け放たれたままの玄関扉は見るからに歪んでいて。


 絶対に何かあったと察してコッソリ裏口へ回ってみれば、泣きわめく子供が呼んでいるのは王子殿下とその従者の名前と「お父様」。

 小さく聞こえてくるのは男達の呻き声、その場所は食堂だろうと予想もつけば、マクラーレンにとって最悪の事態という事は容易に想像できた。


 ――早く、姿をくらませなければ。


 そうは思ったが、着の身着のまま出たところで売れる物は少ない。あれだけ泣いている子供ならおさまるまではまだ時間があるだろうと、ひそかに二階の自室へ戻って貴金属をかき集めた。

 せっかくの地位も屋敷も非常に惜しかったが、「ならず者に脅された」と言い訳するには無理がある。今回は目撃者を確実に用意するために、誘導員としても人数が必要だった。忠誠心があるわけでもない彼らは簡単に口を割るだろう。それこそ、ほんの一秒黙秘するかどうかも怪しい。


「くそ…なぜ私がこんな事に。」

 そもそも、第二王子のアベルが無才ならよかったのだ。

 王族なのに魔力が無い出来損ないのくせして、変に剣の才能があったものだから、自分勝手な性格を「覇王の風格だ」などと褒めそやす輩が出てしまった。


 騎士団などはその最たるもので、厳しく監視すべき第二王子の問題行動にもやたら甘い。

 騎士すら負かしたという噂だってどこまで本当か怪しいが、護衛騎士すら連れずに城から出て行く王族など存在していいわけもない。いつ偽物とすり替えられるかわからないではないか。

 食卓を度々荒らしたり、城内の人間を脅す事もあるという。本人には第一王子の邪魔をする気はないようだが、さっさといなくなってもらいたい。


「ん……?」

 部屋を出たマクラーレンは、すぐその異変に気が付いた。

 ここは屋敷の中だというのに、真っ白な霧が立ち込めていたのだ。


「なんだ、これは」

 不気味すぎる。

 ほんの一メートル先も見えないほどの濃い霧だった。戻ろうと振り返った先にあるはずの扉も見えない。手さぐりで行こうかと思えば、バタンと扉が閉まる音が聞こえた。


「だ、誰かいるのか!?」

 答える者はいない――と思えば、女の笑い声がした。


「ふふ」

「誰だ!」

「ねぇ…伯爵さん。どこへいくの?」

「姿を見せろ!」

 腕を振り回しても、貴金属が入った袋を振り回しても、霧は一向に散ってくれない。


「うふふ」


 ぞっとした。

 ここが鬱蒼と茂った森の中なら、間違いなく「化け物」と叫んで逃げ出していただろう。

 正直今だってそうしたい気持ちでいっぱいだが、これだけ深い霧の中を走っては、階段で転がり落ちる事は明白だ。


 ――待てよ。これだけの霧なら、向こうも見えていないのではないか?


 ふと気が付いて、ごくりと生唾を飲み込む。

 できるだけ物音を立てないよう、声を出さないようにしながらそろりと手を伸ばす。何十年過ごした屋敷なのだ。思ったとおり、そこには手すりがある。


「ねぇ」

「ぎゃあああ!!」

 すぐ耳元で声がして叫んだ瞬間、手すりに触れた手の甲が切り裂かれていた。


「ヒィ!いいっ、ぎ…!」

 声を出してはいけないと唇を噛み締めたが、切られたならとうに位置などバレているのではと考え直す。 

 はぁはぁと息が荒くなるのを抑えきれず、ついにマクラーレンは貴金属が入った袋を置いて走り出した。


「あらぁ、置いていくの?」

「いい!やる、全部やる!だからやめろ!」

「う~ん、でもね」


 ピッ。


「いらないのよねぇ。」

「い゛い゛いいいぃいいッ!!!」

 今度は逆の手が切り裂かれた。

 まだ階段にたどり着いてもいないのに、恐怖ですくんだ足がもつれて廊下を転げる。両手の傷は騎士なら一言も発さず耐えられる程度の浅さだが、ろくに戦えないマクラーレンに耐えられるものではなかった。


「伯爵さん、私ね?」

「ひぃっ、ひいい、ぅうう…」

 四つん這いになりながらも進もうとすれば、細い杖か何かで手の傷を押しつぶされた。


「ああああああああッ!!!!」

「あんまりね?よくないと思うの。冤罪とか?」

「いぎぃ、ひッ、いい…」

 押しつぶす時の力の入り方で、今のは女性用のヒールの高い靴かと思い至る。足を掴んで正体を明らかにしなければと必死でバタバタ手を動かしたが、既にそこには何もいなかった。


「特によくないのは、そうねぇ。」


 コツ、コツ。


 ようやく、足音が聞こえ始める。

 いや、恐らくはわざと聞こえる歩き方に変えたのだと、マクラーレンは心底恐ろしくなった。

 この女は暗殺者に違いない。王国騎士団ではないどこかに、自分は見咎められてしまったのだ。


「私の娘を泣かせた事かしら。」


 低い、重たい声だった。

 言われた内容に目を見開き、それは私がやった事ではない、そう叫ぼうと口を開き、


「なんてね。ふふ」


 目の前に剣を見る。


「――詫びなさい。貴方が泥を着せようとした、輝かしい星に。」


 貴婦人が着る淑やかなドレスの裾を、細い腕を、冷たい薄紫の瞳を。


「許しを請いなさい。我らが月の女神に。」


 凛とした声が紡ぐ言葉はまさしく、王国騎士団特有のものだった。


「恥じなさい。己の罪を。浅はかな欲望を。」


 そして切っ先は持ち上げられ、



「死になさい。許されざる咎人よ」



 振り下ろされた。





「……う~ん?」


 霧が引いた廊下で、ディアドラは首を傾げた。すっかり困り顔になって、申し訳なさそうに後ろを振り返る。


「ごめんなさいね、ヴィクターちゃん。この人、汚くなっちゃったわ。」

「はぁ…あ、いえ!はい。あの、大丈夫です。」

 失禁して気絶したマクラーレンを刃先でつついて、ディアドラはため息をつく。


「ちょっと脅かし過ぎちゃったかしら?」

「ハハ…ははは…」

 乾いた笑みを浮かべるヴィクターの後ろから、セシリアが爽やかな笑みを浮かべて階段を上がってきた。


「いやぁすごいものだな()()()殿は!さすが団長が恐れブん」

「だ・ま・れ!」

 二階に到着するなり片手で両頬を掴むようにして口を塞がれ、セシリアはきょとんとした。さすが団長が恐れるだけの事はある、と褒めようとしていたのに。


「ヴィクターちゃん、剣ありがとうね~。返すわ」

「はいッ!!」

 ヴィクターは速やかにセシリアを放置して剣を受け取った。

 アーチャー公爵の風の魔法(超特急)で運ばれてきたヴィクターは、前後不覚状態に陥っている間に「借りるわね~」と剣をかっぱらわれていたのだ。

 騎士としてはアウトだが、ぎりぎり「承知しまひた」と返せたから許されている、と思われる。


「クロちゃんは元気?あの子、レナちゃんと違って顔を出してくれないの。」

「お元気です。その、とても。」

 恐らくティム・クロムウェル騎士団長と、レナルド・ベインズ副団長の事だ。そう察したヴィクターは背筋をピシリと伸ばして答えた。

 二人はかつて騎士団の部隊長を務めていたこの女性――ディアドラ・アーチャー公爵夫人の部下だったらしい。その時の恐怖、否、畏怖の念は未だに消えていない。


「そう~。ならよかったわぁ。いつでも寄ってねって伝えておいて~。」

「はい!承知致しました!!」

「よかった、団長も元隊長殿を尊敬し続けてるようだったから。なぁヴィクター!言っていたものな、絶対逆らング」

「だ、ま、れ!!!」

 伯爵を縛り終えたセシリアの口を再び手で塞ぎ、ヴィクターはディアドラに礼をして速やかに食堂へ撤退した。



『――絶対に、アーチャー公爵家には逆らうな。』



 騎士団長の言葉に、心からの同意を返して。





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