265.うるさい音が止む頃に
灰色の曇り空へ、黒煙が昇っていく。
三階建てが幾棟にも分かれた大規模な施設を崖下に眺め、黒地に銀刺繍を施した軍服の男が二人、周囲の樹木に隠れもせずに佇んでいた。
あちこち焼け焦げた建物からは、断続的に爆発音と悲鳴が上がっている。
「派手にやってますね。」
「あぁ、なかなか悪くない速さだ。親父殿はどうあっても認めんようだが。」
そう言って口角を吊り上げた男の歯は鋭く、朱色の髪は襟足だけ腰まで伸ばして一つに結んでいた。爆風の余波で長い尾羽のように揺れている。
「それはまぁ……一応法律ですし、適用できる人材もあまり」
ドォン!
一際大きい爆発が起き、爆炎が空へ立ち昇った。
台詞が途切れたまま口を閉じ、男は隣に立つ若き主君を見やる。
遠い炎が端正な顔立ちを照らし、左耳につけたガーネットのピアスをきらりと光らせていた。薄い唇には自信に満ちた笑みを浮かべ、長い睫毛は余裕たっぷりにゆるりと瞬く。他に見た覚えのない白い瞳は、この男が人外の強さを持つ事の証明のようだった。
「そら、来たぞ。」
楽しそうに言う主君の視線を辿れば、虫に見えるほど遠くを敵国の軍が駆けている。
二人の眼下にある建物は彼らの拠点であり、深い森と切り立った崖が隠していた――はずだった。物資を整え出陣したものの、立ち昇る煙に気付いて慌てて引き返してきたのだろう。
騎馬が主となる本隊に先行する分隊が三つ、それぞれに武装して風の魔法で飛び始めている。
「殿下、しばらく待機でお願いしますよ。南砦の件が効いてるでしょうから、貴方がいるとわかれば下っ端は死に物狂いで逃げます。」
わかってはいるだろうが念押しで伝えると、皇子殿下はひらりと手を振った。
崩壊が始まった建物からは哄笑とも叫喚ともつかぬ声が聞こえており、白い瞳はそちらへ戻っている。
男は一瞬迷った。主君はともかく、中で暴れている者達は放っておいて良いものか。敵への攻撃に熱中するあまり、瓦礫に潰されはしないか。
「援護はいらん。」
「御意。片付けて参ります」
口を開くより先に答えを言われ、男は即座に地面を蹴った。宣言を唱え、風の魔法を使って一直線に飛んでいく。彼を見つけた敵の分隊が迎え撃とうと陣形を変えた。
その戦いをほんの少しも見守る気がないらしく、皇子は半壊した建物を眺めている。屋上にも草を茂らせて隠れてきたらしいが、今はそれもよく焼けていた。
爆音、黒煙に火の粉が混じり、悲鳴、瓦礫は崩れ、笑う、血の匂い。
「ふん……期待外れだな。」
目を細めて呟いた彼目掛け、突如背後から戦斧が振り下ろされた。
魔法で姿を消して近付いていたのだ。
ガンッ!
渾身の一撃が地面を割る。
馬鹿な、と見開いた大男の目に、瞳孔の目立つ白い瞳が映った。全身を悪寒が襲い、反射的に跳び退く。動揺したせいか姿を消す魔法は解除されていた。大男に比べれば線の細い皇子は、その長い髪の一本すら切られる事なく立っている。
心臓を蝕む恐怖を押し隠し、大男は眉間に深く皺を刻んで口を開いた。
「朱の髪に白い瞳……帝国のジークハルト皇子とお見受けする。」
「クク…そりゃ、こんな色男は他におらんだろう。」
鋭い歯を見せてにやりと笑い、ジークハルトは腰に佩いた剣の柄に手をかける。
それが鞘から抜かれるのを僅かも待たず、男は横薙ぎに戦斧を振るった。ジークハルトが一歩後ろへ飛んでかわすのも予想済みで、そのまま強く踏み込んで連撃を仕掛ける。
鍔で一撃、抜きかけた剣の刃でもう一撃防ぎ、次を避けてかわし、ジークハルトはすらりと剣を抜いた。
足のすぐ後ろは崖。パラリと土の欠片が落ちていくのに、自信に満ちた笑みには微塵も転落への恐れがない。風の魔法があるとはいえ、一歩間違えば死ぬ高さだというのに。
――…その自信が命取りだ。我らを舐めないで頂こう。
崩壊しかけの建物の屋上、瓦礫の影。
燃え残った草むらに狙撃手が隠れている。崖上に帝国軍がいると気付いた時点で向かわせていたのだ。
気を引く事には成功している。屋上が崩れてしまう前に隙を作り、銃撃する。風を使える魔力持ちに弾丸は無意味とされるが、それはあくまで事前に狙撃を警戒されていた場合だ。
限りなく無音に近い発砲。
僅かに漏れた音も即座に周囲の騒音に搔き消された。弾丸が飛んでいく。狙いは正確だった。
ガギン!
血は流れない。
ジークハルトは大男の方を向いたまま背後へ軽く剣を振り、それが弾を切ったのだ。真っ二つになって地面に転がった弾を見て、ジークハルトは僅かに眉を上げた。
「ほう、黒水晶仕込みの弾か。お前らには貴重だろうに」
「な…」
「馬鹿が。どうせなら共に攻撃してこい」
味方を撃ちかねないからそうしなかった、ジークハルトだけを撃ち抜く自信を持てるほどの腕がなかった。それだけのことだった。
目の前で増していく威圧感に大男は死を覚悟した。自分よりずっと若輩であるはずの青年が放つ、怒気のないただ攻撃する意思を持っただけの気迫に、圧されている。
「一応聞いてやるが、投降する気は?」
本来、狙撃手は位置がバレたら逃げなければならない。
しかしこれが最期と決めてか彼は逃げなかった。むしろ身を隠すのをやめ、堂々と銃口を晒してジークハルトの背を狙っている。弾がある限り残るつもりだろう。
彼が撃つ間に大男が逃げるのも手だが、そんな真似はできない。
戦士としての誇りにかけて――投降など、
「無い!!」
「よかろう。」
ジークハルトが剣の柄を握り直し、踏み込む。
直後、ゾクリと全身を包んだ悪寒に大男は反射的に斧を構えた。激しくぶつかった剣が火花を散らす。息つく暇もないほどの連撃が襲ってきた。
一撃ずつの重さは耐えられない程ではなくとも、角度と速さは一手間違えば殺される鋭さだ。ジークハルトが狙撃手の射程から外れないよう、崖が射線を遮らぬよう押し留める必要がある。
どう誘導し、どこで当てさせるか。先ほど見もせずに弾丸を斬った事を踏まえ、策を練らねばならない。
猛撃を繰り出しているとは思えぬ柔らかさで、薄い唇が開いた。
「宣言。闇よ」
「ッうぉおおお!!」
魔法を使わせるわけにはいかない。
せめて言葉を途切れさせねばと強引な攻撃を試みるが容易くかわされる。狙撃手も数発狙ったが、ジークハルトはまるで弾道が先に見えているかのように避けていく。
笑みが崩れない。
「模倣し造り出せ!」
「くっ――……?」
大男は素早く周囲に視線をはしらせるが、どこにも闇など見当たらなかった。心臓がドグドグと嫌な音を立てている。その間にもジークハルトへ攻撃を繰り出し、弾かれ、
「上だぁああ!!」
「何ッ!?」
狙撃手の叫びに大男はハッとして上を見――振ってきた物に目を見開いた。
跳び退いたすぐ前の地面へ漆黒の戦斧がドゴンと突き刺さる。今まさに両手で握り締めている愛用の武器が、闇の属性を帯びて寸分違わず再現されていた。
「馬鹿な」
呆然と呟いた大男の前で、剣を鞘に納めたジークハルトが戦斧を容易く地面から引き抜く。
「では、腕比べと――…ん?」
「ふざけッ」
軽い笑みを浮かべたジークハルトはしかし、ちらりと空を見た瞬間に戦斧を振った。大男の意識が声と共に途絶え、大量の血飛沫が舞う。
「別の暇潰しが来た。終わりだ」
仲間を失った絶叫と乱れ撃ちが後方から襲ってきたが、足を進めるだけで崖が盾となった。
血の垂れる戦斧から手を離すとそれは溶けるように消え去り、付着していた赤色だけがボタボタと土に染みる。
返り血の目立たない黒い軍服にも、鍛え上げられた美しい身体にも、ほんの一つも傷がない。
長い腕を空へと伸べ、ジークハルトは笑った。
「戻ったか。二号」
カァと短く鳴き声をあげ、艶のある羽を広げた黒い影が舞い降りる。
自身の手までは血がついていない事を確かめ、ジークハルトは優秀な運び屋から手紙を受け取った。二号は軽く羽ばたき、腕から肩の上へと移動する。
「ん…予定にない拾い物をしてきたか?」
思っていた数と合わずに呟けば、また答えるように二号が鳴く。
封筒の一つは細く流麗な字で「ジル様へ」と宛名書きがされており、差出人を察したジークハルトはその場で封を切った。
崖下ではまだ悲鳴や爆音が続いているというのに、呑気にも手紙を広げて読み始める。
「……くはっ、なるほど?」
主が楽しげに笑みを深めたのを見て、二号はぱちりと瞬いた。
どうやら自分は良い運び物をしたようだ。差出人もなかなか良い味の果実を賃料に差し出してきたが、主も後で何かしら与えてくれるだろう。
このうるさい音が止む頃には。
◇
ツイーディア王国、学園都市リラ――ドレーク王立学園。
「いたっ、……。」
すれ違った生徒の肩があたり、カレン・フルードは廊下の壁に軽くぶつかった。
振り返ると、三人で話しながら歩いていたらしい女生徒はチラリとカレンを見やり、また話し始めながら去っていった。笑い声が遠ざかっていく。
――ぶつからないと思ったけど………偶然、だよね。
あまり気にしないようにしようと決め、カレンは壁にぶつけた肩を軽くさすった。
足を止めたまま壁を見ると、掲示板にカラフルなチラシが貼り出されている。
「…パット&ポールの何でも雑貨店……?」
読んでみると、学園内ではなく街にある店らしい。簡単な地図も添えられていた。
この廊下の先には購買部があり、今は一限目の後なのでそうでもないが、昼時には人通りもかなり多くなる場所である。ここに貼られるという事は、人気の店なのかもしれない。
「カレン!」
元気な声に振り返ると、レオがこちらへ歩きながら大きく手を振っていた。
いつも通りこげ茶頭にバンダナを巻き、活発な彼らしくブレザーの前は開け、ネクタイは緩んでいる。
一緒にシャロンとダンもいるようで、カレンの所まで通行人がそれとなく避けて道を作っていた。
――…め、目立つなぁ……。レオは気付いてないみたいだけど。
苦笑いで軽く手を振り、カレンもレオ達の方へと歩く。
他の生徒達がじろじろと不躾な視線を送っているが、三人はまるで気にした様子がなかった。
「お前も次は国史だろ?一緒に行こうぜ!」
「うん。三人とも、馬術はどうだったの?」
「楽しかったわ。私は改めて乗り方の説明からだったけれど、ある程度乗れる人はもう走らせたりしていて。」
「女の先生が手本見してくれたんだけど、楽しそうに障害物バンバン飛び越えてかっこよかったよなー!俺もあれぐらい乗れるようになりてぇ。」
シャロンが穏やかに微笑み、レオは興奮した様子で手振りを加えて話している。
ダンさんはどうだったの、とカレンが視線を送ると、ダンは軽く屈んで周囲に聞こえない声量でぼそりと呟いた。
「俺はフツーだ。王子サマが帰れって言われてて、ちょっとウケたけどな。」
「どういう事?」
「あれな~!俺もびっくりした!さすがアベル様だよなっていうか…」
うんうんとレオは頷いているが、カレンにはサッパリだ。
困ってシャロンの方を見ると、目が合った彼女はちらりと周囲を見回した。レオの大声で他の生徒が聞き耳を立てている。
「殿下が馬を軽く走らせたところで、オルニー先生が一度止めたの。「君に教える事は無さげだから、帰ってもいいよ」とおっしゃって。」
「えぇ…それで、どうなったの?まさか帰っちゃった?」
「いいえ。そのまま残って、第一王子殿下と一緒に上級者向けのコースを試されていたわ。帰ってもいいという事は、残ってもいいという事だもの。」
「あっ、そっか……。」
ダンが言った「帰れ」というニュアンスとは結構違う話だ。
カレンがほっと息をついてダンを見上げると、咳を隠すように口元に手をあててにやりと笑っていた。意地悪な従者である。
シャロンは先ほどまでカレンが立っていた場所を一度だけ見やり、何もなかったかのように廊下の角を曲がった。
『おい、お前大丈夫か?そんなずっと俯いて…ローブまで着てるし、寒いとか?腹壊した?』
『だ、大丈夫!……何でもないよ。』
『同じ一年だよな、名前は?』
『…カレン・フルード。』
『そっか、俺はレオ・モーリス。騎士見習いだ!』
本当ならここが初対面。
『騎士…』
『おう。だから具合悪いなら医務室連れてくし……大丈夫なんだったら、次の国史一緒に出ようぜ。』
『私と?』
『途中できつくなったら言えよ。たぶんフード取っても顔色悪いって、お前。手首とかガリガリだし』
『がっ…がりがり…!?』
主人公は俯く事なく前を見据え、その白い髪を覆い隠す物も無い。
この変化はきっと良い未来へ繋がっていると、そう信じられた。




