262.まずはクラス分けから
剣術の授業――初回。
受講者は皆、制服より柔軟な素材で作られた運動着に着替えて訓練場に集まっていた。
見学席には多くの女子生徒が詰めかけ、王子や令息達の姿にきゃあきゃあと騒いでいる。
「はぁああ……第一王子殿下、なんてお美しいのかしら。どうせなら庭園の花々を背景に眺めていたいですわ。」
「王子殿下達を堂々と見れるとか、おトクだね~。同い年に生まれてよかった。」
「チェスター様お元気そうでよかったわ。身内で暗殺未遂だなんて…」
「でもしばらくは距離を置かせて頂く方が良いですね。華のようなひと時をくださるけれど、巻き込まれてはたまりませんし……まぁ、目配せを…本当に、お上手な方。」
「あの背の高い緑髪の人も貴族かな?」
「アレ、王女様と話してたから止めた方がいいよ。かっこいいけどさ。」
「ねぇ見て……第二王子殿下、シャツのボタンを少し…開けておられるわ。あぁ、服のシワからわかる身体つきもなんと…っ。」
「はしたないですわよ。……もう少しそっち寄ってくださいな、角度が…」
「サディアス様が剣を持つ姿は初めて見ますわね。魔法は上級クラスにいかれたようですが。」
「剣術を取らなくてよかったのに!あの涼やかなお顔に、たった一つの汗もかいてほしくないですもの。」
扇子の裏に隠れたものもそうでないものも、様々だ。
受講者側は見学席を完全に無視する者、迷惑そうにちらりと見やる者、会釈したり手を振る者。
「女子に見られるなんて余計に緊張する~!あのお嬢様達どっか行ってくれないかな。」
「フッ、この僕の剣技をあれだけのレディが見に来てくれるなんて光栄だね。」
「なんか気持ち悪いのがいないか?あの白いの。怖いんだけど」
「おい見ろよ、ディアナ嬢だ!俺調べ、守ってあげたいご令嬢ナンバーワン!なんでこんなとこに!?」
「試験とかめんどいなぁ~…」
「アーチャー家の令嬢来てないんだな。王子達いるし見に来ると思ったんだけど。」
「馬鹿、あっち見ろ…」
「ゲッ!何で受講者側なんだよ。」
剣術を受ける生徒の割合は男子が多くはあったが、騎士家系は元より、護身の一つと考える平民の娘など、女子も二十を越える人数がいた。
そこに筆頭公爵家の令嬢、シャロン・アーチャーも加わっている。
慈愛を体現したような微笑みを浮かべながら、どうしてか剣を携えた姿に違和感がない。薄紫色の髪は三つ編みにして後ろでくるりとまとめ、邪魔にならぬようピンで留めていた。
見学席からも彼女に視線が注がれている。
「本当にシャロン様も剣術をなさるのね……。」
「剣がお得意な第二王子殿下に擦り寄りたいのではなくて?女神祭でも色目を使っていたと言うわ。」
「良いじゃない、ライバルが減ったわ。粗暴な令嬢を殿下が好むわけがない」
そんなひそひそ話を右から左へ流し聞きながら、ヘデラ王国第一王女――ロズリーヌ・ゾエ・バルニエは、少々太ましい首を限界までひねっていた。
――なぁああんでシャロン様が剣術を取っているんですのー!?魔法学だってカレンちゃんと受けておられるはずが、なぜか中級へ行かれていたようですし!どうして!?
首のストレッチでもしているのか、なぜここで始めたのかというその姿に、周りの女子がやや距離を取っている。
ふと見学席を見やった従者のラウルは、主の奇行に気付いてちょんと自分の首を指し、唇を動かした。
――殿下、首。折れますよ。
「はっ!」
びくんとして首を元に戻し、ロズリーヌは今更痛み出した首筋をさする。王女にあるまじき謎のポージングをしていたかもしれない。こほんと空咳をして姿勢を正す。
シャロンの身に何が起きているかはわからないが、ともかく今の彼女には使命があった。
前世でプレイしたゲームのキャラクター達――特に推しのサディアス――の戦闘シーンを見る、と。
何せ、立ち絵&スチルのノベルゲームでありアニメ化はしていない。
立ち絵が揺れたりスライドしたり表情、負傷の差分、剣戟や魔法はエフェクトの組み合わせだったのだ。動いてるところは基本的に見たい。見学オーケーという授業システム万歳である。
ラウルも初級から剣術を習ってみたいと言うし、ロズリーヌは毎時間見学する気満々だった。見学は表向きは授業選択のためだが、貴族の子と護衛役が離れないためのものでもある。
「アーチャー公爵のご令嬢とお見受けしますが。」
ぼそりと吐かれたアルトの声に、シャロンは振り返った。
濃いブラウンの髪を編み込み、ポニーテールにした女子生徒がじろりとこちらを見据えている。背筋を伸ばした姿勢には淑女教育が見てとれるが、それにしてはやや開けた手足の位置と目の鋭さから、爵位の低い騎士家系の娘と推察した。
身体が彼女に向き直る頃には微笑みを整え、「はい、確かに」と穏やかに返す。
「私はシャロン。貴女がおっしゃった通り、アーチャー家の娘ですわ。何か御用が――」
「剣は軽い気持ちで持つものではありません。公爵家の女性自らが剣を振るうなど、お止めになった方がよろしいのではないでしょうか?」
シャロンはぱちりと瞬いたものの、微笑みを浮かべたまま柔らかく目を細めた。
明らかなトゲがありつつも小声で言うあたり、周囲の注目を浴びて非難したいわけではないのだろう。シャロンも声を潜める。
「まぁ……ご心配してくださったのですね。ありがとうございます。」
「今からでも見学席へ行かれては?怪我をされては大変でしょう。」
「その場合は私の力不足。先生方の教えを受け、反省を次に活かせるよう努力致しますわ。…ところで、もしよろしければお名前を伺ってもよろしいかしら。」
「っ!わ、私は…」
自分が名乗りもしなかった事にようやく気付いたのだろう、彼女の顔がサッと赤くなった。親しくもない高位の令嬢に話しかけたのだ、礼の姿勢を取って名乗る事が最低限のマナーである。
「全員揃っているか!!」
力強い声が響き渡った。
生徒達は口を閉じ、そちらへと向き直る。剣術の初級、中級、上級を受け持つ教師三人の登場だ。
「見学者がすごいな……トレイナー先生、今日は騒がしくても大目に見てやってくださいよ?」
初級担当、イングリス。弓術も担当している。
今年で年齢は二十六、短く刈り上げた銀髪は前髪を上げており、細いつり目は機嫌よさそうに弧を描いていた。百八十センチは背丈があり、紺色のシャツを肘まで捲って見えた逞しい腕に令嬢達の目が吸い寄せられる。ネクタイはしておらず襟元も緩く、他二人と比べると粗雑な印象だった。
「…まぁ、叫ぶ者がなければ許しましょう。」
中級担当、トレイナー。体術も担当する女教師だ。
薄紅色の髪をシニヨンに結ってバレッタで留め、フレームレスの眼鏡の奥にはキャメル色の瞳が光る。眉間には既に皺が寄っており、四十歳という年齢と元騎士団小隊長の肩書通り、厳しい雰囲気を漂わせていた。ジャケットはウエストラインから下が波打つようなひだになっており、ズボンとブーツを履いた長い脚はきびきびと地面を踏みしめる。
「俺はレイクス!これより剣術の授業を行うが、まずはクラス分けからだ!」
上級担当、レイクス。格闘術の担当でもある。
肩につかない長さの瑠璃色の髪、凛々しく端正な顔立ちに明るいグリーンの瞳。歳は今年で三十四になる男で、騎士のような正装は白と基調とした上等な物だ。堂々とした振る舞いを裏付けるように、服の上からでもその身体に引き締まった筋肉がついているだろう事が窺えた。
新入生のほとんどをリラの教会で迎えたのは彼であり、見学席からも「あの時の先生だわ」とうっとりした声が漏れる。
レイクスは生徒達を見回し、二人の王子殿下とそれぞれ目を合わせると静かに片手を胸にあてた。黙って頭を下げて騎士の礼をし、真剣な表情で顔を上げる。
「――学園内において。教師と生徒はそれだけのものであり、身分によって成績が左右される事はない。生徒諸君、君達にも言っておこう。相手を測る定規は見目や爵位だけではないと。侮った者は後悔するだろう」
誰ともなく全員を見回し、静かに告げた。
生徒達の中には、中級を担当するのが女であること、レイクス以外は平民の出であることに不満を抱いた者も多い。レイクスの経歴を知るごく僅かな者も。
ぎくりとした生徒も目をそらした生徒も見なかった事にして、レイクスは不安を吹き飛ばすように笑った。
「次回以降は自前でも構わないが、試験は訓練場の剣で行う!中級以上の希望者は持っているな?良し!」
「初級担当のイングリスだ。初心者と、まだ全然慣れないって子は俺の方に来てくれ。今日は間近で試験見学だ。受けたくなったら途中参加してもいいし、筋トレ優先したい奴はそれもオーケーだ」
「中級担当、トレイナーです。将来騎士団に入る気のある者は、卒業までに中級以上で成績を残すとよいでしょう。試験は、私とレイクス先生で相手をします。」
見学席とはまた別方向に離れていくイングリスに、受講者の三分の一ほどがついていく。
その最後尾で呑気にも大あくびをした生徒を見つけ、イングリスが声を上げた。
「あ、バージル!おい、バージル・ピュー!」
「んぁ、はい?」
半開きの目を瞬き、シャロンよりも背が低いだろう男子生徒が返事をする。
背中まである浅葱色の癖毛を低い位置で縛り、緑色の瞳は眠気を宿してぼんやりとしていた。イングリスは苦笑して軽く手を振る。
「お前は初級ダメだ。試験受けさせろって手紙が来てる」
「うわ~…じゃあ、仕方ないですね。わかりました~」
ひらひらと手を振り返し、バージルはのろのろとトレイナーが整列させている一団へ戻っていく。初級を受けるらしい女子生徒の一人が彼を訝しげに見やったが、血紅色の長髪を後ろへ流し、すぐに視線を外した。
訓練場の剣は刃を潰されている。
同じ剣を手にしたレイクス、トレイナーに一対一で挑むのが試験だ。
もっとも、構えが甘い時点で初級を言い渡される者もいれば、数回刃を交えただけで中級と判断される者もいる。受験者は数十人いたが、授業時間を越える事はなさそうだった。
「はははは!中々の勢いだ、ラドフォード!剣は初めてか?」
「俺は!拳のがッ…合ってる、らしいですね!!」
ダン・ラドフォード。
剣を振るうその姿には技と呼べる鮮やかさなど無く、剣を「ちょっと変わった形の棒」とでも思っているのかとすら感じさせる動きだ。
ただ速く力強く、敵の反撃を恐れずに対処する度胸もある。実戦を知っている者だ。同等の力に調整してダンの剣を弾きながら、レイクスは感心したように頷く。
――この獰猛な目!合わないと知っていて試すその意気や良し。口調を抑えているが、それはある程度精神に余裕を残せているという事。本当に剣は合わない様子だが…相手取るためにも技術を知って損は無い!
「よかろう、中級だ!!」
「っしゃ――」
「ただし途中から!まずは初級で握り方から変えてこい!!」
「ッぁあ!?」




