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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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258.五人目の攻略対象




 私とした事が!


「お嬢、そんなに急ぐなら魔法使うか?」

「それは大丈夫よ!目立ってしまうもの」

 ダンの申し出を断りつつ、人気のない廊下を静かに走る。もし見られても「ごめんあそばせ」ですみそうな速度――…うっ、遅い。一年前の私ならこれでも早く思ったでしょうけど、魔力による身体強化を知っている私としては、結構遅い。


「このまま中庭を突っ切っていくわ。ダン、人もいないし大丈夫だから、貴方は寮へ。」

「あぁ?荷解きなんざ後でいい」

「駄目よ、自分の部屋といえどきちんとしなくては……あ、道がわからないかしら?」

「わかるに決まってんだろ!ガキじゃねぇんだから」

 ダン、小声で強く言う事に慣れてきたわね。

 じゃあ貴方はあっちねと一応それとなく道を示して、私は芝生へ続く短い階段を降りた。



 急いでいるのは、カレンが遭遇するイベントが今どうなっているかわからないからだ。



 入学式の前、私はウィル達と歩きながら「ここにアベルやチェスター、ロズリーヌ殿下がいるのはゲームと違うわね」、なんて思っていたのだけれど。

 なんと、迷い込んでくる予定のカレンは現れなかった。

 よく考えてみれば当たり前だ。ゲームではアベルを探しに行ったチェスターに会って、それでこっちに来たのだから。二人がこの場にいる以上、そんなイベント起きるわけがない。


 式を終えたら、私は本来女子寮へ向かう女の子達をそれとなくやり過ごして、道で待っていなければならなかった。遅れてやってきたカレンに挨拶するために。

 ただ式直後に知り合いに捕まって、問答無用で連れて行かれてしまったのよね。女子寮とは真反対の医務室に。いつでも来いという言葉は嬉しいけれど、あぁ、カレンはもう行ってしまったかしら?


 上から見れば六角形になっている校舎の真ん中にある、広い中庭。

 いつもは人通りも多いんでしょうけど、今は誰もいない。背の低い芝生をさくさくと踏みしめて急いでいると、


 どさっ、ゴン!ずずず。


 右側にある校舎の上から変な音が聞こえた。

 そちらを見ると、三階の大きな窓が開いて――白衣を着た男性が、身体全体で屋根を滑り落ちてくる。


「えっ?」


 あれはまさか!ぎょっとして思わず目を見開いた。

 ど、どうして落ちてるの!?もしかして意識がない?校舎まで二十メートルはある、私では身体強化したって間に合わない!


「せ、宣言!風よ吹いてあの人を支えて!!」


 慌ててそちらへ走りながら叫んだ。

 ほとんどパニックで――情けない事に、魔法は不発だった。遠過ぎたのだろう、私の射程外だ。

 ちょうどよく生えていた木に落ちた彼は枝をバキバキと折り、ぶつかって勢いを殺され、芝生の地面に背中を打ち付ける。


「う゛っ!」

「だ、大丈夫ですか!」

 傍らに膝をついて声をかけた。

 ダンを行かせるべきじゃなかったと後悔しながら、私は仰向けに倒れた男性を見下ろす。


 身長は百九十センチ近く、黒のハイネックにズボン、白衣は土で少し汚れていた。

 年がら年中レンズが赤いゴーグルをつけていて、ストレートの短い黒髪は、右の前側と左の後ろ側だけまばらに白い。年齢は確か二十三歳、植物学と薬学を担当している教師。



 リリーホワイト子爵、ルーク・マリガン。



 通称「ホワイト先生」。

 前世でプレイしたゲームの、五人目の攻略対象だ。


「…何だこれは。」

 ひどく不快そうに呟いて、彼はむくりと身を起こした。

 身体についていたのだろう小さな枝葉がパラパラと落ちる。赤いゴーグルの中で鋭い瞳がこちらを睨みつけた。私は膝をついたまま略式で礼をする。


「シャロン・アーチャーと申します、先生。三階の窓から落ちてこられたようです。」

「アーチャーだと?………。」

 ホワイト先生はものすごくしかめっ面で私を見ていた。

 私もゴーグルの中にある瞳をじっと見つめ返す。はっきりと開かれる事がなく、瞬きが多い。どうやらこれは不機嫌というより……眠たそうね。


 立ち上がろうとした先生がよろめいて膝をつき、私の背後にある木の幹に腕をついた。そのままだと先生の胸板にぶつかるところだったので、座ったままの私も後退して木に背中を預ける。

 様子をうかがうと、眉間に皺を寄せた先生の目は閉じていた。駄目ね、これは。


「先生、もしかして寝ていらっしゃらないですか?」

「――魔獣の…」

「はい?」

「報告は理解したが、あいつらはなぜ鉱石方面の確認しかしてない。おれに寄越すなら各種毒も薬も試してからにしろ、何の意味がある?おれは石を食う趣味はないし、言われずとも腕に貼っつけて寝るほど馬鹿ではない。」

「寝ていないのですね?」

「寝てない……」

 聞こえてたんですか?

 今にも眠ってしまいそうなボソボソ声で、先生は誰かへの文句を言っていた。どうやらその報告が届いたせいで、自分なりに調べ物をしていて徹夜したみたい。入学式にいないと思ったら…。



 ホワイト先生は、ウィル達四人全員のエンド――バッドエンドではなく、正規エンドか悲恋エンド――をクリアすると、攻略できるようになる。


 元から授業イベントには登場するけれど、ルートが解放されると、今日アベルと出会ってから私に会う前に、カレンが温室へ寄り道するのだ。

 その後ウィル達しかいないイベントの選択肢では、私を選んでおけば他の攻略対象の好感度を上げずに済む。

 カレンは先生に淡い恋心を抱きながら一年生を終え、《未来編》では逞しくも研究生として先生の助手に採用されていた。


 そして一通の手紙が届く。



「何をしている。リリーホワイト子爵」



 聞き覚えのある声に、私はぱちりと瞬いた。

 先生の顔を見ながらシナリオを思い返している場合ではなかったわ。視線を移すと、先生の腕の向こう、険しい表情のアベルと状況が掴めない顔のチェスター……頬が赤いカレン!?どちらにやられたのそれは!


「ん……」

 ぴりぴりした空気に少し目が覚めたのか、先生が低く呻いた。

 ぱち、と開いた瞳が私を見て、訝しげに首をひねる。私の存在、もしかして忘れられていたのかしら。

 ゆらりと立ち上がった先生はやっぱり背が高い。設定では確か百八十九センチ。ひょろ長いのではなく引き締まった筋肉がついた身体つきで、しかめっ面でアベルを見下ろす姿には迫力があった。

 私も芝生から腰を上げ、スカートについた土を軽く払う。


「初めましてが先じゃないのか、第二王子アベル。最後に見た時、おまえはまだ赤子だったと記憶しているが?…それと、《ホワイト先生》だ。ここではな。」

「何を、してたのかな。ホワイト先生?」

「知らん。」

「は?」

「私からご説明致しますね。」

 寝不足の先生に任せては埒が明かないだろうと、私は苦笑して経緯を話した。

 数十秒にも満たない時間だったのに、終わってみると先生は既に目を閉じている。腕組みをして仁王立ちしたまま、静かに寝息を立てていた。


「ホワイト先生!起きてください」

「む……、っ!?」

 声をかけると先生は顔を上げ、ぎょっとしたように一瞬目を見開いた。視線の先にいたのはカレンで、先生の目力に圧されてびくりと肩を揺らしている。でもすぐに立ち直って頭を下げた。かわいい。


「あっわ、私はカレン・フルードです!皆と同じ新入生です、よろしくお願いします!」

「…あぁ…よろしく。」

 赤いレンズの奥で目をそらして、ホワイト先生は右手でぐしゃりと髪を掻き上げた。

 カレンの色に驚いているのだろう。


 だって、先生の瞳も赤いから。


「……おれはもう行く。おまえ達も、さっさと寮へ行け。」

「はい、先生。お気を付けて。」

「…シャロン・アーチャー。」

「はい?」

 思い出したように足を止めて振り返った先生に首を傾げる。


「驚かせてすまなかった。助けようとしてくれた事に礼を言う。ではな」


 私の宣言が聞こえていたのかしら。

 こちらの返事も待たず、ホワイト先生は踵を返してさっさと校舎へ入ってしまった。……また三階から落ちてきたりしないわよね?



「あの…」


 控えめに声をかけられてハッとする。私には今、何を差し置いてもしなくてはいけない事があったのだ。急いで声の主であるカレンの前に行き、彼女の手をぎゅっと握った。


「こうやって会うのは初めてね。先生が先に言ってしまったけれど、私はシャロン。アーチャー公爵家の長女よ。」

「こ、公爵家…なんだね。」

「えぇ。だからもしかすると、私達といる事で貴女に嫌な感情を抱く人もいるかもしれない……何かあればすぐ、私に相談してね。困った時には名前を出して。」

 太陽光に白く輝く髪。

 後ろの低い位置で二つのおさげに結った姿は、スチル画像で見た通りだ。赤い瞳が少し不安そうに揺れる。


「そんな事したら迷惑がかからない?」

「大丈夫よ。少なくともこの国の――賢明な貴族の子なら。そこで引くはずだわ。」

 考えの浅い方だとわからない。

 あるいは、絶対に隠し通す自信のある人とか。カレンが黙ってしまえば届かないから、それが一番気にかかるところ。ゲームのカレンは結構我慢していたから。

 私よりも一回り小さな手をしっかりと握ったまま、彼女の瞳を真っすぐに見つめた。


「どうか信じて、話してね。私に貴女を守らせて。」


「うぅ…わ、わかったよルイス、じゃなくてその、シャロン……!」

「シャロンちゃん、ストーップ!十分伝わったでしょ、ねっ。」

 照れたように頬を赤らめるカレンが可愛くてじっと見ていたら、チェスターが距離を取ってねと手振りで示してきた。言いたい事を言えた私は大人しく手を離す。


「それで?」


 トゲのある声にさくりと刺された感覚で、きょとんとしてしまった。

 そちらを見たら、アベルはどうしてか冷ややかな眼差し……お怒りモードだわ。カレンに対して熱がこもり過ぎていたかもしれない。


「君はダンも連れず、こんな所で何をしていたのかな。」

「ダンには、構わず寮へ行っていいと言ったの。さっき説明した通り、たまたま通ったら先生が降ってきて――」

「あ、えっとね。ホワイト先生が落ちてきて駆け寄ったのはわかるんだけど」

 私が何か認識違いをしたのか、チェスターが口を挟んだ。


「傍から見ると口説かれてるか脅されてるかの真っ最中だったからさ、何の話してたかはちょっと気になるかも?」

「くど……」

 驚いて繰り返しかける。目が合ったカレンが恥じらうように視線をそらした。

 まさか赤くなっていたのはアベルやチェスターと何かあったのではなく、私と先生を見ての事だった……?


 私は眉を下げて片頬に手をあてた。

 何の話をしていたか?記憶を遡って客観的に見ようとしてみる。確かに、私が寄り掛かる木の幹に先生が腕をついて、ぼそぼそと囁いていたわね。声が聞こえない距離だったら勘違いされてもおかしくない。


「そちらからは見えなかったわよね。あの時先生は目を閉じて、ほとんど眠りかけていたの。石を食べる趣味はないとか何とか……要は寝言よ。」

「ね、寝言……」

 カレンが呆れ半分びっくり半分に呟いた。

 先生のルートだと、マイペースな彼を貴女は「もう!」と言いつつ世話を焼くのよね。とてもかわいい。


「私があそこにいる事も忘れていたみたいで、目を開けた時不思議そうにしていたわ。」

「だとして、なぜさっさとどかなかった。僕達だからまだいいけど、他人が見たらよからぬ噂が回ってたでしょ。」

「ごめんなさい、そうよね。お会いするのが初めてだった事もあって、少し観察してしまったというか…」

「まぁまぁ、アベル様。背の高い大人にああされて、ちゃっちゃと頭回して動けっていうのも酷ですよ。たとえシャロンちゃんでもね。」

 チェスターが宥めるように言ってくれたものの、アベルはまだちょっと不満げだ。


「そういえば、三人はどうしてここに?」

「私が、寮でルイスに会えるんだよねって言ったの。そうしたらアベルが、たぶん医務室にいるって。」

「それで俺達でエスコートしてきたってわけ。入れ違うといけないから、中庭を気にしつつね。」

 私が中庭を突っ切る可能性を見抜かれている…。

 さくさくと芝生を踏みしめて、私達はようやく寮へ向かった。





そう、実は攻略対象は五人いるのでした。覚えておられましたか?


2022.4.29時点で、第一部で二回だけ出ていた「隠しキャラ」の表記を「(条件クリアで)もう一人」に変更しています。


「ゲームの公式サイトで攻略対象表記がない攻略対象キャラ」という意味で、しかし「隠し攻略対象キャラ」だと長いので「隠しキャラ」と呼んでいたのですが、一般的な意味の隠しキャラとややこしいという事で。変えました!

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