236.猫です
訳の分からない事を言っていると、自分でも思う。
どうか、私の知る事実ではなく、あくまで想像に過ぎないという事にさせてほしい。本当はそうやって伝える事すら恐ろしくて、手の震えが気付かれませんようにと、少し力をこめる。
「……今、どこにいるか想像がつくか?」
アベルは、私の案に乗ってくれたようだった。
「いいえ」と呟く。
「連絡の取りようがある相手だと思うか。」
「…貼り紙を目にしたら、反応をくださるのではないかしら。」
「外見をどう想像する?」
「……長い、まっすぐな黒髪。銀の簪…仮面でお顔を隠しているかも。服はきっと、色々お持ちだわ。」
簪と言った瞬間に僅か、アベルの手が強張った気がした。
「瞳の色は。」
「瞳…?想像もつかないわ。」
アロイスがつけている猫面は、目の部分が黒くなっていて見えないのだ。
名前のないモブ立ち絵の顔のように、ゲームの表現上、影になっていただけだろうとは思うけれど。見えない方が《謎の男》っぽいもの。
「…《先読み》持ちだと思うか?」
その質問で、アベルの推測がわかる。
私とチェスターが正体を内緒にしている、オークス公爵の暗殺事件を《先読み》した人物。本当はいないその人物がアロイスではないかと考えたのね。確かに、それなら私が隠す事も一貫している。
でも、できるだけ…嘘はつきたくない。
「どうかしら……きっと、お強い方だとは思うけれど。スキルについては予想もつかないの。」
そもそも、ゲームではスキルという単語自体が出てこない。
神出鬼没で、時にはその強さでカレン達を守ってくれたアロイス。彼は何かスキルを持っていたのかしら。
「強い、か…武器は?」
「刀。だって、君影国の方なのでしょう?」
「そうだな。彼はなぜ国を出たと思う?」
国を出た?
…小旅行で来たわけではないという事ね。彼を探すのは骨が折れそうだけれど、だからこそアベルに協力を頼んだのね。
あら?でも、お姫様の事はたまたま街で見つけたのではなかったかしら。彼女は事前の打診もなしに、当てもなく自ら探しに来た?……君影国に何があったのだろう。
「たぶん、自分の事はあまり話さない方だと思うの。謎の男を自称するような、そんな人かもしれないわ。」
「……なんだそれは…」
アベルの声に呆れが混じるけれど、そこは私に聞かれても困る。
すん、と鼻をすすった。
「過去、たとえばどこにいたと思う?」
つまり、どこで私と会ったか聞きたいのね。
答えられたらよかったのだけれど、私が知っている彼の出現場所は、未来だ。
「私は噂話のような、お伽噺や物語のような、曖昧な想像しかできないわ。場所のことは、何も。」
「……そうか。」
ただ、必ずカレンと出会うでしょう。
彼は今年、学園都市リラに現れる。
…そこまで言う事は、さすがにできない。お姫様にとっては、決定的な情報なのに。申し訳なくて眉が下がる。
「ごめんなさい…」
「別にいい。それより…もう泣いてないか。」
「えぇ、大丈夫。」
意識して微笑みを作って顔を上げると、やっぱり違う方を向いていてくれたらしいアベルが、ちょっと困り顔でこちらを見た。
「…なら、もういいか?」
言葉通りに、彼の手が僅かに頬から離れようとする。
私はその手に自分の手を重ねたまま、ふと、どこまで許してくれるのだろうと考えた。兄に甘える妹のように、自ら頬を寄せてアベルを見上げる。
「もう少しこのままでと言ったら…許してくれる?」
冗談めかして笑うつもりだったのに、泣いたばかりだからか、本心だからか、うまく笑えなかった。明らかに狼狽えたアベルがちらりと視線を彷徨わせ、困ったように眉を顰める。
「泣かれるよりは、マシだが……。」
「…貴方は優しいわ。」
くすりと笑ってみせて、私はそっと彼の手を離した。
名残惜しく思う自分を「小さな子供じゃないのだから」と叱咤して、背筋を伸ばす。クリスのお姉さんなのよ、私。しっかりしなくては。
手を引っ込めたアベルは少し不機嫌そうだ。優しいと言ったせいかしら。
「別に優しくはない。」
「ふふ…」
「何で笑うんだ。」
「どうしてかしらね。」
すっかり冷めてしまった紅茶のカップを取って、残りをくいと飲み干した。
カンデラ山での女神像探し、アベルのためにも絶対に見つけなくては。久々にギャビーさんに会うのも楽しみだわ。相変わらず、白猫さんを連れているのだろうか。
「…言えないことがあって、ごめんなさい。貴方を信じていないわけではないの。」
「人が口を閉ざす理由なんていくらでもある。俺もお前に全て言えるわけではないし、その必要もない。」
「……えぇ。」
「お前なりに譲歩した結果が《想像》だろう。…礼を言う。」
笑みは浮かべず、けれど真摯な瞳で彼はそう言った。
私は小さく微笑みを返す。
どうか、気付かないで。
アベルが腰を上げて、私も追うように膝立ちになった。
もう帰ってしまうのだろう彼に手を差し出すと、指先を掬うように支えてくれる。
「また来週、会いましょう。」
「…あぁ。」
瞳の見る先が私から手へと移って、念を押すように少しだけ握られた。再び私と目を合わせたアベルは、諫めるような表情で。
「……向こうでは、気をつけろ。」
「ふふ…そうね。わかりました。」
今は咎めずに許してくれた貴方に微笑みかけると、手が離れる。
一つだけ頷いて、額縁から空中へ跳んだアベルは姿を消した。私の部屋に浮かんでいた灯火も全て消えて、月の浮かぶ星空だけが私を照らす。
「…今夜は、肌寒かったのね。」
吹き込む冷たい風にぽつりと呟いて、窓を閉めた。
◇ ◇ ◇
バタァン!!
「ぁああ兄様から手紙とは真のひゃぁあああああ!!」
盛大な音を立てて部屋の扉を開けた直後、エリは絶叫してズテンと尻餅をついた。護衛のヴェンが速やかに手を貸して立たせてやると、涙目になりながら入室する。
「アベルっ!出てくる時は気を付けよと言っておるであろうが!!」
「…今のはそちらが入ってき」
「そんな事より!兄様から手紙が来たのじゃな!?」
バタバタと駆け寄ってきたエリに、アベルはテーブル伝いに一枚の紙を差し出した。
奪い取るようにして引き寄せ、エリは蜂蜜色の瞳で文字を追う。
「えーと、なになに…」
私の可愛いヒメユリ
やぁ、久し振りだね。元気なようで何よりだ。
成長した君の姿を見られないのは残念だけれど、私は谷間には戻らない。
なぜって、これでも色々と忙しくてね。
報酬は君に授ける物だと、私は随分昔から知っているよ。きっとよく似合うだろう。
何か不安があるかい?紅玉もいるなら問題はないさ。
アロイス ▽
「な、ななな……わ、わらわに授けるじゃと…も、問題ない?ど、どこがじゃ……!」
読み終えたエリはわなわなと唇を震わせる。
アベルはそれを見て、どうやら本物からの手紙で合っているらしいと察した。ぐしゃり、エリの手の中で紙が握りつぶされる。
「うぅぅ兄様ぁあああーーーッ!!!!」
不満を咆哮に変えたエリの手から、ヴェンがそっと手紙を拝借した。
さらりと目を通し、険しい表情で頷く。
「この筆跡に猫の絵……内容から言っても、間違いなくアロイス様のものです。」
「……猫の絵?」
アベルが聞き返した。
そんなものは目にした覚えがない。ヴェンはしわくちゃの手紙をテーブルに広げ、差出人名の横に描かれた「▽」を指した。
「猫です。」
「…ねこ……?」
「アロイス様の描く、猫です。」
「……とりあえず、本物ならよかったよ。」
「どこじゃッ!!」
エリがテーブルを両手で叩き、アベルに詰め寄ろうとしてハッと後ずさる。ヴェンの後ろに隠れ、ひょこりと顔を覗かせて唸り声を上げた。
「うぅう…兄様はどこからこれを出してきたのじゃ!吐けぃ!」
「そう怒鳴らなくても教えるよ。この手紙が預けられたのは、王都の南東にある神殿都市サトモスの詰所だ。」
「さともす?」
「まだ我々は行っていない場所です、エリ様。」
手紙はお小遣い程度の金で幼子に預けられて届けられた。
その子供によれば、確かに「猫面をつけた黒髪の不審者」であったと言う。
「猫面……」
話を聞いたエリが複雑そうに顔を歪めた。
アベルは目を細めて口を開く。
「面の事、心当たりがあるみたいだね。こちらに言わなかったのは、つけていない可能性が高いと思ったのかな。」
「はい。外に出られたならば…捨てられたかとばかり。」
答えたのはヴェンだった。
眉を顰めた顔に滲んでいるのは怒りではなく、悔恨のように見える。
「…《報酬は君に授ける物》……尋ね人の報酬は、確か金の簪だったね。それは銀の簪とは違うのかな。」
「銀は元からわらわ達に与えられた物……金は別格じゃ。ヴェン、こうしてはおれぬ。サトスとやらに行くぞ」
「サトモスですね。」
「うむっ、それじゃ。」
頷き合う二人は、「彼は銀の簪をつけていたらしい」とアベルが言っていない事に、気付かない。探している相手本人からの返信だ、気を取られて当然だろう。
――アロイスは猫面をつけ銀の簪をしているという、シャロンの情報は正しかったわけだ。彼女の言い分を信じるなら、会った事はないようだが……人伝に聞いたとしても、どうやって?エリオット・アーチャーすら知らなかった男を、ろくに情報元もいない彼女が知れるとは思えないが……貼り紙の事を話して数日で返事が来たのは偶然なのか?
可能性があるとすれば、シャロンとチェスターが知っているという《先読み》持ち。それはアロイス本人ではないとの話だったが、情報元ではありえるかもしれない。
本来は彼らがバサム山から帰り次第、それぞれを尾行させるつもりだった。件の《先読み》持ちを調べるために。シャロンの「見届ける」という発言からして、結末を報告しに会いに行くはずだから。
しかし王都襲撃事件まで発生し、エリ達の事もあってそちらは一旦放置したのだ。
「荷をまとめ出立しようではないか。コレも手に入れたしのう。」
顎に軽くてをあてて考え込むアベルの前で、エリは自慢げに口角を吊り上げてサングラスを取り出す。恐ろしい事にハート型だ。
「サディなんとかがつけておったのは、かけると目がやられそうじゃったからな。《さんぐらす》はその心配がなくて良い。」
「眼鏡は、視力を調整する工夫が施されているようですからね。」
「うむうむ!久方ぶりに会ったわらわがこんな洒落物をつけておったら、兄様も驚くであろうな!」
エリが「そういえばあのヘンテコは何じゃ」と聞いた事から、君影国には眼鏡の類がない事が発覚した。
視力が落ちるという事がまず滅多にないのだそうだ。
宰相などは食生活に関係があるのではと色々聞き出そうとしたが、エリが嫌がって逃げてしまった。特に魂が見える者は視力の衰えを訴えた例を聞かない気がすると、アベルだけは教えられている。
エリはすちゃりとハート型サングラスをかけ、得意げに振り返った。
「見よ、アベル。なかなか似合って――…」
言葉が不自然に途切れ、アベルはようやくそちらを見る。
黒く透けたガラスの奥で瞬きをして、エリの顔は驚愕で固まっていた。
アベルの瞳を、まっすぐに見つめて。




