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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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226/529

225.答えは見えない、永遠に ◆

 



 ズン、と低音が小さく響き、ガラスの割れる音が続く。

 ほぼ同時であったそれらが聞こえた瞬間、アベルは駆け出していた。


 角を一つ曲がった先に見えたのは、扉を破ろうと体当たりする二名の騎士、そして腰を抜かしながらも「ギャビー!開けろ!」と叫ぶ画商の姿。


『サディアス様!聞こえますか!』

『駄目だ、開かない!応援を――』

 扉の隙間からは煙が漏れている。

 護衛より見張りの意味合いが強くつけられたこの二人は、実力的には下級の騎士だった。


『そこをどけ!!』


 剣を抜き放って叫ぶと、二人は慌てて扉から離れる。アベルは瞬時に扉の歪みを理解すると、身体に魔力を流し、剣の威力に風の魔法を上乗せして扉を破った。

 ごうと巻き上がる炎を視認すると同時、室内に水の魔法を発動する。


『ぷへっ、ぺっ、何だい急に!お菓子までびちょ濡れだ!』


 ソファに座っているのはギャビーこと、画家のガブリエル・ウェイバリー。床に倒れているのは第一王子の従者であるサディアス・ニクソンだ。

 二人共目に見える大きな火傷はないが、ギャビーは腰あたりまで髪が焼け焦げ、サディアスは額が切れて血を流している。


『画商が気絶したようです、そちらは――』

『入るな!!上級医師を連れてきて。早く』

『ですがまだ状況が』

 騎士は室内を確認しようと足を踏み出したが、それより先は第二王子が入る事を禁じた部屋。

 一瞬で突きつけられた刃に、射殺すような金色の瞳に、息が詰まった。


『お前…僕の言葉が聞こえなかったのか?』

『っすぐに!』

 真っ青になった二人が画商を抱えて走り去る。

 廊下では数名の使用人が遠巻きにこちらを見ていたが、アベルが冷えた目でどこかへ行けと手振りすると皆慌てていなくなった。


 振り返ると、ギャビーは呑気にも濡れたクッキーをくしゃりと噛んでいる。

 アベルは剣を納めて一人掛けソファを掴み、壊れた扉の代わりにと入口へ放り投げた。がたん!と音を立てて塞がれたそこで、ちょうど駆けつけた騎士が急停止する。


 鋭い目に濃紺の瞳、耳にかけた群青色の髪は肩につかない長さだ。一番隊の騎士、マイケル・モーベス。

 彼は、自分の足音が聞こえていただろう第二王子が入り口を塞いだ意味を正しく理解した。椅子をどかす事も乗り越える事もなく、焼け焦げた部屋をちらりと見回す。廊下に立っていては柱が邪魔で、ギャビーやサディアスがいる場所までは見えなかった。


『殿下、これは一体…』

『こちらへ背を向け、僕が許可するまで誰も入れるな。』

『…はっ。承知致しました。』

 モーベスは仰々しく胸に片手をあて、深く頭を下げる。

 こちらへ駆けつけようとしている他の騎士達から、その動作がよく見えるように。部屋に背を向け、両手を後ろに回して直立した。



『何があったのかな。』


 アベルは宣言を唱える事なく風の魔法で防音を張り、気絶したサディアスを抱え上げる。

 ギャビーは事もなげに答えた。

『ボクは彼が誰なのか聞いただけだよ。フラヴィオはサディアス・ニクソンと間違えていたけど。』

『……なるほど。』

 気を失いながらも苦しげに眉を顰めているサディアスをソファに寝かせ、アベルは額の傷口にハンカチをあてた。出血しても不思議ではない程度に、少しだけ治癒の魔法を使っておく。


 写実画家ガブリエル・ウェイバリーは、ほんの一目見た光景でも全て覚えてしまうという。

 どうやら、この少年をサディアス・ニクソンだとは思っていないらしい。



 彼は誰なのか?



 さぞ動揺しただろう、とアベルは考える。

 魔力の暴走まで起きてしまった事実が、当時のサディアスの心境を物語っていた。


『見たところ、君に直撃はしなかったんだよね。』

 ギャビーが腰かけているソファのひじ掛けがよく焼けており、焦げた三つ編みの先はそこにあったようだ。燃え移ったと見る方が自然だろう。

 アベルの問いに頷きながら、ギャビーは深皿の水面に浮いたマフィンをつついた。


『うん。それよりどうしてか自分で頭を床にぶつけてて、痛そうだったなぁ。起きたら、止めた方がいいと思うって伝えてくれるかい。前にも言ったけど、あんまり血を見たくないんだ。』

 その声色からギャビーにはサディアスに対する怒りも恐れもないと判断し、アベルは軽く顎に手をあてる。

 サディアスは暴走を止めるべく自傷にはしったのだろう。

 どう始末をつけるべきか。


『伝えておくよ。…少し部屋を明るくしてやれと言ったつもりが、ここまでになるとはね。』

『きっと、ボクが嫌な事を言ったんだろうね。名前を聞いたけど答えてくれなくてさ。』

 指示したのは自分だとするアベルの言葉にも、ギャビーは反応しない。

 あまり一般的ではない感覚だが、彼にとってはどうでもいい事なのだろう。


『…彼の名はサディアス・ニクソンで合ってる。それは、第二王子である僕が保証しよう。』

『えぇ?そうなのかい?貴族ってややこしいんだねぇ。』

『この部屋で起きた事を生涯黙っていられるなら、褒美に色をつけるけど。できる?』

『何色のお金かっていう話?』

 正直興味がないなぁ、と眉を下げて身体を揺らすギャビーに、アベルは緩く首を横に振る。


『立入禁止で見に行けない女神像があるだろう。』


 ぴたり、動きが止まった。

 青緑の瞳が期待に輝いてアベルを見る。


『僕にできる範囲で許可を出す。』

『本当かい!?それはものすごく助かるなぁ!』

『ただし見張りはつけるよ。』

『何だっていいとも、まだ見ぬ女神像を描けるなら!』

 界隈では有名人でも、ギャビーは爵位のない庶民である。

 ツイーディア王国で多くの女神像を描いてきた彼だが、崩落の恐れがある洞窟や貴族の領地など、簡単には見に行けない場所もいくつもあった。


 わくわくした顔で候補地を呟き始めたギャビーを放置し、アベルは防音を解いて部屋の入り口へ向かう。

 ちょうど困り顔でこちらを見やったモーベスと目が合った。


『第一王子殿下がお見えです。』


 小声で囁かれた一言に眉を顰め、入り口を塞ぐソファをひらりと乗り越える。

 廊下には複数の騎士が集まっており、中にはモーベスの相棒である筋骨隆々の大男、クリフトン・タリスの姿もあった。瞳と同じ黄土色の髪を短く刈り上げ、日に焼けた肌は浅黒い。

 タリスが視線で示した先を見ると、ウィルフレッドが護衛騎士を連れて足早にこちらへ向かってきていた。


 ウィルフレッドは辺りに漂う焦げ臭さに眉根を寄せ、扉が破壊され焼け焦げた部屋の入り口と、自分の弟を見比べる。


『……何があったんだ、アベル。そこはウェイバリーの控室だろう。彼はどうした。』

『もちろん無事だよ。怪我をさせろとまでは言わなかったしね。』

 酷薄な笑みを浮かべた弟に、ウィルフレッドは目を瞠って部屋へ駆け込もうとする。

 アベルは一歩だけ横にずれてそれを阻み、自分を睨みつける兄を無視して護衛騎士二人へ視線を投げた。


『ヘイウッド、パーセル。ウィルを連れて行け』

『しかし…』

『アベル、お前何を考えてるんだ。彼は陛下達の客でもあるのに――』

 護衛騎士ヴィクター・ヘイウッドは躊躇ったが、アベルが剣の柄に手をかけると咄嗟にウィルフレッドを庇うように前へ出た。

 それは刃が鞘から覗くのと同時であり、アベルは心中でヴィクターを褒める。それでいい、と。


 全て抜かれはしなかった刃を見て、ウィルフレッドの青い瞳が揺らいだ。ここで刃を見せる行為は、演習場で手合わせするのとはわけが違う。


『…アベル……』


 そうまでして我を通す弟を、顔を顰めて睨んでいる自覚はあった。

 しかし胸に渦巻く感情すべてが怒りなのか、ウィルフレッドにはわからない。


『関わらなくていい。ウィル』

『……っ!』


 ぎり、と奥歯を噛みしめた。

 文句を言ってやりたい気持ちが沸々と湧き上がっても、吐くべき言葉がまとまらない。

 我儘への憤りか、拒絶への嘆きか、あるいは劣等感から生まれた、ただ薄汚いだけの感情(もの)かもしれなかった。


『早く帰りなよ。』


 ゆるく弧を描いた唇で、余裕たっぷりにアベルが言う。

 どこか危険な香りのする美しい笑みは、お前の手など借りないと、お前に何ができるのだと、言っているように見えた。ウィルフレッドは腕を下ろしたまま、拳を固く握り締める。


『…参りましょう。ウィルフレッド様』

『……俺にも報告を上げるように。』

『はっ。』

 踵を返しながらの言葉に、モーベスが短く返事して頭を下げた。

 ウィルフレッドとヴィクターが立ち去るのを、もう一人の護衛騎士、セシリア・パーセルが見送っている。ヴィクターは気付いたようだったが、何も言わずに立ち去った。


 二人が角を曲がってから、セシリアはくるりと振り返ってアベルを見る。今はもう笑っていない第二王子は、彼女の赤紫色の瞳をただ見返した。


『アベル様、私はな』


 人によっては不敬だと絶叫しそうな言葉遣いで、まるで近所の子供を見守るような眼差しで。普段よりだいぶ控えめな笑顔を浮かべたセシリアは、静かに言った。


『貴方はもっと、ウィル様を頼るべきだと思うぞ。』


 モーベス達が硬直する。

 アベルに対してウィルフレッドとの事に口を出すなど、誰もが避ける禁忌だった。ごくりと唾を飲み込んだ者もいれば、血の気が引く思いで反応を待つ者もいる。


 怒るだろうという殆どの騎士の予想は外れ、アベルは僅かに眉根を寄せて目をそらした。その表情にはほんの少しだけ、耐えるような苦さがある。


『――僕はもう、手を離した。』

『また掴めばいい。』

『…早く行け、パーセル。ウィルに何かあれば、僕はお前を許さない。』

 話は終わりとばかりに背を向ければ、セシリアは「承知」と丁寧に礼をしてからウィルフレッドの後を追った。

 残った騎士に余計な話はさせず、アベルは指示を飛ばす。

 ウィルフレッドが大人しく去ったのは、中にサディアスがいるとは知らないからだ。知っていれば決してあれで引きはしなかっただろう。


『殿下、医師を連れて参りました!』

 ギャビーの見張り役だった騎士達が戻ってきた。画商は運ばれたまま医務室で寝ているのだろう。

 許可を得て、入り口を塞いでいたソファをタリスが軽々とどける。サディアスの存在にモーベスが驚くと、アベルは自分が気絶させたのだと言った。




 事もあろうに、第一王子の従者に命じて客室を焼いた第二王子。


 報告を聞いたウィルフレッドは血相を変えてアベルの元へ向かったが、弟は既に王都を出ていた。

 あの時強引にでも部屋へ踏み込んでいれば、ウィルフレッドは自分の従者がいると知れたはずだった。画家に事情も聞けただろう。しかしもう叶わない。

 画家は口止め料として、喜んでアベルと共に出掛けたらしい。


 従者――サディアス・ニクソンは、血の気が失せた顔で「アベル様の指示です」と言うだけだった。どうしてか今にも涙を零しそうに見えて、頼むから本当の事を教えてくれと言っても、彼は頑なに同じ言葉を繰り返す。


 なぜ命じて、なぜ実行したのか。そもそも本当にそんな指示があったのか。


 答えが明かされる事はなかった。

 ウィルフレッドの心に大きな疑問を残したまま、時は流れ――



 サディアスはアベルを殺し、獄中でリビー・エッカートに殺害された。




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