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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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216.今後に期待

 



 あと少しで二月も終わり。

 騎士団からの事情聴取もすっかり終わって、私とダンは日常に戻っていた。


 四月になったら、私達は王立学園に入学する。

 寂しがるクリスの頭を撫で、ぐりぐりと頬を押し付けて愛でる日々。家庭教師の先生方による授業も終盤を迎え、鍛錬も続けている。事情を知らないレオに「前より鬼気迫った感じだな。なんかあったのか?」と言われ、ちょっぴり焦ったりもしたけれど。

 事件のことを話すわけにはいかないから、「気のせい」で押し通しておいた。……相手がレオじゃなかったら、怪しまれていたかもしれない。


 そんな中、双子の王子殿下とその従者達が、久し振りに揃って我が家を訪れた。春の温かさはまだ先の事だから、応接室の一つで私も入れて五人、円卓を囲む。


「アベルから聞いた時は本当に、本っ当に焦ったよ……。」

 長い指をこめかみにあてて、ウィルがため息混じりに頭を緩く振った。優しい彼の事だから、それはそれは心配してくれたのだろうと思う。

「ごめんなさい、ウィル。心配してくれてありがとう。」

「いいんだ。君は無事だったのだから、それが何よりで…」

「あらかじめ縛っておかなければ、ここへ向けて飛び出していただろうね。」

 ウィルの言葉を遮って、アベルは下を指して言った。我が家へ、という事だろう。ウィルの頬にサッと朱が混じった。


「こ、こら!そこまで言わなくたっていいだろう!」

「?ウィルがそれほど心配してたのは事実でしょ。」

 アベルはさらりと返して、優雅な仕草でティーカップを傾ける。なぜ怒られたのかわからないという顔だわ。ウィルがもごもごと小声になる。

「だからといってその、俺が縛…られていたというのは……」

「まぁまぁ、ウィルフレッド様。俺達何も聞かなかった事にしますから。ね?シャロンちゃん、サディアス君。」

 チェスターは苦笑してそう言うと、私とサディアスに目を向けた。任せてほしいという気持ちをこめてしっかり頷いておく。

 第一王子が第二王子に縛られたなんて、そこだけ聞くと事件性しかないものね。二人が仲良しである事も、次期国王の座を奪い合ったりしていない事も、私はもちろんサディアスだってよくわかっているはず。


「もちろんよ。誰にも言わず胸に秘めておくわ。」

「…秘めないで、忘れてほしいんだけど……」

「何か言った?ウィル。」

「な、なんでもないよ、シャロン。」

 ぼそりと何か聞こえた気がしたのだけれど、私の気のせいだったみたい。

 入学という節目に向けて、ウィル達が国王陛下から新しい剣を賜った事はお父様から聞いている。私はここへ自分の剣を持ってこようとしたのだけれど、メリルに笑顔で取り上げられてしまった。ウィルと見せ合いっこしたかったのに…。


 サディアスは黒縁眼鏡を指で押し上げ、水色の瞳でじろりと私とチェスターを見やった。眉間にはっきりとシワが寄っている。

 メリルが剣を取り上げたのは、彼に冷ややかな眼差しを向けられるだろう事も見越していたのでしょうね。


「魔獣による王都の襲撃があったかと思えば、貴女がたの事件の一報……まったく、開いた口が塞がりませんでしたよ。」

「あはは…その時のサディアス君の顔、ちょっと見てみたかっ――冗談だって!」

 ものすごい顔で睨まれて、チェスターがぶんぶんと手を横に振っている。

 私達は、アベルやお父様達には協力を求める為に伝えたけれど、サディアスには話さなかった。ウィルはアベルから聞いたようだし、この中で彼だけが、事前には何も知らなかったのよね。


「ごめんなさい、サディアス。言わなかったのは…」

「そこは責めていません。むしろ……私に言わなかったのは正解、でしょう。」

 私から目をそらして、サディアスは呟くように言った。

 計画を内密にするのは正解…ではなく、彼に言わなかった事が正解だと。私は少しだけ首を傾ける。

 なぜそんな風に……もしかして、お父様であるニクソン公爵のよくない噂を気にしている?彼に伝えたら公爵閣下にまで話すかもしれない…と、私達が疑ったとでも思ってしまったのかしら。


「チェスター、君は今回の件でスキルを得たのだったね。」

「はい。…って言っても、ただの《温度変化》ですけど」

 ウィルがさらりと話題を変えて、チェスターが乗った。私はそれ以上疑問を示す事なく、自分のお皿から小ぶりのクッキーを手に取る。


「凍りつくまで冷やせるのだから、謙遜する事もないんじゃないか。」

「ありがとうございます。まだ思うように調整できないんですけどね。」

「…上はどれほどできるのです?」

 紅茶をティースプーンで軽く混ぜ、サディアスが質問を投げる。私も気になっていたところだ。

 温度変化は温かい、冷たいと真逆のコントロールも可能とはいえ、どちらかに偏りやすいと聞くけれど…。


「あったかいお湯、ぐらい?」

 既に試していたらしい。チェスターは首を傾げつつ紅茶のカップを持ち上げた。すぐ飲める紅茶くらい、でもあるのかもしれない。

「約四十度だね、あれは。」

 アベルが補足した。まさかとは思うけど触って確認したのかしら。


「アベル様、いきなり手ぇ突っ込んでくるからビックリしましたよ……。」

 予想が当たってしまったわ。ウィルが青い瞳をまん丸にする。

「えっ!火傷したらどうするんだ。」

「見た目からして、火傷には至らないと思った。」

「…お前ときたら……。」

 こめかみを押さえて首を振ったウィルを微笑ましく見ながら、私も紅茶を一口喉へ流した。火傷には至らない――アベルが確かめたなら、それは間違いないだろう。


「きっかけが違ったらもしかして、とも思いますけどね。冷やす方が先に身についたので。」


 話を聞きながら私が考えるのは、ゲームでのこと。

 ジェニーを殺されてしまったチェスターは、彼のルート以外ではオークス公爵邸で仇を取っている。

 残ったのは、《爛れた死体》が二つ。


 火の魔法を使えない彼がどうやったのか、不思議だったけれど……ゲームシナリオのチェスターはもしかして、その時《温度変化》のスキルに目覚めたのではないだろうか。

 熱くする方に。



 すなわち――死体が爛れていたのは火ではなく、熱湯によるもの。



 馬車を支えるほど頑丈な氷を作り上げた力が、真逆に向いたのならば。もしかしたら百度にさえ到達したかもしれない。

 そんな熱湯に、例えば全身を包まれたら……


「ま、調節範囲の成長は今後に期待って事で☆」

「スキルを目覚めさせた時点で凄い事だよ。俺だって、得られるとは限らないからね。」

 そう言うウィルの隣で、アベルは涼しい顔でパウンドケーキにフォークを刺している。

 彼には魔力が無いから当然、スキルが使えるようになる可能性もない……と、皆は思っている。実際には、宝石に魔力を込めて魔法攻撃を一度無力化する、なんて物凄い力があるのだけれど。

 

 うぅ、本当は声を大にして言いたい。

 私があの少年のスキルを突破できたのはアベルのお陰で、そうでなければチェスターがたった一人でダスティン様と少年の相手をする所だったのだと。


 ダン含め他の人は顔を動かせず、その時の私を直視していない。離れた場所でこちらに背を向けて戦っていたチェスターは余計に。事情聴取には「何とかしなくてはと夢中だったので、なぜ自分が動けたのかはわかりません」と答えている。

 少年側のミスか、元から私はスキル発動の範囲外だったか、咄嗟に火の魔法で対抗できたのか。少なくとも私が身に付けていたネックレスの効果だなんて事は、誰も思いつきもしていないだろう。


「…そういえば、正門の街道はとても被害を受けたと聞いたわ。そんなに酷かったの?魔獣の攻撃は。」

 もしかしたらバサム山に出たものと違って、王都襲撃に使われたのはより強力な魔獣だったかもしれない。それならもっと噂が回っていそうなものだけれど、念のために聞いてみた。 

 アベルがばっさり「魔獣じゃない」と返してくる。


「加減を知らない騎士の仕業だよ。騎士団長いわく、自腹で直させるそうだ」

「まぁ……それはちょっと、お可哀想な気もするわね。」

 壊してしまった規模によっては相当にお金が必要になるはず。少なくとも馬車は通れない有様だったそうだし、せめて貴族の騎士様だったら良いのだけれど。

 あるいは壊す程の力があるなら、工事のお手伝いをして減額してもらう、とか。


「自分がしでかした事は自分で、ってやつだね。狩猟の時のロイさんを思い出すなぁ。」

「護衛騎士の?」

 チェスターの言葉に、私はきょとりとして聞き返す。

 ロイ・ダルトン様。崖下に落ちてしまった私とアベルを見つけ、王城まで風の魔法で運んでくださった方だ。とても背が高くて、にこやかで、薄緑色の髪をハーフアップにしている。

 助けてもらった印象が強いのだけれど。


「あぁ…コテージの話だね。俺も報告でしか知らないけれど、ちょっと派手に魔獣を倒して、ご令嬢方を怖がらせてしまったそうだよ。」

 ウィルがすらすらと教えてくれる。

 あの日コテージが襲われた事については、私もチェスターから簡単に聞いていた。あちこちから火を吐くものだから、チェスターが屋根に上がって視界を確保し、消火に専念。地上ではコテージ四方を騎士が囲んで各個撃破…という話だったはず。

 女の子が怖がる、ちょっと派手な魔獣の倒し方。……一体、どんな事になっていたのだろう。


「それで後日、アベル様のとこに文句の手紙が続々届いたわけ。親御さんからね。」

「少しでも弱みにならないかという、下らない思惑ですよ。いっそ滑稽なほどに無意味ですが。」

 サディアスの声がトゲトゲしている。

 そんな彼が自分のお皿に取ったお菓子が一つ残らずアベルの真似で、私としては微笑みを綺麗に保つのがつらい。にまにましてしまいそう。


「元々あの狩猟って、イノシシとかの数を減らす目的もあったからさ。ロイさんが別の日に一人で狩りに行ったんだ。」

「そうだったの……ひ、一人で?」

 一頭だけで済むわけでもあるまいし、それは中々にハードだったのでは。困惑した私にサディアスが補足する。

「魔獣の残りがいないか調査した後の話です。さほど危険はありません。」

 そういう問題なのかしら。

 ついアベルの方を見やると、金色の瞳と目が合った。


「実際、遊びに行かせたようなものだよ。罰にもならないし、罰したつもりもない。」

「そう…。」

 文句を言ってきた人達を納得させるための、適当な口実といった所だろうか。

 私の頭に、脚を太い枝に括りつけられ逆さ吊りになったイノシシの姿が描かれた。ロイさんが枝を担いでにこやかに笑っている。うーん、あの方なら確かに、さくさくと狩っていておかしくないのかも。


「それよりアベル。例の件はいいのか?」

 ウィルがどこかそわそわしながら聞くと、アベルは「例の件?」と聞き返した。




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