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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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189.遊びじゃない



 王都へ通じる街道を、一頭の馬が駆けていた。

 背中には無愛想な男とゲンナリした顔の少女が乗っている。


「ヴェン……わらわは腹が減ったのじゃ……」

「ご辛抱を。もうしばらくで王都に着くはずです。」

「ふぐぅう……」

 蜂蜜色の猫目を切なげに潤ませ、少女はほっそりした白い手でお腹を擦った。

 内巻きがかった黒髪は耳の前は頬の高さで切り、後ろは低い位置でツインテールにしている。身長は百四十五センチしかなく、ローブで隠れた胸元に膨らみがあるかどうかは、よくよく注視しなければわからない。

 幼い顔立ちも相まって十六歳には見えない少女、エリシュカ・バルボラ・バストルは、君影国の姫である。


兄様(あにさま)は、王都にいるのじゃろうか…」

「それを確かめる為に行くのです。」

「《凶星》に会ったりはせぬよな?婚約者としてちゃんっ…とわらわを守るのじゃぞ?」

「自分は婚約者ではありませんが、お守りさせて頂きます。」

「くぅ~!ツレないのう!そんなようではモテぬぞ!も、勿論わらわからは、モテておるがな?」

 ちらちらと従者を振り返って言うが、手綱を握る彼は行く先を見据えるばかりで一向に目を合わせてくれなかった。エリはぷっくりと頬を膨らませて前を向く。


 従者ヴェンツェスラフ・メルタは黒の短髪に赤眼で、百九十センチ近い身長と屈強な身体、無愛想な顔つきも相まって怖がられる事が多い。国を守る戦士であり、今は姫の護衛として従者に任じられている。

 額に巻いた手ぬぐいは頭の後ろではなく左側で縛り、三十二歳というまだ若い年齢でありつつも目元には既に皺があった。ローブの下、背中には二本の刀を括っている。


「む…ヴェン、右に寄るがよい。」

「承知。」

 道の左側に黒くぼやけた何かが蠢いている。

 恐らくはその事だろうと、ヴェンは右に寄ってそれを通り越してから元の位置へ戻った。エリにはもっとハッキリ見えていたはずだが、再び「腹が減ったのう」と呟く彼女はもう、先程のモノはどうでも良い様子だ。


「着いたらまずは腹ごしらえじゃ。」

「わかりました。その次はいつも通り宿を探しましょう。」

「うむ!な、なんなら?わらわにその、てっ…手を出す事を許」

「《凶星》は王族ですから、城に入らなければ出会うはずもありません。それでも気を引き締めて参りましょう。アロイス様を連れ帰ると啖呵を切ったのは姫、貴女ですよ。」

「…わかっておる。」

 ツイーディア王国の者達には珍しい「着物」と呼ばれる衣服は、道中で長いローブを買って隠している。見慣れない武器である「刀」も同様だ。


 遠くに白い壁が見えてきて、エリは眉根をきゅっと寄せた。

 多くの人が集まるこの都は、他の街より長く滞在する事になっている。たとえ《凶星》の住む地であっても、兄を探し出すために。


「ゆこう、ヴェン。」


 遥か遠く、城の影が見える。

 手前には白壁。

 唯一、馬車が行き交えるほど大きい鉄製の門が開け放たれて入口となっており、商人や旅人らしき人々が行列を作り、騎士達と何事か話している。当然ながら素通りはできないのだろう。



 魔法大国ツイーディア――王都ロタール。



 ここで少しでも手がかりが見つかる事を祈って、二人は馬を降りる。

 行列に加わるために歩き出しながら、エリは不安げに曇り空を見上げた。





 ◇





「駄目だ。」


 私の目を真っ直ぐに見て、お父様はきっぱりと言う。

 反対されるのはわかっていた事だ。私は目をそらさないし、諦めた顔もしない。食い下がる。


「いいえ、お父様。どうあっても私は見届けたいと思います。」


 ローテーブルを挟んだ向かいに、お父様とお母様が並んで座っている。私の後ろにはダンが立って控えていた。

 護衛選定をした日と同じ、お父様の部屋。

 私はオークス公爵夫妻が襲われる可能性がある事、チェスターはリビーさんと共に秘密裏に後を追う事を伝えて、そこへ同行したいのだと話していた。

 二人に驚いた様子はなく、ほとんどはアベルから聞いていたみたい。それでも私が同行したいという言葉には、お父様は驚いていた。


「少し剣を学んだからといって思い上がるな。遊びじゃないんだ、シャロン。」

「えぇ、遊びではありません。本気で言っているのです。」

「足手まといだ。わかっているのか?」

「そうならないよう、ダンと共に行きます。何も無ければ一切手を出さない、それはチェスター様とて同じ条件です。何かあって、かつ公爵閣下と騎士の皆様だけで対処できない場合。そんな万一に備えてのこと。」

 鋭くこちらを睨みつける銀色の瞳は、まるでお父様ではないみたい。

 ピリピリした空気が肌を刺すかのようだった。私の心臓は怯えて縮み、頬に冷や汗が流れている。


「パーシヴァルですら敵わぬ相手。そんな万一に、お前がいて何ができる?倒せるとでも?」

「真っ向から立ち向かって敵うとは思いません。倒す事に固執するつもりもありません。私は守れれば良いのです。」

「お前を隠密で行かせるくらいなら騎士を増やす方がマシだ。そうだな」

「…仰る通りです。しかし、《先読み》一つにいくらでも人員を増やせるものではないでしょう。」

 可能性の未来全てに全力で騎士を対応させていては、キリがない。

 騎士団は常に仕事を抱えているのだから。隠密関係のスキル持ちがどれほど騎士団にいるか、私にはわからないけれど。限界はあるはずだった。今回の件に騎士を増やすのは、口で言うほど簡単じゃない。

 お父様がますます眉根を寄せる。


「お前の身に何かあればどうする?」

「ダンが守ってくれます。それに少なくとも、敵の優先順位は私ではありません。」

「目撃者として認識されればそこまでだ。リビー・エッカートのスキルで身を隠したとして、彼女が戦闘に入ったらお前の身は晒される。」

「だからこそ最低限、力を蓄えたつもりです。」

 怯えを隠して、手が震えないよう胸元で握り締めた。


 魔力による身体強化もだいぶ使えるようになっている。アベルには程遠いけれど。今の私なら、人一人抱えて数メートル飛び退く事だってできる。機動力は武器だ。

 ダスティン様がゲーム通り悪役になってしまっているなら、捕えたいけれど……最優先は公爵夫妻を助けること。


「私は何としてもこの目で見届けたいのです。じっとしているつもりは…ありません。」


 それが望む未来に繋がるから。

 誰一人欠ける事なく、皆で笑い合うために。画面越しに見た涙を、この世界の現実にしないために。


 チェスターのご両親は死なせない。

 そう決意した私が行かないなんて選択肢はないのだ。譲れない。

 お父様の銀色の瞳を、お母様の薄紫の瞳を、見据えて。



「どうか、許可を。」



 気持ちを込めて深く、私は頭を下げた。

 衣擦れの音で、ダンが同じように頭を下げてくれた事を知る。数秒の沈黙が流れた。


「いいんじゃないかしら、行かせてあげても。」


 顔を上げると、お母様が私を見て嬉しそうに微笑んでいる。

 ふわりとした優しい笑顔のようでいて、纏う空気は凛と張り詰めていた。これはきっと、騎士としてのお母様が私を見ていると、なんとなくそう思った。


「良い目をするようになったわね、シャロンちゃん。ふふ…私の娘だわ。」

「……はぁ。」

 お父様は疲れた顔で肩を落とす。

 首を左右に振って、まだ少し眉を顰めたまま私を見た。


「譲らない時の目。ディアドラ、君にそっくりだ。」

「あらあら。危険とわかっていて飛び込むのは、貴方そっくりね?」

「黙って行かれるよりはマシ、か…。」

 納得がいかないのを強引に飲み込むような苦い顔で、お父様は銀髪をぐしゃりと掻き上げた。そして姿勢を少し前のめりにして腕を膝に置き、手を組んで私を見る。


「出発も帰還もいつかわからない以上、私やディアドラはついて行ってやれない。第二王子殿下もだ。」

「はい。」

「チェスター君と護衛騎士頼みにせず、ダンはガントレットを必ず持っていけ。君のために作られた品だ」

「…は。」

 ダンが厳粛に礼を返す。

 お父様は頷くと、立ち上がって机の脇から細長い箱を持ってきて、ソファには戻らずに立ったままローテーブルへと置いた。それに何が入っているのか、私にも予想がつく。


 手で促されて箱を開けると、一振りの剣が納まっていた。


 女性用として作られたからだろう、騎士様が使うような剣より細身だ。

 銀細工のあしらわれた鍔の中心には、私とお母様の色であるアメジストが嵌め込まれている。鞘と帯剣ベルトもセットで入っていて…観賞用ではないとわかるその見た目に、無意識に唾を飲みこんでいた。


 お母様は立ち上がると、細い手で軽々とその剣を取り、鞘に納める。私も立ち上がってお母様を見つめた。


「剣を持つなら覚悟をしなさい。」


 普段とは違う佇まい。

 かつて騎士隊長だった人の前に、私は立っている。


「力に溺れない事を、決して驕らない事を、己を過信しない事を、仲間を守る事を――敵を、切る事を。」


 冷たい目だった。

 全てを切り捨てる冷たさではなく、覚悟の程を知っている人の目、なのだろう。

 きっと私にはまだ遠い。その重さを実感できていないから。


 それでも手を伸ばす。

 今日の覚悟は甘かったと、いつか思い知る時が来たとしても。


「迷わず見据えなさい、貴女が欲したものを。守りたいと思うものを。」


 右手で柄を握り、左手で鞘を支えた。

 お母様の手が離れていくと、剣の重みが増す。


「辿り着く場所(自分)さえ決めてしまえば、後はもう歩くだけ。」


 自分のもとに引き寄せた剣から、目を上げた。


「貫いてみせなさい、シャロン。」

「――はい。お母様」


 私を信じて背を押してくれる、その微笑みに。

 力強く頷いた。

 どきどきしながら剣を抱えた私の肩をお父様が苦笑して叩き、座るように促す。


「さて……持ってみてよくわかっただろうが、お前が鍛錬で使っている物とは重さも長さも違う。慣れておきなさい。」

「はい、お父様。」

「それと…お前達には言っていなかったが、ランドルフは既にこの件に関わっている。」

「えっ!?」

「はぁ!?」

 私とダンの声が重なった。

 確かに最近屋敷にいなかったけれど、そう珍しい事でもないから気にしていなかったわ。


「私は特務大臣として、他の公爵より強い地位にいる。今回のように公爵家や大臣職の人間に罪状が及ぶ場合、当然私も動く。都度現場に行くわけにはいかないがな。ランドルフのスキルについては少し聞いているだろう。」

「はい。影……つまり闇を使って、遠くの音を聞くようなものだと。」

「《鏡》のスキルだ。水を使うと景色も見えるが露見しやすい。ランドルフは水を使えない代わり、珍しくも闇を用いて《鏡》を発動させる事ができる。」

「そうだったのですね…。」

 お父様が言うには、騎士団と協力してオークス公爵領での情報収集にあたっているらしい。

 アベルがもたらした《先読み》の情報から、事件現場となるだろう雪山もいくつか絞られているそうだ。オークス公爵に協力を依頼するのは、出立が決まってから。


 汗ばむ手を胸元にあてて、私はそっと深呼吸する。

 失敗は許されない。


 前世の記憶を思い出してから八か月ほど――…その日は、確実に近付いてきていた。




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