125.アベル・クラーク・レヴァインの絶望 ◆
※セリフにきつめの拷問内容が入ります。
苦手な方はイドナが「のうのうと生きてるお前らが!気に入らないんだよ!!」と言ってから
行間が長く空く ――あぁ、許さない。 まで飛ばすのを推奨です。
革命軍は突如として勢力を広げ、強引な入城を果たした。
タイミングの悪い事だ。アーチャー公爵家を追ったベインズの身に何かあったらしく、契約者であるクロムウェルは魔力の殆どを譲り渡した直後。王都に放たれた魔獣の対応で人手も足りなかった。住民の殆どは元より避難させていたが、全員が同意してくれたわけではない。
…民を魔獣に襲わせておいて革命とは、ご立派な事だ。
そして、革命軍に厄介な男がいるらしい。
騎士達には死ぬくらいなら通して俺に任せろと命じてあるが、頑固者共がどこまで素直に聞くか。前線に出て早く終わらせたいが、玉座は守らねばならない。
……時間が惜しい。俺は何をしている?まだ、あいつの墓にすら――…
『大丈夫?アベル。』
『……あぁ。』
気遣うように背中に添えられた手を、大丈夫だと遠ざけた。
近衛騎士――カレンは心配そうに俺を見ている。また体調が悪化したかと思ったのだろう。問題ない。
『最近は調子がいい。心配するな』
『うん…』
素直に引き下がったのを見て、俺は視線を前に戻した。玉座の間の大扉はまだ開かない。このまま開かずにこちらが勝利したとしても、事後処理を任せて城を出るには時間がかかる。
サディアスが生きていれば任せられた。ロイとリビーが生きていれば一足先に出立させていた。……この一年で失ったものが多過ぎる。俺のせいで何人死んだ?まだウィルが生きていた頃から仕えてくれていた者達が、皆苦しんで息絶えていく。
死んだ者の顔を思い浮かべていると、自嘲の笑みが浮かんだ。
――「最近は」調子がいい、か。何がきっかけかはわかっている。
物心ついた時からずっと俺の喉元を狙っていた気配も。
チェスターがウィルを殺してから始まり、ひどくなる一方だった頭痛も。
ここ一年で起きるようになった、全身が痺れるような発作も。
何もかも全て、シャロンが死んだ途端に消えてなくなった。
どうしてなのか…俺にはもう、答えを知る機会はないのかもしれない。
可能性があるとすれば、彼女を嵌めた――…
『皇帝、ここにいるか!!』
大扉が開き、一人の男が侵入する。
『止まって名乗りなさい、無礼者!!』
カレンが剣を抜き放つ横で、俺は玉座から立ち上がり相手を見下ろした。
二十代前半だろう、ベインズとよく似た色合いの赤髪だった。銀色の瞳は怒りに燃え、手にした抜き身の剣は俺の騎士達の血で濡れている。
『俺の名はイドナ!』
吼えるように名乗りを上げ、男は俺を睨みつける。
『国なんてどうだっていい…ただ、お前らが気に入らなくてここへ来た!!』
懐から薬瓶を出し、イドナと名乗った男は一気にそれを呷った。違法薬物の類だろう。瓶を投げ捨て突進してくる姿にカレンが身構えたが、俺は二人の間に入って彼女の代わりに剣を受けた。
『アベル!?』
『違法増強剤だ。お前にはきつ――』
『うぉあああああああ!!!』
『くっ!』
恐ろしい威力だった。
魔力で身体を強化した俺ですら受けるのに苦労する速さ、重さ。カレンでは一撃凌げても二撃目までもつかわからないだろう。これほどの強力な薬では、この男自身もただでは済まないはずだが…死ぬつもりか、こいつは。
『俺の家族は死んだ!お前らを守ろうとして、無残に殺されたんだ!!』
『宣言!風よ、彼の――イドナの力を抑えて!』
下手に食らわないよう距離を取り、カレンがスキルを発動させる。
周囲を風が取り巻き――しかし、いつもより効きが悪い。相手が飲んだ薬のせいか、あるいはイドナという名は偽名か。自覚があるのだろう、顔を顰めたカレンはより魔力を使う事で強引に抑え込もうとしているようだった。風の音が強くなっていく。
『何で死ななきゃならなかった!悪い事なんか何もしてないのに!!』
剣を交えながら男は泣き叫ぶように吼えた。
敵国の略奪を受けた領地がある事は報告を受けている。
『ずっと一緒に暮らしてきた人達の身体が、生きたまま切り落とされてくんだよ!笑いながら!!そんな事ってあるかよ!お前が、お前が戦争なんかしなければ…!!』
魔法で殺せばいいなら簡単だが、できるだけ生かして捕えなければならない。
向けられる感情が、言葉が、どれだけ正当なものであったとしても。ここへ来るまでの手段が民の血で染まるなら、俺はこの男を牢に入れなければ。
『皆、皆侮辱されて、汚されて痛めつけられて踏みにじられた!俺は!!それをずっと見せられた!!目を閉じても気を失っても無理矢理、ずっと、ずっと!!』
この男が?
薬を飲む前から既に、ここへ来るだけの力があったはずだが。違和感があったものの、命を捨てる覚悟で来たなら薬を連続で飲んだかもしれないと考え直した。
殺したのはどこの軍だと問えば、男は「仇を討ってやろうとでも?」と嘲笑い、ますます嫌悪の目で睨みつけてくる。光の魔法で一瞬相手の視界を潰し、よろめいたところを風で床に叩きつけた。男は受け身をとって転がり、剣を握り直す。
『仇はもう、あの人が取ってくれた……そこにいた全員、殺してくれた!だから俺はあの人みたいになってここへ来た!!』
普通なら骨がいくつか折れたはずだが、使った薬物は余程の品らしい。変わらない力強さで距離を詰めてくる男の剣を受けた。カレンの助力がなければ、本当に殺すしかなかったかもしれない。
『俺はただ、姉上があんな事になったのにのうのうと生きてるお前らが!気に入らないんだよ!!』
その言葉を聞いてひどく胸が痛んだ。別人である事はわかっているのに。剣を握る手に力が入る。
『お前は家族の内臓を食わされた事があるか!?大好きな人の目が生きたまま抉られる瞬間を、その眼が遊び半分に潰されるところを!見た事があるのかよ!!俺はそれを味わって生かされたんだ!!』
片目が無くなっていたと、腹を捌かれ荒らされていたと、震えながら言うレオの声が思い出された。
…これ以上は、駄目だ。風の魔法で突き飛ばして距離を取ろうとしたが、威力を誤って致命傷となる刃を撃ちだしそうになり、咄嗟に発動を止めた。
『血だらけで好き勝手に嬲られて、ッそれでも俺に謝り続けて…!髪だって、綺麗だったのに、あいつら…!!』
聞こえた内容に目の前が暗くなる。
俺が知っている他にも同じ事が起きていたかと思うと、反吐が出る。彼女が被害に遭う前に別の女を襲っていたのか。予行演習のつもりか?
どくりと心臓が鳴る。
今、その話を思い出させるな。加減を間違って殺してしまう。心にどろりと黒い感情が落ちてくる。頭が冷えていく。あの男の顔が浮かぶ。
――あぁ、許さない。絶対に。お前だけは…
『アベル!』
カレンに名を呼ばれ、気付いた時には遅かった。
相手の剣が身体に深く食い込んでいる。そのまま横に切り裂かれそうな所を風の魔法で強引に距離を取った。ボタボタと血が垂れる。思考に溺れて敵の動きを見ないなど、とんだ失態だ。
こちらを睨みつけて立ち上がる男から目をそらさないようにしながら、喉をせり上がってきた血を吐いた。剣を構えたまま治癒を行うが、当然相手は待ってくれない。剣を防いだ際に再び血が噴き出した。血管から先に治すべきだとわかっていても、医師でもない俺にはそこまで繊細なコントロールができない。
『これを使って!』
投げ渡された薬瓶をラベルの確認もせずに開け、一気に喉へ流した。今更カレンを疑う意味はない。ごくりと飲み下せば、かなりの深手だった傷が勝手に治っていく。消費した魔力が戻る感覚がある。
――こんな薬を作れるのは、一人だけだ。
『その薬は…!』
男が目を見開き、泣きそうに顔を歪めて歯を食いしばった。
『…ッどうして、姉上…こんな奴らを……』
薬瓶を床に置いて剣を構え直す。男は強く踏み込み、これまで以上の重さで襲い掛かってきた。一撃一撃が重く、速い。
『何で、どうしてだよ!!』
『う、ぅう…!』
スキルの継続使用で負荷が強いのだろう、カレンが苦悶の声を上げた。周囲を取り巻く風が僅かに弱まっていく。
『姉上はお前らを助けようと戦ったのに!!』
『アベル、急いで…!』
『わかっている!』
殺さずに、俺が治せる範囲で止める。猛攻の中に隙を探り、身体に流す魔力を調整する。
『どうしてお前らは!姉上を助けてくれなかったんだ!!』
涙が散っていた。
『お前は皆を守ってくれる王子様じゃなかったのかよ!!アベル殿下!!!』
戦いに慣れた身体が、殆ど無意識に隙を突いて剣を振った。
……思考は止まっていた。
聞いた事のある言葉だった。
――皆を守ってくれる王子様なのよ。
彼女の笑顔が浮かぶ。
鮮血が飛び散る。床を転がって倒れた男は、それでもまだ剣を握っていた。
『お願い、もう諦めて!アベルを倒しても貴方の家族は…!』
『わかってる!誰も戻ってこないし、誰も望んでないんだ。俺が、文句を言いたかっただけで…』
俯いたままそう零し、男はふらりと立ち上がる。
剣を取り上げて拘束し、傷を治さなくては。そう思うのに俺は動けなかった。動揺していた。
そのせいで間に合わなかった。
『ぐ、ぁ……』
男は自分の胸に剣を突き刺して倒れた。カレンが悲鳴を上げる。
『――何をしている!!』
駆け寄った時にはもう遅い。
貫通した剣から血が滴り落ちている。治癒の魔法は致命傷には効かない。傷を治せても、魂の乖離を引き留める術がないからだ。傍らに膝をついて倒れた身体を抱き起こす。
『ごめ、ん…姉上……父上、ははう、え……』
イドナは涙を流しながら焦点の合わない目で謝り、動かなくなった。
カレンがよろけながら近付いてくる。
『アベル、彼は…』
『間に合わなかった。俺の責だ』
冷静に対応できていれば死なせる事はなかったはずだ。
己の無力さに嫌気がさしていると、イドナの身体が淡く光に包まれた。何事かと思った時には光がおさまり――…
『そんな……』
カレンが呟き、膝から崩れ落ちた。
クリス・アーチャーが、俺の腕の中で死んでいる。
――大丈夫よ、アベル
保護した駐屯所から消えたとは聞いていた。探しても見つからないはずだ、姿が違うとは。
――貴方は、《守る人》だから。
俺は
――いつかきっと、安らぎは訪れる。
俺にそんな資格はない。
『……カレン・フルード』
学生の頃から共にいた友人の名を、俺の近衛騎士の名を、呼んだ。
ここ一年で、俺に近しい者は皆苦しんで死んだ。
次は彼女の番だと、そう思った。
『はい。皇帝陛下』
自らを奮い立たせるように言って、カレンは跪く。
俺はクリス・アーチャーの身体を横たえ、傍らに置いていた剣を取って立ち上がった。今自分がどんな顔をしているのかわからない。目が合った赤い瞳は驚いたように見開かれている。
『俺に殺されてほしい。』
苦しみの末に死んだ者ばかりだった。
俺のせいだ。
俺が全て、何もかも、選択を誤ったから。
『右腕として顔が知れたお前はもう、放っておいてもらえないだろう。だから、俺が……。』
何を言っているんだと、頭の片隅で思う。
だが、どうしろと。
自分の手で殺したくないなどと甘い事を言って、また俺の手の届かない場所で苦しんで殺される。そうなるくらいなら…
カレンが微笑むと、その頬を涙が伝った。
『わかった。』
そう言って立ち上がり、俺の前に進み出て涙を拭う。
『いいよ、アベル。私を殺して。』
『……すまない。』
『謝らないで。私のためなんでしょ?気にしないで』
剣を握る手に力を込めると、カレンは優しく目を細めて俺を見つめた。
『私ね、貴方が好きだった。一人の男性として…』
思わず目を見開くと、「気付いてないと思った」と笑う。
『でも、やっぱり敵わないね。』
応えてやれない事が心苦しくて、目をそらした。
お前ならいくらでも良縁があったはずなのに、なぜ俺を。
『名前も知らない人に殺されるより、好きな人に殺される方がよっぽどマシ。だからいいの』
『…カレン』
『謝らないでね、アベル。私貴方といられて本当に幸せだった。』
笑ってくれる彼女に、俺は何もしてやれない。
最期まで我儘に付き合わせてしまう。だからせめて、
『『――ありがとう。』』
エリオット・アーチャーに会ったら、息子の事をなんと言おうか。
執務机から取り出した物を眺めながら、考えた。
彼女の訃報と共に届けられたこれも、本来俺が持つべきではないのだろう。家族でも何でもない、俺はあいつにとって……
なんだった?
夫になるはずだった男の弟であり、公爵の父が仕える相手であり、学友であり、国の王子であり皇帝となった俺は。お前を守れなかった俺は。
じわりと憎しみが湧き上がる。自分自身へ、そして彼女を嵌めたあの男へ。
…革命軍は鎮圧した。
ようやくだ。ようやく俺はあの国へ向かえる。
『陛下』
こちらの返事も待たず、クロムウェルが扉を開けて入ってきた。かなり厳しい表情をしている。悪い報せがあったらしいと見て俺も眉を顰めた。
『かの国に向かったアーチャー公爵家、使用人含め数十名――…全員、死亡が確認されました。』
…ベインズは間に合わなかったか。
無意識に拳を握り締める俺に、クロムウェルは続けて言った。
『妻と部下を手にかけたエリオット・アーチャーは、レナルドが討ったそうです。』
何を言っている?
『……どういう事だ。』
『敵方はそういう術を持っていると考えた方が良いかと。…レナルドも当然、深手を。今後についてですが…』
クロムウェルの話を聞きながら、俺は頭が重く、熱くなるのを感じていた。
何が、《守る人》だ。
俺はお前が大事にしていたもの全て、何も、守ってやれなかった。
『…はっ。』
『陛下?』
勝手に笑いが零れた。
訃報が届いた時は堪えていられたのに、今はもう抑えが利かないらしい。
『はは、ははははは!!』
頭の中がめちゃくちゃだ。
やはり俺が守ろうと思うものは壊れていく。壊れるはずだった俺が壊れなかったせいか?わからない。どうしてお前が死んだ途端、俺はまともになった?なぜ俺はこんなに無力で、誰も助けてやれなかった?カレンを殺してよかったのか?どうしてクリス・アーチャーに気付いてやれなかった?あの夜お前を引き留めていたら――…
『ウィルじゃなくて、俺が死んでいれば良かったのにな。』
全て、そこからだった。
それも俺がチェスターに気付いてやれなかったから。結局は俺のせいだ。何もかも。
『遠征だ。片を付けるぞ』
『……はい。』
握っていた手を開いて目を落とすと、彼女の瞳によく似た光が瞬いた。
道中でようやく、墓に寄ってやれるだろう。
何一つ守れなかった俺になど、来てほしくないかもしれないが…
せめて仇は討つ。
遺族に渡せなかったそれを懐にしまい、剣の柄に手をかけた。
『最後の人殺しだ。……待っていろ、シャロン』
あの男を
何よりも無残に殺してやる。




