104.第二王子と護衛騎士 ◆
『今、なんとおっしゃいましたか?』
水色の髪と瞳を持つ騎士団長、ティム・クロムウェルが微笑みを貼り付けた顔で聞き返した。
斜め後ろに控える赤髪の副団長、レナルド・ベインズも驚いたように左目を瞬いている。背筋を伸ばして立つ二人の前で椅子から床へ降りたのは、第二王子アベルだ。
まだ七歳とは思えない冷ややかな目で、彼は十秒前に言った事を改めて伝える。
『護衛選定のため、騎士達には僕と試合を行ってもらう。』
『……聞き間違いではなかったようで、安心しました。就任早々、耳がイカレてはたまりませんからね。』
『一人につき三十秒、魔法の使用は禁止、武器は剣一本のみだ。その際、僕に怪我を負わせても不問とする。』
『ご配慮、ありがとうございます。陛下と五公爵の許可もご自分で取って頂けますか?』
『わかった。話は通しておく』
面倒な事だと示したものの、あっさりと頷かれてしまった。
ティムはいつも通り眉尻を下げて微笑んだまま、少々目を細める。この王子は相変わらず子供らしくない。
双子の兄である第一王子ウィルフレッドは、「アベルの悪口を言わない」くらいの条件しか付けてこなかったというのに。
『試合参加は十名まで。参加しない騎士の観戦も許可する。』
『独特ですね。歴代の王子でも初めての試みでは?』
『そうかもしれないね。』
『……護衛騎士は、試合に参加した者から選ばれますか?』
レナルドが明言されていない事を確認すると、案の定アベルは「そうとは限らない」と答えた。
ティムは困ったように笑う。これはまた、騎士達への説明も厄介だ。許可があるにしても、王子に怪我をさせるリスクに対し、試合をしたからといって護衛騎士になれるわけではない、など。
『試合の後で、護衛騎士の立候補を募る。そこから選定するよ』
『承知致しました。試合の参加者は指名されますか?』
『希望者で埋まるでしょ。何せ、僕を殴っても不問だ。』
『ふふ、これはまた御冗談を。』
くすくすと上品に笑い、しかし否定せずにティムは片手を胸にあて腰を折った。
『準備は進めさせて頂きます。上の許可は、何卒。』
『うん。適当にとっておく』
『適当に、ですか。――相変わらずですね、本当に。』
ニヤリと笑ったティムを見返して、アベルもまた意地悪く口角を吊り上げる。レナルドは黙ってそのやり取りを眺めていた。
去年、城に入り込んだネズミを捕まえた時のように。
そして、試合の結果はティムにとって予想通りだった。
例の事件で第二王子が活躍した事実を、誇張だと信じて疑わない騎士も多かった。
第一王子とさして変わらない身長と体格で、しかし子供らしい愛嬌はなく冷めた目をしている彼を、気に入らないと陰で貶す者もいた。第二王子は騎士を見下し、軽んじていると。
アベルが言った通り、試合の希望者はすぐに埋まった。抽選になったほどだ。王子を叩きのめしても不問という条件に釣られた者も、純粋に護衛騎士を希望し自分の実力を見てもらおうとした者も、等しく――
等しく、彼に敵わなかった。
護衛騎士候補から除外されている各隊長、副隊長、小隊長はおらず、十名の参加者には若手が多かったにしてもだ。僅か七歳の王子に騎士が敵わない、その事実が明らかになってしまった。
『あーあ、やっぱね。ふふっ、よかった。騎士団以外立ち入り禁止にしといて。』
横に控えるレナルドにだけ聞こえる声量で、ティムはけらけらと笑った。一人目の時はざわめいていた観覧席が、十人目が終わった今はもう誰一人として喋らない。
貴賓席から立ち上がり、ちょうどこちらへ目を向けたアベルに微笑んで手振りをした。どうぞ、と。
『では、今の試合を見た上で』
静まり返った演習場に、幼い王子の声が響く。
『護衛騎士にと望む者は、ここへ。』
アベルは試合に使った剣ではなく、ウィルフレッドと揃いで作られた真剣を抜いて前の地面を指した。そこに行けば切られるのではないかと思わせる気迫だった。
王子の護衛騎士に任命される事は誉れだが、自分がこの王子についていけるとは思えない――騎士の殆どがそう思った。
すぐに動いたのはたったの二人。
一人は近くにいた騎士達に「馬鹿、お前は無理だ」と止められ、それを振り払いながら走り、もう一人は誰に止められる事もなく堂々と歩き、観覧席から軽やかに着地して第二王子の前へ進み出た。
ほぼ同着となった二人は、剣の先に跪く。
後から幾人かも駆けていたが、その到着を待たずアベルは片方に目を向けた。薄緑色の髪をした長身の男だ。
『名を、そちらから。』
『ロイ・ダルトンと申します。第二王子殿下。』
『君は。』
金色の瞳がもう一人へと動く。
黒髪の女性騎士だった。騎士団の中でも珍しく、まだ学園を卒業すらしていないだろう年齢――十四歳ほどの少女に見える。アベルと目が合った瞬間に彼女は唇を震わせたが、ぐっと堪えて深く頭を下げ、名乗りを上げた。
『リビー・エッカートと申します!』
護衛騎士に就任するなどありえない、新兵だった。
騎士隊長の一人が去年拾ってきた養子で、学園に行かず入団したという学の無い未熟者。おまけに女。観覧席の一部から失笑が漏れた。
とある事件において彼女を「協力者の一般人」と言い、「騎士志望らしい」などと告げ、子のいない騎士隊長に押し付けたのは第二王子だが、それを知る者はごく僅かだった。
まだ残りの希望者が走って来る最中にも関わらず、アベルは剣を鞘に納める。
『では、ロイ。リビー。お前達を僕の護衛騎士とする。』
◇ ◇ ◇
木々が薙ぎ倒された場所を上空から探せば、タリスと合流するのはすぐだった。モーベスに案内され、泣きわめく令嬢にしがみつかれたベアードが疲労困憊の様子で崖の方向を指差す。
数十メートル下に木々が生い茂っているのを崖上から見下ろし、リビーに声をかけようとしたロイの前で、彼女はさっさと飛び込んでいった。
ロイが思わず笑いながら後を追う。
「フフッ、早いなぁ~!」
「お前が遅い!」
「厳しいですねぇ。…さて、宣言。風は我らを浮かすでしょう。木々を避け、緩やかに。」
もしアベル達が木々のどれかに引っかかっていた場合、風の魔法で揺すり落とすような事があってはならない。ロイは自分とリビーが安全に降りられる最低限の風を発生させ、木々の隙間から着地した。
リビーは途中で「ここでいい」と言ったので、地上から十メートルほど上の枝に立っている。
ガサッ、と音がして見上げた時には既に彼女の姿はなかった。
身軽なリビーは木々の中を、ロイは地上を探す。
山道として整えられてもいない崖下は草木が生い茂り、視界も悪かった。しかしあそこから落ちて下手に移動はしないであろうと、ロイは走り出す。
低木の邪魔な枝葉を叩き切り、似たような景色ばかりの中でも方向感覚を失わないよう注意する。流れていく景色に白を見つけた気がして、足を速めながらそちらへ向かった。
木々の間から飛び出した途端、一瞬だけ鋭い殺意に貫かれる。
「……何だ、お前か。」
珍しくぐったりとした主君が、アーチャー家の令嬢の肩にもたれたまま剣の柄に手をかけていた。
令嬢は守るようにアベルの肩を抱きながら、もう片方の手に投げナイフを構えている。二人ともジャケットを脱いでおり、目についた白はシャツの色だったようだ。
騎士と見て安心したのか、シャロン・アーチャーはナイフを下ろしてぼろぼろと涙を零した。
「た、助けてください…アベルが、ひどい怪我をしているんです。」
「わかりました。…リビー!こちらです!!」
森の中に大声を響かせ、ロイは二人に駆け寄った。
アベルの背中側、左腰に直径三センチほどの枝が突き刺さっている。だが、それだけで令嬢の肩を借りるような主ではない。
「骨も折れてるし、背中をたくさん打ってて……ずっと、庇ってくれたせいで…」
「失礼します。」
シャロンの言葉通りなのだろう。見たところ、あの高さの崖を落ちたにも関わらず彼女は無傷だ。
ロイはアベルのベストとシャツのボタンを外し始めた。腕は抜かず、腰の傷口が見えるようにする。
「アベル様!!」
ざん、と着地したリビーが血相を変えて駆け付けた。
「リビー、治癒を。私がこれを抜きます」
「わかった。申し訳ありません、我が君。どうかご辛抱を…」
リビーは素早くアベルの横に控えると傷口に両手をかざし、ロイは傷が見えやすいよう服を持ち上げると共に枝を抜く。アベルが短く呻き、血がごぷりと流れた。
「……っ、は…」
「ウィルフレッド様はご無事です。じきに本部からも増援が。」
ロイよりも治癒速度の早いリビーだが、患部には焼くような痛みを伴う。
苦しげに吐き出された息の熱さを首元に感じながら、シャロンは肩に乗ったアベルの頭を抱えるように手を添えた。心配と不安と罪悪感と少しの安堵が胸をぐちゃぐちゃに掻き乱している。
痛みが引くように、早く治るように、どうか楽になるようにと祈りながら、少し汗ばんだ黒髪をそっと撫でている事しかできなかった。
腰の傷が無事に塞がった事を確認したリビーは、服の下に見える惨状に顔を歪める。
赤と青紫が入り乱れて大きく模様を描いているようだった。殴打による拷問を受けた状態に近い。今すぐにでも上級医師の治癒にかけたいところだ。
「ロイ、すぐにアベル様を城へ。」
「そうですね。ご令嬢は貴女に任せても?」
「あぁ。コテージに預けたらすぐ…」
「待て」
ロイとリビーは即座に口を閉じた。
シャロンの肩から頭を上げたアベルが、額の汗を手で拭う。傷が一つ治った事で少しは余裕が出てきたようだ。
「城へ行くなら道中は姿を隠せ。大事は避けたい」
「ご令嬢はどうしますか?」
シャロンをちらりと見てロイが聞く。
ひどく心配そうに眉を下げた彼女は、アベルの視界を邪魔しない程度にハンカチをあてて汗を拭っていた。アベルが拒まないのでリビーも彼女を止めはしない。
「上にベアードがいただろう。」
「モーベスと一緒に別の令嬢を送っていきました。」
リビーの答えに、アベルが不満そうに眉を顰める。姿を隠すにはリビーの魔法が必要だが、ロイでなければ風の魔法が城までもたない。護衛騎士二人を連れて行くなら、別の騎士にシャロンを預けねばならないが…。
三人が自分の処遇に困っていると察して、シャロンがおずおずと小さく手を挙げた。
「治療が最優先ですから、どうか私の事は気にせず…」
「面倒なので、連れて行きましょうか。」
「そうだな。」
にこりと笑ったロイに、リビーが同意してシャロンを横抱きに抱え上げた。ジャケットを拾って二着ともシャロンに押し付ける。渡されたそれらを反射的にきゅっと握りながら、シャロンはぱちぱちと瞬きした。
アベルはロイに背負われている。眉根を寄せ、シャロンの事はウィルフレッドに預けるべきではないかと思考し――兄にこのざまを見せたくない気持ちが勝った。
「…じゃあ、それで。」
「はっ!」
「では、行きましょうか。宣言。」
まったくもって意見を聞いてもらえなかったシャロンは、浮かび上がる感覚に身を縮めながらジャケットを抱きしめた。
姿を消して行く以上、騒がず、この上着を落とさない事だけが自分の使命だと信じて。




