14_戦車(Бак)
ギャングたちをかいくぐって、クニカとリンは隠れ場所を探す。道は菩提樹の並木道で、木は焦げていたり、根こそぎになっているものもあった。
立ち並んでいるアパートメントは、ところどころが木っ端微塵に打ち砕かれている。鎧戸や、外壁や、店舗の廂に使われるビニールシートなどが、街路に散乱していた。平和なときに干されていただろう洗濯物が、黒焦げになって窓に張りついている。
「ねぇ、リン」
「黙ってろ」
「ここ……おかしいよ?」
「分かってるよ」
リンのこめかみにも冷や汗が流れている。何か悪いことが、“黒い雨”よりもずっと悪いことが、この街では起きているようだった。
「あそこだ」
リンの指差す先に、レンガ造りの建物があった。外壁は煤けて真っ黒だったが、周囲の建物と比べれば、堅牢そうに見えた。入口には小さな屋根がついていて、鉄製の枠には、表札がはめてある。元は金文字だったと思われる表札の文字は剥げていて、時代モノの鏡のように、細かいシミが一面についていた。
表札には
Ъеспин Швейная Машина Завод
と書かれている。
「ミシン工場?」
「入るぞ」
リンにせかされ、クニカも中へ入る。入るやいなや、リンは迷うことなく。二階へと進んでいく。
「どうするの?」
「事務所みたいなところだ。地図を探さないと」
リンの言葉に、クニカも頷いた。二人とも、このベスピンという街をよく知らない。街から安全に抜け出すためには、地図が必要だった。
「所長室」の前までやってくると、リンが扉を引っ張る。開かない。悪態をつくと、リンはスニーカーを脱いで、素足を扉につけた。足はたちどころにして鷹のかぎ爪に変わり、爪が扉に食い込む。紙を裂くようにして、扉が破れる。
「すごい……うげぇっ?!」
「ばか。感心してる場合か」
げんこつを痛がっているクニカをよそに、リンはさっさと部屋に入り、机の引出し、キャビネットなど、調べられるところを片っ端からあさり始める。
「できることは何でもしないと――」
リンが静かになったので、クニカは顔を上げる。
「リン?」
リンの視線は、窓の向こうに釘付けだった。
「どうしたの?」
「クニカ、アレはなんだ?」
リンが示す方向を、クニカも見つめる。そこは広場だった。否、もとはただの路地だったのだろうが、周辺の建物が粉々になったせいで、開けてしまっていた。
そんな広場に鎮座しているモノを見て、クニカはすくみあがる。胴体の両側についている巨大なキャタピラ、分厚い装甲。ずんぐりした車体、遠近感を無視して聳える一門の砲塔――。
戦車だった。
「戦車……」
「センシャ? 何だそれ?」
クニカは一瞬、「何?」と訊き返そうとした。しかしその前に、戦車が不意に動くと、砲塔がクニカたちの方に向けられた。
「伏せて!」
二人はすぐさま、机の後ろに身を隠す。砲撃される! ――クニカはそう考えたが、弾が発射される気配はない。
「大丈夫そうか?」
「うん……」
リンに促され、クニカは思いで立ち上がる。腰が抜けてしまいそうだった。
「リン、戦車を見たのって初めて?」
リンは頷いた。もちろん、クニカだって戦車などは初めて見た。だが、“戦車“が何なのか、リンは根本的に分かっていないようだった。
部屋の調度をひっくり返しながら、クニカは、戦車について説明する。初めは頷き返していたリンも、だんだんと顔が引きつっていく。リンの胸に見える心の色も、くっきりとした冷たい青色に変わった。
「なんだよそれ!」
しかし、クニカが喋り終わった途端、リンの癇癪が爆発する。
「リン、落ち着いてってば」
「おかしいだろ?! 何でギャングたちがそんなモノ持ってるんだよ! オレたちだって欲しいよ! な、クニカ?」
そういう問題じゃない、と、クニカは内心思ったが、前半部分は、リンの言うとおりである。ただのギャングたちが、戦車を持っているはずはない。
そもそも、リンが狙撃された段階からしておかしいのだ。どうやってギャングたちは、ライフルなどという物騒なものを入手したのだろうか。
「あったぞ、クニカ!」
しかしその間に、リンが目当てのものを探り当てた。
机の上にあるものを、リンは腕で払いのける。ペン、インク壺、文鎮などが床に散らばった。
【ベスピン市市街図。製作:ベスピン市警】
クニカもリンも、目を皿のようにして地図を見つめる。クニカの目を引いたのは、市街を東西に分断している、“エツラ”という名称の川だった。地図の四分の一ほどのスペースが、この川で埋め尽くされている。
「嘘だぁ」
クニカは思わず声を上げる。街に入ってからというもの、川の存在など、クニカはこれっぽっちも感じ取れなかった。しかも、このエツラという川は、相当川幅が広いようだった。
道すがらに見たオミ川を思い出し、クニカの背中を汗が伝う。エツラ川も、オミ川に劣らず広いようである。となると、このベスピンという街は、ヤンヴォイとは比較にならないほど大きいことになる。
「見ろ」
地図の一点を、リンは指で示す。
「オレたちはここだ。ここが国道。そのままこっちに来てるから」
「右岸にいる、ってこと?」
「そうだ」
エツラ川を示す水色のラインを、リンが人差し指で叩く。川を中心に、街は東西に分かれている。クニカとリンは今、右岸、すなわち東側の河岸にいる。脱出するためには、左岸へ渡らなければならない。
「ここだ」
リンは指で、地図の一部を囲う。エツラ川を横切るようにして、赤いラインが四、五本描かれている。
「橋?」
「そうだ。これで向こう岸へ渡れる」
「そうか。……えっ、でも、それって――」
「どうした?」
――納まってるのは対岸のコンテナの中さ。
――お頭が取りに行くのを許すと思うか?
水路の中で聞いた話を、クニカは思い出した。“お頭“なる人物がいて、人が対岸へ渡ることを禁止しているのだろう。
「ねぇ、リン、橋をさ――」
確かめに行こう、クニカがそう言おうとした矢先、
「おォい、誰かいんのかァ?」
間の抜けた声が、窓の向こうから響いてきた。自分たちに向けられた声だと察知し、クニカもリンも戦慄する。
「おい、ウスノロ、あんまのろのろしてると、雨が降ってきても助けてやんねぇぞ」
窓の向こうから、別の人物の笑い声がした。今しがた声をかけたのは、リンを狙い撃ちしたあの“ウスノロ”らしい。
「でもよォ……」
「『でもよォ』じゃねえ、バカ。とっとと戻るぞ。お頭が呼んでる」
“ウスノロ”は唸ったり、鼻をすすったりしていたが、とうとう諦めたらしい。“ウスノロ”と思しき人間の心のもやもやが遠ざかっていくのを見て、クニカはほっとする。
「いなくなった……」
「待ってろ、確かめる」
窓に近づくと、リンは外を注視する。安全なのを確認し、改めてクニカに立ち上がるよう合図した。
「クニカ。続きを話してくれ」
クニカは話を続けた。橋は通行止めになっていること、その命令を下しているのが、“お頭”なる人物であるということ――。
「なるほどな」
リンは腕を組んだ。
「つまり、お頭ってヤツが分からないと、何も分からない、ってことだよな?」
「うん」
「……なぁ、さっきのヤツら“戻るぞ”って言ってたよな、お頭のところに?」
「言ってた」
クニカはうなずき返した。
「どこに戻るつもりなんだ?」
「アジト、とかじゃないかな?」
「――そこに行ってみよう」
「でも……危険じゃ……」
「バカ。オレひとりで行くんだよ。お前は隠れてろ。どんくさいからな」
「うっ……」
そんなことを言われるのではないかと、クニカは覚悟していた。しかし、面と向かって「どんくさい」と言われるのは、さすがに落ち込んだ。
「でも、わたしも一緒に行きたいよ、リン」
「ダメだ、危険だ」
「リンだって同じでしょう?」
「心配すんなよ。やられたりなんかしないよ」
「撃たれたらどうすんの?」
何気なく尋ねたクニカだったが、リンの身体がびくりと震えた。そんなリンを見て、クニカも驚いた。
リンの“心の色”が、さっと青色に変わった。
「そしたら――」
リンは言いかけるが、最後まで続かなかった。
「あのさ、リン」
どんなに絶望的な状況でも、助け合わなきゃダメ――タミンの言葉を、クニカは思い出す。生き延びるために、自分たちは協力しなければならないのだと、クニカは何度も、心の中で繰り返す。
「ひとりでできないことでも、一緒なら何とかなる。リン、そう言ってたよね?」
リンの手を、クニカは握り締める。クニカの想像する以上に、リンの手は冷たかった。
「だから、わたしも一緒に行くよ。お願い。行かせて、リン」
「分かったよ」
リンも、クニカの手を握り返す。
「だけど、ぜったいに離れるなよ。危険だったら、すぐに引き返す。いいな?」
リンの言葉に、クニカはうなずき返した。




